「第10客室の女」

一条真也です。
7日の日曜日、NETFLIXオリジナルのアメリカ映画「第10客室の女」を観ました。クラシカルなタイトルはわたしの好みですが、内容もわたしが多大な関心を抱いている「実存的不安」を描いたミステリーでした。

 

映画.comの「解説」には、こう書かれています。
「イギリスの作家ルース・ウェアの同名ミステリー小説を、キーラ・ナイトレイ主演で映画化したサスペンススリラー。大富豪リチャードをガイ・ピアースが演じ、『名もなき塀の中の王』のデビッド・アヤラ、『彼女たちの革命前夜』のググ・バサ=ロー、『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』のカヤ・スコデラーリオ、『フレンチアルプスで起きたこと』のリーサ・ローベン・コングスリが共演。『時の面影』のサイモン・ストーン監督がメガホンをとった。Netflixで2025年10月10日から配

映画.comの「あらすじ」は、以下の通りです。
「トラウマを抱えるジャーナリストのローラは取材のため、大富豪リチャードがチャリティとして企画した豪華ヨットの旅に参加する。真夜中に目を覚ましたローラは、隣の第10客室の女性が海へ投げ出されるところを目撃する。ローラの通報により船内は騒然とするが、乗務員によると第10客室には誰も滞在していないという。乗客も全員そろっていることから、転落はローラの見間違いだと判断され、捜索は打ち切られてしまう。誰にも信じてもらえないなか、自身の命を危険にさらしながらも真実を追い求めるローラだったが・・・・・・」


主人公のローラを演じたのは、キーラ・ナイトレイ。わたしの好きな女優の1人です。スクリーンで彼女を初めて見たのは、ジョニー・デップと共演したパイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」ラブ・アクチュアリーで、ともに2003年の作品です。「すごく綺麗な子だなあ!」と思いましたが、あのとき、彼女は17歳だったのですね。ハリウッドスター屈指の美貌はデビュー時から米ピープル誌などから注目され、「絶世の美女」とも呼ばれました。その彼女も、現在40歳。イギリスのロックバンドクラクソンズのジェイムズ・ライトンと結婚し、娘も授かりました。映画「第10号客室の女」では、大人の女性になったキーラ・ナイトレイの魅力が満載です。特に銀のスパンコールのドレス姿は美しかったです。


「第10号客室」では、キーラ・ナイトレイが演じるローラが見た女性について、誰もが見間違いだとして存在を否定します。観客はローラとともにその女性を見ているので不安に襲われます。いるはずの人間がいないことにされるのは「実存的不安」に通じるのです。わたしは、ブログ「バニー・レークは行方不明」で紹介した1965年のアメリカ映画を思い出しました。ロンドンに越してきた女性の娘が行方不明になりました。彼女は兄とともに娘を探しますが、まったく手がかりが掴めません。捜査に乗り出した警部は、消えた娘というのは、彼女の妄想ではないかと疑い出します。倒錯した愛が生み出すサスペンス・スリラーの名作です。

 

映画「バニー・レークは行方不明」の原作は女性作家イヴリン・パイパーによるパルプ小説なのですが、「パリ万博事件」という実際の事件をモチーフとしています。「パリ万博事件」とは、次のような事件でした。1889年、イギリス人の母娘がパリ万国博覧会を見物に来て、市内のホテルに宿泊しました。2人部屋を希望したのですが、あいにく満室だったため、母娘はそれぞれ1人部屋に泊まりました。翌朝、娘が母の部屋をのぞくと、そこには母の荷物はなく、人が泊まった形跡すらありませんでした。母親は忽然と姿を消したのです。娘は「母がいないわ!」と叫び、大騒ぎになります。しかし、集まったホテルの従業員たちは、娘に向かって「お客様、あなたは1人でいらっしゃったんですよ」と告げるのです。このエピソードは実話とされており、アメリカでは有名だとか。ただ、新聞記事などの証拠が確認できないため、いわゆる「都市伝説」の1つと思われているとのこと。

 

そして、このパリ万博事件からは数え切れない小説、映画、TVドラマが生まれました。最も有名なのは、アルフレッド・ヒッチコック監督のバルカン超特急(1938年)です。シドニー・ギリアットとフランク・ロンダーが脚本を書き、エセル・リナ・ホワイトの 1936 年の小説『車輪は回転する』に基づいています。列車という密室を舞台に、主人公の男女が孤立無援に陥る心理サスペンスです。ロンドン行きの列車に乗り込んだ若い女性アイリス・ヘンダーソン(マーガレット・ロックウッド)は、ミス・フロイ(メイ・ウィッティ)という老女と知り合います。しかしアイリスが居眠りしている間に同室の貴婦人が消えます。目をさまして動揺するヒロインに対して、乗務員や乗客たちは「そんな貴婦人など最初から見なかった」と言うのです。魔術師や尼層、脳外科医など疑わしい連中ばかりの四面楚歌の状況下、1人の青年と共に彼女の捜索を始めるのでした。同作は、イギリス時代を代表するヒッチコックの傑作です。


また21世紀の作品では、ジョディ・フォスター主演のアメリカ映画フライトプラン(2005年)が思い浮かびます。事故死した夫の亡骸を乗せた飛行機に、娘のジュリアとともに乗り込んだカイル(ジョディ・フォスター)。その機内で、突如として娘の姿が見えなくなります。必死で探すカイルですが、誰1人として娘の行方を知る者はいませんでした。高度1万メートルの密室で繰り広げられる、恐怖のサスペンス・アクション。あまりに臨場感のあるリアルな設定に、客室乗務員協会(AFA)が映画のボイコットを呼びかけたほどでした。ジョディ・フォスターの鬼気迫る演技は必見ですが、同作では「パリ万博事件」と母娘の役割が逆転しています。「バルカン超特急」「バニー・レークは行方不明」「フライトプラン」といった一連の人間消失映画について、映画評論家の町山智浩氏は、著書『トラウマ映画館』集英社文庫)で「主人公たちは周囲から異常者扱いされ、そのためにかえって取り乱し、孤立し、自分でも自分が狂っているのかもしれないと思うほどに追い詰められていく。このカフカ的不条理ゆえに『消えた旅行者』の物語は人々を魅了してきた」と述べています。

葬式は必要!』(双葉新書


1人の人間が本当に存在しているのか、最初から存在していなかったのか、それがわからなくなるという恐怖は半端ではありません。町山氏は、「バニー・レークは行方不明」に代表される「消えた旅行者」を扱った映画は、単なるサスペンスを超え、観る者に実存的不安を与えると述べています。わたしは「実存的不安」という言葉に触れて、わたしが講演などでよく言及する「孤独葬」のことを連想しました。孤独葬とは、誰も参列者のいない葬儀のことです。わたしは、いろんな葬儀に立ち会いますが、中には参列者が1人もいないという孤独な葬儀が存在するのです。そんな葬儀を見ると、わたしは本当に故人が気の毒で仕方がありません。亡くなられた方には家族もいたでしょうし、友人や仕事仲間もいたことでしょう。なのに、どうしてこの人は1人で旅立たなければならないのかと思うのです。もちろん死ぬとき、誰だって1人で死んでゆきます。でも、誰にも見送られずに1人で旅立つのは、あまりにも寂しいではありませんか。故人のことを誰も記憶しなかったとしたら、その人は最初からこの世に存在しなかったのと同じでしょう。わたしは、葬儀が「人間の尊厳」に直結していることを葬式は必要!双葉新書)で訴えましたが、大きな反響がありました。

永遠葬』(現代書林)


その後、永遠葬(現代書林)において、孤独葬が「人間の尊厳」はもちろん、「実存的不安」にまでつながっていることを述べました。孤独葬は、「実存的不安」の問題そのものです。つまり、その人の葬儀に誰も来ないということは、その人が最初から存在しなかったことになるという不安です。「無の恐怖」と言い換えてもいいでしょう。葬儀を行わないで遺体を火葬場で焼き、遺灰もすべて捨ててしまう「0葬」は、1人の人間がこの世に生きた証拠をすべて消し去ってしまう行為です。まさに「0の恐怖」とは「無の恐怖」のことなのです。逆に、葬儀に多くの人々が参列してくれるということは、亡くなった人が「確かに、この世に存在しましたよ」と確認する場となるのです。隣人という「となりびと」は「おくりびと」でもあります。というわけで、わが社は、孤独な高齢者の方々を中心に1人でも多くの「となりびと」を紹介する「隣人祭り」を開催し続けています。


*よろしければ、佐久間庸和ブログもお読み下さい!


2025年12月1日  一条真也