寅さんの還暦祝い

一条真也です。
東京に来ています。15日の夜、「出版寅さん」こと内海準二さんとホテル・ニューオータニの最上階のBARでお会いました。じつは、今月で内海さんが60歳になるので、還暦のお祝いをしたのです。


シャンパンで乾杯!(奥で光るのは東京タワー)



近年、30歳前後を「アラサ―」、40歳前後は「アラフォー」、50歳前後は「アラフィフ」と呼びます。60歳前後は伝説の名俳優・嵐寛寿郎をもじって「アラカン」と言うそうです。還暦は第2の誕生とされ、生まれ直すといって赤子のように赤色の衣服や頭巾などを贈って祝います。還暦に贈る赤色は、赤子に贈る赤い品々になぞらえています。では、なぜ赤色なのか。赤色は、朱色や紅色なども含めて祝意を表すもので、縁起物や祝事の膳椀、酒樽などに使用されました。それとともに、魔除けの意味でも赤色は重視されました。わたしは、赤のチャンチャンコの代わりに、内海さんに「還暦祝い」として、ラルフ・ローレンの赤いVネックセーターをプレゼントしました。


赤のVネックセーターをプレゼントしました



内海さんとわたしは、「腐れ縁」もとい「古い縁」です。
わたしは、大学卒業後、東京の赤坂見附に本社のある東急エージェンシーに勤めていました。内海さんは、その東急エージェンシー時代の先輩です。当時は出版事業部に所属されており、わたしの処女作『ハートフルに遊ぶ』をはじめ、多くの本を編集してくれました。「一条真也」というペンネームも内海さんと相談して決めました。


DANで乾杯!



わたしが東京から九州に居を移したこともあって連絡が絶えていましたが、あることからふと内海さんを思い出し、じつに10年ぶりに電話をしてみました。すると、その日が偶然にも内海さんの東急エージェンシー退職の日だったのです。内海さんは、フリー編集者として独立することになっていたのです。本当に縁というのは摩訶不思議ですが、その電話がきっかけで数日後に東京で再会し、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の出版に至りました。また、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)を文庫化した『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)も出版されました。あれは戦後60年だったので、今からもう10年前になります。


ハートフル・ソサエティ      ロマンティック・デス―月を見よ、死を想え (幻冬舎文庫)    


内海さんへの電話はまさに心理学者ユングのいう「シンクロニシティ共時性)」だと思いました。シンクロニシティとは個人の運命を変える鍵であり、世界によって使命が与えられた印であるとユングは述べています。再会後の内海さんとは多くの本を一緒に作ってきましたが、それらのすべてに何らかのミッションがあると思っています。「一条本」全80冊のうち、じつに38冊が内海さんが関わった本です。


愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙      葬式は必要! (双葉新書)


特に、グリーフケアの書である『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)などは大いなる使命感をもって書きました。また、島田裕巳氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の刊行後にすぐさま『葬式は必要!』(双葉新書)を出したときは、「電光石火の早業!」と、出版界で話題になりました。これらの本も、すべて内海さんのプロデュースでした。


永遠葬      墓じまい・墓じたくの作法 (青春新書インテリジェンス)


そして、わたしたちが10年ぶりの再会を果たしてから、今年でちょうど10年目になります。『葬式は必要!』から5年、『ハートフル・ソサエティ』および『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』から10年、そして、戦後70年・・・今年はわたしたちコンビにとって節目の年にして勝負の年でした。わたしたちは満を持して、『永遠葬』(現代書林)および『墓じまい・墓じたくの作法』(青春新書インテリジェンス)を世に問いました。わたしにとって、内海さんは「天下布礼」の大切な同志です。


ブルーハーツの「キスしてほしい」を歌いました♪

キスされそうになりました(笑)



わたしたちは、思い出話をしながら、ホテル・ニューオータニのレストランで食事をしました。その後、「東京の止まり木」ことカラオケスナックDANに向かいました。わたしがDANでブルーハーツの「キスしてほしい」を歌うと、内海さんからキスされそうになりました(笑)。


「お世話になりました」を歌いました♪



お互いに数曲づつ歌った後、ラストにわたしは井上順の「お世話になりました」を歌いました。3番まであるのですが、替え歌で1番は「『ハートフルに遊ぶ』ではお世話になりました」、2番では「『ハートフル・ソサエティ』でもお世話になりました」、3番では「今年は戦後70年、『永遠葬』で本当にお世話になりました」と歌い、胸がいっぱいになりました。
見ると、内海さんも目を真っ赤にしていました。内海さんは照れ隠しか、西城秀樹の「ヒデキ、カンゲキ〜!」をもじって「ジュンジ、カンレキ〜!」などと言っていました(笑)。内海さん、還暦、誠におめでとうございました。いつまでもお元気で。これからも、よろしくお願いいたします!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年12月16日 一条真也