「世界中の誰よりきっと」

一条真也です。13日の日曜日は映画館にも行かず、自宅で次回作『満月交命~ムーンサルトレター』(現代書林)の校正作業をしていました。5月30日に帰幽された鎌田東二先生との往復書簡集ですが、なんと現在762ページもあります。編集担当の内海準二さんから「650ページくらいに圧縮できませんか?」と言われているのですが、わが人生最大の校正作業となっています。

 

そんなハードな作業の合間に息抜きでネット・サーフィンをしていたら、WANDS上杉昇が昨年12月6日に亡くなった中山美穂と一緒に歌った世界中の誰よりきっとを独唱している動画を見つけました。なんと、32年ぶりにテレビでこの歌を披露したそうです。聴く者の魂を揺り動かすような素晴らしいバラードでした。ミポリンへの追悼の心が感じられて、泣けてきました。歌を聴いて涙を流すことなど、何年ぶりでしょうか?

 

世界中の誰よりきっと」は、中山美穂の25枚目のシングルで、ロックバンドであるWANDSによるコラボレーション・シングルとして1992年10月28日にリリースされました。コラボレーションをしたWANDSは本作より先に発売されていたシングルもっと強く抱きしめたならが後にオリコンチャートの1位を獲得しミリオンセールスを達成するなど、ブレイクを果たしています。「世界中の誰よりきっと」の作詞は中山美穂上杉昇が担当。作曲は織田哲郎で、累計の売り上げは200万枚を越える大ヒットとなりました。

 

世界中の誰よりきっと」の制作は、プロデューサーの長戸大幸織田哲郎の作曲のストックから探し出して行われました。企画時に提出されたデモの段階ではバラード調でしたが、中山美穂のプロデューサーが「クリスマス向けのパーティー感が欲しい」と依頼。葉山たけしによる派手な8ビートアレンジがなされ、現在の形となりました。中山美穂は以前からデュエットをやりたいと思っていたそうですが、これまで自身の感性に触れる男性がいなかったといいます。中山美穂は作詞にも携わりましたが、今作が初めて納得のいく曲になったと語っています。

 

世界中の誰よりきっと」のメインボーカルは中山美穂(当時22歳)、コーラスをWANDの上杉昇(当時20歳)が担当しましたが、2曲目の「PART Ⅱ」では逆になっています。また、「PART Ⅱ」では曲調がバラード調にアレンジされており、2コーラス目のサビがラストサビとなっています。コーラスアレンジは制作段階から関わっていた宇徳敬子によるものでした(オリジナル・PART II・Album version)。バックコーラスは1曲目は宇徳敬子、2曲目〈PART Ⅱ〉は宇徳敬子大黒摩季が担当。中山美穂は参加していません。

 

WANDS側としては元々は中山美穂の楽曲に歌詞を提供するだけの話でしたが、その後コーラスもお願いされコラボレーションという経緯に至ったと上杉昇が述べています。このコラボレーションがWANDSのブレイクのきっかけとなりましたが、当時ロック路線を目指していた上杉にとっては不本意に感じていたといい、そんなイメージを払拭するためにあえて"世界"というワードをタイトルに被せたWANDSの楽曲「世界が終るまでは・・・」(1994年発売)を発表。テレビ朝日系アニメ「SLAM DUNK」の第2期エンディングテーマに起用され、大ヒット。2019年3月1日に、ソニー・ミュージックエンタテインメントのアニメソング人気投票キャンペーン「平成アニソン大賞」においてアーティストソング賞(1989年ー1999年)に選出されています。

 

世界中の誰よりきっと」は、発売20日間で100万枚を突破し、累計売上は200万枚を超えます。オリコン集計の累積で約183万枚を売り上げ、オリコン年間シングルチャートで1992年度では発売が10月末であるにもかかわらず37位を記録し、翌年1993年度でも10位となり、2年連続で50位以内にランクインしました。同週間シングルチャートでは初登場2位、8週目にして1位を獲得。1992年末から1993年始にかけて実に4週にわたって首位を維持しました。第7回ゴールドディスク大賞ベスト5・シングル賞、第12回JASRAC賞金賞および、作詞を担当した中山美穂上杉昇日本作詩家協会賞を受賞しています。「世界中の誰よりきっと」は、織田哲郎が作曲を手がけてきた中では最も売れたシングルであり、中山美穂の楽曲の中でも最大のヒット曲です。

 

そして、「世界中の誰よりきっと」は、わたしがこれまでの人生で最も多く歌ってきたデュエット曲でもあります。わたしは、この歌を数えきれないほど歌ってきました。昔のカラオケでは女性パートと男性パートの歌詞が色分け(もしくは♠💛で表示)されて歌いやすかったのですが、最近は男女の区別がなく、単に歌詞が流れるだけです。それでも最初から男女一緒に歌ってはダメで、歌い出しは女性です。男性の歌い出しは「めぐり合えたのもきっと偶然じゃないよ♪」からで、わたしはこの歌い方をきっちりと守っています。また、わたしは2番の最後の「いつでも~♪」をロック風にシャウトしますが、これはロックバンドであるWANDSへのリスペクトです。この曲を歌った場所は赤坂見附や小倉のカラオケスナックが多かったですが、それらの店もすべて今は存在していません。わたしと一緒に歌って下さった女性たちは今はどうしているのでしょうか? 彼女たちの幸せを陰ながら祈るばかりです。

 

世界中の誰よりきっと」は長く上杉昇が商業音楽として封印し、ロッカーである自分の闇歴史と考えていたところもあって、30年以上も中山美穂と一緒に歌うことはありませんでした。しかし、中山美穂のこの歌に対する思い入れは強く、また自身の最大のヒット曲であることもあって、コンサートなどでずっと歌い続けました。最近、「伝説のコンサート」としてNHKでも放送された1993年のコンサートでも歌っています。2023年に、彼女は24年ぶりとなる全国ツアーを催し、ツアー最終日の6月24日には山梨県河口湖ステラシアターで「中山美穂歌手デビュー38周年記念ライブ」も行われました。2024年にも全国ツアーを開催し、全国19都市21公演を行いました。そのすべての公演で中山美穂は「世界中の誰よりきっと」を歌いました。ときには観客に呼びかけて一緒に歌っています。このときの彼女の表情は本当に幸せそうで、わたしも幸せな気分になります。しかし、その後に突然この世を去ったことを思うと、悲しくてなりません。

 

2024年12月6日に中山美穂の訃報が流れた際、上杉昇は「中山美穂さん。私にとって人生の恩人の1人であります。急な悲報に触れ、ただただ驚き愕然とするばかりです。一緒に歌ってくださったこと、ありがとうございました。そして表現者としての数えきれない日々を、本当にお疲れ様でした。今はただ、心より御冥福をお祈りいたします。上杉 昇(元 WANDS、Vocal)」と訃報が流れた当日にポストしました。フォロワーからは「中山美穂さんの訃報を目にして真っ先に『世界中の誰よりきっと』が頭を流れました」「美男美女のコラボで、歌も歌詞もすごく良かった。2人の歌声も最高でした」「上杉さんとミポリンのデュエットまた聴きたかった」といったコメントが寄せられました。わたしも、この曲を歌っていた頃のミポリンは世界で最も輝いていて美しい女性だったと思います。わたしにとっても「世界中の誰よりきっと」は永遠の名曲です。70歳になっても、80歳になっても、この曲を美女とデュエットできる小洒落爺でありたい!

 

2025年7月14日  一条真也