宇宙の初夢が見たい!

一条真也です。
椎名林檎に導かれて、元日の夜にネット・サーフィンをしていたら、途方もない動画を発見しました。「星の大きさを比較2」というものです。これを見ると、わたしたちが住んでいる地球も宇宙の壮大さに比べれば、いかに小さなものであるかが画面を通じてしみじみと実感できます。そして今さらながら、宇宙は大いなる神秘の宝庫だと思います。


今世紀、ついに宇宙の年齢がわかってしまいました。
2003年2月、米国NASAの打ち上げた人工衛星WMAPは、生まれてまだ38万年しか経っていない頃の宇宙の地図を描き出しました。
人類がいま、描くことのできる最も昔の姿であり、それを解析することによって、宇宙論研究の究極の課題だった宇宙の年齢が137億年(誤差2億年)と求められたのです。20世紀末に「宇宙の年齢は何歳ですか」と専門家にたずねても、「まあ、100億年か200億年ですかね」という答しか返ってきませんでした。じつに、有効数字が1桁もないような状況だったのです。それが、いまや「137億年です」という3桁の数字で答えられるようになったわけですから、本当にすごいことです。


宇宙を1冊の古文書として見るならば、その解読作業は劇的に進行しています。それというのも、20世紀初頭に生まれた量子論と相対論という、現代物理学を支えている2本の柱が作られたからです。さらにこの2つの物理学の根幹をなす法則を駆使することによって、ビッグバンモデルと呼ばれる、宇宙の始まりの瞬間から現在に至る宇宙進化の物語が読み取られてきました。宇宙はまず、量子論的に「有」と「無」の間をゆらいでいるような状態からポロッと生まれてきました。これは「無からの宇宙創生論」といわれているものです。そうして生まれた宇宙は、ただちにインフレーションを起こして急膨張し、インフレーションが終わると超高温、超高密度の火の玉宇宙になり、その後はゆるやかに膨張を続けました。
その間に、インフレーション中に仕込まれた量子ゆらぎが成長して、星や銀河が生まれ、太陽系ができて、地球ができて、その上に人類が生まれるという、非常にエレガントな一大叙事詩というか宇宙詩とでもいうべきシナリオができ上がってきたわけです。


YouTubeには、いろんな星の大きさを比較していく動画があります。
初めて観たときは、言葉にならないほどの大きな衝撃を受けました。
地球の衛星である月よりも水星や火星や金星は大きく、さらに地球は大きい。その地球よりも土星は大きく、それよりも木星ははるかに大きい。その木星も太陽に比べれば小さなものですが、その太陽がゴマ粒に感じられるぐらい大きな星が宇宙にはゴロゴロしているのです。
アルクトゥルスうしかい座)は太陽よりもはるかに大きく、ベテルギウス(オリオン座)とアンタレス(さそり座)はさらに大きい。
観測された銀河系の恒星のうち、最も明るい超巨星がピストル星です。「ガーネットスター」とも呼ばれるVVCepheiは有名な赤色超巨星です。そして現在までに人類が確認した中で最も大きい星は、おおいぬ座のVYです。その直系は推定25億から30億kmで、太陽の約2000倍、地球の約29万倍の大きさというから凄いですね。なんだか、仏教の空間論をイメージしてしまいます。たとえば、地獄の最下層である阿鼻地獄は「無間地獄」とも呼ばれます。わたしたちの住むこの世界からそこまで落ちるのは自由落下で、なんと2000年もかかる距離です。秒速を9.8/mとして計算すると、約6.1億kmになります。まさに想像を絶するスケールですね。本当に仏教的世界観のスケールの巨大さには圧倒されます。


宇宙と人間との関係について考えると興味は尽きません。よく知られている宇宙論に、いわゆる「人間原理宇宙論」というものがあります。
現在、わたしたち人類がこの宇宙のなかに存在しているわけですが、物理的考察をすると、人類が宇宙の中に存在しうる確率は、ほとんどありえないという考え方です。つまり、あたかも神によって「人類が存在できる宇宙」が必然的に選ばれたかのごとくに、さまざまな事柄が調節されて、初めて人類が宇宙のなかで誕生し、存在することが可能である、いや、そうとしか考えられない。そのように宇宙をとらえる考え方が、「人間原理宇宙論」です。
宇宙の中にある物質の量とか、宇宙の曲率とか、あるいは原子核同士が核融合反応を起こすときの核反応率とか、その他もろもろのあらゆる物理的諸条件の値が少しでも違っていたら、太陽も地球も誕生せず、炭素もできません。ということは、炭素型の生命体であるわたしたちの存在もなかったわけです。このように、現在の宇宙の様子をいろいろと調べると、わたしたち人間が存在するためには、きわめて計画的に、ものすごい微調整をしなければなりません。偶然にこうした条件が揃うようなことは、まず、ありえないでしょう。ですから、人類のような高度な情報処理のできる生命が存在しているという事実を説明するときに、「これはもう、人類がこの宇宙に生まれるように設計した神が存在したに違いない」という発想が必然的に出てくるわけですね。たしかに、考えれば考えるほど不思議です。

 
わが書斎の宇宙書コーナー



昨年、わが代表作というべきわが代表作というべき『唯葬論』(三五館)を上梓しましたが、その冒頭に「宇宙論」を置きました。
葬儀こそが人類の営みの核をなすという「唯葬論」について述べる書の最初に宇宙について語ったわけです。なぜなら、葬儀の本質とは「宇宙の子」である人間が本来の故郷である宇宙に還ってゆくセレモニーだからです。


唯葬論

唯葬論

人類の生命が宇宙から来たという仮説は、今や多くの科学者が支持しています。DNAの二重螺旋構造を提唱してノーベル賞受賞者となった分子生物学者のフランシス・クリックが「生命の起源と自然」を発表し、生命が宇宙からやってきた可能性を認めました。その後、イギリスの天文学者フレッド・ホイルと、星間物質を専門とするスリランカ出身の天文学者チャンドラ・ウィックラマシンジは「パンスペルミア説」を提唱しました。生命は宇宙に広く多く存在しており、地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものであるという説です。ホイルとウィックラマシンジは、生命の種子が彗星によってもたらされたと主張したのです。
その後、クリックはさらに、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだとする「意図的パンスペルミア説」を提唱しました。 地球が誕生する以前の知的生命体が、意図的に“種まき”をしたというSFのような仮説です。しかし、けっして「トンデモ」ではなく、正真正銘の科学的仮説です。


パンスペルミア説」が正しいにせよ、SFのような「意図的パンスペルミア説」が正しいにせよ、わたしたち人間の肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできている。これは、もう間違いないでしょう。その材料の供給源は地球だけではありません。はるか昔のビッグバンからはじまるこの宇宙で、数え切れないほどの星々が誕生と死を繰り返してきました。その星々の小さな破片が地球に到達し、空気や水や食べ物を通じてわたしたちの肉体に入り込み、わたしたちは「いのち」を営んでいるのです。
わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、「宇宙の子」であるといえます。
人間も動植物も、すべて星のかけらからできているのです。
今夜の初夢では、わたしは、故郷である「宇宙」の夢が見たいです!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年1月2日 一条真也