死者への想いについて

一条真也です。
今日は、「広島原爆の日」です。
76年前に広島市原子爆弾が投下された午前8時15分、わたしは自宅で数珠を手に黙祷いたしました。


広島では平和記念式典が開かれました。式典は、去年に続き新型コロナ対策で参列者を制限。平和宣言で広島市の松井市長は、日本政府に対し核兵器禁止条約への批准や第1回締約国会議に参加することなどを求めました。これに対し、菅総理は各国の立場には隔たりがあるとした上で、「核軍縮を進めていくためには、さまざまな(立場の)国々の間を橋渡ししながら、現実的な取り組みを粘り強く進めていく必要がある」などと述べました。

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ヤフーニュースより

 

まことに残念だったのは、菅首相が式典の挨拶で予定していた「我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要」などの文言を読み飛ばしたことです。官房長官時代にも多くの挨拶文の読み飛ばしがあったと指摘されている菅首相ですが、今回は広島での平和式典という大舞台であり、痛恨のミスが広く発信されました。痛恨のミスといえば、つい最近もブログ「不敬といふ事」に書いたように天皇陛下東京五輪開会宣言の際に着席したままで起立しないという非常識行為がありました。天皇に対してにも、原爆犠牲者に対しても、この方には畏敬の念というものが決定的に欠落しています。それとも、菅首相はお疲れなのでしょうか。お疲れなら、連日の「金メダルおめでとう!」のツイッターから推察されるように毎晩遅くまでオリンピック観戦などは控えられて、早めの就寝をお勧めいたします。


平和式典後の会見で、菅総理は「先ほどの式典の挨拶の際に一部読み飛ばしてしまいまして、この場をお借りしましてお詫びを申し上げる次第でございます」などと陳謝しました。また、会見では新型コロナの感染者数の急増について“オリンピックは感染拡大につながっていない”との見方を示しました。菅首相は「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えておらずに、これまでのところオリンピックが感染拡大に繋がっているという考え方はしておりません」と強調した上で、全国への緊急事態宣言については「地方の事情、状況を判断する必要がある」と話し、改めて否定的な考えを示しています。

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ヤフーニュースより

 

世間には、脳科学者の茂木健一郎氏をはじめ、「東京の感染者増と五輪開催は無関係」などと主張する者もいますが、無関係なはずはありません。そもそも、今年の4月か5月に東京五輪の中止を決定してから緊急事態宣言を発出すれば、東京都民や日本国民も真剣に外出自粛したはずです。尾身会長も言うように「オリンピックをやるということが人々の意識に与えた影響はある」のです。あと、五輪開催によって数万人単位で海外から入国した人々の影響も、もちろん無視できません。選手村でのクラスター発生をはじめ、数百人の五輪関係者が感染していることは周知の事実です。そんな中、菅首相新型コロナウイルス感染者について、感染急増地域は自宅療養を基本とする方針を示しました。入院は重症患者らに絞り込み、中等症以下の患者は入院せずに自宅で過ごせというのです。


この決定は「棄民政策」とか「殺人政策」などと公明党はおろか自民党の中からさえ批判が出ていますが、政府が東京の医療崩壊を認めたに等しく、それならば開催中の東京五輪は即刻中止しなければなりません。政府の「自宅療法」方針決定の前に、東京五輪を途中中止し、五輪対応に張り付けている約7000人の医療従事者を各地の現場に振り分ける必要があることは明らかです。それを万策尽き果ててもいないのに、「コロナ患者は自宅療養」「五輪は最後までやる」では筋が通りません。連夜の五輪TV観戦による睡眠不足で菅首相がお疲れであるならば、そんな疲れた頭で「自宅療法」方針のような重要事案を決定すべきではありません。よく寝てから、ご再考いただきたい。



話を挨拶の「読み飛ばし」に戻しましょう。首相の挨拶文は通常はスピーチ・ライターが書いているのでしょうが、読み間違えや読み飛ばしが頻繁に起こることから推察するに、菅首相は下読みを一切していないように思われます。自分で書かずに下読みもしないのなら、間違えが起きるのもやむをえないでしょう。要するに、内容が頭に入っていないわけです。これからは、菅首相はご自分で挨拶文をお書きになられてはいかがでしょうか。自分で書いた文章なら、その内容は頭に入っているはずであり、本番での失態も格段に減少することと思われます。


あと、大切なことは、菅首相には犠牲者への弔意というか、死者への想いが感じられないことです。ブログ「東日本大震災八周年追悼式」で紹介したように、わたしは、2019年3月11日に行われた東日本大震災の追悼行事に参加したことがあります。国家行事である式典そのものは荘厳で、儀式人として勉強になりましたが、「開式の辞」で菅官房長官(当時)が「ただ今より、東日本大震災記念式典を行います」と宣言したのには仰天しました。「追悼式典」を「記念式典」と言い間違えたわけで、あってはならないことでした。厳粛なセレモニーの冒頭で痛恨のミスでしたが、今回の広島での読み飛ばしを見ると、結局のところ、菅首相には死者への想いが無いのだと思います。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

わたしには『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館・サンガ文庫)という著書があります。本当は同書に「政治論」という一章を追加したかったのですが、洋の東西を問わず、戦死者や災害被害者などの死者を追悼することは政治の根本をなすものであり、為政者にとっての最重要事です。死者への想いが無い者には、首相どころか政治家の資格もありません。さらに言えば、フロイト心理学によると、言い間違えも読み飛ばしも、すべて本人の無意識の発露、すなわち本音の表れということになります。それにしても、天皇・原爆・東日本大震災という日本において最もデリケートな三大問題、いわば三大地雷をすべて踏むとは、ある意味で凄いですね! もしかして確信犯?

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スポニチ・アネックス」より 

 

ところで、女優の大竹しのぶさんが6日、自身のインスタグラムを更新。広島への原爆投下から76年を迎えた心境を綴られています。大竹さんは、歌手のさだまさしさんのインスタグラムを引用し、「私も朝テレビをつけても何も起こらなかった。ほんとにさださんの言う通り世界中の人が来ている今だから、一緒に黙祷出来たら良かったのになあ。世界中の人が被爆国である日本にいるのだから」と記しています。さださんは、自身のインスタグラムで「少し残念だったことは、IOCが五輪開会中におとずれる“ヒロシマの日”に黙祷などのセレモニーをしないと決定したことでした」と綴られています。


さださんは、「今更アメリカへの恨みを伝えたいのでも無く“私たちは戦闘員では無い数十万人の一般市民を一瞬にして奪われた被害者です”などと声高に訴えたいのでもなく、五輪がきっかけで世界からこの国に集まり、その日の朝を一緒に迎える世界中の人々と“二度と起きないように”という想いを込めて一瞬でも心を重ねて祈ることができたらいいな、と思っていたので、個人的に少し残念だったのです」と私見を綴っておられます。わたしも、さださんの意見にまったく同感です。そもそも、IOCのバッハ会長は何のために広島を訪問したのか?


さださんといえば、広島原爆について歌った「広島の空」という名曲がありますが、さらにインスタグラムには「このことがさほど話題にならないくらい(時間が経つというのはそういうものですが)戦後76年を迎えた日本人のほとんどは原爆忌のことを忘れてしまったようです。自分達が行わない黙祷をこういうときだけ世界に求めることの方が不自然だと思いますが、もしも日本人のほとんどが毎年その時、その時間に必ず黙祷を続けていたのならばIOCも違う決定をしたのかもしれない、と思ったり・・・」と記しています。さださんのこの言葉は、すべての日本人に向けられています。8月6日が「広島原爆の日」とも知らずに、「パンとサーカス」に踊らされて日本のメダル・ラッシュとやらに浮かれている人々には「無知の涙」という言葉を贈りたいですね。


さださんは、広島とともに原爆を投下された長崎のご出身です。そのせいもあってか、原爆への言及も多い方です。そんなさださんは、グレープ時代に「精霊流し」という歌を作られています。この歌は、死者への想いに溢れた素晴らしいグリーフケア・ソングであると思います。8月は、6日の「広島原爆の日」に始まって、9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山日航機墜落事故の日、そして15日の「終戦の日」というふうに、3日置きに日本人にとって忘れられない日が訪れます。そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。この死者を想う季節に、ぜひ大切な故人のことを思い出していただきたいものです。

 

2021年8月6日 一条真也