中尾ミエさんにお会いしました!

一条真也です。
22日、ブログ「サンクスフェスタ八幡」で紹介したイベントが サンレーグランドホールで開催。メインイベントとして、 歌手の中尾ミエさんの講演会「人生もっともっと楽しまなくちゃ」が行われました。大盛況でした!

中尾ミエさんと


「はじめまして」のご挨拶

 

中尾ミエさんとは サンレーグランドホールの貴賓室でお会いし、御挨拶させていただきました。一言でいうと、とても大物感のある方でした。中尾さんは北九州市小倉のご出身。福岡教育大学附属小倉小学校に通っておられましたが、1958年に一家で上京、以降は千葉県市川市で育ちました。市川市立真間小学校に転校し、精華学園中学校時代に東宝の募集に行きますが、背が小さいからダメと渡辺プロダクションを紹介されました。しかし、すぐには契約してもらえませんでした。毎日通って粘り、平岡精二のバンドに預けられ、代々木のキャンプなどで歌われたとか。当時はスタンダード・ナンバーを歌っていたそうです。



1961年に渡辺プロと契約。園まり・伊東ゆかりらとスパーク3人娘を結成。ザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の「シャボン玉ホリデー」などに出演し一時代を築きました。確かな歌唱力で人気を博し、アメリカンポップス系を得意としました。昭和37年、16歳にしてリリースしたデビュー曲「可愛いベイビー」が大ヒットし、一躍スターの座に。両親のために家を建ててあげたいと夢を持って芸能界へ入りましたが、20歳の若さで都内に一軒家を購入し両親へプレゼントしました。その後自宅ローンも完済し、25歳になると再度ローンを組んで両親の家の隣に自身の自宅を建て、現在もその家を建て替えずに何度も内外装リフォームしながら生活されているそうです。60歳からは自宅の隣に自己所有のアパートを建てて経営する大家さんでもあります。


面談のようす


面談のようす

 

デビュー当時から気の強さと歯に衣着せぬ物言いが好評で、本業以外にも「ミエと良子のおしゃべり泥棒」などのトーク番組の司会を数多く務め、美川憲一さんに「和田アキ子と口喧嘩すれば中尾が勝つ」と言わしめるほど。「新春かくし芸大会」では和田さんと毒舌漫才を演じ、前川清さんがどつかれ専門で出演するという演目を演じたこともあります。和田さんのことは「5時に夢中!」内などで「何でみんな和田アキ子を怖がるの?(笑)」と語っていますが、和田さんもデビュー当時、ある先輩から酷いいじめにあっており「先輩のミエちゃんにはかばってもらったり助けてもらった」と度々語っているように、中尾さんに対して今でも頭が上がらないといいます。


終始、笑顔の面談でした


これからも、よろしくお願いいたします!

 

中尾さんは、70代の現在も女優として映画やドラマに多数出演している一方で、各種トーク番組へのゲスト出演も多く、歌番組・バラエティ・トーク・ドラマと幅広く活躍されています。じつは、昭和38年生まれのわたしが母のお腹の中にいるとき、ちょうど「可愛いベイビー」が大ヒット中でした。中尾さんの小学校の先輩に当たる母はいつも「可愛いベイビー」を口ずさんでいたそうで、わたしも何となく無意識で記憶しているように思います。そのことを中尾さんにお話すると、「へえ、不思議ですね」と言われていました。なお、中尾ミエさんの講演会は7月20日(土)に 小倉紫雲閣で開催の「サンクスフェスタ小倉」でも行われます。小倉の方はぜひお越し下さいませ!

 

2024年6月22日  一条真也