一条真也です。
23日の午後、東京から北九州へ戻りました。
その日は朝8時から水天宮のホテルで次回作『満月交命』(鎌田東二先生との共著、現代書林)の最終打ち合わせをしてから、10時から客室で第107回全国高校野球選手権大会の決勝戦をTV観戦しました。

ヤフーニュースより
記録的な猛暑の中の決勝は、沖縄尚学が日大三(西東京)に3-1で勝利。同校としては初、県勢としては2010年の興南以来15年ぶりの夏の甲子園制覇となりました。沖縄尚学は初回に1点の先制を許しましたが、直後の2回に1死二塁のチャンスで阿波根裕外野手(3年)が左翼線へ同点二塁打。6回には2死二塁で4番・宜野座恵夢捕手(3年)の左前適時打で勝ち越しに成功。さらに8回にも再び宜野座の適時二塁打で3点目を挙げました。投げては先発の新垣有絃投手(2年)が8回途中1失点の好投。8回2死からは、同じく2年生の左腕・末吉良丞投手が登板。9回には自らの失策もあり1死一、三塁のピンチを招きましたが、最後は併殺で締めました。
80年目の追悼式会場を背に沖縄「平和の丘」で
わたしは沖縄尚学を応援していたので、優勝が決まった瞬間、思わず「やったぜ!」とガッツポーズをしました。今年は終戦80年の節目の年ですが、わたしは6月23日の「沖縄慰霊の日」、8月6日の「広島原爆の日」、8月9日の「長崎原爆の日」と、いずれも現地を訪れて鎮魂の祈りを捧げました。そんな縁から、夏の甲子園は沖縄代表の沖縄尚学、広島代表の広陵高校、長崎代表の創成館を応援していました。前代未聞のスキャンダルで広陵が辞退してからは、沖縄尚学・創成館を応援。創成館は悲願の「夏2勝」を挙げたものの、惜しくも8強入りを逃しました。残るは、沖縄尚学のみ。悲惨だったあの戦争から80年目の夏に沖縄尚学が優勝して、本当に良かったです!
1945年4月1日、アメリカ軍は、ついに沖縄本島への上陸作戦を開始。日本で唯一、住民を巻き込んだ激しい地上戦が繰り広げられ、住民の死者は9万4000人に上りました。沖縄県民の4人に1人の命が失われたのです。けっして忘れてはならない悲劇です。海上では、大本営の決戦構想に基づき特別攻撃隊を中心とした日本軍航空部隊が攻撃を繰り返し、戦艦大和などの日本海軍残存艦隊による「沖縄特攻」も行われました。日本中が巨大なグリーフに覆われました。1945年(昭和20年)5月末に第32軍の首里司令部は陥落し、日本軍は南部に撤退しましたが、6月下旬までに組織的戦力を失いました。そして、6月23日には牛島満司令官らが自決。その後も掃討戦は続き、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言し、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式が行われたのは9月7日でした。
沖縄尚学は1999年、2008年に選抜を制していますが、夏の甲子園優勝は初めて。沖縄県勢では島袋洋奨投手を擁した興南が春夏連覇した2010年以来2度目の夏優勝となりました。じつは、わたしはその2010年の秋に興南高校を訪れています。ブログ「我喜屋優監督」で紹介したように、同年10月8日に興南高校の我喜屋優理事長、いや同校野球部の我喜屋優監督にお会いしました。何を隠そう、わが社の結婚式場であるマリエールオークパイン那覇の所在地は興南高校に隣接しており、いわば「お隣りさん」です。このときは、ご祝儀持参で、春夏連覇のお祝いを述べに参上しました。当時、史上6校目の春夏連覇を達成した直後で、我喜屋監督はまさに「時の人」でした。沖縄だけでなく、日本中のヒーローでした。
「産経新聞」で2010年9月28日〜30日に3回にわたって「話の肖像画」というコーナーに我喜屋監督が取り上げられていました。第1回目の冒頭で、「春夏連覇で地元の歓迎ぶりはすさまじかったです」という記者の言葉に対して、我喜屋監督は「学校の体育館で優勝報告をした時、オジー、オバーが涙を流して祝福してくれる姿を見て、改めて連覇の重みを実感し、感激しました。夏の大会はちょうど沖縄の慰霊の日のころ始まるので、夏の甲子園=慰霊の日という思いが、県民の心にあるのでしょう。高校野球で優勝することが、沖縄の人々の心の文化作りだったと思います」と述べられました。
もともと夏の甲子園の開催時期を「お盆」の時期としたことは、太平洋戦争における戦没者の供養の意味があったのとされています。選手たちが坊主頭を義務づけられているのも、彼らを僧侶に見立てるためだとか。夏の甲子園とは国民的慰霊祭であるという本質を、監督は熟知しておられます。わたしは最新刊『死者とともに生きる』(産経新聞出版)で、わたしたちは死者に支えられて生きているのだと書きましたが、おそらく我喜屋監督はそのことも知っておられました。春夏連覇の偉業の裏では、多くの死者たちの支えがあったのかもしれません。
死者を供養することは「礼」の基本です。沖縄は「守礼之邦」です。我喜屋監督は、選手たちにも一貫して「礼」の教育を行ってきました。興南の志を受け継いだ沖縄尚学にも「礼」の教育は息づいていることと思います。終戦80年目の節目に夏の甲子園で沖縄尚学が優勝した姿を見て、きっと今回もオジー、オバーが涙を流して喜んだのではないでしょうか。「沖縄慰霊の日」からジャスト2ヵ月後の今日、沖縄戦で亡くなられた方々に対して最高の慰霊および供養となりましたね。試合後に、四方にお辞儀をして最後まで礼節を貫いた、日大三高も立派でした。最後に、夏の甲子園の沖縄尚学優勝を心よりお祝いいたします。今日は土曜日だし、沖縄では朝まで「暴れ飲み」をしていることでしょう。今夜は、ぐすーよー、カリーさびら!
2025年8月23日 一条真也拝


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