一条真也です。
『全日本プロレス90年代外国人列伝』小橋建太著(ワニブックスPLUS新書)を読みました。「小橋建太が戦った最高の男たち」というサブタイトルがついています。著者は、1967年3月27日生まれ。京都府福知山市出身。1987年に全日本プロレスに入門、1988年2月26日デビュー。以降、その熱血ファイトでリングを沸かせ、三冠ヘビー級王座やGHCヘビー級王座など数々のタイトルを獲得。「絶対王者」と呼ばれ、プロレス界に名を刻みました。度重なるケガや腎臓がんを乗り越え、2013年に現役を引退。引退後は株式会社Fortune KKを設立し、プロレス興行「Fortune Dream」のプロデュース、エニタイムフィットネス等々力店の経営など幅広く活動。「公益財団法人がんの子どもを守る会」の支援も続けています。
本書のカバー表紙の下部
本書のカバー表紙には、著者をはじめ、スタン・ハンセン、テリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムス、ゲーリー・オブライトなどの強豪外国人選手11名の雄姿が並びカバー下部には「総勢113名」「強豪外国人、隠れた実力者。“いっぱい食わせ者”まで」「あの時代の熱狂がここに蘇る!!」と書かれています。
本書のカバー裏表紙の下部
カバー裏表紙の下部には、「スタン・ハンセン/ジョニー・スミス/パトリオット/ジャイアント・キマラ/ゲーリー・オブライト/ジョー・ディートン/スティーブ・ウイリアムス/ダグ・ファーナス/テリー・ゴディ/サニー・ビーチなど」「あなたは何人覚えているだろうか?」と書かれています。
カバー前そでには、「90年代の外国人選手を振り返るにあたり、8月11日に『公開取材トークショー』を東京・池袋で行ないました。のべ100人以上になる外国人選手たちをスクリーンに映しながら一緒に振り返る内容です。このイベント開催は僕のたっての希望で、90年代の時と同じように、ファンのみんなと一緒に空間を共有したかったから。また僕が忘れてしまったエピソードをみんなで思い出したかったからです。実際、トークショーの途中にはあの時代を共にしたファンじゃないと絶対に出てこない話がたくさん出てきました。――「はじめに」より」と書かれています。そう、本書は2025年8月⑪日に開催された「公開取材トークショー」と、その後の小橋建太氏への追加取材を基に作成されました。
「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「『全日本プロレスの90年代の外国人選手について本をつくりませんか?』最初にワニブックスさんから提案をもらった時、運命と言うと大げさかもしれませんが、『これこそ自分に課せられた責務ではないか』と直感しました。僕は1987年6月に全日本プロレスに入門し、翌88年2月26日の大熊元司さんとのシングルマッチでデビュー。若手時代を経て、三沢光晴さん、川田利明さん、田上明さん、そして僕・小橋健太の試合は“四天王プロレス”と評され、聖地・日本武道館大会は常に超満員の観客で埋め尽くされました。2000年にプロレスリング・ノア(以下、NOAH)に移籍後、GHCヘビー級王座を13回連続で防衛。その結果と試合内容から2003年頃から“絶対王者”と呼ばれました。今では各界に絶対王者が存在しますが、僕が最初の絶対王者だったと記憶しています。その後は度重なるケガと、腎臓がんに打ち克ち、2013年5月11日の引退記念試合をもって現役生活に別れを告げました」
著者自身が振り返っても、90年代は激動の時代であり、青春そのものだったそうです。まず1990年に選手の大量離脱があり、5月14日の東京体育館大会にはジャイアント馬場がメインのリングに上がり、ジャンボ鶴田とのタッグでテリー・ゴディ、スティーブ・ウイリアムスと対戦。ゴディに対角線ポストに投げられた馬場は、背中をコーナーにつけたままズルズルと崩れ落ちていきました。なんとか立ち上がった馬場でしたが、ゴディのラリアットにピンフォール負け。その姿をリングサイトで見ていた著者は、「馬場さんを無理してメインのリングに上がらせてしまった」と自分の非力さを情けなく思ったそうです。そんな馬場と組んでフットルース(サムソン冬木・川田組)に挑戦した1989年3月27日のアジアタッグ戦も忘れえぬ試合の1つでした。著者は、「“親子タッグ”と言われるほど年齢が離れていましたが、付き人だった僕と組んでくれたことも嬉しかったですし、馬場さんにとって最後のタイトルマッチでもあったからです」と述べています。
個別の選手との思い出では、まずはジョニー・エースが興味深かったです。ジョニー・エースとは語り尽くせない思い出がたくさんあるという著者は、「まずお兄さんがあのアニマル・ウォーリアーで、弟はザ・ターミネーターというレスリングファミリー。でも筋肉全開の兄弟と比べるとエースはベビーフェイスに金髪が似合うさわやかな出で立ちで、僕と“日米フレッシュコンビ”を組んで、アジアタッグのベルトを戴冠(vsザ・ファンタスティックス)。僕らは年齢もキャリアも近かったので、お互いに切磋琢磨できたと思います。97年には一緒に『GET』を結成。同年5月27日には川田&田上を破って、世界タッグ王座にまで昇り詰めました。その後はリング上での壮絶な仲間割れを経て、僕が2000年に全日本プロレスを退団するまでにエースとは激しい試合を繰り広げました」と述べています。
スタン・ハンセンとの思い出は、1993年7月の日本武道館。大攻勢をかけた著者は、試合を決めようとムーンサルトの体勢に入りました。するとハンセンはそれを阻止しようと著者の背中に掴みかかり、さらに場外エプロンに移動すると両者は殴り合いになります。その刹那――のちに“雪崩式ラリアット”と呼ばれる左腕がポストの上に座っていた著者の首に決まりました。著者はそのままポストから転落して、3カウントを聞いたのでした。著者は、「それまで鶴田さん、馬場さんが1試合で2発のラリアットを喰らった記憶はあるのですが、3発は僕だけではないでしょうか。同じく“雪崩式ラリアット”もそうでしょう。いろんなラリアットを繰り出すというのももちろん珍しいんですけど、ハンセンの僕に対する変化があったのでしょう。ハンセンほどの選手になると、自分のスタイルを守ることがすごく大事ですし、彼はそれを守ってきた。そんなハンセンも研究し、進化して、新しいラリアットを生み出した」と述べます。
スティーブ・ウイリアムスの思い出は、1994年9月3日、日本武道館。王者・ウイリアムスの対戦相手として対角線に立ったのは著者でした。ウイリアムスにとっては初防衛戦。著者にとってはデビュー以来6年半で初めて迎えた三冠ヘビー級選手権。王者と挑戦者。1年前は挑戦者決定戦で戦った2人が、今度は選手権で相まみえました。著者は、「当時のウイリアムスはまさに絶頂期。ゴツゴツした体はさらに厚みを増し、その引力に吸い寄せられるような迫力がありました。そして圧倒的なパワー、予測不能な技、そしてバックドロップドライバー・・・・・・彼との試合を嫌がる選手もいたと思いますが、僕は不思議と手が合ったし、お互いにとことん全力でぶつかり合える存在でした」と回想します。かくして試合は白熱。当時の三冠戦史上最長となる41分23秒の激闘となりました。著者はウイリアムスのバックドロップで敗れてしまいましたが、悔しさと同じぐらいの充実感があったそうです。試合後、当時としては異例でしたがが、控室でウイリアムスとがっちり握手を交わしています。
渋いとことでは、ピート・ロバーツとの思い出があります。著者は、「ロバーツは腕の取り方や相手の動かし方が上手かったですし、全体的なテクニックも本当に素晴らしかったです。僕は自分が純粋に『スゴい』と感じた技や動きなど、学ぶべきものは学ぶという姿勢でいろいろな試合を見てきました。たとえば猪木さんの表情からも多くのことを学びましたし、ロバーツの洗練されたヨーロピアンスタイルにもまさにその価値があったと思います」と述べます。ロバーツはアントニオ猪木さんを追い詰めた“地獄の墓堀人”ローラン・ボックとも対戦していて、あのボックが「自分が出会ったレスラーの中で最高のテクニシャンのひとり」と高く評価しています。初来日は新日本プロレスで、そのまま常連選手になりました。著者は、「ボックと互角に戦ったロバーツのことを猪木さんも高く評価していたのかもしれません。1993年に引退したのですが、僕にとっても忘れがたき名テクニシャンです」と述べるのでした。
ベイダーの思い出も語られます。1999年もベイダーの怒涛の勢いは止まらず、3月に田上を破って全日本プロレスの至宝・三冠王座を奪取。続く「‘99チャンピオン・カーニバル」に初出場すると、エース、準、人生、大森、オブライト、田上さんを相次いで破り、4月8日の大阪府立体育館大会で著者とベイダーが対戦。著者がチョップ、ブレーンバスター、ジャーマンを出せば、ベイダーはベイダー・ハンマー、DDT、ビッグバン・クラッシュなどで激しく応戦し、あっという間の時間切れ引き分けとなりました。そのまま著者とベイダーは4月16日の優勝決定戦(日本武道館大会)に進出し、再び激突。著者のラリアットをかわしたベイダーは、コーナー最上段からのムーンサルト・プレス→ベイダー・ハンマー→投げ捨てパワーボム→ベイダー・アタックを重ねると、著者は無念の3カウントを聞きました。著者は、「僕はまだカーニバルで優勝していなかったし、馬場さんが亡くなってから最初のカーニバルだったし、優勝戦の翌日が馬場さんの追悼式だったので、絶対に優勝したかった。その想いを粉々にされたので、試合後に握手こそ交わしましたが、本当に悔しかったですね」と回想しています。
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2026年4月27日 一条真也拝
