馬籠宿

一条真也です。
サンレー北陸の社員旅行に参加しています。
1日目は金沢をバスで出発して北陸・東海北陸・中央自動車道を走り、中津川ICで降りました。中津川で昼食を取った後、馬籠宿を訪れました。


中山道馬籠宿にて

なかなか風情があります



馬籠宿は、岐阜県中津川市にある馬籠宿は中山道六十九次の43番目の宿場です。石畳の坂が特徴の宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿とともに人気のある観光スポットですね。宿場の面影が残る町並みには、お土産物屋も多く、一般の家でも宿場時代の屋号看板を掲げるなど、史蹟としての保全にも力を入れています。


木曽の地酒店の前で

江戸時代の雰囲気があります



中山道ですが、馬籠観光協会公式HPでは次のように紹介しています。
「慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康は、翌年東海道の整備を手始めに順次交通網の整備に着手し、幕府が管轄する道路を定めこれらの道路には多くの宿駅を定めた。中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(約530km)の道程で、ここには69の宿場が設けられていた。本州の中部山岳地帯を縦断し、木曽を通っていたことから別名を『木曽路』とも『木曽街道』とも呼ばれていた」


馬籠宿のようす

栗きんとんで有名な「川上屋」の前で

栗きんとんをいただく

抹茶をいただく


続いて馬籠観光協会公式HPには、次のように書かれています。
「始めは中仙道と書かれていたが、享保元年(1716)に、『東の海沿いの道を東海道というように、本州の中央を通る道だから中山道と書き改めるべきである』として、以後中山道と書かれるようになった。しかし『なかせんどう』と読まれた。
中山道東海道と共に江戸と京都を結ぶ大動脈であった。東海道の126里・53宿に比べて遠回りではあったが、東海道は大井川の川留めで旅の行く手を遮られたり、桑名一宮間の船旅で海難の危険が伴ったのに対し、中山道の旅にはこうした惧れがなかったことから、京都から江戸に向かう姫君たちはほとんど中山道を選んだ。しかし中山道も決して安全な道ばかりではなく、とりわけ馬籠宿と落合宿の間にある十曲峠は険しさで旅人をはばみ、木曽の桟(かけはし)は危険な箇所として恐れられていた」


水車の前で

水が冷たかった!

石畳を歩く



俳聖・松尾芭蕉も「かけはしや 命をからむ つたかづら」という句を残していますが、馬籠といえば島崎藤村です。藤村は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた馬籠の旧家に生まれています。藤村は『若菜集』などロマン主義詩人としてデビューし、その後、小説家に転じ『破戒』『春』などを発表します。自然主義作家として知られ、「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで有名な自身の父親をモデルとした歴史小説『夜明け前』は日本近代文学を代表する名作として知られています。藤村ゆかりの地である馬籠宿には、旧本陣であった島崎藤村生家跡に「島崎藤村記念館」もあります。


島崎藤村生誕の地



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年10月28日 一条真也