一条真也です。
8月6日は「広島原爆の日」。世界で初めての核兵器が使用されてから、76年目を迎えました。広島の原爆では、14万人もの方々が即死しました。その事実に改めて心が凍りつく思いです。現在、「平和の祭典」を謳う東京五輪が開催されています。広島市は五輪に出場している選手や大会関係者に、原爆が投下された8月6日に黙祷するよう求めましたが、国際オリンピック委員会(IOC)は黙祷を呼びかけない方針を伝えています。
2021年8月6日の各紙朝刊
広島原爆といえば、ブログ「この世界の片隅に」で紹介したアニメ映画を思い出します。テレビドラマ化もされましたが、わたしは2016年の11月にこのアニメ映画を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。日本人としての心の琴線に何かが触れたのかもしれません。
「この世界の片隅で」の舞台は広島と呉ですが、わたしの妻の実家が広島です。映画に登場する広島の人々の方言が亡くなった妻の父親の口調と同じで、わたしは義父のことをしみじみと思い出しました。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して泣くシーンがあるのですが、その悲しみの熱量の大きさに圧倒されました。
広島平和記念資料館の前で
ブログ「広島平和記念資料館」に書いたように、わたしは8年前の2013年8月15日に広島平和記念資料館を訪れました。多くの来場者の間を縫い、わたしは館内をくまなく見学しました。見学しながら、わたしは人類の「業」について考えました。人類はどこから来たのか。人類とは何なのか。人類はどこに行くのか。そんなことを考えました。アメリカが原爆を日本に投下した時点で、人類は1回終わったのではないのか。そんなことも考えました。館内には英語で話している白人もたくさんいました。彼らは、ここで何を感じたのでしょうか。出来るものなら、彼らの本音を聞いてみたかったです。
原爆ドームを訪れました
また、ブログ「原爆ドーム」に書いたように、8年前の猛暑の広島で放心状態になりながら、わたしは原爆ドームを眺めました。もちろん人類史を代表する愚行の象徴なのですが、このような建物が当時の状態のままで保存されていることは、本当に凄いと思います。なんだか神々しく思えてきました。もはや神殿の雰囲気さえ醸し出しています。
そう、ブログ「伊勢神宮」に書いた日本最高の神社にも似て、人間の愚かさとサムシング・グレートの実在というべきものを感じさせてくれるのです。戦後、どれほど多くの人々が原爆ドームを訪れ、写真を撮影し、スケッチをし、眺め、何かを考えたことでしょう。その想念の巨大さを思うだけで、眩暈してしまいます。
「この世界の片隅に」というアニメ映画の名作には、「死」と「死別」がリアルに描かれています。ちょうど4年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自ら自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。
そして、6日から「映画 太陽の子」が公開されます。 2020年8月15日にNHKで放映されたドラマ「太陽の子 GIFT OF FIRE」を異なる視点で描いた青春群像劇です。太平洋戦争末期に原爆の開発研究に加わった若き研究者と弟、彼らの思い人が抱く苦悩と青春を描き出しているそうです。亡くなった三浦春馬さんの遺作ということもあり、ぜひ近いうちに鑑賞したいと思っています。最後に、広島の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。
2021年8月6日 一条真也拝