「歌声の響」

【CD付】天皇陛下御作詞 皇后陛下御作曲 歌声の響


一条真也です。
天皇陛下が作詞、皇后さまが作曲を手がけられた初めての歌「歌声の響」を聴きました。40年前、両陛下が初めて沖縄県を訪れた際、ハンセン病療養所の入所者と交流したのを契機に生まれた歌です。このたび、宮内庁の協力を得て、CDブックとして朝日新聞出版社から発売されました。
正直言って、朝日から出版されたというのが大きな驚きでしたが、早速購入し、拝聴いたしました。魂が震えるような感動をおぼえました。


CDブック『歌声の響』の帯



1975年7月、皇太子ご夫妻時代の両陛下は名護市にあるハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪問されました。当時はハンセン病への差別や偏見が強かった時代で、周囲の反対もあったようですが、両陛下は自ら訪問を望まれて訪問されたそうです。そして、目が不自由だったり、指を失ったりした入所者の一人一人と触れ合われました。


CD付きです



両陛下がお帰りの際、入所者たちから自然と合唱が起きたそうです。それは感謝の気持ちを伝える沖縄の船出歌「だんじょかれよし」でした。
「だんじょかれよし」とは「まこと、めでたい」という意味であります。
その祝いの歌を涙を浮かべながら、手拍子とともに入居者たちが歌う姿に、両陛下は炎天下に立ったままじっと聴き入られたそうです。


言霊に魂がふるえる



この光景を、天皇陛下は後に、沖縄周辺の島々に伝わる「琉歌」に詠まれました。琉歌は八・八・八・六の音数律をもつ定型詩で、沖縄の人たちでも簡単に詠めるものではないとされています。
しかし、天皇陛下というのは、もともと「歌道の宗家」のような存在です。
代々の天皇は和歌を詠み、歌会を開いてきました。天皇の最大の仕事とは「祈ること」と「歌うこと」であると言ってもよいでしょう。


「歌声の響」誕生の経緯を紹介



日本を代表する歌集といえば、なんといっても『古今和歌集』です。
その「仮名序」の冒頭の部分は以下の通りです。
「やまとうたは、人の心を種として、
万の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、
猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」


古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)


紀貫之は、「仮名序」のこの冒頭の部分で和歌の本質を解き明かし、「森羅万象は歌を歌っている」と言っています。これについてブログ『歌と宗教』で紹介した本で、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二氏は「歌が生まれ、誰かがそれを歌うということは、つまり森羅万象がこの世界に歌いつつ存在しているということなのだ」と述べています。この紀貫之による和歌の本質論には、「庸軒」の号でへっぽこ道歌を詠み続けているわたしも深い感銘を受けました。特に、最後の「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」というくだりが最高に素晴らしい!
なお、わたしが歌詠みとなった理由については、「わたしは、なぜ歌を詠むのか? 詩とは志を語るものである!」をお読み下さい。


(020)歌と宗教 (ポプラ新書)

(020)歌と宗教 (ポプラ新書)

また、「仮名序」の中でも「(歌は)力をも入れずして天地を動かす力がある」というくだりが特に大切であるとして、鎌田氏は次のように述べます。
「これはなんとすごいことであろうか。どんなに力を入れても、人類の発明したどんな文明の利器を使っても、天地を動かすことなどはできないと思うのがふつうである。しかし、歌にはそういうことができると、『仮名序』には書いてあるのだ。これはつまり、歌が宇宙であり、まさに天地を動かしている根本原理だという歌の哲学が底にある」



日本神話のスサノヲノミコトは、ヤマタノオロチという八頭八尾の大蛇を退治しました。そして、斬り殺した大蛇の1本の尻尾から怪しい光を発するクサナギノツルギを見つけます。スサノヲはこの剣をアマテラスに献上し、天皇家三種の神器の1つになったとされています。大蛇を退治した後、スサノヲは愛するクシナダヒメと結婚し、ともに暮らしていくことになります。この結婚により、乱暴な暴力神、荒ぶる神だったスサノヲは初めて、この世界に調和をもたらす神になることができたのです。そして、これから命をつないでいく愛の営みのための御殿を作り、次の歌を詠みました。
八雲立つ 出雲八雲垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
この短い24文字の中に、住居をあらわす「八重垣」という言葉が3回も登場します。八重垣3回で9文字ですから、じつに全体の3分の1以上が「八重垣」です。ほとんど「ヤエガキ・シュプレヒコール」と呼んでもいいようなこの歌こそは、日本最古の和歌として「仮名序」に紹介されている歌なのです。


産経新聞」2014年7月14日朝刊



2014年7月14日、天皇陛下の80歳、傘寿を祝う催しが、天皇皇后両陛下をはじめ皇族方も出席されて皇居で開かれ、全国各地の民俗芸能が披露されました。この催しは、天皇陛下が去年、傘寿の誕生日を迎えられたのを祝って、皇后さまの主催で開かれたものです。その傘寿祝いの最後に沖縄の「カチャーシー」が踊られたと知って、わたしは感動しました。



会場では、北海道の「江差沖揚音頭」、青森県の「津軽三味線」といった各地の民俗芸能が披露されたそうです。それらの芸能も素晴らしいものですが、最後に「カチャーシー」というのが嬉しかったです。
どれほど、沖縄の人たちは誇らしく思ったことでしょうか!
このアイデアは、皇后さまの思いやりあるご配慮でしょう。皇后さまは40年前の沖縄での出来事、陛下の沖縄への想いをよくご存知だったはず。



わがサンレーは、沖縄で冠婚葬祭事業を営んでいます。
結婚披露宴をはじめとして、沖縄の祝宴にはカチャーシーがつきものです。老若男女がみんな踊るさまは、本当にほほ笑ましいものです。しかも、おそらく過去の祖先たちも姿は見えないけれどそこにいて、一緒になって踊っているという気配がします。カチャーシーのリズムに身をまかせていると、なにか「生命は永遠である」という不思議な実感が湧いてきます。



天皇陛下が詠んだ詞に皇后さまが曲を付けた「歌声の響」は、両陛下が80歳の傘寿を超えたことを機に宮内庁の協力で制作されました。
ソプラノ歌手の鮫島有美子さん(63)が歌い、東京芸大音楽部長の澤和樹氏がバイオリンを担当。人間国宝西江喜春氏が三線で参加しています。この歌を贈られたハンセン病療養所では沖縄民謡に乗せて歌われていましたが、「曲」を望む声もありました。これに応え、皇后さまが友人の作曲家・山本直純氏の協力を得て曲を付けたそうです。天皇陛下も新たに2番の詞を詠み、施設で歌い継がれてきました。CDでは情感のこもったソプラノが荘厳な旋律に乗っています。


鮫島有美子さんは、オペラ歌手として欧州での活動が長く、日本とヨーロッパを往復しながら活躍を続けているそうです。2013年3月には東日本大震災復興支援のチャリティーコンサートに出演し、天皇、皇后両陛下が鑑賞されたとか。わたしは鮫島さんの「椰子の実」が大好きです。「日本民俗学の父」である柳田國男の着想を得て、「文豪」として名高い島崎藤村が作詞した国民的名歌ですが、鮫島さんの気高いソプラノの歌声を聴いていると、日本人としてのDNAが沸沸と呼び起こされてくる気がします。



今回の歌について、鮫島さんは「歌い込むほどにわき上がる不思議な力を感じました。世界を見回しても王室が自らお作りになった前例はありません。唯一無二の歌です。両陛下の思い、沖縄のこと・・・・・・広く知っていただきたい」と、「朝日新聞」の取材に答えて述べておられます。鮫島さんはベルリンの壁崩壊1周年の90年大みそかに、現地から「NHK紅白歌合戦」に出演されました。戦後70年の大きな節目となる今年、「歌声の響」ほど年末の紅白にふさわしい歌もありません。ぜひ、今年の大みそかは日本中に「だんじょかれよし」の言霊を広めていただきたいと思います。


それにしても、CDブック『歌声の響』が朝日から出たことには驚きました。
朝日も、たまには良いことをするのですね(苦笑)。
ちなみに、「三大全国紙」といえば、毎日・朝日・読売(創刊順)です。
ブログ「新聞取材ラッシュ」で紹介したように、本日わたしは「読売新聞」と「毎日新聞」の取材をサンレー本社で受けました。
え、「朝日新聞」からは取材を受けなかったですかって?
それは取材依頼がなかったので、受けておりません(笑)。
最後に一言・・・・・・だんじょかれよし!!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月9日 一条真也