サンレーグループ新年賀詞交歓会  

一条真也です。
1月21日の夜、サンレーグループの新年賀詞交歓会が松柏園ホテルで開かれました。ありがたいことに、200名以上のお客様がお越し下さいました。

f:id:shins2m:20190121234637j:plain賀詞交歓会のようす

f:id:shins2m:20190121234704j:plain二代目花柳三五郎先生による新春の舞

f:id:shins2m:20190121234740j:plain弦楽アンサンブルの演奏が流れました

 

人数が多いので迎賓は行わず、音楽演奏(弦楽アンサンブル)が流れる中、お客様にどんどん会場に入っていただきました。オープニングは、花柳流師範である二代目花柳三五郎先生による日舞です。その後、司会者よって開会宣言されました。

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佐久間会長の挨拶


冒頭、佐久間会長が登壇して、挨拶しました。
続いて、わたしが社長として登壇し、次の挨拶をしました。
あけましておめでとうございます。おかげさまで、サンレーは昨年、過去最高の業績で終わることができました。わたしは2001年に社長に就任しましたが、ようやく18年目にして大きな目標を達成することができ、感無量です。これもひとえに、ここにお越しのみなさまのおかげだと、深く感謝しております。

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続いて、わたしが挨拶しました

 

サンレーグループはますます発展します。今年の元旦も、門司にある皇産霊神社で初詣をしました。そのとき、初日の出も拝みました。見事な朝陽でした。最初は青浜の海にゆっくりと顔を出した真紅の太陽は、姿を見せるやいなや一気に加速して上昇していきました。太陽の光とは、英語でSUNRAYです。見事な初日の出は、今年のサンレー大躍進を予告しているように思いました。

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互助会の社会的使命について語りました

 

無縁社会」が叫ばれ、生涯非婚に孤独死や無縁死などが問題となる中、冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命はますます大きくなります。いまや全国で2000万人を超える互助会員のほとんどは高齢者であり、やはり孤独死をなくすことが互助会の大きなテーマとなっているのです。わが社が行っている「隣人祭り」をはじめとした隣人交流イベント、グリーフケア・サポート、さらには見回りや買い物支援など、そして婚活サポートなども互助会に求められてきます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

f:id:shins2m:20190121184807j:plainカンパ〜イ!

 

その後、税理士法人セントラル会計事務所八尋代表の音頭で乾杯しました。それから、しばらく歓談タイムです。料理や飲み物を楽しんでいただきました。わたしは、多くの方々と名刺交換をし、お話をさせていただきました。

f:id:shins2m:20190121235321j:plain名刺交換のようす

f:id:shins2m:20190121235350j:plain歓談のようす


わたしも、多くの方々とお話させていただきました。金沢も沖縄も大好きですが、やはり地元の北九州の方々にお会いするとホッとします。地元の方々に支えられての松柏園であり、紫雲閣であると痛感いたします。

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中国獅子が登場!

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佐久間会長の頭が嚙まれました!

f:id:shins2m:20190122005100j:plain最後は、おめでたいメッセージが!

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変面で大盛り上がり!

 

今回はアトラクションとして、「中国獅子」「変面」が披露されました。世にも珍しい中国のエンターテインメントに、会場のお客様はみな魅了されていました。毎回いろんなアトラクションが行われますが、今回は特に好評でした。良かったです!

f:id:shins2m:20190121194908j:plain東常務による謝辞のようす

f:id:shins2m:20190121195142j:plainみなさまを送賓しました

f:id:shins2m:20190121195412j:plain本日は、ありがとうございました!

 

東常務の中締めの挨拶の後、最後は佐久間会長、東常務、松田取締役、祐徳取締役、玉中取締役と一緒にみなさまを送賓させていただきました。お1人づつ、心からの御礼の言葉を述べさせていただきました。みなさま、今夜は、お忙しい中、わが社の賀詞交歓会にお越し下さり、本当にありがとうございました。
今年も、サンレーをよろしくお願いいたします!

 

2019年1月22日 一条真也拝 

『「プロレス」という文化』

「プロレス」という文化:興行・メディア・社会現象

 

一条真也です。
『「プロレス」という文化』岡村正史著(ミネルヴァ書房)を読みました。「興行・メディア・社会現象」というサブタイトルがついています。ジャンルは社会学といったところでしょうか。約320ページ、定価3500円のハードカバー人文書です。著者は1954年三重県一志郡(現・津市)生まれ。76年同志社大学文学部卒業。80年同志社大学大学院文学研究科修了。修士(文学)。2010年大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。現在、プロレス文化研究会代表。

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本書の帯

 

本書の帯には「なぜファンは熱狂するのか」と大書され、「レスラー、新聞報道、テレビ実況、激論・・・知られざるワンダーランド、その深奥に迫る」と書かれています。また、カバー前そでには以下のように書かれています。
「プロレスとはいったい何か。何度かの低迷を経験してきたプロレス界は近年再び盛り上がり、スポーツとエンタテインメントにまたがった『ジャンルの鬼っ子』としての魅力を放っている。本書では、80年代後半からプロレスという『現象』を探究してきた著者がスポーツ社会学ロラン・バルトのテキストなど様々な方法論でプロレスの現状を読み解く。また、力道山のプロレスが持つ意味合いを解明し、力道山死後のプロレス史も考察する」 

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はしがき」

「主な日本のプロレス団体系図(男子)(女子)」

第1章 ロラン・バルトとフランス・プロレス衰亡史

1 ロラン・バルト「レッスルする世界/プロレスする世界」をめぐって

2 知られざるフランス・プロレス史

3 衰退に向かうフランス・マット界

第2章 力道山研究という鉱脈

1 私的「力道山」史

2 リアルタイム世代は力道山をどう見たのか

3 力道山、プロレス・デビューまで

4 ライブ時代の力道山

5 テレビ時代の力道山

6 一般紙が報道した力道山/プロレス

7 社会現象を起こしたプロレス

8 力道山晩年のプロレス報道

第3章 日本プロレス史の断章

1 吉村道明という存在

2 哀愁の国際プロレス

3 アントニオ猪木除名と連合赤軍事件

4 古舘伊知郎の実況とは何だったのか

5 UWF現象の日々

6 プロレスラーはどれくらい知られているのか

7 プロレスと永田町

第4章 プロレス文化研究会の言説

1 現代風俗研究会

2 『知的プロレス論のすすめ』からの10年

3 始動したプロレス文化研究会

4 プロレスがドン底の頃

5 多様な議論の場として

「主要参考文献」

「あとがき」

 「プロレス文化研究会のあゆみ」

日本プロレス史年表」

●資料 兵庫県阪神シニアカレッジ講義

   「力道山と日本人」アンケート 人名索引

 

立花隆の正体―“知の巨人”伝説を斬る

立花隆の正体―“知の巨人”伝説を斬る

 

 

「はしがき」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「『知の巨人』といわれる立花隆に次のような言葉がある。
『私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関係ない』。
これは第22回大宅壮一ノンフィクション賞の選評の一部であり、1991年の『文藝春秋』5月号に掲載された。この年、井田真木子『プロレス少女伝説』が家田荘子『私を抱いてそしてキスして』と同時受賞を果たした。井田真木子の作品については、5人の選考委員のうち、立花だけが反対をしたのである」

 

プロレス少女伝説 (文春文庫)
 

 

この立花隆の暴論にはわたしも激怒したものですが、著者は次のようにも書いています。
「プロレスの全面否定のような立花発言に、プロレスファンとしては多くの反論があったに違いない。山本隆司ターザン山本)(当時『週刊プロレス』編集長)は、『どう見ても立花氏の選評は、感情がむき出しになった文章』と一刀両断した。また、『プロレスの味方』を自称する村松友視は、『立花氏が世の中には“重要なこと”と“どうでもいいこと”が存在すると断定し、その差別を自分のモノサシで気軽に決めていることにおどろいた』と違和感を隠さなかった。当の井田真木子は『私は立花さんの熱心で忠実な読者ですから、必ず反対なさると思っていました』と冷静に受け止めていた(いずれも、『週刊読売』1991年6月16日号より)

 

私、プロレスの味方です―金曜午後八時の論理 (1980年) (Century press)

私、プロレスの味方です―金曜午後八時の論理 (1980年) (Century press)

 

 

著者は「立花は『週刊文春』の記者に採用されながら、プロ野球担当になったのが嫌で退職したという経歴を持っている。プロスポーツ全般が好きではないのかもしれない。ましてやプロレスは、という感じなのか。脳死、インターネット、宇宙、戦争など人類にとって普遍的なテーマを追求する立花にとって、普遍の対極にあるようなテーマがプロレスなのだろう」と書いています。
また、著者にとってのプロレスとは不思議な世界、ワンダーランドであり、その不思議さにずっと惹かれてきたとも述べます。著者は「どうでもいいこと」にこだわるプロレス文化研究会を20年も続けていますが、その不思議さに源泉があるのかもしれません。

 

神話作用

神話作用

 

 

第1章「ロラン・バルトとフランス・プロレス衰亡史」の 1「ロラン・バルト『レッスルする世界/プロレスする世界』をめぐって」では、フランスの哲学者・批評家のロラン・バルトが取り上げられます。彼が1957年に出版したMythologies(ミトロジ)を日本で初めて翻訳したのは篠沢秀夫で、67年に現代思潮社から『神話作用』というタイトルで出版されました。同書の巻頭を飾るのが「レッスル世界」で、村松友視著『私、プロレスの味方です』で紹介されて、有名になりました。

 

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

 

 

 しかし、篠沢訳の『神話作用』はあくまで抄訳でした。完訳は2005年に下澤和義の翻訳で、みすず書房から『現代社会の神話』として出版されました。そこでは「レッスルする世界」は「プロレスする世界」となっていますが、著者は「バルトはプロレス愛好家であった。自身が三人称を用いてこう書いている。『彼は、驚きながら、大好物として、このスポーツ風の人工物を眺めていた』(ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』)と書いています。

  

著者は、「哲学者がなぜプロレスのファンになったのか。あるバルト研究者は次のように記している」として、ジョナサン・カラー著『ロラン・バルト』の一節を引用します。
レスリングがバルトを惹きつける理由はいろいろある。それは、まず、ブルジョア階級の娯楽というよりも、むしろ大衆の娯楽である。それは物語的展開よりも場面を好み、意味作用に富む劇場的な身振りを次々にくりだす。あらかじめ試合の決着が決まっていることを知っても誰も驚かない」

 

「プロレスする世界」において、バルトはプロレスとボクシングの違いに注目しましたが、著者はこう書いています。
「バルトは、観客はプロレスとボクシングをよく区別しているという。ボクシングは『卓越性の証明に基づいたジャンセニスム的スポーツ』で、『観客の目の前で築かれてゆく歴史』であり、『結果に対して賭けをすることが可能』である。これに対して、観客がプロレスに期待するのは『或る種の情熱の瞬間的イメージ』であり、『試合がこの後いかなる合理的帰結を迎えるか』について観客は関心を持つことがない。プロレスは『複数のスペクタクルの総和』なのである」

 

続けて、プロレスとボクシングについて述べられています。
「ボクシングはスポーツで、プロレスはスペクタクルである。しかるに、どちらもルールは存在する。だが、ルールの意味が違う。ボクシングにおいてルールは踏み越えてはならない限度を表しているのに対して、プロレスのルールは破られるために存在している。プロレスで重要なのは『正義』という『道徳的概念』であり、『仕返しという発想は、プロレスにとって本質的なものであり、群衆の言う「やつを痛めつけてくれ」は何よりも「仕返しをしてやれ」を意味している』。『群衆は、裏切り者にふさわしい罰のためにルールが破られるのを見て喜ぶのである』」

 

第2章「力道山研究という鉱脈」の4「ライブ時代の力道山」では、“昭和巌流島”と呼ばれた力道山木村政彦の一戦などを取り上げ、著者は次のように述べています。
「プロレスというものをどう捉えるかに関して、格闘技経験のある識者は『好意的八百長論』とでもいうべき見解を示した。力道山と対談したことがある柔道家石黒敬七は『プロレスリングにはこの演技が必要なのだが、ともかく実力派なくてはならない。本来のプロレスリングの本質が八百長なのだ。ただ普通の八百長とちがう所は、弱い者が勝つというのではなくして、実力をともなうショウであるという所にある。・・・プロレスリングの本質は実力のともなう八百長なのだという事になる』(『丸』1955年11月号)と解説している。また、日本アマレス協会会長八田一郎は『もちろん本気でなぐるわけではない。元来プロレスは芸をみるものだ。それで訓練し抜いた者同士のショーは真に迫る。しかも力道山の強みは、相手の出方によっては致命的な打撃を与える力量をもっていることだ。相手によってたくみに強弱をつかいわけできる頭のよさだ』(『週刊朝日』1955年7月31日号)と述べた」

 

5「テレビ時代の力道山」では、「テレビ・プロレスの隆盛」として、以下のように書かれています。
「テレビ・プロレスに見合った新企画とは『ワールド・リーグ戦』であった。浪曲のオールスター興行をヒントにしたと言われるこの企画は、世界の強豪を日本に一堂に集めて優勝を競うという形式で、1955年の第1回は爆発的な人気を呼び、プロレス人気は息を吹き返した。また、来日外国人レスラーにしても、59年以降覆面、怪奇派、ラフファイターの割合が増加する。小島貞二は、『力道山は強い男ではなく、変わった男を呼ぼうとしていた』と回想していた。小島によれば、力道山は、力道山はあるレスラーを『強すぎる』という理由でシリーズの途中で帰国させたこともあったという」

 

続けて、著者は力道山について次のように述べます。
力道山は、テーズ戦のようなスポーツライクな試合を演じることに疲れていたのではないだろうか。流血、場外乱闘に終始するようなラフファイトの方が楽だったのではないか。また、ファンもプロレスにテクニックの応酬よりも喧嘩を求めていたと言えるかもしれない。プロレスは『スポーツ』というより、何か強烈な刺激を与える媒体として機能し始めていたのだろう。あるいは、力道山の心は『スポーツ』としてのプロレスの追求から離れ、プロレス経営をも含めて、キャバレー、マンション、ゴルフ場、ボウリング、ボクシング・・・などの事業に向かっていたのかもしれぬ」

 

第3章「日本プロレス史の断章」の3「アントニオ猪木除名と連合赤軍事件」では、猪木がいなくなり、続いてジャイアント馬場もいなくなり、ついには坂口征二までいなくなった日本プロレスの悲哀が次のように書かれています。
「坂口にも抜けられた日プロはまるで平家の落人のごとく哀れをきわめた。プロレス史上こんな可哀そうな集団はなかったのではないか。まず、営業部全員が辞表を提出し、興行機能を失った。そこで、大木と篠原長昭リングアナが金を工面して選手会主催の短期シリーズを決行した。しかも、外国人選手のエースは強豪中の強豪フリッツ・フォン・エリックだった。当時のプロレス雑誌には、観客がほとんどいない中で大木が血を流しながらエリックと闘っている様子がグラビアで紹介されていたが、『こんな興行をしていいのか』という思いで眺めていたように思う。エリックにはそれなりのギャラを払ったのであろうが、エリックがこんな寂しい興行と関わっていていいのかと思うだけだった」

 

4「古館伊知郎の実況とは何だったのか」では、「最初はオーソドックスだった」として、著者はこう書いています。
「古館伊知郎は(地上波)テレビとプロレスが幸福な関係にあった時代の最後を飾った実況アナウンサーだった。古館が『ワールドプロレスリング』という番組枠でレギュラーとして、最後の実況を行ったのが1987年4月。その翌週からテレビ朝日は『ギブUPまで待てない! ワールドプロレスリング』というスタジオと現場からの実況を組み合わせたバラエティ番組に衣替えするも不調に終わり、10月からは従来の実況スタイルに戻したが、翌88年4月にはゴールデンタイムから外れた。以後、単発でゴールデンタイムにプロレスが流れたことはあったが、家族そろって『お茶の間』でくつろいだ時間にプロレスを観ることができる環境は失われたのである。近年、CS放送で新日本プロレスの試合が生中継さらえることが増えてきているが、50~80年代の光景とは区別されるべきであろう。88年4月までは翌日の職場で、学校でプロレスの話題をすることが可能な時代だったのだ」

 

5「UWF現象の日々」では、「バブリーな物語」として、著者は以下のように述べています。
「UWFはリング上の『脱プロレス』性、『格闘技』性に目が向きがちであるが、むしろ興行の持つ古い体質からの脱却を目指し、イベント志向で一定の成功を収めたけれども、結局は古い体質から抜けきれなかったある種バブリーな物語ではなかっただろうか。UWFはリング上よりもリング外に見るべきものが多く、とりわけ前田が提示した新しいレスラー像は文化人、マスコミを惹きつけた。しかし、そのことが前田と他の選手の溝を深めていった面があるだろう。UWF解散後、三団体に分裂したが、前田はたった1人でリングスを立ち上げることになったのである。UWFのあり方はライブ・プロレス中心時代の先駆的存在と見なしてもいいかもしれない」

 

巻末には86冊にも及ぶ参考文献がズラリと並んでいます。非常に異色のハードなプロレス本と言えますが、文章は読みやすくて一気に読了できました。わたしがプロレスの本を書いたら、本書みたいなスタイルになるかもしれません。これまで知らなかったことも多く書かれており、楽しみながら知的好奇心を満足してくれた一冊でした。

 

「プロレス」という文化:興行・メディア・社会現象

「プロレス」という文化:興行・メディア・社会現象

 

 

 2019年1月21日 一条真也

『大相撲の不思議』

大相撲の不思議 (潮新書)

 

 

一条真也です。
「平成の大横綱貴乃花親方が角界から去り、唯一の日本人横綱であった稀勢の里も引退して、すっかり大相撲への関心を失っているところです。でも、そんなタイミングにもかかわらず大相撲の本を読みました。
この本は「神事」としての大相撲に詳しく言及した非常に興味深い本です。著者は1948年秋田県生まれ。武蔵野美術大学卒業。三菱重工業に入社後、13年半のOL生活を経て、1988年に脚本家デビュー。テレビドラマの脚本に「毛利元就」「ひらり」「私の青空」など多数。2000年から10年まで女性初の横綱審議委員会審議委員を務める。06年、東北大学大学院文学研究科修了。05年より同大学相撲部監督に就任し、現在は総監督を務めています。 

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本書の帯

 

帯には南伸坊による手刀を切る力士のイラストが描かれ、「『横審の魔女』が、世間の“常識”にもの申す!」「なぜ女性が土俵 にあがってはいけないのか」「横審は日本相撲協会の言いなり?」「左手で手刀を切ってはいけないワケ」・・・etc「小気味いい『牧子節』が炸裂する!」と書かれています。また帯の裏には、「宗教的考察から、ポロリ事件そしてキラキラネームまで知れば知るほど深遠な大相撲の世界へようこそ!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。 

「まえがき」

 第一章 「神」と共にある世界

土俵という聖域

なぜ大相撲は摩訶不思議なのか?

聖域を理解する知性と品性

花道

髪に花をさした力士たち

花道は「霊気」の通り道

土俵

土俵は荒くれ者の喧嘩対策?

喧嘩から競技へ昇華した相撲 

土俵築

機械を一切使わない土俵築

宇宙創造を再現する祭式

土俵祭

土俵に神を招き送り出す

復活した行司の胴上げ

四本柱

ロイヤルボックス なぜ北に置く?

神を切り捨てた相撲協会の妙案

 

第二章 人間社会とどう折り合う?

一門

日本相撲協会は普通の組織体か!?

「貴の乱」と波瀾の理事選

横綱審議委員会

協会の言いなりか?

女性初の委員誕生の舞台裏

屋形

室内に屋根を設けるナゾ

水引書をめぐる陸軍と海軍の攻防

懸賞①

五穀豊穣への感謝を表す手刀

聞く耳を持たない横綱朝青龍

懸賞②

現在まで続く懸賞の起源

横綱白鵬を変えた“万歳事件”

 

第三章 くやしかったら強くなれ 

番付

実力だけを評価する世界

くやしかったら強くなれ

格差

あらゆる場所に定められる格差

憧れの大銀杏と土俵入り 

横綱

消されてしまった「黒白の横綱

「聖なる故実」を後づけする

土俵入り

横綱、幕内、十両にだけ許された「儀式」

攻守兼備の雲龍型と、攻め一筋の不知火型 

相撲教習所

原点は「紳士教育」

新弟子から力の士へ

まわし①

新聞を賑わせた「ポロリ事件」

稽古まわしと締込み

まわし②

奥が深い“フンドシ”の歴史

下がりが意味するもの

前相撲

番付に載らない力士たち

実技試験がない大相撲!? 

どんな男もかすむ力士の髷姿

敬意と格差の絶妙なバランス

 

第四章 時代に応じた離れ技

相撲茶屋

心ときめく異世界への入口

角界を揺るがせた理事長の割腹事件

四股名

キラキラネームの力士たち

今に伝わる四股名の系統

手形

巨体力士たちの巨大な手形

異形の男の数奇な人生

天皇賜盃

盃をめぐるミステリー

前代未聞、菊の御紋章事件

国技館

命名劇は鮮やかなうっちゃり

日本中が驚いた三度の国技館新築

「主な参考文献」

 

 

「まえがき」で、著者が横綱審議委員だった時、委員会の席上で出席していた協会幹部の親方が、「その件に関して、相撲節会の時はですね」と言ったことがあると紹介し、次のように述べています。
「唖然とした。相撲節会は奈良・平安時代宮中行事だ。21世紀の会議で、何の違和感もなく8世紀のことを持ち出す社会が他にあるだろうか。あの時、私は圧倒され、そしてゾクゾクした。紛れもなく、『近代的な「歴史」とは違う時間を生きている』社会、文化なのだと思った」

 

その時期に前後して、「女性を土俵にあげないのは、男女差別だ」「角界の体質は古い。男女平等、男女共同参画から改革を始めよ」という声が大きくなってきました。この件に関して、著者は次のように述べます。
「問題は伝統文化の世界である。また、民俗芸能や風俗、風習、行事などについてもだ。誰もが思い浮かべるのは大相撲と歌舞伎、宝塚歌劇だろうが、各地には男だけ、女だけが担う祭りもあれば、シャーマンとして女だけが執り行う習俗、男しか担えない風習も残っている」

 

続いて、著者は次のように述べています。
「それらの多くは発祥の時点から、男だけ女だけの謂れがあり、今に伝わっているはずだ。その謂れは現代にあっては取るに足らないものであったり、時代に合わないとされたりもした。こういう状況と時代を考え、これまで守ってきた当事者たちが、それこそ『男女共同参画』に改めたものもある。ただ、現時点ではそれを拒んでいる世界もあり、大相撲もその1つである」

 

 

著者自身は、伝統文化や民俗行事、習俗等に関しては、男女共同参画にする必要はまったくないと考えているとして、以下のように述べます。
「とかく『男女差別だ』と言われるが、それは『差別』ではなく、一方の性だけが担い伝えてきた『文化』だと考える。それを現代の考え方に合わせて変える必要はない。それをすると、別ものになる。反対の声を真摯に検討することは、伝統を生かす上でも重要なことだ。そして最終的に決断するのは、守り抜いてきた当事者である」

 

一章「神と共にある世界」の「花道」では、「花道」の原点は大相撲にあり、天平6(734)年には、花道があったと考えられているとして、以下のように述べられています。
天平6年といえば、聖徳太子の死後112年しかたっていない。都はまだ平城京にあった時代だ。『源氏物語』が書かれたのが西暦1000年頃とすると、それより260年以上も前ということである。その頃、相撲にはすでに『花道』を設えるという文化があったと考えていいだろう」

 

というのは、天平6年から「相撲節会」と呼ばれた天覧相撲が始まったのです。時代は貴族社会で、もう世にも豪華な天覧相撲だったと伝わっている。それは宮中で2日間にわたって行われ、天皇の他にも位の高い貴族たちが居並び、御簾の陰からは女御たちも見物していたとか。著者は、「天皇の御前で相撲を取る力士は全国から集められ、陰陽師に先導されて足踏みをしながら『入場式』のようなことをやったという。この相撲節会では相撲だけでなく、歌舞音曲、軽業など数々の芸能を見せ、絢爛なものであったことは、多くの史料に残されている」と述べています。

 

当時、まだ土俵はありませんでした。力士は今で言う東と西から出てきて、中央で相撲を取るのですが、この時、東から入ってくる力士は頭に葵の花をさしていたそうです。著者は次のように述べます。
「西から入ってくる力士は、瓠の花をさしていた。瓠は夕顔やひょうたん類の総称である。東は、朝日を浴びて咲く葵であり、西は夕日を浴びて咲く夕顔という考え方も優美だ。それぞれの花をつけた力士が、中央へと入ってくるため、その道を『花道』と呼んだという説が伝わる」

 

続けて、以下のように書かれています。
「東西の方角にふさわしい花をつけて、両力士が入ってくるというだけでも、その貴族趣味と、相撲が単なる格闘スポーツではないことに気づく。ところが、さらに驚くべきことを知った。相撲節会では、勝った力士が自分の花を、次に出てくる力士につけてやることになっていたのだ。つまり、勝ち力士の花は『肖り物』である。つけてもらう力士にとって、勝者に肖る縁起物である。当然ながら、勝った力士だけが花をつけてやることができる」

 

相撲の宇宙論―呪力をはなつ力士たち

相撲の宇宙論―呪力をはなつ力士たち

 

 

相撲節会では、天皇が北を背にして座り、南面します。この当時、まだ土俵はありませんが、東西(当時は左右)に力士を配します。これについて、スポーツ人類学者の寒川恒夫氏は著書『相撲の宇宙論』で「東西南北の四方位とその中心たる天皇という古代の王室宇宙論の意識をみてとることができるのである」と書いています。この形は、現在の国技館もまったく同じです。東西南北の四方位を結界し、その中心たる天皇相撲節会で北に座したので、今もロイヤルボックスは北にあります。天皇は南面して座り、力士は東西に配置されています。

 

大江戸魔方陣―徳川三百年を護った風水の謎

大江戸魔方陣―徳川三百年を護った風水の謎

 

 

また、小説家・エッセイストの加門七海氏は、著書『大江戸魔方陣』において、道は「場所から場所に霊気を通すもの」と定義しています。ということは、花道は障害や魔物が侵入できる「入口」ではなく、土俵という聖域に霊気を通す「装置」なのだと考えられます。土俵の吊り屋根から下がっている四色の房を見ると、四方位を結界している各房には「四神」とされる神獣が宿っています。龍、虎、鳥、亀の四神獣が土俵を守っています。著者は、「花道はこの聖域に霊気を通す唯一の、神聖な道と考えることができるのではないだろうか」と述べています。

 

 

「土俵築」では、「宇宙創造を再現する祭式」として、著者は「午後、無人になった国技館に私は一人残り、生まれたての土俵を眺めていた。こんなに美しいものがあるだろうかと思った。畏怖を感じた」と書き、宗教学者エリアーデが、人間が都市を築いたり、寺院を建てたりすることすべてを、「神々による太初の宇宙創造を再現することである。そしてそこが世界の中心と成る」と著書『聖と俗』に書き、「さらに人間はこのような宇宙を、周期的な祭式によって時間的にも、くり返しくり返し太初創造の『かの時』に立ち帰らせ、新鮮無垢なものとする」と続けていることを紹介します。土俵を毎回築き直す意味に、著者はこれを重ねるといいます。と同時に、著者は「太初創造の『かの時』に立ち帰る世界に、何ゆえ21世紀の男女共同参画が必要なのかと思うのである」と述べています。

 

「土俵祭」では、「復活した行司の胴上げ」として、千秋楽で、表彰式が終わった後も観客が帰らずにいると、非常に珍しい「神送り」の儀式が見られることが紹介され、以下のように述べられます。
「土俵に降りてくれた神に礼を捧げ、元の場所へと送り出す儀式である。その起源は明確ではない。『神迎え』に比べると厳粛ではなく、民俗行事の大らかな雰囲気がある。そこには緊張のとけた人間の安堵感も漂い、いいものである。
では、どうやって神を元の場所に送るのか。想像がつくだろうか。それは胴上げするのである。白幣を一本持った行司を、土俵上で新弟子ら前相撲力士が取り囲む。この白幣は神が乗り移っている一本である。そして、立呼出しの柝に合わせ、三本締めが行われた後、前相撲力士たちは、その行司を胴上げする。行司は神が宿る白幣を持ったまま、若い力士たちに力いっぱい天に上げられる。これにより、神は元の場所に帰ったということになる」

 

民俗学者の桜井徳太郎は、日本各地の祭りを数多く見たフィールドワークから、古くは祭りが終わる際に、取り仕切った神主を氏子たちが胴上げしたと書いています。また、長野の善光寺の「御越年式」では年末に、僧侶が仕切り役を胴上げします。祭りの終わりに胴上げすることについて、桜井は前出の書に、「(これにより)ようやく日常の生活に戻るのです」と書いています。神を胴上げで送り出し、「祭り」というハレの場から、「日常」というケに戻ります。土俵も「聖域」から単なる土に戻ります。つまりは結界を解く儀式ということになるのです。

 

「四本柱」では、四本柱、土俵、屋形の3つが揃ってから、当時の相撲関係者が「ビジネス」として、神との接点を後づけしたとしか考えられないとして、「この頃、まだ『相撲協会』はない。だが、江戸相撲組織が整いつつあった。ここに至るまでの間、相撲界は天覧の古い歴史を持ち、織田信長豊臣秀吉戦国大名や将軍家の上覧など、特別なステイタスを誇っていた。そこでさらに、他の芸能や興行よりステイタスを上げるために、神と共にあることを示そうとした。そう考えることはできる。言うなれば、江戸時代に『神と共にある土俵』という伝統を『作った』のである」と書かれています。

 

また、「神を切り捨てた相撲協会の妙案」として、かつての大日本相撲協会が四本柱を切っても、神が土俵に宿る方法を考え出したと紹介し、以下のように述べています。「それは四本柱のかわりに、東西南北に四色の房を下げることだった。屋形はその房を結わえるかのように、天井から吊ればいい。これにより、四神も守護神も今までと同じに、房に宿るわけである。読者の中には『柱が持つ宗教性によって神が降りるのであり、房ではダメだ』と思う人もあろう。だが、私はこれこそ日本人が得意とする『見立て』そのものだと思う。つまり、房は『柱に見立てたもの』であり、柱とイコールなのだ。『房』に見えるが、あれは『柱』なのである。この見立ての発想には驚愕させられた」

 

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)

私、プロレスの味方です (新風舎文庫)

 

 

二章「人間社会とどう折り合う?」の「横綱審議委員会」では、著者が女性初の横綱審議委員会審議委員に就任したとき、男の聖域の中で、いわば四面楚歌の中で、著者がなすべきことはひとつだと思ったそうです。それは村松友視が『私、プロレスの味方です』の中に書いていた「ちゃんと見る者は、ちゃんと闘う者とは完全に互角である」という一文でした。
著者は高価な最前列の席を自費で購入し、本場所の15日間のうち12、3日間は座ったそうです。そして「ちゃんと見る」ことに努めました。任期10年のうちにできることは少ないですが、闘う者と互角にならなければ物は言えないと思ったのです。

 

三章「くやしかったら強くなれ」の「憧れの大銀杏と土俵入り」では、土俵入りが横綱、幕内、十両だけに許されていることが紹介され、以下のように述べられています。
横綱は露払いと太刀持ちを従え、一人で土俵入りをする。土俵入りには雲龍型と不知火型があるのだが、どちらの所作も『清浄潔白』を示す塵浄水を行い、四股で土中の邪鬼を踏みつぶし、せり上がりで体勢の変化を演じる。
一方、幕内と十両の土俵入りについては、これもよく聞かれる。『力士がゾロゾロ出てきてはチョンと柏手を打って、化粧まわしをつまんで、それからバンザイ。あれって何? 笑える』実は柏手からバンザイに至るまでの一連の動きは、前述した横綱土俵入りを簡略化した所作なのである。十両になって初めて、化粧まわしを許されて行う神事としての土俵入り。これまでの数々の格差が甦り、『お袋を国技館に呼びました』と言った力士を幾人も知っている。なお、化粧まわしに紫色を使うのは、大関横綱にのみ許されている」

 

横綱」では、「消されてしまった『黒白の横綱』」として、以下のように書かれています。
「第4代と第5代小野川喜三郎は、寛政元(1789)年、同時に横綱に昇進した。2人は真っ白い綱を巻き、化粧まわしの上に5本の真っ白い幣を垂らし、初めて『横綱』として世の中に登場したのである。そして、その姿で、土俵入りを見せた。もちろん、世の人々は『横綱』を見るのも、『土俵入り』を見るのも初めてである。壮麗で神聖な儀式にどれほど熱狂し、夢中になったか想像できるというものだ」

 

 

また、「『聖なる故実』を後づけする」として、相撲の原点は「神事」ですが、以降の歴史をひもとくと、相撲が常に聖なるものとして育まれてはいないと指摘されます。しかし、江戸期の勧進相撲あたりからは、特にうまくビジネスライクに「聖なる故実」を後づけしています。それによって相撲のステイタスを上げているとして、著者は「あくまでも私の考えだが」と断った上で、「吉田司家江戸相撲組織が、自分たちのさらなる地位確立のために横綱を作り出したのではないか。真っ白な綱、真っ白な幣をつけ、神を宿らせた体で儀式として土俵入りをする。力士や相撲を見る世間の目が大きく変わっただろう。それによって、相撲組織は客を呼べるし、神が宿る横綱に免許を授与するのだから、吉田司家の威光は増す。みごとなウィンウィンのビジネス感覚である」と述べています。

 

和歌森太郎著作集 (15) 相撲の歴史と民俗

和歌森太郎著作集 (15) 相撲の歴史と民俗

 

 

かつて教習所講師をつとめた歴史学者和歌森太郎は、著書『相撲の歴史と民俗」に、「これまでとかくすると、力士はやや博徒あるいは侠客風なところがあってその点が愛されもしたけれども、洗練された紳士たちには、相撲をどうもなじみがたいものにさせてもいたのである。このような傾向を粛正して、力士も人間として紳士らしく振舞わねばならないことを強調したのは常陸山であった。礼節のやかましい部屋の生活、一般人に対する所作に折り目正しいものを持つようになったのは、すべて常陸山以来であったといってよい」と書いています。常陸山水戸藩の武術師範をつとめる武士の家に生まれ、明治37(1904)年に第19代横綱になっています。没年は大正11(1922)年で、教習所創立の約35年も前です。

 

『折口信夫全集・158作品⇒1冊』 【さし絵つき】

『折口信夫全集・158作品⇒1冊』 【さし絵つき】

 

 

「まわし②」では、「下がりが意味するもの」として、著者は、下がりは「草」を意味しているのではないかと推測します。民俗学者の『折口信夫全集』に「相撲の古い形は、體に草をつけて行うたのである。これは、古代の信仰では、遠くからやって來る異人の姿だつたのである」「何故、相撲をするには、體に草をつけて異人の姿をしなければならなかつたか。それは、此神事がもとは、神と精霊との争ひを表象したものであったからだ」と書いています。絶対の力を持ち、病魔も敵もすべて退散させる異界から訪れる人は「異人」と呼ばれます。その「異人」を表現する上で、體に草をつけた。それが下がりに残っているのではないかと推測しています。

 

相撲今むかし

相撲今むかし

 

 

四股名」では、「そもそも、なぜ力士は四股名をつけるのか」という問題が提示されます。本来は「醜名」と書きます。かつて、力士と俳優は「異人」とされていました。別世界から遣わされた客人です。歴史学者和歌森太郎は著書『相撲今むかし』に、「シコ名をもって、普通人とは違うことを示していた」と書き、仏文学者で作家の宮本徳蔵双葉山について『相撲変幻』に「(シコ名を)名のったときから宗教的人格と化した」と書き、「かれは今や並みの人間の力量を超えた金剛力士(仁王)なのであって、宇宙の彼方より降りそそぐ無限のエネルギーを五体に吸収しつつ、いかなる難敵をも破摧せずにはおかない。(中略)法名を持たぬ僧侶があり得ないごとく、醜名は力士にとって不可欠の属性だ」と続けています。

 

相撲変幻

相撲変幻

 

 

著者によれば、力士は神に仕える宗教的人格を持つと考えた時、「醜」という字をあてる意味がわかってくるといいます。「醜」とは邪鬼のことです。醜名は神に向かい合う者としての、へり下りなのです。「自分如きの醜なる者」というへり下りを、「醜名」をつけることで表しているといいます。
醜名は「普通人とは違う」ことを表現しているだけではありません。いかなる難敵を撃退する力を示す目的もありました。当然ながら強そうな名が多く、最古のそれは、「雷」「稲妻」「大嵐」「辻風」などで、自然の驚異をまとおうとしているようです。この仁王たちが、神社仏閣を建てるための勧進相撲において、四本柱の中で四股を踏みました。「四股を踏む」ということは「醜を踏む」ことです。力士は地中の邪鬼を踏みつぶし、大地を活性化させているのです。著者は「この勧進相撲における四股踏みによって、『四股名』と記されるようになったとされる」と書いています。本書は、神事としての大相撲、文化としての大相撲を知る最良のガイドブックであると言えるでしょう。

 

 2019年1月20日 一条真也

何の事業も皆仏行なり(鈴木正三)

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言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、安土桃山時代中期の禅僧である鈴木正三の言葉です。鈴木正三こそは、日本人の職業倫理というものを打ち出した最初の人物です。


鈴木正三―現代に生きる勤勉の精神 (PHP文庫)

鈴木正三―現代に生きる勤勉の精神 (PHP文庫)


ベルーフ(beruf)」という言葉があります。
キリスト教宗教改革で知られるマルティン・ルターおよびルター聖書の校訂者たちが用いた言葉で、神から与えられた「使命」という意味があります。ここからプロテスタントの間には、自分が従事する世俗的な職務を、神に与えられた「天職」として意識する生活態度が生まれました。この天職理念は、神の絶対的権威を極限まで強調し、「神にのみ栄光を」と唱えるカルヴァンにより、いっそう強められてゆきます。職業労働によってのみ、悪魔の誘惑は退けられ、自分は救いに選ばれているとの確信が与えられるのです。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)


こうして、ルターが説いたような、自分の罪を悔い改めてひたすら神を信仰する謙虚な罪人つまり義人のかわりに、鋼鉄のような信念を堅持するピューリタン商人、自己確信に満ち満ちた数々の「聖徒」が、経済の世界にも続々と生まれ育って、資本主義の英雄時代が到来します。マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)には、このあたりの流れが生き生きと描かれています。

 

ヴェーバーが近代資本主義の推進力としたプロテスタンティズムの職業倫理と、ほぼ同じ考えの人物が日本にいました。その人は、安土桃山時代中期の禅僧・鈴木正三です。彼の主著『萬民徳用』には、「何の事業も皆仏行なり」という思想で、出家や厳しい修行をしなくとも身分の上下別なくそれぞれの日々の仕事に精励することこそ仏の道であると述べられています。また、商売には物を売り買いし流通させる貴重な役割があるといい、商人の第一の心得はまずは利益をあげることであるといいます。さらに正三は、商売とはそのときどきの相手ではなく、天に象徴されるように社会に向かって行なうものであり、正直と利他の精神は商売に限らず人間関係の原則だと説きました。


石田梅岩のことば (サムライスピリット 4)

石田梅岩のことば (サムライスピリット 4)


鈴木正三没後三十年ほど経って、石門心学を開いた石田梅岩が生まれました。正三は仏行という観点から商人の意義を認めましたが、梅岩は自らの体験を踏まえ、さらに積極的に「商人の売買するは天下の相(たすけ)なり・・・・・その余りあるものを以て、その不足(たらざる)ものに易(かえ)て、互いに通用するを以て本とする」と商人の職分を讃えました。そして、「商人には崇高な職責があり、商人の道がある。だからこそ、家業に精を出し、正直でなければならないし、不正な利益は許されない」という論旨で職業倫理を唱えました。

 

日本にも、大いなる天職思想があったのです。もちろん、あらゆる職業に貴賎はありません。もし貴賎があるとすれば、その仕事に従事するその人の心の中にあるのです。大事なことは、仕事というものは自分のためだけでなく、仲間のため、家族のため、そして社会のために役立つものでなければならないということです。わたしたちは、強い誇りをもって自分の仕事に励まなければなりません。なお、今回の鈴木正三の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

 

2019年1月19日 一条真也

「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」

一条真也です。
17日の午後、小倉から新幹線で博多へ。
博多駅前にある福岡商工会議所で九州経済フォーラム「福北連携30周年記念事業」実行委員会の会議に出席しました。日頃より敬愛する石原進委員長(JR九州元相談役、NHK経営委員長、北九州市立大学理事長)に新年の御挨拶を申し上げました。会議後は、夕食を済ませてから、KBCシネマで「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」のレイトショーを観ました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「圧倒的な歌唱力で世界を魅了したミュージシャン、ホイットニー・ヒューストンに迫るドキュメンタリー。48歳という若さで不慮の死を遂げた彼女の真の姿を、貴重な映像や音源、関係者の証言からひもとく。監督は『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』で第72回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したケヴィン・マクドナルド。家族、元夫のボビー・ブラウンや『ボディガード』で彼女と共演したケヴィン・コスナーらが出演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
アメリカのポップスシーンに輝く歌姫、ホイットニー・ヒューストン。驚異的な歌唱力で世界的な人気を誇り、出演した『ボディガード』は全世界で4億ドルを超えるヒットを記録した。しかし、薬物問題や複雑な家庭事情がメディアで取り上げられるようになり、やがて48歳でこの世を去ってしまう。陽気なイメージの裏にあった素顔に迫る」

 

なぜ、この映画を博多で観たかというと、北九州では上映されていないからです。昨年からこの映画を観たいと思っていたのですが、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生からのメールに「1月4日に『ホイットニー』を観ました。最後はドラッグ中毒だったんですね。声も出ていなくて悲惨でしたが、その生涯はブラッドリー・クーパー同様、問いかけるものがあります」とのメールが届きました。ブラッドリー・クーパーとは、ブログ「アリー/スター誕生」で紹介した映画の監督で、同作に出演もしたミュージシャンです。映画「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は、まさにリアルなスターの誕生劇であり、同時に転落劇でもありました。 

 

わたしは、ホイットニー・ヒューストンと同じ年に生まれました。彼女がいかに偉大な歌手であるかは、あえて説明するまでもないかとは思いますが、映画公式HPの「BIOGRAPHY」には、こう書かれています。
「1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。有名なゴスペル・グループ、スイート・インスピレイションズのメンバーであるシシー・ヒューストンを母に、ディオンヌ・ワーウィックを従姉妹に持つ。幼い頃よりシシーにスターになるべく育てられ、11歳の時にニューアークのニューホープバプテスト教会でゴスペルを歌い、聴衆を驚嘆させる。母シシーがコンサートツアーに出ている間は親戚の家に預けられた」

 

続いて、公式HPの「BIOGRAPHY」には以下のように書かれています。
「その後、父ジョンに連れられて一家はイースト・オレンジ郊外の中流住宅地に移り住むが、やがて両親は離婚。ホイットニーは家を出て、ニューヨークでモデルを始める。83年頃からスタジオ・セッション・シンガーとして頭角を現し、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスに見出され、85年2月に『そよ風の贈りもの』でデビュー。『すべてをあなたに』『グレイスト・ラブ・オブ・オール』『すてきなSomebody』などが大ヒットを記録し、7曲連続全米ナンバーワンの記録を打ち立てる」

 

さらに、公式HPの「BIOGRAPHY」には以下のように書かれています。
「92年7月、ボビー・ブラウンと結婚。翌年3月には長女ボビー・クリスティーナ・ブラウンを出産。92年『ボディガード』にケヴィン・コスナーと共に主演、女優デビューとともに映画は世界的大ヒットを記録。主題歌『オールウェイズ・ラヴ・ユー』は音楽史上最高の売り上げを記録したシングルの一つである。95年には『ため息つかせて』に出演、96年には『天使の贈り物』でデンゼル・ワシントンと共演する。2012年2月12日、薬物摂取の器具に囲まれたビバリーヒルズホテルの浴槽で不慮の死を遂げた。グラミー賞には8度輝き、生涯でリリースしたアルバム7枚、サウンドトラックアルバム2枚は全世界で計2億枚以上を売り上げ、まさに80年代~90年代を代表する世界的女性シンガーである」

 

わたしは彼女と同年齢ということもあり、ホイットニーの音楽をリアルタイムで聴いてきました。最初に彼女の存在を知ったのは、1977年のモハメド・アリの伝記映画『アリ/ザ・グレーテスト』の主題歌でジョージ・ベンソンが歌った「グレーテスト・ラブ・オブ・オール」のカバー曲でした。もう、この世にこんな美しい歌声が存在するのかと思って陶然としました。その後も「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ(そよ風の贈りもの)」、「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー(すべてをあなたに)」、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ(恋は手さぐり)、そして「オール・アット・ワンス」などを聴くたびに全身が雷で打たれたように感動!

 

それにしても、デビューと同時にいきなり全盛期を迎えたホイットニーの輝きには目を見張ります。85年にリリースした「そよ風の贈りもの」で爆発的人気を獲得し、2作目のシングル「すべてをあなたに」から7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てました。この記録はビートルズの6曲連続を超える新記録であり、いまだに破られていないそうです。87年の2枚目のアルバム「ホイットニーII~すてきなSomebody」は、日本のオリコン洋楽アルバムチャートでも87年6月15日付から通算11週1位を獲得しました。

 

91年には、第25回スーパーボウルで試合前に米国国歌を斉唱しました。この斉唱は史上最高の国歌斉唱と絶賛され、後にシングルとしても発売されています。また、その10年後にアメリカ同時多発テロ事件のチャリティとして再リリースされ、ヒットしています。米国国歌に対して、多くの黒人は複雑な思いを抱いているといいます。米国国歌とは戦争の歌であり、米国民のマジョリティである白人の敵意はソ連ベトナムイラクといった敵国だけでなく、マイノリティである黒人にも向けられているからです。その米国国歌を見事に歌い上げたホイットニーは、子どもの頃、色が薄い黒人として、色の濃い黒人たちから差別を受けていたといいます。

 

また、この映画で初めて知ったのですが、94年には南アフリカアパルトヘイトが廃止されて最初にコンサートを開いた歌手がホイットニーだったそうです。そのとき歌ったナンバーはどれも素晴らしいものでしたが、映画でも流れた「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の歌唱は、いま聴いても感動的で泣けてきます。彼女の圧倒的な存在感は、性別、国境、世代、そして人種までをも超えて、同時代を生きた人々に大きな活力を与えたのです。まさに彼女の歌は、人類にとっての「こころの世界遺産」であったと思います。

 

そんな神から天使の歌声を与えられたホイットニーがなぜ、転落していったのか。なぜ、麻薬に溺れたのか。わたしは、ずっと、「それは、きっと、彼女があまりにも早く栄光をつかんでしまったからだ」と思っていました。わたしは人生には「慣性の法則」というものが働いており、高く上がったものはそれだけ低く沈むのではないかと考えています。ホイットニーの人生は、ちょうどその法則に当てはまるような気がしていました。しかし、この映画を観て、彼女は誰にも知らない心の闇を抱えていたことを知りました。幼少期に体験した不幸な出来事から生まれた心の闇は、彼女をドラッグへと走らせたように思えてなりません。

 

「悲劇の歌姫」と呼ばれた歌手は、ホイットニーだけではありません。「アジアの歌姫」と呼ばれたテレサ・テンもそうですし、「日本の歌姫」と呼ばれた美空ひばりもそうです。彼女たちは早くこの世を去りましたが、彼女のたちの歌声は人々の心に永遠に残っています。
「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は、ホイットニー・ヒューストン財団の初公認作品だそうです。「ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実」などを手掛けたアカデミー賞受賞監督ケヴィン・マクドナルドがメガホンを取りました。マクドナルドは、膨大な映像記録を丹念にリサーチを敢行しました。初公開となるホームビデオや貴重なアーカイブ映像、未発表音源とともに、家族、友人、仕事仲間などの証言を紡ぎ合わせ、ホイットニーの真の姿を浮き彫りにしています。

 

「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」を観て、ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した大ヒット作と比較する人は多いと思います。しかし、両作品は基本的に異なる映画だと言えます。クイーンとフレディ・マーキュリーの物語である「ボヘミアン・ラプソディ」はあくまでも「実話に基づく」映画ですが、「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は完全な実話、つまりドキュメンタリーだからです。この映画はホイットニーの実際のライヴ映像やミュージックビデオなども登場するにしろ、ほぼインタビューだけで2時間を構成しています。しかし、まったく退屈しません。

 

「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は傑作ドキュメンタリーですが、わたしには観たいドキュメンタリー作品があります。それは、アメリカのケーブルテレビチャンネルのHBOが2018年4月10日(現地時間)に放送した86分間のドキュメンタリー作品「アンドレ・ザ・ジャイアント」です。
プロレス界が誇る「世界の大巨人」が亡くなってから早や25年、「世界第8の不思議」とまで呼ばれた伝説のプロレスラーの生涯を描いた意欲作です。ハルク・ホーガンアーノルド・シュワルツェネッガーをはじめ、多くの人々のインタビューと実際の本人映像で構成されているそうですが、ぜひ観たいです!

 

2019年1月18日 一条真也

八つの苦しみ  

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人生の苦しみには八種類ある。

 

一、生まれること。
二、老いること。
三、病気になること。
四、死ぬこと。
五、愛する人と別れること。
六、恨みや憎しみを抱くこと。
七、求めるものが得られないこと。
八、自分の思うままにならないこと。

 

誰もが生きていく中で、この八つの苦しみとは無縁ではいられない。だからこそ、誰もが救いを求めている。(『理趣経開題』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。
わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。

 

2019年1月17日 一条真也

北陸祝賀会 

一条真也です。
サンレー北陸の新年祝賀式典の後は、新年祝賀会です。
小久保本部長の挨拶の後、岸部長の乾杯の音頭で、華やかに祝賀会がスタートしました。

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小久保本部長の挨拶

f:id:shins2m:20190116121220j:plain岸部長の音頭でカンパ〜イ!

f:id:shins2m:20190116121956j:plain祝賀会のようす

しばらくは料理や飲み物を味わいながらの歓談タイム。日頃はなかなか話せない社員との絶好のコミュニケーションの機会です。わたしも、多くの社員との会話を楽しみました。

f:id:shins2m:20190116121522j:plain入社予定者紹介のようす

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緒方支配人による自己紹介

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下瀬さんによる自己紹介

 

それから、「入社予定者紹介」の時間となりました。
まだ学生らしさを残した6名の若者たちが立派に自己紹介をしました。本当は、他にも2名いましたが、この日は体調不良で欠席でした。彼らの自己紹介が終ると、会場から大きな拍手が起きました。最近は、本当に父親のような心境で彼らを見ている自分に気づきます。それから、北九州からの随行スタッフが紹介されました。北九州紫雲閣の緒方支配人、企画開発部流通事業課の下瀬さんです。2人とも、誠実な人柄がにじみ出るような良いスピーチでした。

f:id:shins2m:20190116123808j:plain余興&カラオケ大会のようす

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余興&カラオケ大会のようす

 

それから余興&カラオケ大会です。
最初は、営業所長・担当一同による「ヤングマン(Y.M.C.A)」(西城秀樹)。続いて、紫雲閣事業部の金沢紫雲閣一同による「USA」(DA PUMP)、さらに冠婚事業部のマリエールオークパイン金沢一同による「がむしゃら行進曲」(関ジャニ∞)。
みなさんダンスもキレキレで、歌も上手でした。
本当に、わが社は芸達者が多いです。いいことです!

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わたしが入場しました 

f:id:shins2m:20190116125358j:plainわたしがステージに上がりました

 

最後は、社長であるわたしの番が来ました。
冒頭、会場内の巨大スクリーンに石川県指定無形文化財の「御陣乗太鼓」の動画が流されました。かつて戦国最強の上杉謙信軍をも退散させたという伝説の鬼たちの勇壮な響きに乗って、「天下布礼」の幟に続いて、わたしが背中に「祭」と書かれた黄金の法被を着込んで入場しました。これを着ると、小心者のわたしは「まつり親父」に変身するのです。さらには黄金のハチマキを頭に巻きました。そして、わたしは昨年末のNHK紅白歌合戦に特別出演した北島三郎の「まつり」を歌いました♪

f:id:shins2m:20190116125448j:plain今日は祭りだ、祭りだ~!!

f:id:shins2m:20190116125514j:plain男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪

イントロ部分で「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ! 初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。今日はサンレー北陸の平成31年の新年祝賀会ということで、めでたいなあ。今日は祭りだ、祭りだ~!!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。
よっしゃ~、つかみはOK牧場!(笑)
わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、「天下布礼」の幟や「祭」と書かれた巨大団扇やブルーの法被を着た男たちが登場して、御陣乗太鼓衆と合流して会場はカオス状態になりました。

f:id:shins2m:20190116125539j:plainいつもながらのカオス状態に!

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途中で下へ降りました

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再びステージへ!

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せがれ一番、船を漕げ!

f:id:shins2m:20190116125825j:plainワッショイ!

f:id:shins2m:20190116125827j:plain
イエ~イ!

 

みんなで歌い、踊り、大いに盛り上がりました。わたしは、会場中を練り歩き、みなさんと握手をしながら歌いました♪ 最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を、紅白のサブちゃんにならって「これが平成祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。歌い終わって、わたしが「ありがとう〜!」と叫ぶと、巨大クラッカーが鳴らされました。まさに「狂乱のカーニバル」といった感じで、割れんばかりの盛大な拍手が起こり、感激しました。

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アンコールが鳴りやまず!

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勝手にシンドバッド」を歌いました♪

f:id:shins2m:20190116125921j:plainララララララ~ラララ♪

f:id:shins2m:20190116130033j:plain会場の熱気は最高潮に!

 

その後、アンコールの拍手が鳴り止みませんでした。わたしは基本的にアンコールは固辞する方針なのですが、あまりにも拍手と「アンコール!」の声が止まないので、仕方なくもう1曲歌うことにしました。曲目は、サブちゃんと同じく紅白に特別出演したサザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」です。わたしが「ララララララ~ラララ♪」と歌いだすと、すでに会場の熱気は最高潮に!

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いま何時?

f:id:shins2m:20190116130132j:plainノリノリで歌いました♪

f:id:shins2m:20190116130034j:plain胸さわぎの腰つき~♪

f:id:shins2m:20190116130234j:plain営業TOPの半田さんが飛び入り!

f:id:shins2m:20190116130248j:plain怒涛のフィナーレ!

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颯爽と退場しました



もともとノリの良い営業スタッフのみなさんが親の仇のように盛り上げてくれました。わたしは、腰をクネクネさせながみら「胸騒ぎの~腰つき~♪」と歌いました♪
「まつり」「勝手にシンドバッド」と続けば、これはもう日本音楽界最強のコラボです。力の限りに歌い上げると、もう最高に盛り上がりました。最後にわたしは、「新時代、来るなら来いや! 冠婚葬祭の灯は絶対に消さんぞ。俺たちはサンレーじゃ、誰でもかかってこんかい!!」と絶叫すると、興奮のルツボとなりました。

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抽選会の豪華賞品

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お年玉抽選会のようす

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社長賞を発表しました

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社長賞をお渡ししました

 

カラオケ&余興大会の後は、恒例の豪華賞品が当たる「お年玉抽選会」です。賞品が当たるたびに大きな歓声が巻き起こりました。わたしの社長賞はダイソンの超高級コードレスクリーナーでした。当った人はあまりの嬉しさに茫然自失としていました。

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最後は「末広がりの五本締め」で 

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退場のようす

 

最後は、紫雲閣事業部の郡部長代理の音頭によるサンレー名物の「末広がりの五本締め」で宴を閉じました。サンレー北陸のみなさん、今日は楽しかったですね。今年も、天下布礼をめざして、ともに頑張りましょう!

 

2019年1月16日 一条真也