日本エンドオブライフケア学会発表

一条真也です。金沢に来ています。
13日は、金沢歌劇座で開催される「一般社団法人 日本エンドオブライフケア学会」の学術集会の日です。学者や医療関係者の方々とともに、わたしも発表いたします。


この日の金沢は晴天でした


朝食に金沢カレーを食べました

 

この日の朝、JR金沢駅前の定宿の一室で目を覚ましました。今日の金沢は晴れです。朝食に、金沢カレーのミニを食べました。金沢カレーにはトンカツが入っていますので、「負けてもカツ、きっとカツ、必ずカツ・・・」とつぶやきながら、食べました。何に対して勝つのかは不明ですが・・・・・・。(笑)


昼は「秋の天盛二段そば」を注文


いただきます!

11時50分、ホテルにサンレー北陸の郡事業部長と三輪部長が迎えに来てくれました。わたしたちはまず昼食に「本陣」という蕎麦店を訪れました。金沢の有名店ですが、「秋の天盛り二段そば」が美味しかったです。朝は金沢カレーを食べたし、もう腹ごしらえは十分です!

金沢歌劇座の前で


学術集会の看板の前で

 

学術集会の会場となる金沢歌劇座は、コンベンション都市金沢を代表する多目的ホールで、コンサート、演劇、オペラ公演などの文化芸術イベントだけでなく、さまざまな学術集会が頻繁に開催されている会場です。わたしは初めて訪れました。兼六園のすぐ近くで、「金沢21世紀美術館」のお隣に位置する施設で、立地は最高!

 

一般社団法人 日本エンドオブライフケア学会」は、終末期の生と死の問題は医療中心の医療モデルから、その人の住まう地域(コミュニティ)でどう生活するかを中心に据えた生活支援・家族支援を含む生活モデル(Care & Comfort)を重視し、医療と生活を統合するケア(Integrated Care)へと移行していく社会的背景を踏まえ、「すべての人に人権として質の高い(生命・生活・人生の価値を高める)エンドオブライフケアを実現すること」を目的とした学会です。


学術集会のプログラム集

 

今回の学会のメインテーマは「悲しみに寄りそうエンドオブライフケア-最期の日々を過ごす人と看取る人々とともに生きるために」です。公式HPのテーマ設定の趣旨には、「人生最期の日々を過ごす本人とそれに寄り添う近親者の悲しみと痛み、そして愛する人を喪った人々の在り方を考える。同時に、そうした実践を紹介する機会にしたい。研究機関と医療・福祉施設におけるエンドオブライフケア、グリーフケアについて最新の取り組みを紹介するだけでなく、旅立ちを考えるセミナー、死生学カフェなどの市民活動、男性介護者の会、子どものグリーフケアなど、当事者とその家族の活動を幅広く紹介する機会にしたい。また医療、心理、社会福祉、宗教、哲学、社会学などの学問分野やNPO地方自治体、葬儀社、医療機器メーカーなど、国内外でさまざまな立場でエンドオブライフケアとグリーフケアに関わる人々が意見交換する場を創りたい」と書かれています。


発表を開始しました


講師紹介を受けました

 

今回の学術集会での発表ですが、わたしは学術集会長の浅見洋先生からの依頼で参加しました。浅見先生は、西田幾多郎記念哲学館の館長で、東京大学名誉教授の島薗進先生とは旧知の仲です。島薗先生はわがグリーフケア研究の師匠です。その御縁で、浅見先生にウェルビーイング?』『コンパッション!(ともに、オリーブの木)を献本させていただいたところ、学術集会への出講を依頼された次第です。この学術集会で発表するのは学者や医療関係者ばかりで、わたしのような冠婚葬祭業者は初めてだそうです。わたしは、サンレーグループ代表、株式会社サンレー代表取締役社長として出講しました。


みなさん、こんにちは!

じつは、父を亡くしたばかりです

わたしの講演は14時30分からで、演題は「葬儀とグリーフケア~悲縁をつなぐ取り組み~」でした。冒頭、学術集会のルールで「今回の発表に関して利益相反はありません」という宣誓をしました。ブログ「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」で紹介した映画で裁判のシーンを見たばかりだったので、「なんだか裁判所の宣誓みたいだな」と思いました。また、わたしは「本日は『葬儀とグリーフケア』というテーマですが、じつは、9月20日に父を亡くしました。『死は不幸ではない』というのがわたしの信条であります。日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と言いますが、わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです」と言いました。


死は不幸な出来事ではない

 

その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福感を感じながら生きても、最後には不幸になるのか。亡くなった人は「負け組み」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのか。わたしは、そんな馬鹿な話はないと思いました。わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。


死別は不幸ではないが、やはり寂しい

 

それで、わたしは「死は不幸ではない」と考えてきたわけですが、実際に父親を失ってみると、やはり寂しいものですね。「親」というのは、その字のごとく自分にとって最も親しい存在です。そんな親を亡くした寂しさはけっして不幸ではありませんが、心の奥底に残るものです。25日に通夜、26日に葬儀を終えましたが、まだ11月1日の「お別れの会」が控えています。葬儀後も法要が7日ごとに行われていますが、「葬儀や法要は優れたグリーフケアの文化装置である」ということを痛感しています。また、四十九日を迎える前に、今日のこの発表の場を与えていただいたことに不思議な御縁を感じております。


能登半島地震について

 

わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれていきます。今年1月1日に発生した能登半島地震、あるいは9月の能登豪雨において、家を失い、財産を失い、家族や友人を失うという、いわば多重喪失者となった被災者の方々が多く見受けられました。そして数ある悲嘆のなかでも「愛する人の喪失」による悲嘆は計り知れず、グリーフケアとはこの大きな悲しみを少しでも小さくするためにあります。


グリーフケアの意義

 

かつての日本社会には、大切なものを失った悲しみを癒してくれる環境がありました。天涯孤独で身寄りのない人や、何らかの事情で親類から絶縁された人などが、豊かな人間関係に裏付けされた同じ地域に住む人同士の「地縁」によって支えられてきた背景があります。しかし、現代においては孤立・孤独者が1000万人の時代であることから、社会の無縁化がさらに進行していることが分かります。家族の絆は断ち切られ、「血縁」も「地縁」も希薄化が進み、日本社会は「無縁社会」と呼ばれるまでになってしまいました。直葬家族葬など葬儀の簡素化に拍車がかかり、人と人との絆や縁の再生とともに死別の悲嘆をケアする場や仕組みの再構築が喫緊の課題とされています。


「こころ」と「かたち」のメタファー


葬儀の5つの役割について

 

本来、葬儀という営みは人類にとって必要なものであり、故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えるものです。もし、葬儀を行わなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらく自死の連鎖が起きます。葬儀という営みをやめれば人が人でなくなります。葬儀という「かたち」には人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵であるのです。日本の仏式葬儀における一連の死者儀礼のプロセスが、遺族に「あきらめ」と「訣別」をもたらし、死別の悲嘆を癒すグリーフケアの文化装置となっているのです。


グリーフケア士の養成について


「月あかりの会」について

 

冠婚葬祭互助会を生業としているわたしは、多くの愛する人を亡くされた方の悲嘆を目にするたびに「悲嘆のなかにいるご遺族に何かしら心のケアをできないだろうか」と考え、グリーフケア・サポートのための会員組織であるご遺族の会「月あかりの会」を発足しました。そして、葬儀業界におけるグリーフケアの資格認定制度をプロジェクトメンバーの座長として立ち上げ、現在は全国に32名の上級グリーフケア士が誕生しております。今回の講演では、葬送儀礼がいかにグリーフケアの重要な役割を担っているかということをお伝えしながら、わが社が実践している「隣人まつり」や「月への送魂」といった「悲縁」を繋ぐ取り組みも紹介していきたいと思います。


月への送魂」について


ご清聴いただき誠にありがとうございました


盛大な拍手を受けました


退場しました

 

以上のような内容をお話し、15時20分にわたしの講演は終了しました。終わったとき、盛大な拍手を頂戴して感激しました。わが社とも縁の深い金沢で「葬儀」と「グリーフケア」についての講演ができて感無量です。明日は、能登半島珠洲市を訪れ、能登半島地震および能登豪雨の犠牲者の方々の鎮魂の儀式として珠洲にある「ラポルトすず」の中庭で「月への送魂」を行います。


学術集会のプログラム集の表4

 

2024年10月13日  一条真也