亀戸天神社

一条真也です。
東京に来ています。15日、会長を務める全互連の理事会に出席するため、大量の花粉が舞う中、わたしは宿のある赤坂見附から四谷駅まで歩き、そこから総武線に乗って亀戸へ向かいました。


亀戸天神社の鳥居の前で

スカイツリーも見えました



今日は13時半から正副会長会議、14時から理事会が開催されましたが、わたしは11時には亀戸駅に到着しました。駅の改札口には全互連の専務理事で、亀戸に本社を置く(株)日冠の小泉博久社長と待ち合わせました。ブログ「日冠社長来る!」で紹介したナイスガイです。先日はインドに一緒に行った仲です。わたしたちは、亀戸の有名中華店「菜苑」で名物の純レバ丼と餃子の昼食を済ませた後、近くにある亀戸天神社を訪れました。


公式HPの「ご縁起」には以下のように書かれています。
菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。 古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として『東宰府天満宮』、あるいは『亀戸宰府天満宮』と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました」


広大な敷地でした



また、公式HPの「ご縁起」には以下のように書かれています。
「正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました」


スカイツリー天満宮

社殿前で



さらに、公式HPの「ご縁起」には以下のように書かれています。
「当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました」


紅梅殿

梅の花が咲いていました


天神社といえば、梅の花です。菅原道真公は、特に梅の花を好んだとされ、多くの和歌を詠みました。亀戸天神社の境内には300本を越す梅が植えられています。3月になると紅白の花が咲き始め、春の息吹を感じます。
また、境内には5歳で詠まれた「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」という歌碑と道真公の像が本殿前にあります。


五歳の菅公像

新東京百景


亀戸天神社では、梅と並んで藤も有名です。
4月の下旬から、境内に50株以上ある藤の花が一斉に咲き始めます。
亀戸天神社は江戸時代から庶民に知れわたり、葛飾北斎歌川広重などの著名な絵師による絵図が多く描かれました。
心字池に写る姿と淡い香りが多くの人々に愛され、今日でも「東京一の藤の名所」として賑わいを見せています。一方、夜のライトアップもよく知られ、境内は静寂の中に灯りにてらしだされた花房が、心字池のかすかな波に揺れて写ります。その様は、まさに「幽玄」そのものだと言えるでしょう。


幸運を招く鶯(うそ)

御神牛

国産マッチの創設者の石碑



亀戸天神社には、その他にも「幸運を招く鶯(うそ)」、「御神牛」、「国産マッチの創設者の石碑」などがありました。なんだか楽しくなってきます。
天気も良いし、珍しいものがいろいろあるし、わたしはすっかり幸せな気分になって社殿に参拝しました。柏手を打ちながら、「全互連加盟の互助会各社が仲良く平和に発展しますように・・・・・・」と祈願しました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年3月15日 一条真也