猪木さんらしいお別れ

一条真也です。
13日、ブログ「猪木・前田・未来」で紹介したように、今月1日に79歳で亡くなられたプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さんの通夜式が都内で営まれました。14日には告別式が営まれ、358人の関係者が参列し、「燃える闘魂」に最後の別れを告げました。

ヤフーニュースより

 

関係者によると、新日本プロレス坂口征二相談役、藤波辰爾武藤敬司蝶野正洋棚橋弘至オカダ・カズチカ中邑真輔、髙田延彦、藤原喜明船木誠勝獣神サンダー・ライガー小川直也藤田和之佐々木健介ら猪木さんの弟子、現役&OBのレスラーに加え、新間寿氏らプロレス関係者が参列したそうです。また、古舘伊知郎アナ、「スポーツ平和党」で猪木さんと一緒に国会議員を務めたプロ野球解説者の江本孟紀氏なども出席したとか。


出棺前には猪木さんの弟で喪主の猪木啓介氏が「亡くなる前日に1時間ほど兄貴のそばにいれました。その時に何か伝えるのかなと思いましたが、その力もなかった。口をもごもごしてたので、みなさんにありがとうという言葉を残したかったんだと思います。これまでアントニオ猪木を支えてくださったみなさま、本当にありがとうございます」と挨拶をされたそうです。


長州にもいてほしかった!(IGF提供)

 

IGF提供の写真には、武藤敬司蝶野正洋坂口征二藤波辰爾藤原喜明が並んで焼香している姿があり、新日本プロレスの黄金時代を飾った顔ぶれの揃い踏みに、昭和プロレスを愛してやまないわたしの胸は熱くなりました。所要で来れなかったのでしょうが、できれば、この場に長州力もいてくれれば良かったと思います。

佐山と前田にもいてほしかった!(IGF提供)

 

また、IGF提供の写真には、船木誠勝、髙田延彦、古館伊知郎、藤田和之小川直也が並んで焼香している姿もありました。できれば、前日の通夜式に参列した佐山聡前田日明もこの場にいてくれれば良かったと思います。最近、佐山&前田&髙田&船木の4ショットが見たくて仕方がありません。この4人は、猪木さんが異種格闘技戦で道を拓き、現在はMMA(総合格闘技)として大輪の花を咲かせたジャンルのパイオニア四天王だからです。

ヤフーニュースより

 

告別式に長州、佐山、前田の姿があるとパーフェクトでしたが、通夜・告別式ともに坂口征二さんがいたことは本当に良かったと思います。坂口さんは猪木さんの最大の盟友でした。1973年4月に日本プロレスから新日本プロレスに移籍。猪木さんとのタッグチームは「黄金コンビ」と呼ばれ、リング内外で長年にわたって団体を支え続けました。坂口さんは、「いい時も悪い時もあったけどみんな『なにくそ』ってそういう気持ちでやって、それがどうにか続いて今の新日本の50年があるだろうからね。東京ドームとかソ連とか北朝鮮とかいろんなことあったけどね。『それは無理でしょう』って話も『猪木さんが言ったらやりましょう』ってやってきたもんね。(モハメド)アリ戦にしろ、無謀だったかもしれないけど、失敗したにしろ成功したにしろあとあとアントニオ猪木って名前がちゃんと出てくるんだからね」と語っています。



坂口さんは、常に挑戦を続ける猪木さんをサポートし、その足跡はそのまま今日のプロレス界の礎となりました。坂口さんがいなければ、間違いなく新日本プロレスは創設から数年以内に崩壊していました。坂口さんが移籍したからテレビ放送がついて、団体が軌道に乗ったのです。日本プロレスから移籍する際にはジャイアント馬場さんの全日本プロレスからも誘いを受けました。坂口さんは「俺は猪木さんを選んだみたいになってしまったけどね。馬場さんにも誘われたし、猪木さんにも誘われたけど、猪木さんと一緒になって50年。間違いじゃなかったと思うよね・・・まあ馬場さんがいないから言えることだけどよ(笑)。新日本もうまくいってるし、今こうしていられることが全てだよ」と、猪木さんと歩んだ50年に誇りを持っています。離婚した倍賞美津子さんの姿もなく、猪木さんの葬儀は夫人がいませんでしたが、最高の女房役だった坂口さんが見送ってくれて、猪木さんも嬉しかったでしょう。



出棺の際には、新日本の黄金時代を彩ったリングアナの田中ケロ氏が「永遠なれ闘魂! アントニオ猪木ー!!」とコール。猪木さんの入場テーマ曲「炎のファイター」が流れる中、赤い闘魂タオルを首に巻いた坂口、藤波、棚橋、オカダ、中邑、蝶野、武藤、藤田、小川、船木、柴田勝頼らの現役&OBレスラーたちが棺を運んだそうです。参列者から「イノキコール」が湧き起こり、不世出の燃える闘魂は荼毘に付されました。この棺運びも、佐山と前田にやってほしかったですね!



わたしは、「炎のファイター」が流れる中で棺が運ばれ、「イノキコール」の中を出棺したというのが本当に良かったと思いました。1987年に石原裕次郎さんが亡くなったときには、「夜霧も今夜も有難う」など故人のヒット曲が流れる中で焼香が行われました。1989年に美空ひばりさんが亡くなられたときは、故人の代表曲の1つである「川の流れのように」をBGMに出棺。2018年に西城秀樹さんが亡くなられたときは、大ヒット曲「YOUNG MAN」が流れる中を出棺し、集まったファンが「ブルースカイ・ブルー」を合唱したことが思い出されます。みなさん、時代を代表するスーパースターでした。



わたしは、最近の大物芸能人や俳優やスポーツ選手の死去がなぜかリアルタイムで知らされず、「葬儀は近親者のみですでに終えたという」といった報道に接するたびに、強い疑問を抱いていました。どんなジャンルであれ、スターというのはファンあってのもの。ファンに支えられて生活し、輝かしい人生を送ってきたはず。ファンには長年応援してきたスターがこの世を去った日にそれを知り、その日に悲しむ権利があるはずです。その意味で、逝去後にすぐ訃報に接することができた猪木さんはスーパースターであったと思います。


赤いタオルが泣ける!(IGF提供)

 

さて、猪木さんの通夜の写真を見ると、棺を運ぶ参列者はみんな「闘魂」と書かれた赤いタオルを首にかけています。もちろん、故人が現役時代に赤の闘魂タオルを愛用していたからでしょうが、よく葬儀で見かける「輪袈裟」のようでした。これは故人にとって素晴らしい供養になると思いました。また、昨日の通夜式のときにも思ったのですが、祭壇も素晴らしいです。花の生け方もそうですが、赤の闘魂タオルをイメージした祭壇は記憶にある猪木さんそのものだと感じました。猪木さんの戒名は「闘覚院機魂寛道居士」でしたが、「闘」と「魂」が入っているのが凄いです。さらには、遺影写真をはじめ飾られてる写真も秀逸で、やはり写真とは輝いている瞬間を「封印」するものなのだと感じました。

「あの人らしかったね」といわれる自分なりのお別れ

 

戒名、祭壇、遺影、赤い闘魂タオル、BGM、出棺、猪木コール・・・・・・猪木さんの葬儀は、まさに「猪木さんらしい」お別れでした。わたしは、2007年5月9日に刊行された監修書『「あの人らしかったね」といわれる自分なりのお別れ』(扶桑社)の内容を思い出しました。そこで、わたしは「お葬式は、ひとりの人間にとって、究極の『自己表現』となっていくことでしょう。日本人は人が亡くなると『不幸があった』などといいますが、死なない人はいません。すべての人が最後に不幸になるというのは、絶対におかしいとわたしは思います。『あの人らしかったね』といわれるような素敵な旅立ちのお葬式を実現することはもちろん、ゆたかな発想で新しいお葬式の時代を開き、いつの日か日本人が死を『不幸』と呼ばなくなることを願ってやみません」と書きましたが、猪木さんの葬儀でそれが見事に実現されていることに感動しました。


猪木さんは、日本人の死生観にも大きな影響を与えたと思います。難病の「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と闘い、その様子を公開することでファンのみならず一般の人々にも元気を届けました。その猪木さんは生前、その行動の真意とも言える「死についての考え」を独白していました。亡くなる10日前の9月21日にも、自ら希望して自身のYouTubeチャンネルの収録を行うなど、猪木さんは最期まで積極的に発信を続けました。実は病気が悪化する前の2018年末、「東京スポーツ」の取材にその真意を表すような「闘魂流・死についての考え」を独白していたそうです。



ブログ「おくりびと」で紹介した大ヒット日本映画を引き合いに「これからは『死と向かい合う』っていう、そういうことへのメッセージを送らないといけないと思っています。『おくりびと』って、一時期はやったと思うんだけど、いわば『おくられびと』というね」と、決意表明ともとれる言葉を口にしたそうです。東スポWEBの記事には、「難病との闘いを公表したことで賛否を呼んだのは事実。だが〝おくられびと〟として世間にメッセージを送ろうとしていた猪木さんにとってはそれこそが狙い通りだったのかもしれない。さらに『死というだけでマイナスイメージになってしまうでしょ。「猪木さん、まだまだ頑張ってください」とかいう人もいる。だけど、そういうことじゃなくて、社会や身近なものに対して何かができればね』と死を目前にするからこそ成し遂げられることがある」と書かれています。ちなみに、17日に映画「おくりびと」の原案者である作家・青木新門さんのお別れ会が富山で開かれますが、わたしも参加いたします。



また、記事には、「続けて『こんなことを言うと怒られちゃうけど、戦時中もうちの兄貴は特攻隊で死んでね。だけど、逆に言えばある一つの目的が持てた。今の価値観で見れば「なんでそんな馬鹿な」となる。でも、本人に成り代われば1つの目的をもって死んだというのは、ある意味で意義があったのかなって思ったりしたりもするんです』とその根底にある戦争体験を挙げた。『リングの上やブラジルの移民の時代の思い、そしてそのままこうしていろんな各国を飛び回っている中で、社会にいいメッセージを送れればいいなあと考えているところ』という猪木さんは、最期に何を伝えたかったのか」と書かれています。

死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)

 

最期に伝えたかったことは? 猪木さんは語気を強め、「『元気がなけりゃあ、あの世にも旅立てない』っていうこと。これが(世間に)送りたい言葉なんですよ。死という言葉がイメージがあまりにもマイナスですから。でも、いずれ誰にも来るじゃん。だから、死というものをどうとらえるか」と記者に語りました。わたしは、この言葉に大変感動しました。わたしは、これまで「死」や「死生観」に関する本を何冊も書いてきましたが、これほど凄い言葉はなかなかありません。拙著『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に収めたかったです。同書の続編を出すときは、必ず猪木さんの「元気がなけりゃあ、あの世にも旅立てない」という名言を紹介します。結果的にこの発言の直後から猪木さんは病魔との闘いを続け、体が弱っていくさなかでも「元気」を届け続け、最後は堂々と人生を卒業されました。有言実行の人でした。最後の最後まで「燃える闘魂」であった猪木さんを心から尊敬します。


ヤフーニュースより

 

猪木さんの葬儀について、多くの方々がコメントしています。ヤフーニュースの投稿コメントの中で、bobさんという方の発言が素晴らしいので、紹介させていただきます。bobさんは、「末期のご家族を看取った方ならわかってくれると思うのですが、思うように喋れない、自由に体が動かせない、そして日々体調がキツい。それらが合わさって精神的にもまいってくる。父が亡くなった時、悲しいという感情ももちろんありますが、『あぁもう心も体も鎖で縛られているような状況から父は解放されたんだ、よかった』とも感じました。よく『安らかにお眠りください』って言葉が使われるとおもんですが、ずっとベットの上で横になってた人に更に眠れって言うのは個人的には酷な気がして『身体という縛りから解放され、この空を魂で飛び回ってほしい』と思いましたね」と書かれています。


故人らしい葬儀でした(IGF提供)

 

わたしは、このbobさんのコメントを読んで涙が出ました。これこそ、真のグリーフケアであり、コンパッションの言葉であると思いました。わたしは、今年、石原慎太郎稲盛和夫、そしてアントニオ猪木といった、わたしにとってのヒーローを3人も失いました。それぞれ肉親を亡くしたような喪失感を感じましたが、中でも小学生の頃から大ファンだった猪木さんの死去はショックでした。猪木さんは「死」を悲観視されませんが、やはりヒーローと別れるのは悲しいものです。その悲しみのために葬儀という儀式があります。

燃える闘魂」は永遠です!

 

儀式とは「かたち」です。大切な人を亡くした人の「こころ」は不安定に揺れ動きます。「こころ」が動揺していて矛盾を抱えているとき、葬儀のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の「こころ」はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。「かたち」には「ちから」があります。わたしは、ブログ『葬式消滅』で紹介した島田裕巳氏の著書への反論本である『葬式復活』(オリーブの木)をもうすぐ書き上げますが、猪木さんの葬儀の様子を知って、「やっぱり、葬式は必要だ!」と確信した次第です。「燃える闘魂」は永遠です。故アントニオ猪木氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


もうすぐ、『葬式復活』が刊行されます!

 

2022年 月日 一条真也