『唯葬論』がアマゾン哲学ベストセラー1位に!

一条真也です。
戦後70年記念出版であるわが最新刊『唯葬論』(三五館)が好評です。
ブログ「『唯葬論』がアマゾン哲学ベストセラー3位に!」でも紹介したように、アマゾンでも売れ行き好調であります。


「哲学」ベストセラーの1位になりました!

アマゾン「哲学の売れ筋ランキング」



そして本日、なんと「哲学」ベストセラーの1位になりました。
おそらくはブログ「朝日新聞に『唯葬論』の広告が掲載されました」で紹介した新聞広告の効果だと思いますが、嬉しいです!やはり、全国紙の広告の力は大きいですね。出稿して下さった三五館さんに感謝です!


朝日新聞」8月19日朝刊(全国版)より




ブログ「毎日新聞に『唯葬論』が紹介されました」で紹介した新聞の書評記事の効果もあったと思います。やはり、「朝日新聞」や「毎日新聞」の講読者には読書家が多いということなのでしょう。いずれにしても、ありがたいことです。記事は「ピックアップ」として、以下のように書かれています。
宇宙論、哲学論、供養論など、全18章。
人類発展の根底には死者への想いがあり、全ては『葬』から始まると説く。葬儀は故人の魂を送るとともに、残された人々の魂にもエネルギーを与えるという。通夜・告別式なしで火葬場に直行する『直葬』や、遺骨・遺灰を火葬場に捨てる『0葬』など礼に反する行為に警鐘を鳴らす」



毎日新聞」8月11日夕刊(全国版)



「哲学」といえば、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者で京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生は、「この本は、佐久間〜一条さんの仕事の集大成で、これまでの著作の中で最も体系的・全体的・網羅的で、葬儀哲学・葬送哲学・儀礼哲学概論とも百科全書ともいえるもので、ヘーゲル的な体系性を想起します」とメールに書いて下さいました。
サンレーの社員の中には「これからは社長のことを“哲学者”あるいは“哲人”とお呼びしなければなりませんね」などと言う者もいるのですが、わたしはキッパリと断りました。あくまでも、わたしは一介の冠婚葬祭業者であり、一人の唯葬論者に過ぎません。


140字でつぶやく哲学 (中経の文庫)

140字でつぶやく哲学 (中経の文庫)

それにしても、この本が哲学書として読まれていることに感慨をおぼえます。多くの人は哲学に近寄りがたいイメージを持たれていることでしょう。『140字でつぶやく哲学』(中経の文庫)を上梓したわたしは「哲学ほどおもしろいものはない」と思っていますが、大多数の人は本気にしません。それほど、哲学は難解で無用の長物と見なす考え方が世の中では一般化しています。しかし、「死」と「葬」の問題はまさに哲学の核心テーマです。



哲学の祖としてのソクラテスは「哲学とは死の予行演習」だと喝破しました。また、「哲学の動機は『驚き』である」と言ったアリストテレスに対して、日本最高の哲学者であった西田幾多郎は「哲学の動機は『驚き』ではなくして深い人生の『悲哀』でなければならない」と述べています。西田は幼いわが子をはじめとする家族との死別と悲嘆から、真の哲学に目覚めました。
そのあたりも『唯葬論』に詳しく書きました。



「思想の売れ筋ランキング」では2位に・・・・・・



またアマゾンでは「哲学」のみならず、他のカテゴリでもベストセラー戦線の仲間入りを果たしています。まず、「思想の売れ筋ランキング」では、『現代語訳 学問のすすめ福澤諭吉齋藤孝著(ちくま新書)に次いで2位になりました。しかし、よく見るとこの1位の『現代語訳 学問のすすめ』はkindle版ですので、紙の本では『唯葬論』が1位ということになります。



「思想・社会の売れ筋ランキング」では3位に・・・・・・



さらに広いジャンルを網羅した「思想・社会の売れ筋ランキング」でも3位に入りました。このカテゴリの1位は『決定版 日本のいちばん長い日』半藤一利著(文春文庫)。そう、ブログ「日本のいちばん長い日」で紹介した大作映画の原作です。それにしても、『学問のすすめ』とか『日本のいちばん長い日』といった超有名な本と一緒に、わが『唯葬論』が並んでいるのを見るのは何か不思議な感じです。



唯葬論』を執筆しているとき、わたしは非常に孤独でした。「こんな本を書いて、誰が読んでくれるのだろうか」という心細い思いでした。
しかし、刊行後はブログ「『唯葬論』に反響続々!」で紹介したように、多くの方々に過分な評価を頂戴しました。『唯葬論』刊行の前日(!)に刊行された『永遠葬』(現代書林)を執筆した動機も同じですが、わたしには「死」と「葬」について語る使命があると思っています。



じつは昨夜、「勇気の人」こと東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長の矢作直樹先生から丁重なメールが届きました。メールには『永遠葬』および『唯葬論』に対する丁寧な感想が綴られていました。謹んで以下にご紹介させていただきます。



1)『永遠葬』 
葬儀は要らないと言っている方々への反論という形をとっていらっしゃいますが、文面からそれこそ旧人が原人との違いの最たるものが死を悼み葬儀を行ったことであることが明らかである、というとても明快かつ心に訴えかけるメッセージがよく伝わってくるとてもよい内容だと思いました。
2)『唯葬論
文字通り、一条さんの葬送に対する集大成ということがひしひしと伝わってくる内容ですね。さまざまな領域ごとに章立てをするというたいへん全うかつ意外と”一冊の本”の中にまとめてあるのをみることのなかったユニークなスタイルがいいです。一条さんの博識となにより尊い現場感覚が裏打ちしているという圧倒的な強みが説得力を生んでいると思います。本当によいご本ですね。(矢作直樹)


東大病院師弟コンビとカンパイ!(かみさまシンポ懇親会にて



本当にありがたいことです。矢作直樹先生に心より感謝申し上げます。
ブログ「未来医師、『永遠葬』を読む」で紹介したように、矢作先生の教え子であり同志でもある東大病院の稲葉俊郎先生は、「『唯葬論』が抽象度の高い哲学者としての一条さんの顔だとすると、『永遠葬』は具体性の高い実践者・実務家としての一条さんの顔です。理論と実践とは、相互に補完し合う関係ですので、二つ合わせて読まれることをお薦めします」と言って下さいました。わたしはこのレビューに感動しました。多謝!



矢作先生もご指摘のように、『唯葬論』は、わたしのこれまでの思索や活動の集大成となる本だと思っています。
わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。
つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。



葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。そして、死者を弔う行為は「人の道」そのものなのです。



終戦70年の今年、『唯葬論』を上梓することができて、また多くの方々に読んでいただくことができて、本当に良かったです。ただただ神仏と関係者のみなさまに対して感謝するばかりです。そして、わたしが祈りを捧げ続けた故人の御霊もサポートしてくれたように思えてなりません。


唯葬論

唯葬論

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年8月21日 一条真也