『無縁社会から有縁社会へ』 

一条真也です。
26日の東京の感染者数は1763人でした。日曜日としては過去最多ですが、そんな東京に27日から出張しなければなりません。本当は、あまり行きたくありません。
60冊目の「一条真也による一条本」は、『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)。佐々木かをり氏・島薗進氏・鎌田東二氏・山田昌弘氏・奥田知志氏との共著で、社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会編。2012年7月30日刊行。


無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)

 

本書の表紙には、海辺にたたずむ少女の後ろ姿の写真が使われています。おそらく、津波の後の三陸のおだやかな海なのでしょう。そして、「毎年3万人以上が“孤独死”するこの国を、大震災が襲った。6人の論客が“有縁の未来”を模索する。」とあります。

 

アマゾンの「内容紹介」には次のように書かれています。
「“無縁社会”の中で毎年3万2千人が孤独死する。少子化、非婚、独居・・・・・。近い将来において、孤独死は高齢者だけの問題ではなくなる。血縁や地縁が崩壊しつつある現在、孤独死はあなたの身近に起こりうる緊急の社会問題である。薄れる家族関係、ワーキングプア生活保護など現代日本の問題点に警鐘を鳴らし、人と社会との絆を取り戻すために何が必要かを考える座談会の書籍化」

 

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「まえがき」杉山雄吉郎
座談会出席者
孤独死」3万人の衝撃
「無縁」と「社会」との断絶
縁をつなぐ社会に
「おわりに」北村芳明

 

ブログ「無縁社会シンポジウム」で紹介した2012年1月18日に横浜の「ソシア21」で開催された座談会は、各方面から大きな反響を呼びました。(社)全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の主催で、「無縁社会を乗り越えて〜人と人の“絆”を再構築するために」という新春座談会でした。ブログ「無縁社会シンポジウム報道」のように、各種メディアでも報道されました。

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今から振り返っても、「無縁社会の克服」のための画期的な座談会でした。
司会には佐々木かをり氏をお招きしました。出演者は、島薗進氏(宗教学者東京大学大学院人文社会系研究科教授)、鎌田東二氏(宗教哲学者、京都大学こころの未来研究センター教授)、山田昌弘氏(社会学者、中央大学教授、内閣府男女共同参画会議間議員)、奥田知志氏(牧師、ホームレス支援全国ネットワーク理事長)、一条真也(作家・経営者・北陸大学客員教授)。わたしも、冠婚葬祭互助会業界を代表して座談会に参加しました。互助会の社会的役割が根本から問われている今、自分なりの考えを述べました。


出演者は新郎新婦用の階段を下りて登場!

200名以上の参加者が集まりました

司会を務めた佐々木かをり

 

会場は超満員の200以上の方々が集まりました。マスコミ関係も多く取材に来ていました。無縁死の問題は、今後ますます深刻化する社会問題と捉えられており、冠婚葬祭互助会業界においても重要な課題となってきています。この座談会では、無縁死問題をどのようにして克服していくか、また冠婚葬祭互助会業界としてどのように関わり、対応していけばよいのか、といった点についてディスカッションを行いました。冒頭に、出演者がそれぞれ自己プレゼンを行いました。


奥田知志氏のプレゼン

 

隣人愛の実践者」こと奥田知志氏は、最初に「北九州でホームレス支援が始まって23年となる」と語り、「無縁社会」がテレビ等で問題とされる以前から路上は無縁の世界であったと述べました。続けて、奥田氏は次のように発言しました。野宿者支援において、最も大切なことは「見立て」であった。自分たちは活動開始以来、野宿者の困窮の中身を「ハウスレス」と「ホームレス」という二つの視点で捉えてきた。「ハウスレス」は「住居」に象徴される物理的困窮を意味し、「ホームレス」は家族等に象徴される関係的困窮を意味する。多くの場合、困窮を「失業と住宅喪失」つまり「ハウスレス」に限定し、「ホーム」を重要視してこなかったように思う。国のホームレス施策も同様だった。そのような観点に立つ支援活動は、ハウスレスに対して「彼らには何が必要か」を模索した。家、衣服、食物、保証人・・・・。だが同時に「彼らには誰が必要か」という問いはより重要だった。路上において「畳の上で死にたい」という声を聞く。その声に応えアパート入居を支援する。これで安心と思いきや「俺の最期は誰が看取ってくれるだろうか」という新たな問いが生まれる。それは実に自然な「人間的問い」と言ってよい。そこに必要とされていたのは、他ならぬ「誰」、すなわち人の存在であった。そして、最後に奥田氏は「路上で亡くなった人の8割は無縁仏であり、遺骨が家族に引き取られることは少なかった。しかし、今日無縁死32000人という現実は、この社会自体がホームレス化へと向かっていることを示している。このことに向けた対応を私達は、どのようにとるべきであるか。困窮かつ孤立という時代の十字架を背負う人々の現実は、ももはや日常の風景になりつつある」と語りました。


鎌田東二氏のプレゼン

 

続いて、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二氏は、「修験道の開祖とされる役(エン)の行者に倣ってわたしは20年以上前から『現代のエンの行者』を名乗り始めました。『現代のエンの行者』の『エン』の字には、『役』でも『円』でもなく、『縁』を宛てます。つまり、現代の法力・験力・霊力とは、空を飛んだり、病気を治したりする呪術的な力よりも、個々が持てる力をさらに大きくつなぎ結び相乗させていく『縁結び力』、すなわち『むすびのちから』であるというのがわたしの考えです」と語りました。そして、「無縁」にも消極的無縁と新しい縁の構築=新縁結びにつながる創造的・積極的無縁があると指摘しながらも、そのような「自由」と「新縁結び」に連動するような「無縁」の一面もしっかりと見通しつつ、現代の「無縁社会」を捉え直し、これからの社会構想を考えなければならないと訴えました。最後に、これまでの悪しき縁やしがらみから「自由」になって新しい社会づくりを志す人びとは最初「悪党」視されるが、そのような「悪党」こそが新しい時代の「世直し」の担い手にもなり得るという「無縁社会論」のパラドクシカルな全体構造を見据えつつ、「絆」や「つながり」や「有縁」のありようを構想したいと述べました。


島薗進氏のプレゼン

 

次に、日本を代表する宗教学者である島薗進氏は、最初に「グローバルな資本主義と市場経済至上主義的な考え方の広がりによって、日本社会の構造も大きく変化してきている。1970年代あたりを転機として、地域社会とを盤とした仲間的な絆が後退していき、核家族が孤立し、また単身者も増大していった。かつては、そうした小さな生活単位を包摂する機能を果たしていた、親族ネットワークや会社、宗教団体などの集団も次第に仲間集団としては弱体化し、限定された機能しか果たさないものに転換していった」と発言しました。また、「こうした傾向が象徴的に現れたのは1995年で、阪神・淡路大震災では高齢者の被災が目立ち、オウム真理教事件では、家族の絆を断ち切り閉鎖集団に属することが進められた。また、この年、アダルト・チルドレンの運動が日本に導入されたが、これも家族の絆に頼らずに、匿名で接しあう『魂の家族』に期待をかえようとするものだった。他方、阪神淡路大震災では、若者のボランティア活動が目立った。所属集団から受けた絆をそのまま維持拡充しようとする従来の縁のあり方に対し、自発的な活動を通してその時その場の縁を作り、そうした活動から生まれてくる開かれたネットワークに期待をかけようとするものだった」と説明しました。そして、最後に「人心はある程度、冷たい格差社会無縁社会化をあらためたいという方向に向かってきている。東日本大震災はこうした傾向に勢いをつける作用を及ぼした。東北地方では伝統的な宗教や行事が人々の絆と結びついて、なお大きな役割を果たしてきており、その働きの重要性が再認識されている」と述べました。


山田昌弘氏のプレゼン

 

パラサイト・シングル」「格差社会」「婚活」という言葉の産みの親として有名な社会学者の山田昌弘氏は、3つの視点から語りました。1つめの視点は「アイデンティティ」で、自分が「大切にされ、必要にされている」と感じていること、人間が幸福に生きるためにはこの感覚が必要であると述べました。2つめの視点は「日本におけるアイデンティティの歴史的変遷」です。戦前においては共同体が重要で、生まれた時から知っているムラの人たちと一緒に育ち、一緒に死んでいきました。戦後から1990年代頃にかけては企業と核家族が重要で、企業(男性)と核家族(配偶者と子)が自分を大切にしてくれ、必要としてくれました。1990年代以降は、職場の変化、就職難、非正規雇用の増大、リストラといった原因によって、企業からはじかれ仕事でアイデンティティを得られない人の増大しました。また、家族の変化、未婚率および離婚率が上昇して、自分を必要とし大切にしてくれる存在をもてない人々の増大しました。3つめの視点が「無縁社会」です。「無縁社会」とは、自分を大切にし必要とされる存在がいない人が増える社会であり、自分を大切にし必要とされる存在を失う可能性が増大する社会であると述べました。


隣人愛の実践者」と「バク転神道ソングライター

島薗進先生、山田昌弘先生とともに

わたしも、「有縁社会のつくり方」をプレゼンしました

 

最後に、わたしは以下のような話をしました。
2010年より叫ばれてきた「無縁社会」の到来をはじめ、現代の日本社会はさまざまな難問に直面しています。その中で冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命は大きいと言えます。じつは、「無縁社会」の到来には、互助会そのものが影響を与えた可能性があるように思います。互助会は、敗戦で今日食べる米にも困るような環境から生まれてきました。そして、わが子の結婚式や老親の葬儀を安い価格で出すことができるという「安心」を提供するといった高い志が互助会にはありました。しかし、おそらく互助会は便利すぎたのかもしれません。結婚式にしろ葬儀にしろ、昔は親族や町内の人々にとって大変な仕事でした。みんなで協力し合わなければ、とても冠婚葬祭というものは手に負えなかったのです。それが安い掛け金で互助会に入ってさえいれば、後は何もしなくても大丈夫という時代になりました。そのことが結果として血縁や地縁の希薄化を招いてきた可能性はあります。もし、そうだとしたら、互助会には大きな責任があるということになります。もちろん、互助会の存在は社会的に大きな意義があることは事実です。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません。つまり、敗戦から高度経済成長にかけての価値観の混乱や、都市部への人口移動、共同体の衰退等の中で、何とか人々を共同体として結び付けつつ、それを近代的事業として確立する必要から、冠婚葬祭互助会は誕生したのです。


冠婚葬祭互助会の社会的使命について訴えました

 

互助会がなかったら、日本人はもっと早い時期から、「葬式は、要らない」などと言い出した可能性は大いにあります。ある意味で、互助会は日本社会の無縁化を必死で食い止めてきたのかもしれません。しかし、それが半世紀以上を経て一種の制度疲労を迎えた可能性があると思います。制度疲労を迎えたのなら、ここで新しい制度を再創造しなければなりません。すなわち、今までのような冠婚葬祭の役務提供に加えて、互助会は「隣人祭り」の開催によって、社会的意義のある新たな価値を創るべきであると考えます。東日本大震災以後、多くの日本人が「支え合い」「助け合い」の精神に目覚めた今こそ、相互扶助の社会的装置である互助会のイノベーションを図る必要があります。私は、有縁社会、そして互助社会を呼び込むことが、互助会の使命であると考えます。「孤独死防止ディスカッション」あるは婚活イベント「ベストパートナーに会いたい」などの最近の全互協の一連の取り組みは、まさに無縁社会を乗り越える試みでしょう。


白熱の議論が交わされました

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週刊ポスト」2012年3月23日号

 

佐々木氏の司会進行が素晴らしかったせいもあって、活発な意見が交換され、パネルディスカッションは盛況のうちに幕を閉じました。会場のみなさんも熱心に聴いて下さり、必死でメモを取っている方も多くいました。「週刊ポスト」をはじめ、メディアの取材もたくさん受けました。


「まえがき」を書かれた全互協の杉山会長と

「おわりに」を書かれた全互協の北村副会長と

 

本書の「まえがき」は全互協の杉山会長(当時)が、「おわりに」は北村副会長(当時)が、当日の挨拶をもとに書かれています。杉山会長は静岡の冠婚葬祭王、北村副会長は新潟の冠婚葬祭王でもあります。本書は、全互協としては初の一般用書籍でした。いま読み返しても真摯な問題提起に富んでいる内容であると思います。本書の出版がきっかけとなって、多くの方々が無縁社会を乗り越え、新しい「絆」を作ることについて少しでも考えていただけたとしたら、まことに嬉しい限りです。

 

 

 

2021年7月26日 一条真也