黒崎紫雲閣竣工式 

一条真也です。
29日の夜、延岡から小倉に戻りましたが、ブログ「災難に遭いました」で紹介したJR九州の列車トラブルのおかげで疲れました。寒空の下にいたせいで風邪気味です。

寒いので、黒のボルサリーノを被りました


今日は黒崎紫雲閣の竣工日!

 

翌30日の11時から、わが社の新施設である黒崎紫雲閣竣工清祓御祭神事が行われました。この日は気温3度と寒かったので、わたしはおニューの黒のボルサリーノの帽子を被って迎えの車に乗りました。そういえば最近、作家の町田そのこ氏とシネマ・トークショーを行ったのですが、そのとき観た映画ローマの休日に登場するイタリアの秘密警察たちが黒のボルサリーノを被っていました。また、白のルイ・ヴィトンのマフラーをコートの上に掛けました。このマフラーはとても大きくて暖かいのですが、白い毛がスーツに付着するのが困りますね。

完成した黒崎紫雲閣

黒崎紫雲閣の前で

 自宅のような控室


高級マンションのようです

休憩室のようす

清潔感溢れるバスルーム


トイレには市松模様のタイルが・・・

 

昭和61(1986)年、当時冠婚施設であった黒崎平安閣を改装し「黒崎紫雲閣」として竣工されました。以前の建物は葬祭の施設として営業開始から約38年経過していましたが、建物自体は昭和49(1974)年に建てられた鉄筋コンクリート3階建で約50年経過したものでした。令和6(2024)年に建替え工事が始まり、令和7(2025)年1月30日 竣工となり、住所地は北九州市八幡西区幸神(さいのかみ)1-10-25となります。土地面積1620.37㎡(490.16坪)、床面積515㎡(135坪)、式場1ホール、控室、会食室兼カフェスペース、ご安置室、宗教者控室などを備えています。まるで自宅のリビングルームのような、ゆったりいとした最新控室を完備しています。大切な人との最後の時間を心安らかに過ごせるよう、経験豊富なスタッフが真心込めてお手伝いいたします。


ロビーに並んだ胡蝶蘭


ブックレット・コーナー

本日の式次第

本日の神饌

身を清めて、さあ儀式の場へ!

竣工清祓御祭神事のようす


竣工清祓御祭神事のようす


竣工清祓御祭神事の進行は、サンレー総務部長の石田取締役が担当。竣工神事は地元を代表する神社「岡田宮」の波多野直之宮司にお願いしました。 開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。

清祓之儀のようす


宮司から玉串を拝受しました


玉串奉奠で柏手を打ちました


山下常務と柏手を打つサンレー

 

それから、玉串奉奠です。祭主に続いて、最初に株式会社サンレー社長であるわたしが玉串を奉奠しました。それから、大有設計の小野晶紀社長、佐藤技建の佐藤寿洋社長、サンレー北九州本部長の山下格常務が次々に玉串を奉奠しました。山下常務と一緒にサンレー勢も柏手を打ち、拝礼をしました。佐久間名誉会長や東専務がいないのは寂しいですが、これが新しいサンレーの姿です!


波多野宮司の祝辞を拝聴する

神酒拝戴のようす

 

その後、撤饌、昇神之儀と続き、岡田宮の波多野宮司の祝辞を拝聴しました。波多野宮司は、「本日は、まことにおめでとうございます。この会館の裏には長崎街道が通っております。小倉から長崎まで約8日間の行程ですが、この道を坂本龍馬西郷隆盛吉田松陰も通りました。この場所は旅人の安らぎの場所でした。新しい黒崎紫雲閣も安らぎの場所となることを願っております」と言われ、その後、宮司の発声で神酒拝戴の乾杯をしました。

感謝状贈呈式のようす

感謝状贈呈式のようす

それから、感謝状贈呈式を行いました。設計を担当して下さった大有設計の小野晶紀社長、施工を担当して下さった佐藤技建の佐藤寿洋社長に心からの感謝の気持ちと金一封を添えて、感謝状を贈呈させていただきました。

主催者挨拶をしました


それから、いよいよ主催者挨拶です。
わたしは、次のように挨拶しました。
本日、このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。関係者のみなさまに心より感謝いたします。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています。昨年9月20日に逝去した父である佐久間名誉会長がこの施設の完成を楽しみにしておりました。今頃、天寿国にいる父もきっと喜んでくれていると思います。

幸神について述べました

 

また、わたしは所在地である「幸神(さいのかみ)」について言及しました。神幸は、八幡西区の中部東側に位置し、帆柱山の山裾に立地する昭和30年代に高層アパート群ができ始めて急速に発展した地域でもあります。地名としては長崎街道沿いにある祠に祀られている「さいのかみ様」より取られた説があり、現在の曲里(まがり)の松並木の外れにある「さいのかみ様」は、旅人の安全祈願の守り神として祀られています。この神は、交通の神で、昔、旅人がここで一休みして、わらじを履き替えて旅の安全を祈ったことに由来しており、昔から村人や旅人から崇められ、現在でも沢山のわらじが奉納されています。「鞘の神」「塞の神」「幸の神」などとも呼ばれ、現在の地名は「幸神」となっています。


「交通の神」であり、「幸福守護の神」です!

 

「さいのかみ様」は別名を「塞の神(さえのかみ、さいのかみ)」と言い、村や部落の境に祀られる「境の神」の一種で、道祖神やたむけの神とも呼ばれます。塞(さえ)とは"ふさぐ"という意味です。「さいのかみ様」は、旅人の安全祈願の守り神として祀られていますが、悪霊や疫病などの悪いものが村に入り込まないように見張る役割を担っています。読んで字の如く「幸」の一字が使われている事から、幸福守護の神として、また疫病や災厄を防ぐ鞘の神(さやのかみ)としても知られています。


黒崎についても述べました

 

また、黒崎のある八幡西区は、八幡東区とともに概ね旧八幡市に相当する区となります。北九州市の西部に位置し、遠賀川を望みつつ、直方市中間市など2市3町3区と境を接しています。北九州市域の中でも比較的平坦な地形を有しており、最も人口の多い区となっています。江戸時代には福岡と小倉両藩の境界にあり、大阪方面への渡海船が発着する長崎街道の宿場町(黒崎宿や木屋瀬宿など)として栄え、黒崎宿には、藩主の御茶屋(本陣)や町茶屋(脇本陣)が設けられ、伝統ある街並みが今も残っています。

黒崎の旅人まもる幸神 生まれ変はりし紫の雲

 

このように黒崎は宿場町として栄え、幸神は旅の守り神でもありました。わたしは思うのですが、セレモニーホールというのも交通の要所ではないでしょうか。なぜなら、あの世に旅立つ駅であり、港であり、空港であるからです。この新しく生まれ変わった黒崎紫雲閣が、彼岸に旅立つ方々の良き駅であり、港であり、空港であることを願っています。さらに、この地域のコミュニティホールとして、みなさまの縁を確認し、絆の生まれる場になることを願ってやみません。そして、以下の道歌を詠みました。

 

黒崎の旅人まもる幸神
  生まれ変はりし紫の雲
         (庸軒)

 

石井支配人の決意表明を受けました

決意表明を受け取りました

石井支配人とともに

集合写真を撮影しました

 

その後、石井支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影。この日、インフルエンザ感染防止を配慮して直会は行われませんでした。その代わりに、 松柏園ホテル謹製のお弁当が参加者にふるまわれ、わたしも持ち帰りました。美味しかったです。

「朝日」「毎日」「読売」「西日本」1月30日朝刊 

愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)

 

なお、「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各紙に竣工広告が掲載されました。拙著愛する人を亡くした人へ (PHP文庫)を抽選で30名様にプレゼントいたします。現在、全国公開中の映画君の忘れ方の原案本です。みなさま、どうぞ、ふるってご応募下さい! 開業は、令和7年2月1日(土)です。オープニング見学会は、令和7年2月14日(金)~16日(日)の3日間


ライトアップされた夜の黒崎紫雲閣

 

2025年1月30日 一条真也