ウィル・スミス問題に思う

一条真也です。
まさに賛否真っ二つです。これだけ世界中の人々の意見が二分されることも珍しいのではないでしょうか。ブログ「第94回アカデミー賞」で紹介したように、脱毛症の妻をジョークのネタにされ、プレゼンテーターのクリス・ロックにビンタを食わせたウィル・スミスに対する評価です。これは、「暴力」や「ジェンダー」の問題を考える上で最高のシンキング・ポイントとなっています。


ブログの最後に、わたしは「確かに暴力はいけませんが、人前で妻を馬鹿にされて 笑う夫より断然こっちのほうがいいと思いました。主演男優賞を受賞したウィル・スミスが平手打ちしたことを涙を流して謝罪したことにも感動しました」と書きましたが、よく動画を見ると、最初、ウィルはクリスのジョークに対して笑っていますね。その後、隣にいる妻の表情が強張っているのを見て、立ち上がってクリスのもとに向かいました。

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ヤフーニュースより

 

なんと、ウィルは過去に脱毛症を患う男性をクリスと同じように笑いものにしていたことが明らかになりました。そのときの動画が発掘され、SNSに出回りアメリカマスコミを騒がせています。問題のシーンは1991年にウィルがテレビ番組「アルセニオ・ホール・ショー」に出演したときのものです。誰にでも自分のルールがあると話していたウィルは番組専属のバンドのベーシスト、ジョン・B・ウィリアムズを指差すと「例えば彼にもルールがある。毎日頭をワックス脱毛するんだ。それが彼のルールだ!」と言ったのです。ウィリアムズは笑いながら頷きました。

f:id:shins2m:20220331144158j:plainヤフーニュースより

 

容姿を揶揄された当人であるジェイダ・ピンケット・スミスは、アカデミー賞授賞式のわずか4日前に、『Storytime  with  Jada:Hair in  Hollywwod 』と題した動画をTikTokに投稿、脱毛症との闘いについて打ち明けていました。動画には、ジェイダ自ら「Crown  Act! あなたの頭髪に誇りを持って」とキャプション。Crown  Actとは、ヘアスタイルや髪質による差別を禁止する法律で、カリフォルニア州で始まり、今ではニューヨークやニュージャージーなど他の州にも広がっています。ジェイダは、「私の頭を見て何と思おうが構わない」とも投稿しています。さらには、ビンタ後にウィルが自分の座席に戻り、クリスがそれを笑いに変えようと「ウィル・スミスにボコボコにされました」とジョークを飛ばしたとき、会場の多くの人と同様に、ジェイダも体をゆすってその言葉に笑っている姿が動画に収められており、それが拡散しています。



ウィルは、ビンタの44分後にウィリアム姉妹の父親役で人生初のアカデミー主演男優賞を受賞。受賞スピーチの中では、受賞作の「ドリーム・プラン」で演じたテニスのウィリアムズ姉妹の父リチャードを引き合いに「リチャード・ウィリアムズは家族を守る人でした」と、自分とリチャードを重ねるかのようにコメント。さらに「クレイジーな父親のように振る舞った。愛情によってクレイジーな行動に出るもの」とも語りました。しかし、一緒にされたくないと感じたのか、本物のウィリアムパパからは「暴力は駄目だよ」と豪速の牽制球が放たれました。

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ヤフーニュースより

 

じつは、クリスの発言の前にも、プレゼンテーターの1人のレジーナ・ホールが、ウィルとジェイダのオープンマリッジをネタにしていました。レジーナはハリウッドのセクシーな俳優たちの名前を挙げた後に、「ダメね、みんな結婚してるわ。あ、待って、ウィル・スミスがいるじゃない。彼だったら、結婚しているけどジェイダは許してくれるみたいだし、いいかも」と言ったのです。ジェイダは2020年に20歳年下のミュージシャン、オーガスト・アルシナと不倫の関係だったことを認め、その後の2021年にはウィルも、「結婚外で関係を持ったのは妻だけではなかった」と、自分も浮気していたことを仄めかす発言をしています。ウィルは、今までのキャリアがようやく実を結び、主演男優賞にノミネートされて誇らしい気持ちで授賞式に出席したのに、壇上から何度も自分と妻を馬鹿にする発言をされたわけです。これは面白くないですね。


ウィル・スミスがイライラしていたことは容易に想像できます。まして、クリスは2016年のアカデミー賞でも、受賞をボイコットしたウィル夫婦をネタにしていたのです。彼は、「ジェイダは怒って、自分は来ないと言ったんだ。ジェイダがオスカーをボイコットするのは、僕がリアーナのパンティーをボイコットするようなものだよ。僕は招待されていないんだ」と、ジェイダを小バカにするようなジョークを飛ばしました。さらにクリスは「ウィル(の演技)はすごいよかったのに、ノミネートされなかったのは不公平だ。ウィルが『ワイルド・ワイルド・ウェスト』(1999)でギャラを2000万ドル(24億円)支払われたことも不公平だ。今年のアカデミー賞では、少し違った展開になりそうだね」と、ウィルもネタにしました。

 

 

アカデミー賞は、2015年に続いて2016年も演技賞すべての候補者が白人でした。ノミネーション発表直後にジェイダはFacebookに動画を投稿、「有色人種の人々は、どれほどのパワーや影響力を培ってきたかに気づくときがきました。私たちはもう、どこに行くにも、招かれるようお願いする必要はないのでは?」と訴えました。この発言がきっかけとなって、多様性の観点から当時SNSで「Oscarssowhite(アカデミー賞は真っ白)」というハッシュタグが盛り上がりました。その後、アカデミー賞は過剰なまでに「多様性」を重視するようになったのですが、最近の「シラノ」「ウエスト・サイド・ストーリー」「白雪姫」の主役キャスティングには強い違和感をおぼえます。『論語』にあるように、何事も「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」で、これは多様性の尊重の仕方を間違えているのではないでしょうか。わたしには、多様性を逆に阻むような流れになっているように思えてなりません。



クリス・ロックですが、ボディ・ポジティブ・ムーブメントが盛んな今の時代に、人の見た目をいじるような笑いは無神経で時代遅れとしか言いようがありません。クリスは2016年の授賞式でもアジア系の子ども3人を登壇させて「熱心で働き者」などと差別的なジョークを口走るなど、過激な言動のコメディアンとして知られます。ニューヨーク州弁護士で信州大学特任教授の山口真由氏は「表現に暴力で応答するのは許されないが、ポリコレが行き過ぎて、平時、容姿になんてまさか言及できないアメリカで、その反動か、ジョークの領域だけは病気を含む残酷な表現が許され、普段言えないことを言うって構造そのものがグロテスク」と米国の歪んだ言論空間を嘆いていますが、わたしも同感です。ちなみに、映画評論家の町山智浩氏は、クリス・ロックについて「彼は危険なコントが特徴なので、本来はアカデミー賞に登場させるような人物ではない」と発言しています。これには納得ですね。

 

儀式論

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そもそも、どうしてアカデミー賞の授賞式でジョークを言う必要があるのでしょうか? 昔のアカデミー授賞式はもっと威厳に満ちていたといいます。かつて、わたしは20世紀の終わりの日に「私の20世紀」を振り返りましたが、その中の「20のイベント」では、第1回ノーベル賞授賞式(1901年)と第1回アカデミー賞授賞式(1929年)を挙げました。ともに人類が誇る偉大な祭典であると考えたのですが、ノーベル平和賞の壇上で他人を揶揄するような下品なジョークが放たれたなんて聞いたことがありません。アメリカに追随して1978年に誕生した「日本アカデミー賞」の授賞式も同様です。日本アカデミー賞の主催は日本アカデミー賞協会で、米国の映画芸術科学アカデミーより正式な許諾を得て発足しましたが、司会者やプレゼンテーターは決して下品なジョークなど吐きません。授賞式とは儀式です。儀式をジョークで貶める行為を、『儀式論』の著者として許すことができません。

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ヤフーニュースより

 

どうして、本家アメリカのアカデミー賞授賞式だけが毒舌芸人を使う必要があるのか。これは、テレビ視聴率アップを目的としたセレモニーのエンターテインメント・ショー化の側面を無視できません。この点では、オリンピックと同じように悪しき商業主義に流れているように思います。まあ、それでも歴代ワースト2位の視聴率だったそうですが。アカデミー賞を運営する団体「映画芸術科学アカデミー」は、28日にウィルを非難する声明を出しました。声明は「アカデミーは昨晩のウィル・スミス氏の行動を非難する。正式な調査を始めており、我々の規則や行動基準、カリフォルニア州法にのっとって、さらなる対応を検討する」としています。まあ公然と数億人の人々の前で暴力をふるったわけですから当然のことでしょう。このままだと、コメディアンはジョークを言うたびに激怒した当人から殴られても仕方ないということになりますからね。しかし、暴行を否定するだけでなく暴言も否定していただきたい。身体への暴力である「暴行」も、精神への暴力である「暴言」も、ともに絶対に認めてはいけません。


クリスは殴られた後、スミスが2001年の映画「ALI アリ」で伝説の世界ヘビー級王者ムハマド・アリさんを演じたことを引き合いに「アリに殴られたけどケガはない」と話し、警察に被害届を出すことも拒否したといいます。これは唯一の救いですが、だからと言って、ウィルの暴行が許されたわけではありません。彼は、本当は、ビンタをするのではなく、言葉でクリスに抗議すべきでした。あと、ビンタ後に「俺のカミさんの名前を二度と口にするんじゃねえ!」と放送禁止のFワードを交えて怒鳴ったのも良くなかったですね。アメリカの放送ではウィルの声がごっそり消されたので、みんな最初はジョークの延長かと思っていましたが、ニュースやSNSで日本などで流れたノーカット版を見て驚いた人が多かったようです。あれでは、ウィルが一時の怒りの感情に任せ、我を忘れた行動をしたと思われても仕方ありません。彼が壇上のクリスのもとへ行ったとき、「殴りたいほど怒っているが、暴力はふるわない。その代わり君の言葉が、どれだけ病気と苦しむ人たちを傷つけているか考えてみてほしい」 と言えば、おそらく歴史に残るヒーローになっていたでしょう。

 

 

わたしも怒りっぽい人間なので、いつも「怒ったときは、どうするか?」ということを考えるのですが、仏教では、怒りを完全に否定しています。ブッダは、「たとえば、恐ろしい泥棒たちが来て、何も悪いことをしていない自分を捕まえて、面白がってノコギリで切ろうとするとしよう。そのときでさえ、わずかでも怒ってはいけない。わずかでも怒ったら、あなた方はわが教えを実践する人間ではない。だから、仏弟子になりたければ、絶対に怒らないという覚悟を持って生きてほしい」と言ったそうです。なぜなら、怒りは人間にとって猛毒だからです。その猛毒をコントロールすることが心の平安の道であることをブッダは告げたかったのでしょう。ブッダは、「怒るのはいけない。怒りは毒である。殺される瞬間でさえ、もし怒ったら、心は穢れ、今まで得た徳はぜんぶ無効になってしまって、地獄に行くことになる」とさえ言っています。つまり、怒ったら、自分が損をするのです。


他にも、ウィルの父親がいつも母親に暴力をふるっていたトラウマのこ可能性とか、フェミニズムの視点から「揶揄されたジェイダ本人が抗議するなら理解できるが、夫であるウィルが相手を殴るというのは、自分の所有物である妻への侮辱は自分への侮辱であると考えたということであり、有害な男性性の発露である」点も指摘されています。まさに言論のカオス状態ですが、それだけこの問題がシンキング・ポイントとして優れているということでもあります。最後に、授賞式の会場で、ウィルに「気をつけろ。人生最高のときに悪魔はやってくる」と助言したデンゼル・ワシントンはさすがです。彼に「アカデミー助言男優賞」を与えたいと思うのは、わたしだけではありますまい。

 

2022年3月31日 一条真也