名横綱・輪島の死

一条真也です。
石川県の金沢に来ています。ブログ「北陸総合朝礼」で紹介した会社行事の後は、会議を行い、土地や施設を視察しました。そこに、石川県が生んだ昭和の名横綱である輪島さんの訃報が飛び込んできました。享年70でした。

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北國新聞」2018年10月10日朝刊

 

輪島さんは、日大の卒業を2カ月後に控えた1970年初場所、幕下付出で花籠部屋から角界にデビューしました。2年連続で学生横綱となった実力の持ち主でしたが、大相撲でも、わずか2場所で十両昇進を決めました。その後も出世街道を驀進し、初土俵から3年半で第54代横綱になりました。

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北國新聞」2018年10月10日朝刊

 

横綱時代、故・北の湖前理事長としのぎを削り「輪湖(りんこ)時代」を築きましたが、その頃、中学生だったわたしは輪島さんの大ファンで、級友たちと相撲部を作り、自らは横綱となりました。そのときの四股名は、輪島大士(ひろし)から取って、大熊大士という名前でした。みんなで九州場所にも出かけて輪島さんを応援したことが懐かしいです。



 

金銭問題で親方を廃業した翌年の1986年、プロレス界へ飛び込みました。オリジナルの必殺技ゴールデン・アームボンバー(喉輪落とし)を生み出し、2年間の短い間でしたが、全日本プロレスを舞台に活躍しました。特に天龍源一郎との熱い闘いが忘れられません。天龍のえげつないキックを逃げずに顔で受け止めていました。その様子を見たUWFの前田日明が「こんなハードな闘いをされたら、自分たちの存在意義がなくなる」と危機感を抱き、長州力を背後から蹴撃したというエピソードは有名です。

 

輪島さんの死で、昭和の名横綱がまた1人、この世を去りました。輪島さんは若貴兄弟の不仲を非常に心配していて、「兄弟は仲の良いのが一番だよ」と言っていたそうです。その若貴の2人もともに相撲協会にはいません。元貴乃花親方の今後の相撲改革に注目が集まっていますが、若貴の父である元大関貴ノ花のライバルであり、自身もガチンコ力士であった輪島さんには、どうか貴乃花の今後の奮闘をあの世から見守っていただきたいと思います。それにしても、ちょうど石川に来ているときに訃報に接したというのも何かの縁だと思います。名横綱輪島大士関の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

 

 

2018年10月9日 一条真也