首相公邸の幽霊について

一条真也です。
旧暦卯月十五日の昨日、東京から北九州へ戻ってきました。
この週末は、『命には続きがある』(PHP)、『死が怖くなくなる読書』(現代書林)のゲラ・チェックをダブルでやらなくてはなりません。
調べ物もあって、ネットのニュースなどを見ていたら、「首相公邸に幽霊が出るとのうわさ 政府答弁書『承知していない』」という記事を発見しました。



幽霊はわたしの大好物(笑)ですので、これは看過できません。フジテレビ系(FNN)5月25日(土)12時11分配信の記事には次のように書かれていました。
「首相が任期中に住むための首相公邸。安倍首相は、第2次安倍内閣発足後5カ月ほどが経過した今でも入居していないが、24日、この公邸をめぐって、長い間ささやかれていた幽霊のうわさについて、政府が閣議決定をした。
静寂に包まれる夜の首相公邸。ここには身の毛もよだつうわさがある。
午後4時半、菅官房長官は『(気配を感じたことは?)言われればそうかなと思いました』と述べた。『首相公邸に幽霊が出る』とのうわさについて政府は、『承知していない』とする答弁書閣議決定した。菅官房長官は『いろんなうわさがあるということは事実でありますし、この間、閣僚があそこで懇談会を開いた時も、そういう話題も出たということも事実でありますけれども』と述べた。
記者の質問に、苦笑いで答える菅官房長官。実は安倍首相が、就任からおよそ5カ月がすぎても、公邸に引っ越ししていないことをふまえ、民主党の議員が、『幽霊のうわさは事実か』と質問をしていた。
2006年、小泉 純一郎元首相は『幽霊に出会ったことないね。一度会いたいと思ったんだけど』と述べていた。
首相官邸だった現在の公邸。かつては青年将校によるクーデター『二・二六事件』の舞台となり、今もその時のものといわれる弾痕が残されている。
また、この土地はもともと怪談『化け猫騒動』で知られる、佐賀鍋島藩江戸屋敷があった所で、いわば、『いわくつきの土地』と言われていた。
羽田元首相の綏子夫人も、以前、住んでいた時の体験を著書で、『悪寒が走ったと申しましょうか、何か胸を圧せられるような、異様な雰囲気を感じました』と語っている。その後、綏子夫人は、知り合いの女性におはらいを依頼。
女性は『霊がうようよいる』と話したという。真偽不明のうわさ。安倍首相の今後の入居については、諸般の状況を勘案しつつ判断されるという」
(「首相公邸に幽霊が出るとのうわさ 政府答弁書『承知していない』」より)



ニュースの動画もアップされていますが、首相公邸の上空に旧暦卯月十五日の満月が上って、なんともいえぬ幻想的な雰囲気でした。思えば、幽霊に関する政府答弁書を満月の日に発表するというのも意味深ですね。
この問題は、「二・二六事件の兵士たち!?首相公邸に出現する謎の幽霊」というNAVERまとめ記事、「公邸めぐる2つの謎『軍服の幽霊』ともう一つは?」というPRESIDENT Onlineの記事を読むと、よく事情がわかります。



しかしながら、幽霊の問題について真剣に民主党議員が質問意見書を提出し、国会の場で答弁がなされ、それを受けた官房長官が「(幽霊の気配を感じたことは)と言われればそうかなと思った。」と記者会見で述べたわけです。
「日本は大丈夫か?」とか「平和ボケにも程がある」と言われても仕方ないかもしれませんね。個人的には非常に面白いですけど・・・・・。(笑)



まあ、本当に首相公邸に幽霊が出るとしても、こういったスピリチュアルな問題は表沙汰にせず、秘密裡に処理するのが常識だと思いますけどね。
だいたい、放射能とか外国人とかに関する事実をいろいろと隠しておきながら、こんな問題だけ国民にオープンにしてどうするよ、民主党
なお、幽霊問題について質問した民主党加賀谷健参院議員については、「『公邸に幽霊』説を政府が否定、質問主意書を提出した加賀谷健参院議員とは?」というニュース速報まとめ記事が詳しいです。



じつは、東京大学大学院教授で東大病院部長の矢作直樹氏とわたしの対談本である『命には続きがある』には幽霊の話題もたくさん出てきます。わたしたちは、自縛霊や浮遊霊に対する対処法も知っています。(微笑)
わたしの考え方については、ブログ「供養とは何か」をお読み下さい。
もし安倍首相が本当にお困りなら、矢作先生とわたしが「ゴーストバスターズ」として首相公邸に参上するのも面白いかもしれませんね。



幽霊といえば、東日本大震災以来、被災地では幽霊の目撃談が相次いでいるそうです。たとえば、津波で多くの犠牲者を出した場所でタクシーの運転手が幽霊を乗車させたとか、深夜に三陸の海の上を無数の人間が歩いていたとかの噂が、津波の後に激増したというのです。
わたしは、被災地で霊的な現象が起きているというよりも、人間とは「幽霊を見るサル」なのではないかと思いました。故人への思い、無念さが「幽霊」を作り出しているのではないでしょうか。そして、幽霊の噂というのも一種のグリーフケアなのでしょう。夢枕・心霊写真・降霊会といったものも、それにつながります。恐山のイタコや沖縄のユタも、まさにグリーフケア文化そのものです。そして、「怪談」こそは古代から存在するグリーフケアの文化装置であると思います。



怪談とは、物語に力で死者の霊を慰め、魂を鎮め、死別の悲しみを癒すこと。ならば、葬儀もまったく同じ機能を持っていることに気づきます。葬儀で、そして怪談で、人類は物語によって「こころ」を守ってきたのかもしれません。
わたしは、「幽霊は実在するのか、しないのか」といった二元論的な議論よりも、「なぜ、人間は幽霊を見るのか」とか「幽霊とは何か」といったテーマに関心があります。あまり「幽霊に関心がある」などと言うと、冠婚葬祭会社の社長としてイメージ的に良くないのではと思った時期もありましたが(苦笑)、最近では「慰霊」「鎮魂」あるいは「グリーフケア」というコンセプトを前にして、怪談も幽霊も、さらには葬儀も、すべては生者と死者とのコミュニケーションの問題としてトータルに考えることができると思っています。



そのようなことを、昨年7月11日に京都大学こころの未来研究センターが開催した第3回「こころの再生に向けて」シンポジウムで発言したところ、かなりの反響がありました。わたしは「東日本大震災グリーフケアについて」というテーマで発表したのですが、詳しい内容はブログ「こころの再生シンポジウム」をお読み下さい。その「こころの再生に向けて」シンポジウムが今年も7月9日に開催されます。場所は、前回と同じ京都大学稲盛財団記念館です。
今回は、「震災と語り」がテーマとなっています。「震災後の幽霊の語りと民俗」なども取り上げられるそうで、非常に楽しみですね。


第4回「こころの再生に向けて」シンポジウムのチラシ


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年5月26日 一条真也