『さよなら、プロレス』

さよなら、プロレス (伝説の23人のレスラー、その引退の真実と最後の言葉)

 

一条真也です。
『さよなら、プロレス』瑞佐富郎著(standards)を読みました。「伝説の23人のレスラー、その引退の〈真実〉と最後の〈言葉〉」というサブタイトルがついています。著者は愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。シナリオライターとして故・田村孟氏に師事。フジテレビ『カルトQ・プロレス大会』優勝を遠因に、プロレス取材等に従事したそうです。本名でのテレビ番組企画やプロ野球ものの執筆の傍ら、会場の隅でプロレス取材も敢行しています。著書に『新編 泣けるプロレス』(standards)、ブログ『平成プロレス30の事件簿』ブログ『プロレス鎮魂曲』で紹介した本などがあります。また、ブログ『『証言UWF完全崩壊の真実』ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』ブログ『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。

f:id:shins2m:20201209220357j:plain本書の帯 

 

本書のカバー表紙には、引退して花道を引き揚げていくアントニオ猪木の後姿が描かれ、帯には「阿修羅原/アントニオ猪木ザ・グレート・カブキ前田日明ジャンボ鶴田/スタン・ハンセン/浅子覚/垣原賢人/馳浩/SUWA/ミラノコレクションA.T/力皇猛/小橋健太/田上明佐々木健介井上亘天龍源一郎スーパー・ストロング・マシンアブドーラ・ザ・ブッチャー飯塚高史長州力獣神サンダー・ライガー中西学」と書かれ、「なぜリングを去ったのか。その引退の〈真実〉を描く。」と大書されています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと思います」アントニオ猪木、「本当に怖いのは、自分の信念を曲げずに、生き残っていくこと」前田日明、「引退できなかった三沢さんにも届いてると思います」小橋建太、「今は何もしないことが幸せ」天龍源一郎といった、プロレスラーたちの引退メッセージとともに、「偉大なるレスラーがリングを降りるのは〈理由(わけ)〉がある。プロレスに別れを告げた男たち、その引退の舞台裏を熱く描く」と書かれています。

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アマゾンより 

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
阿修羅 原
 「大切な人に大切な思いが伝わる。それが生きていて、一番うれしい」
アントニオ猪木
 「人は、歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと思います」

ザ・グレート・カブキ
「毒霧の正体? 順を追って話そうか」
前田日明
 「本当に怖いのは、自分の信念を曲げずに、生き残っていくこと」
ジャンボ鶴田
「自分が思った以上にファンの温かさを感じて……」
スタン・ハンセン
「手術の痕は、見せないよ」
浅子 覚
 「自分みたいなコンディションの者が上がっては、それはプロレスに失礼なんじゃないかって」
垣原賢人
 「僕のプロレス人生、ハッピーエンドだったと思います!」
馳 浩
「引退表明なんて、しなきゃよかったと思ってますよ」
SUWA
「こんな終わり方したレスラー、いないでしょ! 」
ミラノコレクションA.T
「今度は俺が人の体を治していく」
力皇 猛
「プロレスをやってきて13年間、幸せで素晴らしい時間を過ごすことができました」
小橋建太
「引退できなかった三沢さんにも届いてると思います
 田上 明
「家に帰って、横になりながら、酒でも飲みたいよ」
 佐々木健介
 「プロレスが好きだからこそ、未練がない」
井上 亘
「自分が好きな選手、おもいっきり声援してあげてください! 」
天龍源一郎
 「今は何もしないことが幸せ」

スーパー・ストロング・マシン
「マシンは、今日で、消えます」

アブドーラ・ザ・ブッチャー
「そろそろフォークを置く時が来た」

飯塚高史
 「・・・・・・」

長州力
 「そのうちリングは降りるだろうけど、また引退試合をやろうとは思わない」

獣神サンダー・ライガー
「やり残したことは、ない」

中西 学
「一度プロレスラーをしたからには、死ぬまでプロレスラーやと思ってますんで」
「あとがきに代えて~ジ・アンダーテイカー引退~」


アントニオ猪木」の章には、第8代WWF(現WWE)ヘビー級王者のボブ・バックランドが登場します。彼は大学時代、レスリング部の90kgエースとしてAAU4連覇。活躍の舞台をプロに移しても、その実力は凄かったです。WWFを主戦場にしているのに、ライバル団体NWAの前会長エディ・グラハムが、「WWFの枠だけにいるのはもったいない。NWAの王者になるべき」と絶賛したほどでした。バックランドがWWF王者時代に挑戦を退けた選手の顔ぶれも凄く、ハーリー・レイスニック・ボックウィンクル、リック・フレアー、そして日本で、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン藤波辰巳(辰爾)・・・・・・。



しかし、彼のトレードマークであるボブ・スマイルが、控室のドアを閉じた途端に曇った試合がありました。彼は「・・・・・・強いよ。今まで戦った中で、一番強いかもしれない」と、マネージャーのアーノルド・スコーランに言ったそうです。著者は、「1978年6月1日、日本武道館アントニオ猪木との初シングルを終えた直後だった。試合はWWF(当時WWWF)ヘビーと、猪木の保持するNWFヘビー両王座のWタイトルマッチ。結果は61分時間切れ引き分け(3本勝負のうちの1本を猪木がリングアウト勝ちし、そのままタイムアップ。タイトルの移動はなし)。俯瞰的にはあくまでドローだが、『噂に聞いていた以上だった』とも、バックランドは言った。当時のWWFの総帥、ビンス・マクマホンから、『ストロングスタイルのプロレスで最強なのは、おそらく日本にいる猪木だろう。ラフにも強いし・・・・・・』と伝えられていた」と書いています。

 

その猪木の引退試合は1998年4月4日に東京ドームで行われましたが、猪木の弟子であるリングス総帥・前田日明は引退セレモニーに登壇するために、会場に入っていました。当日は、スペシャルゲストとしてモハメド・アリも来ていましたが、前田はアリに会いに行きます。もともと、前田はプロレスラーになる気はなく、アリの弟子にしてくれるという約束で猪木の新日本プロレスに入ったという経緯がありました。たどたどしい英語で自己紹介する前田に対して、アリは当時すでにパーキンソン病を患っていたにもかかわらず、「そんなこと言って、お前は俺を倒しに来たんだろう?」と英語でまくしたてたそうです。前田は通訳のケン田島に向かって、「そんな! そんなわけないじゃないですか! 違うと言ってください、田島さん!」と言いますが、田島の流暢な英語も効果はありませんでした。「違うね。お前は俺を倒しにきた」「いいから構えてみろ」と言うアリに対して、前田は「違う。違いますってば・・・・・・」と戸惑う前田に、アリは「いいから構えるんだ!」と言い放つのでした。

 

その後の様子を、著者はこう書いています。
「『いいから構えるんだ!』アリに言われた前田は、言われるがまま、ファイテイング・ポーズを取った。アリもおぼつかない手つきながら、同様に構えたという。そして、次の瞬間、言った。『今のパンチが見えたか?』『・・・・・・はあ?』『見えなかっただろう? 俺は今、お前に、10発パンチを見舞ったんだぜ』そういって、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。前田も一気に相好を崩した。『さ、さすがは、アリ・ザ・グレイテストです! You are the greatesut!!』顔を上気させ、何度も頭を下げる前田。『何か、ものすごく嬉しくてねぇ。控室まで、スキップで帰ったんや』と、最初で最後となった、アリとの邂逅を振り返った。その時の胸のパスには、アリのサインが燦然と輝いていた」



ジャンボ鶴田」の章では、‟最強王者”と呼ばれた鶴田のデビュー当時について、初心者は馴れないロープワークも達者にこなし、スープレックスなどの練習で教えた動きもあまりに正確に再現できるので、師匠のドリー・ファンク・ジュニアが‟ミスター16ミリ”という綽名をつけたことを紹介し、著者は「とはいえ、後にルー・テーズに学んだ伝家の宝刀・バックドロップは、落下の際、右足が流れることも多かった。だが、これについても恐るべきエピソードがある。しっかりと両足をつけて見舞ったところ、食らったハーリー・レイスが、試合後、激怒して控室まで乗り込んで来たという。曰く、『あんなこと、この場でもう一度、俺にやれるのか!?』。右足が流れる理由を、後年、鶴田はこんな風に語っている。『そうしないと、怪我人が出ちゃうから』」と書いています。

 

デビュー直後から、御大・ジャイアント馬場のタッグ・パートナーを務めた鶴田ですが、馬場は鶴田の飄々とした闘魂を感じさせない態度に不満を抱いていたといいます。著者は、以下のように書いています。
「『猪木みたいな、必死さがないんだよなあ』と、まさにライバル団体のエースを引き合いに出され、大師匠に苦言を呈されたことがあるという。それも、全日本プロレスの会場で、他の選手たちがいる控室において、である。『コブラツイストの時、猫背になってる。ピンと背筋を伸ばさなきゃ! お前は手足も長いのに。必死にやらなきゃ、迫力も力強さも出ないよ』と言ったのは意外にも、ジャイアント馬場であった。曰く、『お前はドリー(・ファンク・ジュニア)と一緒で、そういう表情がない』・・・・・・」



鶴田は引退時に「戦いたかった」相手として、前田日明の名前を挙げました。その理由について、鶴田は「前田選手が真剣勝負を掲げてUWFという団体を作った頃、『ロープに振って戻ってくるのはおかしい』なんてプロレス批判をしましたよね。そんなにプロレスを蔑視するならやってやろうと思っていたんですよ」と語っています。もっとも、前田はブログ『猪木力:不滅の闘魂』で紹介した本の中の猪木との対談で、鶴田と対戦しても負けた気はしないと明言していますが・・・・・・。



その前田の新日本プロレスの同期で、前座で火の出るような死闘を何度も展開したのが平田淳嗣。後の、スーパー・ストロング・マシンです。著者は、「前田のキックで平田の唇の破片がキャンパスに落ちれば、平田は前田の顔面にドロップキックを炸裂。受け身を取ると何かが背中に刺さったので見てみると、散らばった前田の前歯だったという。ヒロ斎藤齋藤弘幸)との試合も前座名物で、こちらは意外にも、猪木のお気に入りだった」と書いています。



最後に、プロレス界を代表する悪役であった‟黒い呪術師”アブドーラ・ザ・ブッチャーのエピソードが非常に良かったです。プロデビューから57年が経ったブッチャーは、2018年10月、翌年2月の「ジャイアント馬場没後20年追善興行」での引退セレモニーを発表。ブッチャーといえば、テリー・ファンクを血だるまにしたフォークを凶器にした攻撃がトレードマークでしたが、「そろそろフォークを置く時が来た」と語りました。著者は、「引退当日は、猪木、ドリー・ファンク・Jr、スタン・ハンセン、ミル・マスカラス初代タイガーマスクら、まさにかつて争ったオールスター達が大集合。しかし、その中でマイクを取ったブッチャーのメッセージは、彼らには触れぬ、意外なものだった」と書いています。

 

そのブッチャーの言葉とは、「若い人たちに言いたい。自分の親が年を取っても、決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことはするな。いずれはお前たちも年を取ってそういうことになるんだから、ちゃんと親を大事にしろ。それだけを言いたい。忘れるんじゃないぞ」でした。極貧の子ども時代を過ごしたブッチャーは非常な親思いだったそうで、立派な家も建ててあげたそうです。ホッコリとする話ですね。

 

 

2021年1月23日 一条真也