終戦70年に思う

一条真也です。
わたしは、 終活WEB「ソナエ」で「一条真也のハートフル・ライフ」を連載しています。「日本の心」や「心ゆたかな生き方」をテーマに月に2回、コラムをお届けしております。その第16回目が9月2日にアップされました。



終活WEB「ソナエ」



第16回目のタイトルは「終戦70年に思う」です。TOPページに「慰霊の季節・・・終戦70年の節目に考える」のタイトルが踊り、「靖国問題の本質と『カミ文明圏』」というコピーで紹介されています。本文には、8月9日に長崎市平和祈念像前で多くの人々が原爆犠牲者を悼む写真(恵守乾撮影)が使われ、「『長崎原爆の日』に想い重ねて」という小見出しがあります。
ようやく暑い8月が終りました。8月は、日本人にとって慰霊と鎮魂の季節です。というのも、6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、12日の御巣鷹山日航機墜落事故の日、そして15日の終戦の日というふうに、3日置きに日本人にとって重大な意味のある日が訪れるからです。そして、それはまさに「お盆」の時期と重なります。今年は終戦70周年の年であり、日本中が死者を想う日々を過ごしました。



終戦70年に思う」より



特に、わたしは9日の「長崎原爆の日」には格別の想いがあります。70年前のこの日、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずでした。今年、わたしは初めて、小倉の勝山公園で行われた式典に参加させていただきました。式典の最後に、わたしは献花用の花を受け取りました。その花を心を込めて献じ、原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水を丁寧にかけ、礼服のポケットから数珠を取り出して犠牲者の御霊に対して心からの祈りを捧げました。そして、わたしは万感の想いを込めて「長崎の鐘」を鳴らしました。その鐘の音は、魂に響き渡るような気がしました。



また、8月15日の「終戦の日」に多くの人々が参拝した靖国神社の写真が使われ、「忘れられない『終戦の日』」という小見出しがあります。
それから、15日も忘れられない一日になりました。70回目の「終戦の日」を迎えたこの日、わたしは東京の九段にある靖国神社を参拝しました。『唯葬論』(三五館)と『永遠葬』(現代書林)の2冊の新刊を持参しました。昨年は参拝までに約30分待ちましたが、今年ははるかに参拝者の数が多かったです。その間、正午からは黙祷も行われました。そして、待つこと1時間以上、ようやく、わたしが参拝する順番が回ってきました。



終戦70周年に思う」より



神道は日本宗教のベースと言えますが、教義や戒律を持たない柔らかな宗教であり、「和」を好む平和宗教でした。天孫民族と出雲民族でさえ非常に早くから融和してしまっています。まさに日本は大いなる「和」の国、つまり大和の国であることがよくわかります。神道が平和宗教であったがゆえに、後から入ってきた儒教も仏教も、最初は一時的に衝突があったにせよ、結果として共生し、さらには習合していったわけです。わたしは、靖国神社の拝殿脇において、「大戦(いくさ)より過ぎし月は七十年(ななととせ)和を求めんと誓ふ蘘國」という歌を詠みました。



なお、終活WEB「ソナエ」では、新連載開始に先立ち、ブログ「老いるほど豊かに」ブログ「『終活』ではなく『修活』」ブログ「『縁』と『絆』の大切さ」で紹介したように全3回で、わたしのインタビュー記事を掲載しています。



次回は9月16日にアップの予定です!



次回の「一条真也のハートフル・ライフ」は、9月16日(水)にアップされる予定です。タイトルは「お墓について考える」です。これからは既存のスタイルにとらわれず、自分らしいお墓について考えるということが大切になってきます。先祖代々のお墓を引っ越さなければならないという「墓じまい」や、新たにお墓を造るという「墓じたく」も大切な問題です。過去、現在、未来のお墓事情に触れながら、「どのようにお墓と付き合うか」という作法について書きます。どうぞ、お楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年9月2日 一条真也