妻籠宿

一条真也です。
わたしたちは馬籠宿を後にし、次に妻籠宿を訪れました。長野県木曽郡南木曽町にある妻籠宿は中山道42番目の宿場で隣接する馬籠宿と並び木曽路を代表する観光名所です。戦後、高度経済成長の過程で日本各地の伝統的な町並みが近代化していく中、景観保全活動に取り組み、1976年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


中山道妻籠宿入口

妻籠宿の説明板

案内板

さあ、妻籠宿へ!

妻籠宿へ至る細道

妻籠宿にたたずむ

妻籠宿を歩く

脇本陣の前で



妻籠観光協会公式HPには「歴史の面影を残す宿場町」として、「江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて42番目となる妻籠宿は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていました」と紹介されています。


妻籠宿本陣の前で

妻籠宿ふれあい

観光案内所

忠魂碑

光徳寺

妻籠宿のど真ん中に立つ



そして町並み保存の運動について次のように書かれています。
「時代が変り明治になり鉄道や道路が新たに造られ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。やがて昭和になり経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、ここに全国に先駆けて保存運動が起こったのです。妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を、『売らない・貸さない・壊さない』という3原則をつくり、ここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているのです 」


久々にリラックスできました

山がとても綺麗でした

ユニークなズボン屋さん

背後に豊川稲荷が見えました

稲荷神社の上に広がる秋空

柿を見ると秋を感じます

各所に柿が吊るされていました

ヘチマも吊るされていました



こうした地域での取り組みによって、わたしたちは「日本の情緒」を観光によって体感できるのですね。もちろん、観光地として栄えるためには初期設定とアップデートが必要です。景観保全と環境客を満足させていくことは容易なことではありません。「不易流行」とは芭蕉の言葉ですが、木曽路の歴史をいまに伝える馬籠宿と妻籠宿を訪れて「守るべきものを守る」ことの意義について思いを馳せました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年10月28日 一条真也