『生きるための論語』

生きるための論語 (ちくま新書)


一条真也です。
『生きるための論語安冨歩著(ちくま新書)を読みました。
著者は1963年生まれで、わたしと同い年の経済学者です。
京都大学経済学部卒業後、住友銀行勤務を経て、京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。現在は、東京大学東洋文化研究所教授です。
『「満洲国」の金融』(創文社)で第40回日経・経済図書文化賞受賞。
2012年1月に刊行された著書『原発危機と「東大話法」』(2012年1月出版)で東大話法を提唱し、大きな話題になりました。
同年4月に刊行された本書も話題を呼び、高い評価を得ています。



本書の帯には「孔子孟子からサイバネティックス、ガンディー、ドラッカーへといたる『仁』の系譜」「閉塞を打ち破る思想」と書かれています。
また、カバーの前そでには以下のような内容紹介があります。
「東アジア最重要の古典『論語』。この書物には、人間が真に自由に、生き生きと存在するために必要なことが、最高の叡智と具体的な言葉で書かれている。『論語』自身に『論語』を語らせ、そのダイナミックでみずみずしい世界に読者を案内すると同時に、その思想が儒教の伝統の中に生き続け、さらにはガンディー、ドラッカー、ウィーナーたちの思想と共鳴しあう姿も描き出す。
『最上至極宇宙第一の書』に対する魂の読解書」



本書の目次構成は、以下のようになっています。
「序」   橋本秀美
第1章 学而時習之――学習とは
第2章 是知也――知とは
第3章 無友不如己者――君子の生き方
第4章 是禮也――礼とは
第5章 必也正名乎――名を正すとは
第6章 孝弟而好犯上――孝とは
第7章 仁者不憂――仁とは
第8章 儒家の系譜
「自跋」
「文献目録」



「序」の冒頭で、北京大学歴史学系教授の橋本秀美氏は次のように述べます。
「いま、多くの古典は、我々が日常的に繰り返しその言葉をたどることによって、様々な思想や感情を喚起する精神的源泉であることを既に止めてしまい、単に歴史学者に研究材料を提供する古文書に成り下がってしまった」
その一方で、「序」の最後では次のように述べています。
「本書は又、久しく枯渇して歴史文献とされている『論語』を、再び精神的源泉としての古典に蘇らせようとする試みでもある。多くの読者が本書に触発されて、人と古典との間に、智慧の泉が滾々と流れ出すことを私は夢見る」



実際、本書は『論語』の凄みや面白さを再認識させてくれる内容でした。
わたしはもともと『論語』を座右の書とし、その価値を誰よりも理解しているつもりでしたが、本書によってまた新たな光を与えられ、大いに触発されました。
第1章「学而時習之――学習とは」の冒頭で、著者は以下のように述べます。
「『論語』は、東アジア最重要の古典である。この本から我々は、どれだけの影響を受けてきたかわからない。この書物を伊藤仁斎(1627〜1705年)は『最上至極宇宙第一の書』と評したというが、私も同じ意見である。また、その冒頭『学而』の1章を、仁斎は『論語古義』において論語の中の論語、『小論語』と評したが、私も同じように考えている」



「学而」1章とは、言うまでもなく、「子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」です。著者は、このわずか32文字の中に『論語』という巨大な宇宙を支える基本思想が凝縮されていると述べます。そして、その基礎概念とは「学」と「習」であるといいます。
著者は、孔子を祖とする儒家の基本姿勢について次のように述べます。
儒家は、外部からの強制をよしとしない。それは法家の発想である。それと同時に、無為自然をもよしとしない。それは老荘の発想である。儒家は、人間の本性に根ざしながら、それに基づく作動を他者と調和させ、学習して成長する道を求める」



著者によれば、「学習」という考えは『論語』の秩序論の根幹を為します。
「学而」1章が示すように、「君子」の条件とは学習過程が開かれているであり、逆にそれが停止している人が「小人」であると、著者は解釈しています。
孔子の考えでは、君子が社会の中枢を担っていることが、社会秩序形成の基礎であるというのです。



著者は、以下のように述べています。
「小人もまた心を開いて学習過程を作動させ、君子のように振る舞う。
こうして社会に秩序が生まれる。これが儒家の言う『徳』による統治であり、その場合には人の振る舞いが『礼』に適っている。そういう徳が満ちている状態が『仁』である。あるいはまた、そのような学習過程が開いた個人の状態をも『仁』という。仁者は心がいつも安定しており、自分自身であることを失わない。それが『忠恕』であり、そういう人の発する言葉は、その人の心から乖離しない。その状態を『信』という」
儒教のさまざまな重要コンセプトが明快に定義されていると言えるでしょう。



第3章「無友不如己者――君子の生き方」では、著者は「恕」について次のような定義をしています。
「ある状況のなかに魂を開いて自らの身体を置き、そのときの自分の感覚の与える意味を鋭敏に読み解くことが『恕』である。その感覚の中には他者への配慮が既に含まれているはずである。本質的に知ることが不可能な他人の感覚を、自分の感覚で推し量るような無理をするのは『恕』ではない」
他人の感覚を、自分の感覚で推し量るような無理をすることは「憑依」にもつながり、非常に危険な精神状態になります。著者の同志ともいえる深尾葉子氏(大阪大学大学院経済学研究科准教授)はこれを「魂が他の魂の動きをなぞって、わかったつもりになること」と定義します。この問題は、著者の安冨氏や深尾氏が取り組む「魂の植民地化」というテーマにも直結しているようです。



さて、わたしは「礼」というテーマをつねに追求している人間ですが、本書の第4章「是禮也――礼とは」を興味深く読みました。
まず著者は、『論語』に登場する次のエピソードを紹介します。
孔子が魯の始祖である周公を祭る太廟に入ったときのことです。地方出身の礼学者であった孔子は、祭礼において事ごとに長上の経験者に「これは何ですか、あれはどういう事ですか」と尋ねて回りましたた。これを見てある人が「あの田舎者を礼の先生などと誰が言ったのか。太廟では、なんでもかんでも聞いて回っていたぞ」と貶しました。この悪口が孔子に伝わると、「それが礼なのである」と答えたといいます。



このくだりの解釈は古来より多々ありますが、著者は次のように述べます。
「人と人とのやり取りがうまくいくためには、実に見えないような微小なレベルの知覚と、それに基づいた調整が不可欠である。たとえばすれ違いざまに目礼するという礼を実現しようとすれば、視線を相手に合わせてタイミングをはかって、適切な瞬間に適切な角度で頭を下げねばならない」
このタイミングが早すぎても遅すぎてもダメです。
また、おじぎが深すぎたり浅すぎるのもダメです。
いずれの場合も、礼がぎこちなくなってしまいます。



まことに作法としての「礼」とは難しいものですが、著者は述べます。
「この過程を実現するには、目に見えない微細な部分の調整を高度に稼動させる必要がある。コミュニケーションの難しさは、まさにこの微細な部分にある。
この場合、礼を形式的に完全に書き下すことはできない。すれちがう何メートル前で、どのような速度でどのような角度で頭を下げたら良いか、という外形的な規定を設けて、それに従ってお辞儀をしても、決してうまくはいかない。お辞儀を正しく執り行うには、他者の動きとこちらの動きの双方を取り込んだ、高次の回路を形成し、その全体のダイナミクスをうまく構成する必要がある。そのとき、双方ともに自発的に、美しく、気持ちよく、あいさつをかわすことができる」


 
また、「礼」を考える上では「和」というコンセプトが重要になります。
ブログ「和とは何か」に書いたように、『論語』の「学而」には「禮之用和為貴」で始まる言葉があります。
これは、一般に以下のような意味でとらえられています。
「有子が日わく、礼の用は和を貴しと為す。
先王の道も斯れを美と為す。
小大これに由るも行なわれざる所あり。
和を知りて和すれども、礼を以ってこれを節せざれば、亦た行なわれず。」
「みんなが調和しているのが、いちばん良いことだ。過去の偉い王様も、それを心がけて国を治めていた。しかし、ただ仲が良いだけでは、うまくいくとはかぎらない。ときには、たがいの関係にきちんとけじめをつける必要もある。そのうえでの調和だ」という意味ですね。



これは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」のルーツになった言葉です。
日本を「大和」と呼ぶように、「和」は日本人にとって最も大切なものとされます。
しかし、著者は「禮之用和為貴」の伝統的解釈は、「礼」と「和」とをむしろ対立するものとして解釈し、「和だけでやったらダメなところが出るので、礼で節せよ」というように解釈していると批判するのです。
ここで、著者は「和=なごやか、あるいは『なあ、なあ』主義、「礼=折り目正しく」という実に下らない対立関係で読んでいるからであるとして、「和は礼の本質として捉えるべきである」と訴えます。
そこで先の言葉の意味は、「礼の本質は和であり、これこそが貴い。先王の道はこれを美とする。なにごとも、これによれ。うまくいかないことがあれば、和とは何か、不和とは何か、という本質的な問いに立ち戻り、和を実現せよ。(和によって成立する)礼を以て節しなければ、(なにごとも)うまく行きはしない」
なるほど、これで意味がすっきり通りました。著者の『論語』解釈は、孔子の本心に非常に近いような気がします。



「定義の達人」である著者は、さらに『論語』に登場する諸コンセプトについて、次のように述べています。
「私は、仁・忠・恕・道・義・和・礼という諸概念は相互に直接関係していると考えている。『仁』は学習過程が開かれていることであり、『忠』はそのときに達成されている自分自身の感覚への信頼を表現する。そのとき他者との関係性において自分自身のあるがままである状態が貫かれており、これを『心の如し』という意味で『恕』という。この状態にある人は、自らの進むべき『道』を見出し、そこを進むことができる。この道をたどっている状態で出遇う出来事において為すべきことが『義』である。『仁』の状態にある者同士の、調和のとれた相互作用が『和』であり、そのときに両者の間で交わされるメッセージのありかたを『礼』という」
見事な概念の交通整理ぶりに感嘆するばかりですが、著者はこれら「仁・忠・恕・道・義・和・礼」を「論語の基礎概念系列」と呼びます。



本書の白眉は、第5章「必也正名乎――名を正すとは」です。
ここで、展開される議論は孔子の「正名論」についてです。
「正名」は現代社会が最も必要としている思想であるという著者は、『論語』の「雍也」に登場する「子曰、觚不觚、觚哉、觚哉」という言葉を紹介します。
觚(こ)とは、礼祭に用いる盃のことです。孔子は、その大きさや形が、あるべき姿でないことを怒っているというのです。



著者は「觚哉! 觚哉!」と孔子が怒り狂っているのは、盃の大きさや形に対してではなく、名前のほうであるとして、次のように述べます。
「なぜ盃の形が変わってしまったのかわからないのだが、古註によれば元々は祭礼の最中に飲み過ぎないように盃が小さく作られていて、それを『觚』と呼んでいたのであるという」
中国文学者の吉川幸次郎によれば、1升を「爵」、2升を「觚」、3升を「觶」、4升を「角」、5升を「散」ということが『五経異義』という漢代の本に出ているとか。
ところがみんな物足りないので、勝手に盃を大きくしてしまったわけです。



著者は、次のように孔子の心中を察しています。
儀礼の最中にガブガブ飲んで酔っ払っている。おそらく孔子は、それは愚かではあるが、そうしたいならそれで良い、と思っているのだと考える。人情を抑圧するのは儒家にはふさわしくないからである。彼が怒り狂っているのは、そうやって盃を大きくしたなら、もはや『觚』と呼ばずに、『觶』とか『角』とか『散』とか、サイズに応じた名前で呼べ、と言って、激怒しているのだと私は考える。なぜなら小さいサイズの盃を使って、真面目に儀礼をやっているフリをして、実際には飲み会をやっているのは、欺瞞だからである」



著者は、さらに孔子の怒りについて詳しく説明します。
「これが孔子の怒っていることである。『觚』を使わなくなったなら、別の名前でその盃を呼ばねばならない。『安全』でないなら『危険』と呼ばねばならない。『事故』が起きたなら『事故が起きた』と呼ばねばならない。『爆発』が起きたなら『爆発した』と言わねばならない。『停止』しないなら、『停止しない』と言わねばならない。そうしなければ事態が全く見えなくなってしまうのである」
日本人はアジア太平洋戦争の際に、侵略を『聖戦』と呼び、侵略軍を『皇軍』と呼び、退却を『転進』と呼び、全滅を『玉砕』と呼び、自爆攻撃を『特攻』と呼び自分の国のことを『神国』と呼んだ。このような歪んだ名を与えて思考すると、何が起きるかは明らかであろう」



「アジア太平洋戦争」という呼び方そのものに著者のイデオロギーが表れている気もしますが、言いたいことはよく理解できます。著者は、続けて述べます。
「これが『名を正す』ということの意味である。
怖いものは怖い、嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやりたい、やりたくない事はやりたくない、死にたくないなら死にたくない。このように『名』を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩なのである。
ここを歪めてしまうと、そこから先は何が起きるかわからない。
というのも、人間は、世界そのものを認識して思考しているのではなく、『名』によって世界の『像』を構成し、それによって思考しているからである」



そして、以下の一文には心の底から共感しました。
「名を歪めることは、最も恐ろしい行為である。それゆえ孔子は、何よりもまず名を正すべきだ、と言うのである。名が正されるなら人は、どんなにひどい事態であっても、創造的に対応することができる」
たしかに、その通りです。単なるエビを伊勢エビと呼んだり、トコブシをアワビと呼んだり、スパークリングワインをシャンパンと呼んでは社会がおかしくなる!



著者は、「過ちて改めず、これを過ちという」「これを知るをこれを知るとなし、知らざるを知らざるとなす、これ知るなり」が論語の基本思想だといいます。
これを実現するためには、名が正されていなければなりません。もし「過」に「義」という名を与えてしまえば、もはや改めることは不可能だからです。同様に、「不知」に「知」という名を与えてしまえば、もはや知ることは不可能だからです。



わたしは本書の「正名」についてのくだりを読んで深く共感するとともに、近年の冠婚葬祭業界でよく使われるようになったある言葉を思い浮かべました。
それは、「家族葬」や「直葬」といった言葉です。
家族葬」は、もともと「密葬」と呼ばれていました。 身内だけで葬儀を済ませ、友人・知人や仕事の関係者などには案内を出しません。 本来、一人の人間は家族や親族だけの所有物ではありません。 多くの人々の「縁」によって支えられている社会的存在です。 ですから、「密葬」には「秘密葬儀」的なニュアンスがあり、出来ることなら避けたいといった風潮がありました。それが、「家族葬」という言葉を得ると、なんとなく「家族だけで見送るアットホームな葬儀」といったニュアンスに一変し、身内以外の人間が会葬する機会を奪ってしまったのです。
直葬」に至っては、通夜も告別式も行わず、火葬場に直行するというものです。これは、もはや「葬儀」ではなく、「葬法」というべきでしょう。
そして、「直葬」などというもったいぶった言い方などせず、「火葬場葬」とか「遺体焼却」という呼び方のほうがふさわしいのではないかと思います。



ブログ「霧ヶ丘紫雲閣竣工式」に書いたように、10月2日にオープンした霧ヶ丘紫雲閣は個人の邸宅をイメージして作られた新感覚のセレモニーホールです。いま、「家族葬」という言葉が誤解されていますが、多くの方々の縁に感謝しながら参列者をお迎えしつつ、家族によって温かい見送りができる、真の意味での「家族葬」を提案したいと思います。いわば、サンレーが考える家族葬です。
新しく「家族葬」という言葉の定義をし直すことによって、「逆・正名論」というか、現在定着しつつある一般的な「家族葬」の概念をグニャリと歪ませて、コンセプトを混乱させたい。そして、正しい「家族葬」のコンセプトを新たに定着させたい。それが、わたしの企みです。実際、いま、試みています。


ハートフル・ソサエティ


その他、第6章「孝弟而好犯上――孝とは」も考えさせられました。
著者は、「孝の社会」について、次のように述べています。
「全ての人が『孝』であり、それゆえ『仁の本』を持っている。誰もが『礼』を大切にしつつ、好く上を犯し、誰もが好く乱を作し、そうやって各人の『義』をぶつけ合って、進むべき『道』が自ずから生じる。そのような、いじめを見たことも聞いたこともない子どもが成長して構成する組織が、奇妙な言語を弄して名を歪め、欺瞞の言葉を弄して他人を騙したり、搾取したりするだろうか。そこには数多くの君子がおり、数多くの仁者がいる。このような状態の社会があるとすれば、それはまさに天下に『仁』が満ちていると言うに相応しいのではないだろうか」
この意見には、まったく同感です。わたしが『ハートフル・ソサエティ』で提唱した「心の社会」の理想像がここにあります。



第8章「儒家の系譜」も興味深く読みました。
まず、アメリカのユダヤ系数学者でサイバネティックスの提唱者として知られるノーバート・ウィーナーの学習社会論が孔子をはじめとする儒家の思想と共通しているとして、著者は次のように述べています。
「ウィーナーのサイバネティックスが、『論語』に始まる儒家の思想と、強い相同性を持っていることは明らかであろう。その根幹は、人間の身体の作動に基づいた、学習の過程に、社会の秩序の基盤を見出す、という点にある」
両者の相同性はそればかりではなく、『論語』の論理構造にはサイバネティックな側面があると、著者は指摘します。



この両者の相同性は、単なる偶然なのでしょうか。
いや、著者は「二重の意味で偶然ではない」として、「第1に、ウィーナーは、サイバネティックスの思想に到達する以前の1935〜1936年に、日本を通って中国に行き、北京の清華大学に長期滞在しているのである。この中国滞在が、彼の思想に大きな影響を与えたと考えられるからである」と述べています。

また、その第2の理由については、次のように説明しています。
論語サイバネティックスとの相同性が偶然ではない、と考える第2の理由は、このような循環的発想が、人類普遍的なものだからである。これは単に発想の問題ではなく、生きるということの本質がそのようにできている、という意味で、普遍的である。ウィーナーが見出したように、生命は必然的にサイバネティックであり、それを虚心坦懐に観察するものは、その循環性に必ずや気づくはずである」



そして本書には、ピーター・ドラッカーが登場します。
著者は「ウィーナーのフィードバックと学習という概念を、人間社会の運営に全面的に生かしたのが、経営学創始者ピーター・ドラッカーである」と言い切っています。著者によれば、ドラッカー経営学のもっとも重要な発見は「組織はフィードバックと学習なしには決して作動しない」ということでした。



ドラッカーは、事業というものは2つの要素から成り立っていると説きました。
ひとつは「顧客の創造」としてのマーケティングであり、もうひとつは「価値の創造」としてのイノベーションです。著者は、次のように自身の考えを披露します。
「自らの行いを良く見て、自らのあり方を変える、ということが『マーケティング + イノベーション』の意味である。これはつまり『学習』を意味する。それゆえ、この両者がうまく作動している状態は、『仁』だ、ということになる。成功したマネジメントはすなわち『仁』なのである」
これは、わたしが常々唱えている「ハートフル・マネジメント」ということです。



続けて、著者はマネジメントについて語ります。
「『仁』を実現できるのは、言うまでもなく組織ではない。制度でもなければ、仕組みでもない。そのようなものは仁たりえない。仁たりうるのは人間、それも君子だけである。それゆえ組織は君子によってしかマネジメントし得ない。
ドラッカーが組織の機構や仕組みではなく、manager(経営者)のあり方を重視するのはそのためである。マネジメントは仕組みによってではなく、人によってしか実現できないからである」


孔子とドラッカー 新装版 ハートフル・マネジメント

 
ドラッカーは、現代の組織は、経営者がその全人格をかけて真摯に運営することで始めて動くということを力説しました。
このドラッカーのメッセージを受けて、著者は次のように述べます。
「そこで求められる資質とは、勇気であり、忠誠であり、誠実であり、洞察であり、献身である。その活動は、孤独によってでは実現しえず、『人之徒』のなかでしか行い得ない。経営者が、自らを改めることに躊躇せず、学習回路を作動させることによってのみ、組織は作動する。それこそがマーケティングイノベーションとの実現を可能にするからである。
このような『経営者』はつまるところ『君子』である」
わたしは『孔子とドラッカー新装版』(三五館)において、ハートフルな経営者、すなわち「仁」の心を持つ経営者こそは現代の「君子」であると述べましたが、本書の主張とも完全に一致しています。



最後に「自跋」において、著者は以下のように述べています。
孔子という人物は、中華文明において、人間の知性が動的で循環的であった最後の時代の賢人であり、文字によって固定化される最初の世代に属する弟子や孫弟子が、かろうじてその知性の躍動を書き留めた、その痕跡が『論語』なのではないか。そして、その龍の痕跡がウィーナーという天才との接触によって、2千数百年の眠りから醒めて息を吹き返し、それがサイバネティックスを生み出したのではないか」
ドラッカーとの共通性はもとより、サイバネティックスを生んだウィーナーへの影響などが述べられた本書は、わたしの知的興奮を大いに呼び起こしました。
それにしても、わたしと同年齢の安冨歩という人物、ただ者ではありません。
「うーん、おぬし、できるな」と唸りたくなってしまいますね。
そして、著者の他の著作もぜひ読んでみたいと思います。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年12月15日 一条真也