上杉家御廟所

一条真也です。
ブログ「全互連総会」に書いたように、16日、山形県の米沢に来ました。
翌17日の朝からはオプションの米沢&山形観光に同行しました。
8時45分にホテルを出発して、まずは「上杉家御廟所」を訪れました。ここは、戦国最強の武将として名高き上杉謙信を藩祖とする米沢藩の上杉家歴代藩主の御廟所であり、国指定史跡となっています。


上杉家御廟所の前で

「毘」の軍旗の下で



米沢観光物産協会 公式HPは説明しています。
「慶長6年(1601)上杉景勝公の移封に伴い、謙信公尊骸は会津若松城から米沢城本丸に遷され、祠堂を造営して奉安された。この城外避難所として吹屋敷の当地を定められた。元和9年(1623)3月20日、上杉景勝公逝去の折、当地を廟所とし、御廟将をおいて警護された。以後、12代斉定公まで歴代藩主がこの地に埋葬されている。明治新政府は「破城令」を発し、明治6年、米沢城は解体され、同9年城内祠堂の謙信公尊骸は、当廟所中央に移葬された」


上杉家御廟所の説明版

観光ボランティアの方の説明を聴く

観光ボランティアの方のジョークに笑う

たいへん勉強になりました

御廟所をお参りしました

一本杉を背に



また、米沢観光上杉家御廟所物産協会 公式HPは説明します。
「御廟所の祠堂配列は、中央正面に謙信公ひきゅうがあり、その向って左に2代景勝公、4代綱勝公、6代吉憲公、8代宗房公、10代治憲公、その斜め後方に顕孝公、12代斉定公の祠堂が並び、中央より向って右に、3代定勝公、5代綱憲公、7代宗憲公、9代重定公、11代治廣公の祠堂がある。祠堂は2代から8代まで入母屋造り(材質は5代まで欅で丸柱、6代から8代まで杉で角材)、9代から12代までは宝形造り(材質は杉または檜で角柱)となり質素な造りである。9代重定公祠堂は鷹山公の考案になる」


米沢藩歴代藩主の御霊屋

米沢藩歴代藩主の御霊屋

上杉鷹山公の墓所

名古屋冠婚葬祭互助会の土、田会長と

上杉家の人々を偲びました



遺体は、2代から8代まで火葬でしたが、9代重定公については、鷹山公が焼くに忍びずとし、土葬にされ、以後これにならっているそうです。境内には老杉が多く、戦時中供出されたとか。樹齢400年を越す老杉もあり、静寂を極めています。昭和59年1月、米沢藩主上杉家墓所として国の史跡に指定されました。米沢の人々は、この上杉家御廟所を「おたまや(御霊屋)」と呼んでいます。尊敬する鷹山公をはじめ、上杉家の人々を偲びました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年6月17日 一条真也