未来医師、『永遠葬』を読む

一条真也です。
ブログ「『唯葬論』の途方もない書評ブログが完結!」で紹介したように「未来医師イナバ」こと東大病院の稲葉俊郎先生が、ご自身のブログ「」に「一条真也『唯葬論』(前編)」および「一条真也『唯葬論』(後編)」を書いて下さいました。一部で「日本一の長文ブロガー」などと言われている(苦笑)このわたしが「長い!」と思うほど長い、また、それ以上に深い書評です。


稲葉俊郎氏のブログ「吾」より



一条真也『唯葬論』(後編)」の最後には、「一条さんの『唯葬論』は、あまりに壮大なので、前編と後編に分けざるを得ませんでした。ほんとうに深くてためになり勉強になる本です!  読み継がれていく本だと思いますので、是非ご一読をお勧めします!!」と書かれています。
ありがたいことですが、その後に続いて、「ほぼ同時に刊行された、一条真也さんの『永遠葬』現代書林(2015/7/22)も影に隠れてしまっていますが、これもいい本です。大いに学び考えさせられました。またいつかご紹介します」と書かれています。
それで稲葉先生の『永遠葬』書評ブログを楽しみにしていたのですが、早速、「一条真也『永遠葬』」という記事を昨夜アップして下さいました。



稲葉先生は東大病院の現役の臨床医師なので非常に多忙で、ブログの更新もなかなか難しい状況にあります。しかし、今回は速攻でアップして下さったので驚きました。コメント覧を見ると、「一条さんのブログの更新、量と質。出版される本の量と質。いつも脱帽で、影響受けています。実務をされながら、ほんとうにすごいです。自分も少しでも追いつけるよう、とりあえずブログだけでもちょこちょこ更新します。(^^:」と書かれています。
わたしが未来医師のブログ魂に火をつけたとしたら光栄ですね!



さて、「一条真也『永遠葬』」の冒頭には「『唯葬論』がすべてを包括した壮大なものだったので、この『永遠葬』現代書林(2015/7/22)はちょっと影に隠れてしまって残念です・・・」
という言葉に続いて、以下のように書かれています。
それから、稲葉先生は続けて次のように書かれています。
「『唯葬論』が抽象度の高い哲学者としての一条さんの顔だとすると、
永遠葬』は具体性の高い実践者・実務家としての一条さんの顔です。
理論と実践とは、相互に補完し合う関係ですので、二つ合わせて読まれることをお薦めします」
本当に、「このお医者さんは、どうしてこんなに嬉しいことを言ってくれるのかしらん!」と思わせてくれるコメントです(笑)。


さらに稲葉先生は、『0葬』(集英社)にも言及して、次のように述べます。
「この本は、島田裕巳さんの『0葬』への一条さんの返答です。
インターネットは容易に発言を削除できますが、書籍となると永遠に活字として残ります。 こうして『本』というまとまった形で深いやり取りができるのは素敵だな、と思いました」
そうなのです。島田氏とわたしは「天敵」のように言われることが多いですが、じつはお互いを尊重しています。



島田氏はきちんと『永遠葬』を読んで下さり、わざわざ自身のブログで「一条氏とは同じ方向性にある」とコメントされています。その発言の正否はともかく、わたしに対して礼を尽くして下さっていると感じました。わたしも文筆家としての島田氏をリスペクトしています。また、わたしは島田氏の主宰するNPO法人の会報誌のインタビューを受けましたが、その内容を島田氏は全文掲載して下さいました。さらには、ブログ「島田裕巳氏から本が届きました」で紹介したように、島田氏とわたしは互いの著書を段ボール箱に詰めて大量に献本し合う仲です。これなどは最高の「礼」の応酬であると思います。そこに気づかれたのは稲葉先生だけです。「流石だ!」と思いました。



それにしても、稲葉先生が『0葬』まで読んでおられるとは少々意外でしたが、「なかなか過激でやや極論かなと感じる面はありました。ただ、極論があるから中庸に行けます。物事を考えてみるきっかけとして、止まった事象に動きを与える一撃として、意義深い本かなと思いました」と感想を述べています。また、「『いのち』は太古から受け継がれていると思います。『いのち』をつなぐポイントに、心がどんなに動揺しても適切に体が動けるよう、型としての『葬』は経験知として手渡されてきたのではないでしょうか。そんなことを、『0葬』と『永遠葬』を交互に読みながら深く内省しました」とも書かれています。



稲葉先生は『永遠葬』を読んで印象に残ったわたしの言葉を紹介しつつ、ご自身の意見も述べられています。
たとえば、「葬儀という『かたち』は人間の『こころ』を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのです」という言葉を引用し、次のように述べています。
「人間は強いようで弱いです。間違うこともあります。そのことを考えると、『かたち』として継承されているものには深い意味を感じます。日本の伝統芸能も武術も、『型』として色々なものが受け継がれています。それが、『からだ言葉』のようなもの。『からだ言葉』として、不安定な脳を介さずに確実に伝えていく工夫がある。だからこそ、その『からだ言葉』を解読しないと、『葬』に内在された深い意味がよく分からないのかもしれません」



続いて稲葉先生は、ピーター・ドラッカーが「企業が繁栄するための条件は『継続』と『革新』である」と述べたことに触れ、「芭蕉の『不易流行』(かわらないもの+かわるもの)という事にも通じますが、本質を保ちながら、表面を時代と共にバージョンアップさせて相互作用を起こしていく。その両方のバランスと中庸の中で、過去の先人たちから色々なものが受け継がれています。その中に、葬などの儀式もあるのかもしれません」と書いています。



また、「儀式という形はドラマや演劇にも似ている。ドラマで『かたち』が与えられると、心はその『かたち』に収まる」というわたしの考え方を紹介しながら、稲葉先生は以下のように述べています。
「内的世界と外的世界は照応(correspond)しています。
現実を夢のように、夢を現実のように捉えていくと、 内的世界と外的世界は不思議なコンステレーションを布置していることに気付きます。目では見えない『こころ』にあるまとまりをもたせるため、人類は言語として『物語』を生みだし、からだの言語として『演劇』を生みだしたのではないでしょうか。演劇を見ることで、はたまたお能を見ることで、場全体で色々な物事を共同体験しているのだと思います。それは、映画などの視覚的な映像表現ではとりこぼしてしまうものなのかもしれません。実際に演劇やお能などに足を運んでみると、何か自分の心が動いて変化したのを感じます」



さらには、わたしの「「『迷惑』の背景には『面倒』という本音が潜んでいる。葬儀や墓のことを家族で話し合うのが面倒なのかもしれない」という考えを紹介し、稲葉先生は次のように述べます。
「病や死という現象が起きると、バラバラだった人たちはその人を中心に集まることになります。つまり、病や死というものが『つなぐ』働きを持つのです。『つなぐ』働きを面倒だと思えば、インターネットやお金でパパっと済ませたくなりますが、『つなぐ』働きを正面から受け止めれば、何か新しい関係性が生まれるきっかけになります。臨床の現場でも、そのことで何十年もいがみあった兄弟や家族が数十年ぶりに出会い、和解するきっかけになる例を沢山見ています」
現役の臨床医として多くの患者さんや家族の方々と接してこられた稲葉先生ならではの意見であると思いました。



総括として、稲葉先生は以下のように書かれています。
「人類や宇宙の謎そのものを含んだ生や死という現象に対して、人類は『葬』という形で人を弔い、『いのち』をつないできました。生きている人間より、過去に死んでしまった人の数の方が遥かに多いのです。その故人たちが受け継いできて手渡そうとした過去の営みには、きっと深い意味があると思います。そういう謎や問いに引き寄せられるように、観念的ではなく実際的な側面から考察していくように、自分は医療の現場で日々働いています。本書では、葬の歴史、葬の意義・・・色んなものを考え直すいいきっかけになりました。そういうことを改めて考え直してみたい方は、是非お読み頂ければと思います」


最後に、終戦70年にあたって、稲葉先生は次のように書かれています。
「1945年に日本は終戦を迎え、戦後70年が経ちました。在宅医療でお年寄りの方と接するたびに、戦争の話を聞きます。そこで語られるすべてのことは、多くの死者からその方が『いのち』を受け取った『しるし』のようなもの。その『しるし』はトーチのように、いまこうして生きている次の世代へと、過去と現在と未来とをつなぐように手渡されます。それは語りでしか表現しえないものです。毎年8月になると、なにか『いのち』を手渡されているような気がして、いつもソワソワしてしまうのは、気のせいでしょうか」



このように稲葉先生の『永遠葬』書評は、『唯葬論』書評とともに超弩級のブログ記事であり、一編の優れた哲学エッセイとなっています。医療の最前線で多くの「死」と向き合ってこられたからこその重みを感じました。
ご多忙の中、こんな素晴らしい感想を綴っていただき、かたじけなさに涙こぼるる思いです。本当に、ありがとうございました。



以下、稲葉先生がこれまで「」に書かれた関連記事です。
本もだけど。(ブログ紹介)
一条真也さん(書斎紹介)
一条真也『世界をつくった八大聖人』
一条真也『法則の法則』
一条真也『唯葬論』(前編)
一条真也『唯葬論』(後編)
一条真也『永遠葬』


永遠葬

永遠葬

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年8月20日 一条真也