「儀式讃」  

一条真也です。
ブログ『儀式論』で紹介した最新刊がおかげさまで好評です。
全国の冠婚葬祭企業や神社仏閣から多くのご注文を頂いています。

儀式論

儀式論

古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

儀式論』の巻末に、わが儀式への想いを「儀式讃」としてまとめました。
これは『古今和歌集』で紀貫之が和歌への想いを綴った「仮名序」をイメージして作成しました。ブログ『歌と宗教』で紹介した鎌田東二先生の著書を読んで、「仮名序」を知りました。


儀式論』の表紙(総クロス貼り・金銀箔押し)

儀式論』巻末の「儀式讃」

これが「儀式讃」のオリジナルだ!

「儀式讃」オリジナルの冒頭部分



本当は「儀式序」として巻頭に置こうかとも考えましたが、それだと14章にわたる論考の意味がなくなると思い、巻末に「儀式讃」として掲載した次第です。「儀式讃」というタイトルも鎌田先生のアドバイスによるものです。
一流の書道家である福成喜光先生にお願いして巻物に毛筆で書いていただいた「儀式讃」を『儀式論』の巻末に8ページにわたって掲載しました。
「儀式讃」の全文は以下の通りです。


儀式讃
かたちは人の心をたひらけくやすらけく
揺るがぬものとなすべきものなり
つらつら感ずるにかたちにはちからあるなり
いにしへよりかたちのことを儀式となづく
まこと儀式にはちからあるなり
みたまがこころもとなく揺れしとき
儀式はその大いなるちからによりて
人の心をばきよく美しくたくましくしたまふ

ひとびとの心を定め幸ひを
与ふるかたち儀式と呼べり

この世に生まれし赤子のみたまを
すこやかにはぐくみ
おとなとならしむるために儀式あり
初宮参り七五三成人式これなり
おとなとなりし良き偉丈夫と乙女が結ばるるには
かたちをもととなすべきなり
ふたつのみたまを結ぶかたちを結魂といふ
結納の式結婚の式披露の宴あはさり
ひとつとなりて
やうやうみたまはふかく結ばるるものなり
あいむつみて子をなし
ただしき人の道をあゆみて
世のため人のために尽くす姿をもって
子をはぐくみ
その節々に儀式を執りおこなひて
こころきよくまことにただしきひととなすなり
人は老いるほどに豊かなこころとなれるとはいへ
光陰は矢の如く
やがて身は果つること世のならひなり
されど日の本には
老いゆく人のこころもとなきみたまを
たひらけくする儀式あり
長寿祝ふこれなり
還暦古稀喜寿傘寿米寿卒寿白寿などあり
還暦は生まれし年と等しき干支の年を
迎ふることより暦に還るといふ
古稀杜甫の言の葉にある
人生七十年古来稀也に由来するなり
喜寿は喜の草書に由来し
傘寿は傘の略字に通ずることによる
米寿は八十八が米の文字に通ずることによる
卒寿は卒の略字が九十に通ずることによる
白寿は百から一を除きて白の文字となれるによる
而して黒髪に霜の降るとはいへ
みたまはやうやう豊かになり神に近づく
されどひとの命ははかなきものなり
無常たちまちにいたれり
洋の東西を問はずおよそ身罷らざるものなし
されば明日はあらじと思ひ定むる覚悟をもつべし
愛しきものを喪へる人の心は
荒海にたゆたふ小舟のごとし
佛の道によれる弔ふとは
物語といふかたちの慰めなり
物語よく慰撫するかたちあることを学すべし
物語によりて
みたまはとこしへに栄ゆるものとなり
子々孫々を守り導くこと疑ふなかれ
かたちにはちからがあると思ほゆを知る
送る儀式が要らぬはずなし
送魂と名づくる所以なり
斯くの如く儀式こそ人を人ならしむるものなり
まさに知るべし
儀式はあまねく人の世を照らし導くものなり
まこと儀式にはちからあるなり


儀式論』と「儀式讃」

「儀式讃」を広げて・・・・・・



わたしは、合計600ページの『儀式論』を何かに取り憑かれたように一気に書き上げました。「俺が書かねば誰が書く」という大いなるミッションを感じながら、ドン・キホーテのような心境で書きました。「儀式讃」は、天から文章が降ってくるようなイメージで一晩で書きました。
わたしが社長を務める株式会社サンレーでは、この「儀式讃」を創立50周年を記念する新たな(古き?)ミッション・ステートメントとして位置づけたいと思います。また、神社の神官に朗誦していただき、それを動画としてネットにアップする予定です。『儀式論』をご購入いただいた多くの冠婚葬祭企業のみなさまも、ぜひ、この「儀式讃」のメッセージから日々の業務に活かせるヒントを見つけていただければ幸いです。


儀式論』(弘文堂)の内容見本



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年11月17日 一条真也