和の国の和婚

一条真也です。
27日、高円宮家の次女である典子さまと、出雲大社神職である千家国麿さんとの婚約が内定しました。心よりお祝いを申し上げます。午前中、典子さまが母親の久子さまと皇居を訪れ、天皇皇后両陛下に千家さんとの婚約が決まったことを報告されました。両陛下からは、「このたびは婚約おめでとう」とお祝いの言葉がかけられたそうです。


婚約を報道する新聞各紙



続いて、宮内庁の西ヶ廣宮務主管が記者会見し、婚約の内定を発表しました。午後3時からは、典子さまと千家さんが宮内庁の第一会議室で揃って記者会見に臨まれ、喜びの気持ちを語られました。



高円宮家典子さまのお相手となる千家国麿さんのプロフィールを知って、わたしは驚きました。千家は代々、出雲大社の神事を司る「出雲国造」という役職を務めてきた家柄です。「古事記」「日本書紀」にある高天原から大国主神の下に遣わされた神「天穂日命(あめのほひのみこと)」を祖とします。その天穂日命は、天照大神の次男です。天照大神天皇家を初めとする皇室の先祖としても知られています。つまり、典子さまと千家さんは、はるか昔の先祖を同じくするカップルなのです。そして、ここが重なのですが、天皇家出雲国造家もともに万世一系の家系とされています。


天皇家出雲国造家の系譜図



出雲国造は、もともと古代出雲の豪族です。
コトバンク「出雲国造」には、以下のような説明があります。
「出雲東部の意宇(おう)平野を本拠として台頭し、5世紀末から6世紀前半には出雲全域にわたる地域国家を形成し,その王として君臨した。しかし6世紀後半から,まず出雲西部に,ついで意宇平野の東にもヤマト朝廷の制圧が及んでくると、服属して出雲国造とされた。服属のようすは、《出雲国造神賀詞(かむよごと)》にみられるように,出雲国内186社の神々の総意を代表するかたちをとり,大穴持命(おおなもちのみこと)の和魂(にぎたま)を三輪山葛城山・飛鳥おのおのの神奈備と雲梯(うなて)神社の地に〈皇孫命(すめみまのみこと)の近き守り神〉として鎮座させ、祝いの神宝の品々を献上するというかたちをとっていた」



その後、出雲国造家は南北朝時代に千家・北島両家に分家しました。
それ以降は月交代で杵築(出雲)大社の祭祀を執りました。しかし明治時代になって、当時の政府が第80代出雲国造の千家尊癖氏を出雲大社宮司に任命してからは、千家国造家が宮司を務めています。現在の千家尊祐宮司は第84代出雲国造となります。


毎日新聞」5月27日夕刊より



出雲大社に皇族をお迎えすることについての気持ちを問われて、千家さんは「大変畏れ多く光栄に思っています。私どもの家の初代が、皇祖・天照大神の次男と伝えられています。2000年を超える時を経て、今こうしてきょうという日を迎えたということに深いご縁を感じています」と答えています。
「2000年を超える時を経て・・・」という表現がドラマティックであり、かつロマンティックですね。



「ロマンティック」といえば、出雲大社は「縁結びの神様」として知られます。
お二人の婚礼は、今秋に出雲大社で行われるそうですが、まさに「和婚」という言葉にぴったりの儀式となることでしょう。
「和婚」の和は「和風」の和であると同時に「平和」の和です。
ブログ「和の心で」にも書きましたが、「和」は、日本文化を理解する上でのキーワードです。陽明学者の安岡正篤によれば、日本の歴史を見ると、日本には断層がないことがわかるといいます。文化的にも非常に渾然として融和しているのです。



征服・被征服の関係においてもそうです。諸外国の歴史を見ると、征服者と被征服者との間には越えることのできない壁、断層がいまだにあります。しかし日本には、文化と文化の断層というものがありません。早い話が、天孫民族と出雲民族とを見てみると、もう非常に早くから融和してしまっているというのです。今は亡き安岡正篤も、今回の天皇家婚約と出雲国造家の婚約を知れば大いに納得したことでしょう。



さらに、ブログ「最高の平和」に書いたように、わたしは「結婚は最高の平和である」という信条を持っています。そして、いつもこの言葉を結婚する若い二人に贈っています。実際、結婚ほど平和な出来事はありません。人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、それぞれ仲間を集めて抗争となり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩んでいくことを誓い合う結婚とは究極の平和であると言えないでしょうか。結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。そして、結婚という「最高の平和」を司るにふさわしい宗教といえば、なんといっても神道でしょう。



ブログ「和婚広告」にも書きましたが、神前結婚式には知られざる秘密があります。神前式に対して「古くさい」「窮屈だ」「ダサい」といったようなネガティブ・イメージを抱く若い人も多いようです。でも、そんな人たちにも神前式の意外な一面を知っていただき、神前式を見直してほしいと、わたしは心から思います。わたしは、神前式の伝統性を重視し、日本で昔から行われてきた儀式だから見直せと言っているのではありません。第一、今の神前式のスタイルは決して伝統的ではなく、その起こりは意外に新しいのです。それどころか、キリスト教式、仏式、人前式などの結婚式のスタイルの中で一番歴史の新しいのが神前式なのです。



もちろん古くから、日本人は神道の結婚式を行ってきました。でも、それは家を守る神の前で、新郎と新婦がともに生きることを誓い、その後で神々を家に迎えて家族、親戚や近隣の住民と一緒にごちそうを食べて2人を祝福するものだったのです。神前式の歴史はたかだか100年ちょっとにすぎず、それもキリスト教式の導入がきっかけという、いわば外圧によって生まれたものであり、伝統などとはまったく無縁なのです。
神前式の秘密は、そんなところにあるのではありません。



以前、わが社の結婚式場で挙式されたカップルの追跡調査を行ったことがあります。わが社では、神前式をはじめ教会式、人前式とあらゆるスタイルの結婚式を提供していますが、調査の結果、興味深いデータが出ました。
なぜか神前式をあげたカップルの離婚率が、その他のスタイルに比べて、とても低いのです。「神前式だと離婚しにくいのか」という疑問を抱いた私は、他の結婚式場やホテルの経営者にもたずねてみましたが、答えは同じでした。やはり、どこでも神前式を行ったカップルの離婚率は低いのです。



なぜ神前式のカップルは離婚しにくいのでしょうか。
いろいろ理由はあると思いますが、何よりも神道という宗教の本質と結婚という行為の相性が良いのです。もともと結婚は、男性と女性が結びついて新しい生命をつくり出す、「産霊」の行為を意味します。これは神道が最上のものとするコンセプトですが、わが社の「サンレー」という社名も、この「産霊」に由来しています。



ユダヤ教キリスト教イスラム教はその源を1つとしながらも異なる形で発展しましたが、いずれも他の宗教を認めない一神教です。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。自分だけを絶対視しない。
自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容である。他者に対する畏敬の念を持っている。神道のこういった平和的側面は、そのまま結婚生活に必要なものではないでしょうか。


結魂論―なぜ人は結婚するのか

結魂論―なぜ人は結婚するのか

結婚という人間界最高の平和と、神道という平和宗教は基本的に相性が良いのです。そして、結婚とは「結魂」です。神前式は、荒魂、奇魂、幸魂、和魂が1つに結び合わされる結魂が成し遂げられる場であり、そこで新郎の魂と新婦の魂も固く結ばれます。一度、結魂を果たした魂同士は簡単には離れにくい。神前式に何となくネガティブ・イメージを持っていた結婚予定者で、もし離婚を絶対にしたくない方がいれば、ぜひ神前式を見直してみて下さい。さらに知りたい方は、拙著『結魂論』(成甲書房)をお読み下さい。



じつは、来る6月21日(土)に松柏園ホテルにおいて、完全なる「和婚」が行われます。新郎は九州を代表する名門神社のご長男で、仲人は日本で最も有名な神社の1つの宮司さんです。参列者も神社関係者が集結しますが、その披露宴で不肖わたしが祝辞を述べることになっているのです。今から緊張していますが(苦笑)、そのときもわたしは「結婚は最高の平和である」ということを言うつもりです。
最後にもう一度、高円宮典子さま、千家国麿さんのご婚約を心よりお祝い申し上げたいと思います。まことに、おめでとうございました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年5月28日 一条真也