一条真也です。
18日の夜、作家の原田マハさんの講演会が行われました。会場は、TKP小倉シティセンター KOKURAホールです。「月の織女」こと築城則子先生がプロデュースされているイベント「創造談義」に原田さんが登場されたのです。
会場には、「ダンディ・ミドル」ことゼンリンプリンテックスの大迫益男会長も来られていました。大迫会長は、わが小説読みの指南役です。大迫会長は原田マハさんについて「今、読むべき作家」と書いたメールを送ってきて下さいました。
その原田さんは、1962年、東京都小平市生まれ。中学、高校時代を岡山市で過ごしています。関西学院大学文学部日本文学科および早稲田大学第二文学部美術史科卒業。マリムラ美術館、伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室にそれぞれ勤めました。森ビル在籍時、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に派遣され同館にて勤務しています。その後フリーのキュレーター、カルチャーライターに転進し、2005年に「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞受賞、デビューされています。
今回の講演のテーマは「アートで街は、必ず変わる。」というものでした。
講演会を主催した「創を考える会」も、かつて原田さんが関わられた「セントラルイースト東京」も、ともに10周年を迎えるそうです。ニューヨークの「チェルシー」のように、東京の東を「日本のチェルシーにする」という構想で始められたプロジェクトについてお話しいただきました。
原田さんの言葉では、「アートによる街づくりと、小説を書く作業はまったくベクトルが違う」「女性の一番いい時期は40代!」「人はキャッチコピーに集まる」「クリエイティブな力を信じる」などが印象的でした。
また、「街を変えるための3つの鍵」として以下のポイントを示されました。
●クリエイティブな人々の気持ちを引きつける仕掛け
●地元の歴史や文化を再考し、再評価する努力
●自発的な活動を見守る、いい意味での放任主義
そして、最後に「わたしたちはクリエイティブ・クリーチャー。クリエイティブを信じることは、人間を信じること」という言葉が心に残りました。
懇親会場で、大迫会長・築城御夫妻と
会話に花が咲きました
原田マハさんとお話しました
原田マハさんと
講演会の終了後はサイン会を経て、懇親会が開かれました。
わたしは、大迫会長や築城先生たちと一緒に歓談しました。
しばらくしてサイン会を終えた原田さんが到着されて、乾杯しました。
築城先生がわたしを原田さんに紹介して下さり、記念撮影もしました。
原田さんの御主人は小倉出身だそうで、これまで4〜5回は小倉に来られているとか。今回、築城先生の案内でブログ「旦過市場」やブログ「小倉昭和館」で紹介した場所を訪れられたとお聞きし、わたしは嬉しくなりました。
さらに二次会として、イタリアン・レストランに場所を移して飲みました。
大迫会長が秘蔵のワインをたくさん持ち込まれ、わたしもシャンパンを持参しました。わたしは原田さんの向かい側の席に座らせていただき、著書のことなどいろいろ質問させていただきました。どんなことをお聞きしても嫌な顔ひとつされずに答えて下さいました。「一番好きな画家は?」という質問には「ピカソですね」と即答されていました。いつか、ピカソが主人公の小説を書いてほしいです!
また、原田さんは「創を考える会」の岡野正敏会長(岡野バルブ製造会長)や大迫会長や小生を顔を見渡しながら、「小倉のエグゼクティヴはダンディな方ばかりですね」と言われました。そこで、わたしは「小説家はウソを書くのが仕事ですが、原田先生は正直な方ですね」と申し上げました。(笑)
ブログ『楽園のカンヴァス』、ブログ『キネマの神様』、ブログ『本日は、お日柄もよく』に書いた記事のプリントアウトをわたしがお渡しすると、「わたし、この記事って読んだかも?」と言われながら、喜んで受け取って下さいました。
「必ず全部読ませていただきます」と言って下さいました。
『楽園のカンヴァス』にサインまでしていただき、まことに至福の夜でした。
作家・原田マハさんは本当に人間性も素晴らしい方でした。
「小倉の大ファンになりました!」とも言って下さいました。
19日の朝一番で、築城先生の染織工房を訪れる予定だそうです。
原田マハさん、大変お疲れ様でした。今度は、花火のときに小倉に来られるそうですが、またお会いできる日を楽しみにしています!
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2013年5月19日 一条真也拝