呉竹文庫

一条真也です。
8日、福岡空港からANA3186便に乗って小松空港へと飛びました。
翌9日に行われる加賀紫雲閣の竣工式に参加するためです。


上杉軍と織田軍は「手取川の戦」で戦った

手取川の戦」の石碑

石碑の前で・・・・・・

呉竹の小径



小松空港へ到着したわたしは、かねてより行きたかった呉竹文庫へと向かいました。「ベスト50レビュアー」こと不識庵さんのブログ「不識庵の面影」の記事「呉竹文庫」を読んで、どうしても訪れてみたかったのです。ここでは、かの上杉謙信軍と織田信長軍が戦った「手取川の戦」の跡地に建っています。


呉竹文庫の入口で

呉竹文庫のご案内

開館中・・・・・・



呉竹文庫は、石川県白山市にあります。北前船主として財を成した熊田源太郎が私邸を開放し開いた私設図書館です。
北前船とは、江戸から明治にかけて活躍した買積み廻船のことですが、商品を預かって運送をするのではなく船主自身が商品を買い付け、それを廻船で諸国に売買することで利益を上げていました。北前船主としては高田屋嘉兵衛や銭屋五兵衛が有名ですね。


熊田源太郎の銅像前で


呉竹文庫は、平成2年に再興され博物館的展示施設になりました。
現在は一般公開されていますが、貴重な図書の閲覧や文化活動の場として広く利用されています。この施設を管理運営している白山市のHPには、次のように紹介されています。
「呉竹文庫は、手取川の河口に近い堤防左岸の高台に竹と木々に囲まれて静かにたたずんでいます。この辺りからは、遥かに白山の山並みを遠望できます。北前船主熊田源太郎氏が、大正11年2月に設立した図書館でしたが、昭和3年から4年にかけて別宅として建てられたこの和風の家屋は、平成2年に見学のみの博物館類似施設として生まれ変わり、今は土蔵を転用した書庫や豪壮な書斎、美術品や古文書などを展観する展示室、心落ち着く和室や茶室などを一般公開しています」


館内のようす




また、呉竹文庫の歴史について、以下のように説明されています。
「呉竹文庫設立の動機について、熊田源太郎氏は、大正10年発行の『呉竹文庫図書目録』の自序で『知識欲をいかにしても制することができないので徒に諸書を購求して』乱読し僅かに慰めて降りました。これが私の蔵書の起因であります。しかし事業経営に『読書の時間が減殺』され、『有用の書籍も場所塞ぎの無用物と何ら撰ぶところがないので友人に話して閲読を勧めました。』と述べています。このような事情によって、大正4年から自らの蔵書を一般に公開し私立図書館としての形態を整え、大正11年2月には財団法人呉竹文庫を設立しました。
以来広く地域文化活動の拠点としての役割を果たしてきましたが、終戦後は半ば休館状態になりました。平成2年本文庫の再生を図るため、嗣子卓郎氏の篤志により、旧美川町が運営の主体となり、施設の保存、図書の閲覧と併せて美術品・古文書の展示さらに各種文化活動の場として活用する博物館類似施設として再出、現在は白山市の施設となっています」


熊田源太郎の銅像

教養人の風貌であります



さて、この文庫の創設者である熊田源太郎は、どのような人物なのでしょうか。公式HPには源太郎について次のように記しています。
「本文庫の創立者源太郎氏(幼名 源一郎)は明治19年生まれ。
明治36年17歳のとき、父源太郎氏の他界により家業を継ぎ、文化人らしい温雅な気質を持って倉庫業運送業・銀行業・鉱山業・北海道における農場経営など実業界で活躍しました。一方、大地主として小作農民と融和し、協力して稲作の改良に務め、さらに地域青少年の育英のために資金を援助するなど、当時としては進歩的な考えの持ち主でありました。
氏は、大正12年より昭和2年までの4年間、旧湊村村長を勤め、さらに昭和9年手取川の大洪水のとき請われて再任し、翌10年1月数々の業績を残し49歳の若さで惜しまれながら生涯を閉じました」


呉竹文庫の哲学書

呉竹文庫の神道

呉竹文庫の仏教書

呉竹文庫の儒教



源太郎が明治中期から昭和初期にかけて集めた書籍は、13863冊に及びます。叢書・辞書にはじまり、宗教・哲学・教育、法律・政治、産業、理学・工学、医学、美術・諸芸・武技、文学・語学、歴史・地誌など、偏りなく公立図書館のごとく、そのジャンルは多岐にわたっています。全集も多いのですが、初版本や奥付に「非売品」と書かれた稀覯本も数多く所蔵しています。


これが『世界聖典全集』のラインナップだ!



呉竹文庫が特に宗教書を集めたと知って、わたしは密かにあることに期待しておりました。それは伝説の『世界聖典全集』を所蔵しているのではないかと思ったのです。『世界聖典全集』とは、大正年間に世界聖典全集刊行会から出版された世界中の宗教や哲学における聖典を網羅するという稀有壮大な叢書です。まさに大正教養主義を象徴する全集でした。果たして、『世界聖典全集』は、全巻とはいきませんが、呉竹文庫にありました!


『世界聖典全集』前輯



それは「前輯」と「後輯」に分かれ、前輯のラインナップは以下の通りです。
1『日本書記神代巻』全 加藤玄智纂註
2『四書集註』上 宇野哲人
3『四書集註』下 宇野哲人
4『三経義疏』上 高楠順次郎
5『三経義疏』下 高楠順次郎
6『印度古聖歌』全 高楠順次郎
7『耆那教聖典』全 鈴木重信
8『波斯教聖典』上 木村鷹太郎訳
9『波斯教聖典』下 木村鷹太郎訳
10『埃及死者之書』上 田中達訳
11『埃及死者之書』下 田中達訳
12『新訳全書解題』全 高木壬太郎訳
13『新約外典』全 杉浦貞二郎訳
14『コーラン経』上 坂本健一訳
15『コーラン経』下 坂本健一訳


『世界聖典全集』後輯



また、「後輯」15巻のラインナップは以下の通りです。
1『古事記神代巻』全 加藤玄智纂註
2『道教聖典』全 小柳司気太他訳
3『ウパニシャット』一 高楠順次郎他訳
4『ウパニシャット』二 高楠順次郎他訳
5『ウパニシャット』三 高楠順次郎他訳
6『ウパニシャット』四 高楠順次郎他訳
7『ウパニシャット』五 高楠順次郎他訳
8『ウパニシャット』六 高楠順次郎他訳
9『ウパニシャット』七 高楠順次郎他訳
10『ウパニシャット』八 高楠順次郎他訳
11『ウパニシャット』九 高楠順次郎他訳
12『旧約全書解題』全 石橋智信著
13『旧約外典』全 杉浦貞二郎訳
14『アイヌ聖典』全 金田一京助
15『世界聖典外纂』全 高楠順次郎他著


書斎への入口

書斎のようす



このような素晴らしい文庫を残した熊田源太郎の人生は、きっと心豊かなものだったに違いありません。
わたしは、おそらく日本一いや世界一の私設図書館を作されたであろう上智大学名誉教授の渡部昇一先生の顔を思い浮かべました。渡部先生との対談本である『永遠の知的生活』(実業之日本社)でも述べましたが、わたしは「結局、人間は何のために、読書をしたり、知的生活を送ろうとするのだろうか?」と考えることがあります。その問いに対する答えはこうです。わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。 あの丹波哲郎さんは80歳を過ぎてからパソコンを学びはじめました。霊界の事情に精通していた丹波さんは、新しい知識は霊界でも使えると知っていたのです。ドラッカーは96歳を目前にしてこの世を去るまで、『シェークスピア全集』と『ギリシャ悲劇全集』を何度も読み返したそうです。


書斎の書棚

書斎の肖像画

手取川のほとりで・・・・・・

白山も美しかったです



死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのではないでしょうか。モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は精神だけの存在になります。そのとき、生前に学んだ知識が生きてくるのです。そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。
わたしがそのような考えを渡部先生に述べたところ、先生は「それは、キリスト教の考え方にも通じます」と言って下さいました。読書によって得たものは永遠なのです!


永遠の知的生活』(実業之日本社




*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年12月8日 一条真也