『宗教生活の原初形態』


一条真也です。
『宗教生活の原初形態』上下巻、デュルケム著、古野清人訳(岩波文庫)を読みました。「フランス社会学の父」と呼ばれるエミール・デュルケムが1912年に書いた大著です。1857年に生まれたデュルケムは、オーギュスト・コント後に登場した代表的な総合社会学の提唱者であり、その学問的立場は、方法論的集団主義と呼ばれました。また社会学の他にも、教育学、哲学などの分野でも活躍し、1917年に亡くなりました。本書は彼の最後の著作となります。



岩波文庫の初版は1941年に訳されています。
宗教の本質に迫った名著として、ウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』とよく比較されますが、ジェームズが個人的な体験としての宗教を活写した一方、デュルケムは宗教を集合的実在を表明する集合表象として理解しています。宗教には「内面の関係性」と「集団の関係性」の両面がありますが、デュルケムは後者に着目しました。そのため、彼は「未開社会」の儀礼に宗教生活の原初形態を見ようとしたのです。


上巻カバー表紙



本書の上巻のカバー表紙には、以下のように書かれています。
「宗教とは、社会における『聖』と『俗』の集団表象であり、社会そのものに根ざす力である。デュルケムは、オーストラリア原住民のトーテミズムを考察の対象としてとりあげ、宗教の社会的起源・機能を解明してゆく。宗教現象の研究に社会学的方法の規準を適用して、科学的基礎を与えた名著」


下巻カバー表紙



また、下巻のカバー表紙には、以下のように書かれています。
「デュルケムにとってトーテム集団は、宗教生活のみならず社会そのものの原初形態であった。彼の考察は、信念や儀礼等の宗教的側面にとどまらず、思考の基本的な枠組、時間や空間の概念にまでも拡がってゆく。ウェーバーと並んで宗教社会学を確立し、以後の社会学の各分野に多大な影響を及ぼしたデュルケムの最後の著書」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「訳者序」
序論 探究の対象
  宗教社会学と認識理論
第一編 前提問題
第一章 宗教現象と宗教との定義
第二章 原初的宗教の主要概念
  アニミズム
第三章 原初的宗教の主要概念(続)
  ナチュリズム
第四章 原初的宗教としてのトーテミズム
  問題の略史――取り扱いの方法
第二編 原初的信念
第一章 固有のトーテム的信念
  名としてまた記号としてのトーテム
第二章 固有のトーテム的信念(続)
  トーテム動物と人間
第三章 固有のトーテム的信念(続)
  トーテミズムの宇宙的体系と属の概念
第四章 固有のトーテム的信念(終)
  個人的トーテムと性的トーテム
第五章 これらの信念の諸起源
  諸学説の批判的吟味
第六章 これらの信念の諸起源(続)
  トーテム的原理またはマナの概念と力の観念
第七章 これらの信念の諸起源(終)
  トーテム的原理またはマナの観念の発生
第八章 霊魂観念  (*ここから下巻)
第九章 精霊と神との観念
第三編 主要な儀礼的態度
第一章 消極的礼拝とその諸機能、禁欲的諸儀礼
第二章 積極的礼拝
  供犠の諸要素
第三章 積極的礼拝(続)
  模擬的儀礼因果律
第四章 積極的礼拝(終)
  表象的または記念的儀礼
第五章 贖罪的儀礼と聖観念の曖昧
  贖罪的儀礼の定義
結論 
これらの得られない結果はどの範囲まで一般化されうるか
「あとがき」



「訳者序」で、古野清人は本書について以下のように述べています。
「秀でた社会的事実である宗教現象を『事物』(close)として、外部的に観察し分類し説明することにより、宗教学にまったく新らしい豊饒な見解を提供したのである。この学派の『社会学主義』の宗教学説は俄かに学界の視聴をあつめた。異論あると否とにかかわらず、斯学の権威者たちはこの学説がアニミズムを首唱したタイラーの『原始文化』(1871)以後、宗教の資料を新たな視野から結合しようとした唯一の含蓄ある努力であることを認めるに吝かでなかった」



ここで、ブログ『原始文化』で紹介した名著の名が登場しましたが、訳者は同書とあわせてブログ『初版 金枝篇』で紹介したフレイザーの名著と並ぶ重要古典として本書を位置づけ、以下のように述べています。
「ある学説の重要さが、それが感化影響を与えた思想の動向や著作によって測定されるものとすれば、この書はまことに宗教学の分野ではタイラーおよびジェームズの労作とともに古典的三部作をなすものといえる。しかも、多幸な学的未来を約することでははるかに両者を凌ぐ。これをベルクソ二スムとともにフランスの哲学思想界を両分するほどの一字のデュルケイミスムの盛況に徹しても、さらにまたマルセル・モースを盟主として活躍を続けている『新社会学主義』の偉観に験しても」



そして「訳者序」の最後に、古野清人は以下のように書いています。
「要するに、宗教とは発端においては集団の生命力の顕現であった。神が人類を創造したのではない。人類が生きるために自らの力で神を創造したのである。宗教とは集合体の生命を鼓舞し激動し高揚せしめる熱力学的な力である。宗教とはけっして架空の幻想ではない。―――これが、デュルケムの下した断案である。われわれの宗教学は、そしてまた現代の宗教批判はここから出発しなければなるまい。本書においてこそ、われわれは、少なくとも宗教学の現況からしては、もっとも科学的に精錬された宗教現象の起源と機能とにかんする社会学的な所説を理解できる」



序論「探究の対象」には、わたしが非常に感銘を受けた「時間」に関する以下の文章が登場します。
「われわれは、さまざまな時限を区分して、初めて時間なるものを考察してみることができるのである。ところで、このような区分の起源は何であろうか。かつて経験した意識状態が、初めに経過したと同じ順序で、われわれの心に甦りうることはいうまでもない。こうして過去の幾分かが再び現在的となるのであるが、これは自ら現在とは区別される。しかし、この経験がわれわれの私的経験にどんなに重大であっても、それは時間の概念または範疇を構成するのに十分だとはとうていいえない。時間の範疇は、われわれの過去の生活の部分、または全体的な記憶からだけで成立するのではない。それは、われわれの個人的生存だけでなく、人類の生存をも含む抽象的で非人格的な外枠である。それは、あたかも、精神を前にして、あらゆる時間がそこに繰りひろげられ、また、ありうるすべての事件が、固定し確定された標準点に対応して、その上に配列される無際限の図面のようなものである。こうして組み立てられるのはわが時間だけでなくて、同一文明のあらゆる人々から客観的に思考される時間である。これだけでも、このような組み立てが集合的でなければならないことを暫見させるに十分である。実際、また観察の結果によると、あらゆる事物を時間的に配列する欠きえない標準点は社会生活から借りてきたものである。日・週・月・年などの分割は公的儀礼・祝祭・祭儀の周期律に相応している。暦は集合的活躍の整備を保証する働きと同時にそのリズムを表明するものである」



また、「時間」のみならず「空間」についても、デュルケムは以下のように述べています。
「事物を空間上に配列できるためには、これらを別個に配列すること、すなわち一方を右に他方を左に、これを高くそれを低く、北に南に、東に西に、などという具合におくことができなければならない。それはちょうど意識状態を時間的に配列するには、これを特定の日付に極限しなければならないのと同じである。これは、まったく時間と同様に、分割され分化されない以上、空間は空間そのものたりえないということである。だとすれば空間にとって本質的なこの分割は果してどこからくるのであろう。空間それ自体には右も左も、高いも低いも、北も南もない。このような区別はすべて明白に異なった情的価値が各方位に与えられることに起因している。したがって、同一文明の人々はすべて同じ様式で空間を表象するから、この情的価値およびこれによる区分が等しく共通であることは自明でなくてはならない。そして、このことはほとんど必然的にそれらの区分が社会的起源であることを含んでいるのである」



さて、およそ宗教と名のつくものは、すべて神や仏やブラフマンといったような超自然の存在と関わっています。第一編「前提問題」の第一章「宗教現象と宗教との定義」で、デュルケムは以下のように述べています。
「一般に、あらゆる宗教的なものの特質とみなされているのは超自然の概念である。これはわれわれの悟性の範囲を超えたあらゆる部門の事物と解されている。超自然とは神秘・不可知・不可解の世界である。であるから、宗教とは科学あるいは全般的には明瞭な思惟を脱したものすべてに対する一種の思索であろう。スペンサーはいう、『諸宗教は、教義ではまったく相反しているが、世界を、それ自体が含んでいるものおよび囲まれているものすべてとともに、説明を要する神秘であることを認める点では、暗黙に一致している」と。彼はこのように宗教は本質的には『知能を超えた何ものかの遍在に対する信仰』からなるとする。同じく、マクス・ミュラーは、すべての宗教に『考えられないものを考え、表わせないものを表わそうとする努力、無限への憧憬』を見るのである』



宗教はともすると超自然的なものとの関係とみられがちですが、デュルケムは神がなくても宗教儀礼が存在することに注目しています。彼は「すべての礼拝のうちには自身で働く行事がある。自らに固有な功徳によって、しかも、儀礼を行なう個人と追求している目的との間に何ら神が介在することなしに作用する行事がある」と述べ、風を起こして雨が降るのをうながすためにユダヤ人が柳の枝を一定のリズムにしたがって振って大気を揺るがすという行為を例に示します。そして、以下のように述べます。
「このように、神のない儀礼がある。また、神々を派生させる儀礼さえある。あらゆる宗教上の功徳は神格から放射されるのではない。また、人を神性に合一する以外の対象をもっている礼拝上の問題がある。したがって、宗教は神々または精霊の観念以上であり、ひいてはまた、排他的にこの観念とだけ関係させて定義することはできないのである」



デュルケムは、「宗教」については以下のように述べています。
「宗教とは部分からなる一全体であるのに、一種の不可見の実体を形成しているかのように取り扱われているのである。宗教とは神話・教義・儀礼・祭式の多少とも複雑な一体系である」
また、「宗教現象」については以下のように述べています。
「宗教現象は、当然に、二つの基本的範疇すなわち信念と儀礼とに配列される。前者は意見の状態であって表象から成立している。後者は一定した行動の様式である。この二等級の事実の間にあらゆる差異があって、思考を行動から分離するのである」



宗教の他にも、儀礼と関わりの深いものがあります。呪術です。
デュルケムは、「呪術」については以下のように述べます。
「呪術もまた信念と儀礼とからなる。それは宗教と同じく神話と教義とをもっている。これらがより幼稚であるだけである。それはいうまでもなく、功利的、技術上の目的を追求して、純粋な思索を凝らすのに時を費やさないからである。呪術も等しく祭式・供犠・垢離・祈祷・頌歌および舞踊をもっている。呪術師が喚び出す存在、彼が働かせる力は宗教画訴える存在や力と同じ性質であるだけではない。きわめてしばしばそれは同一である。それで、もっとも下級な社会でも死者の霊魂は本質的に神性な事物であって、宗教的儀礼の対象である。しかし、同時に、それは呪術で重要な役割を演じている」



続けて、デュルケムは以下のような例を示します。
メラネシアと同じくオーストラリアでも、キリスト教者におけると同じくギリシャでも、死者の霊魂・遺骨・遺髪は呪術師がもっとも多く用いる媒介物のうちに数えられる。悪魔もまた禁忌で囲まれた存在である。悪魔はまた隔離されていて別個の世界に住み、これを固有の神から区別するのはきわめて困難である。加うるに
キリスト教でも魔物は神の堕落したものであり、またこの起源をほかにしても、その掌握している地獄がキリスト教に欠くことのできいない機関であることだけからしても宗教的特質をもっている。なおまた、呪術師が祈願する正規で公用の心性さえある。ときには、それらは異邦人の神である。たとえばギリシャの呪術師はエジプト、アッシリア、あるいはユダヤの神々を参加させた。ときにはそれは国民神でさえある。すなわちヘカトとダイヤナとは呪術的礼拝の対象であった。処女マリア、キリスト、聖徒はキリスト教の呪術師によって同じようにして利用されたのである」



かくしてデュルケムは次の定義に達し、読者に示します。
「宗教とは、神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念と行事との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに帰依するすべての者を結合させる信念と行事である」



宗教といえば「霊魂」の問題が切っても切り離せませんが、第二章「原初的宗教の主要概念」で、デュルケムは以下のように述べます。
「霊魂の力がそれに帰せられるすべてによって拡大し、ついには人間は自らがその作者で模型であるにもかかわらず、この架空な世界の囚人となってしまうのである。彼は自らの手と心象とで創造したこれらの霊的の力に依存するようになる。霊魂がこの点まで健康と病気・善と悪とを処置するとすれば、その善意と妥協し、または怒ったときにはそれを宥和するのが賢明であるからである。すなわち、そこから供物・供犠・祈祷・つまり、あらゆる宗教的行事の装置が生ずるのである」



続けて、デュルケムは以下のように述べます。
「霊魂はそこで変形される。ヒトの肉体を活気づけている単なる生命原理から、霊魂は自らに帰せられる効果の重要さによって、精霊・善悪の守神・あるいは神性とさえなる。しかし、この神祭りをもたらしたものは死であるから、人類が知った最初の礼拝が向けられたのは、究極的には死者または祖先の霊魂である。したがって、最初の儀礼は弔葬儀礼であったし、最初の供犠は死者の欲求をみたすための供御、最初の祭壇は墳墓であった」



第二編「原初的信念」の第一章「固有のトーテム的信念」の冒頭には、「宗教はすべて表象と儀礼的行事から成っているので、われわれはトーテム的宗教に固有な信念と儀礼とを相継いで取り扱わねばならない」と書かれています。さらに儀礼について、デュルケムは述べます。
「神話は儀礼を説明するためにしばしば儀礼をモデルにする。とくに、その意味がなくなるか明瞭でないときに。逆に信念を表明する儀礼を通してでなければ明確に現われない信念もある」



なぜ人間は儀礼を行なうのか。これは、わたしの永遠のテーマですが、デュルケムは以下のように述べています。
「最初の宗教的観念は、しばしば、人間が世界との関係に立ち入るときに捉えられる脆弱さや依存・恐怖や苦悩の感情に帰される。自らが作者である一種の悪夢の生贄となって、人は怖るべき敵である威力に囲まれていると信じ、儀礼はこれを鎮めることを目的としているといわれた。ところが、われわれは、最初の宗教がまったく別の起源をもつことを示してきたのである。著名な定式(世界では最初に怖れが神を作った)は、何ら事実によって立証されていない。原始人は、その神々を、自らあらゆる価値を払ってもその好意と妥協しなければならない外者・敵者・根本的にまた必然的に悪意ある存在とは見なかった。まったくそれとは反対に、神々はむしろ親友・縁者・当然の保護者であった。これらこそは、原始人がトーテム種の諸存在に与えた名前ではないか。礼拝が向けられる威力を、原始人は自身の上に非常に高く駆け廻ってその優越で圧してくるものとしては表象しない。この威力は反対に、まったくその身辺にあて、しかも、彼が自身の性質としてはもたない有力な力能を交付してくれるのである。おそらく神性は、歴史のこの瞬間におけるほどに、人に近づいたことはかつてなかった。というのは、神性はその直接の環境を占めている事物に現存し、かつまた、一部は人に内在しているからである。トーテミズムの根本にあるものは、要するに、恐怖や束縛のそれ以上に、悦ばしい信任の感情である。かりに、弔葬の儀礼――あらゆる宗教の陰気な一面――を取り除くならば、トーテム的礼拝は歌謡・舞踊・劇的演出のただ中で執り行われる」



さらに、デュルケムは以下のように述べます。
「宗教的なものの概念は、さらにまた多数の神話や儀礼の根柢にわれわれが見出す重要な原則の説明を可能にする。そしてこの原則は次のように述べることができる。すなわち、ある聖なる存在が分裂するときには、その各部分は、依然として、本来の存在に相等しい、と。いいかえれば、宗教思想については、部分は全体に等しい。部分は全体と同じ力能・同じ効力をもっている。遺骨の一片は遺骨全体と同じ功徳をもつ。どんなにわずかな血の滴りでも、血全部と同じ動的原理を含んでいる。霊魂は、われわれが述べるように、組織体に器官または組織があるのとほとんど同じだけの部分に分裂しうるのである。これらの部分的な霊魂のおのおのは、全体的な霊魂と等価である」



それでは、霊魂と肉体との関係はどうなっているのでしょうか。
デュルケムは以下のように述べます。
「霊魂と肉体との間には、密接な連帯があるだけではなく、部分的な混淆がある。霊魂に肉体のあるものが存ずるように――ときとして、それは肉体の形態を再現するから――、肉体には霊魂あるものが存する。組織体のいくつかの局部やいくつかの産物は、霊魂とまったく特別な親和力をもっている。心臓・息・胞衣・血・影・肝臓・肝臓の脂肪・腎臓などがこれである。これらのさまざまな物質的基礎は、霊魂にとっては、単なる住居ではない。これらは外部から見た霊魂そのものである」



本書には「宗教力」という言葉が出てきます。第三編「主要な儀礼的態度」において、デュルケムは以下のように述べています。
「宗教力とは、一体化された集団力、いいかえれば、道徳力である。それは、社会の光景が、われわれのうちによび醒す観念と感情から成っていて、物理界からわれわれのところにやってくる感覚からではない。したがって、宗教力は、われわれがそれを位置させる感覚的事物には異質的である。それが、外部的な物質的な形態――宗教力はこの形態で表象されている――を、これらの事物から借用することは大いにありうる。しかし、自己の効力をなしている何物をもこれらの事物には負わない。宗教力は、自らがその上に置かれるさまざまな土台に、内的紐帯によって、結びつくのではない。それは、ここには、何の根ももっていない。われわれがすでに使用した表現――そして、これがそれをもっともよく特色化しうる――によれば、それはここに重ね合されているのである」



デュルケムは宗教について考察する中で、儀礼というものに非常に注目しています。本書には「儀礼的生活」というキーワードも登場しますが、以下のように書かれています。
「もし、われわれが、分析をさらに進め、また、宗教的表象に代えてそれが表明している実在をもってし、実在が儀礼の中でどう処していくかを探求するならば、この循環論法はわれわれにはもっとも自然なものと映ずるであろうし、かつまた、その意味と存在理由とをもっとよく理解するであろう。もし、われわれが規定しようとしたように、聖なる原理が、元質化された、変貌した社会以外のものでないとしたら、儀礼的生活は、世俗的で社会的な用語によって、解釈されえなければならない。しかも、事実、この儀礼的生活とまったく同様に、社会生活は循環的に運行している。一方では、個人は、自分のもっとよきもの、他の存在に伍して彼を異色あらしめ、固有の地位を占めさせるすべてのもの、彼の知的および道徳的教養を社会から受けとる。人から言語・諸科学・諸芸術・道徳上の信念を取り去るときには、人は動物性の地位に落ちる。したがって、人間性の特質である諸属性は社会からわれわれにくるのである」



まるで孔子の思想のような「礼」を重視したデュルケムの発言に、わたしは深く共感してしまいますが、続けて彼は以下のようにも述べています。
「しかし、他方では、社会は、個人によって、また、個人のうちにのみ、生存し、生活するのである。社会の観念が個人の精神内で消滅したら、集合体の信念・伝承・熱望が、私人によって感じられ、分有されることを休止したら、社会は死滅するであろう。したがって、さきに神性について述べたことは、社会についても反復できる。すなわち、社会は、人間の意識に場所を占める程度においてのみ、実在性をもつのである。そして、この場所を社会に作ってやるのはわれわれである。われわれは、今や、信徒が神々なしにはすまされないと同様に、神々がもはや信徒なしにはすまされない深い理由を理解する。というのは、神々がその象徴的表現にすぎない社会は、個人が社会なしにはすまないと同様に、個人なしにはしまないからである」



デュルケムは儀礼を「消極的儀礼」と「積極的儀礼」に分類していますが、積極的儀礼に言及した箇所で、以下のように述べています。
「礼拝を本質的に構成しているのは、一定の諸期に規則正しく戻ってくる祝祭の循環である。われわれは、まさに、この周期性への傾向がどこからくるかを、今や理解しうる。宗教生活が服しているリズムは、社会生活のリズムを表明しているにすぎず、しかも、これから帰結したのである。社会は、会合することを条件としてでなければ、自らがもっている感情を再燃させえない。けれども、社会はのべつまくなしに会合を開くことはできない。生活の要請は、社会が際限なしに集会の状態にとどまることを許さない。それゆえ、社会は、再びその必要を感じるときに再び会合すべく、分散するのである。これらの必然的な交代にこそ、聖なる時と俗なる時との規則的な交代は対応しているのである。起源においては、礼拝は、自然現象の運行を正確にすることを、少なくとも、外見上の目的としていたので、宇宙生活のリズムは儀礼的生活のリズムにその標章を刻んでいる。これが、長い間、祝祭が季節的であった理由である」



ところで、儀礼や祭儀といえば、演出や娯楽の問題と深い関係があります。
この問題について、デュルケムは以下のように述べています。
「演出的儀礼と集合的娯楽とは、断続なしに、一方から他方へ推移できるほど相似たものである。固有の宗教的祭儀が特色としているのは、婦女や未成年者の除外される聖化された場所で行なわれねばならないことである。けれども、この宗教的特色が、完全には消失しないが、多少とも抹殺されている他の祭儀がある。これらは、祭儀上の場所の外で行なわれ、このことが、すでに、これらが何らかの程度で世俗的であることを証明している。しかも、それにもかかわらず、婦女や子供らの俗人は、やはり、これらに参加することを許されていない。したがって、これらは、二領域の限界に存在しているのである」



続けて、デュルケムは以下のように述べます。
「一般に、これらは伝説上の人物と関連しているが、これらの人物は、トーテム的宗教の範囲内には、正規の座をもっていない。これらは、多くの場合、悪い精霊であって、一般の信徒より、むしろ呪術師と関係をもっている。それらは、化物の類であって、固有のトーテム的存在や事物に対するときと同じ程度の真剣さ、同じ確信の堅さをもっては、信じられていない。事変と演出された人物とを部族の歴史に結びつける紐帯が弛むにつれて、また、いずれもがより非現実的な様子をとるにつれて、それらに応ずる祭儀は性質を変える。こうして、人は、しだいに、純然たる幻想の領域に立ち入り、また、記念的儀礼から通俗なコロポリー――何も宗教的なものをもたない単なる公的享楽であって、誰も無差別にこれに参加できる――に移るのである。実際上は、憂さを晴らすことを唯一の目的とする、これらの演出のうちのいくつかは、おそらくは、昔の儀礼が性格を変えたものである。実際、これらの二種類の祭儀間の限界は非常に動揺しているので、これらのいずれに属しているかを精確にいうことは不可能である」



第五章「贖罪的儀礼と聖観念の曖昧」では、その冒頭で「贖罪的儀礼の定義」について触れ、デュルケムは以下のように述べています。
「諸種の積極的儀礼は、含んでいる所作の性質において互いにどれほど相違していようとも、一つの共通する特色をもっている。すべてが、信任と和楽と狂熱との状態で、行なわれることである。未来や偶然的な事変の予想はいくらかの不確実さをもたないではないが、それでも、正常は、季節がくれば雨が降り、動植物種は規則正しく繁殖する。数多く反復された一つの経験は、原則として、儀礼がその存在理由であり、また、期待されてもいる結果を生じることを証明した。人は、あらかじめ儀礼が用意し、また、告示している多幸な事変を享受しながら、安心して儀礼を執行する。人が行なう諸運動はこの精神状態に参与する。これらは、もちろん、常に宗教的荘厳さが想定している荘重さに刻印されているが、この荘重さは陽気をも喜悦をも排斥しないのである」



それから、わたしにとって関心の深い「喪の儀礼」の問題です。デュルケムは、喪がわたしたちに贖罪的儀礼の最初の重要な事例を提供してくれるとして、以下のように述べています。
「喪を構成している諸種の儀礼の区分が必要である。純然たる禁戒からなるものがある。すなわち、死者の名を発音すること、永遠の場所に滞在すること、は禁忌されている。近親者、とくに女性側の近親者は、他者とのあらゆる交通を慎まねばならない。生活の平常の服務は祝祭のときと同じく中止される、等々である。これらの行事は、すべて消極的礼拝に属し、同じ種類の儀礼として説明される。したがって、ここでは、これらを取り扱わない。これらは、死者が聖的存在であることからきている。したがって、死者と関連している。あるいは、関連したすべては、伝染によって、俗生活の事物とのあらゆる接触を排除する宗教的状態にある。しかし、喪は、ただ、遵守する禁忌からなっているのではない。近親者が能動者であるとともに受動者である積極的行為が要求されている」



また、喪について、デュルケムは以下のようにも述べています。
「喪は個人的情緒の自発的な表現ではない、ということである。親縁者が、泣き、嘆き、傷つけ合うにしても、それは、彼らが近親の死によって自ら害われたと感じているからではない。もちろん、特殊の場合に、表明された悲しみが、実際に痛感されることは、ありうる。しかし、もっとも一般的には、儀礼の演出者によって経験された感情と行なわれた所作との間には、何の関連もない。泣く人が、苦悩によって、もっとも打ちのめされているときでも、誰かが何かの世俗的興味に繋がる話を向けると、彼らは、たちまち顔色と調子を変えて、にこやかに、もっとも愉快に語ることが、しばしばある。喪は、残酷な喪失によって傷つけられた。私的感受性の自然な運動ではない。それは、集団から課せられた義務である。ただ、悲しいから歎くのではなくて、歎かねばならないからである。それは、風習を尊重するために探るべく強制された儀礼的態度であり、個人の情的状態から、かなりの程度、独立している。この義務は、なおまた、あるいは神話上、あるいは社会的の罰によって裁可されている」



そして、デュルケムは以下のように、喪の儀礼についてまとめています。
「喪の儀礼は、霊魂に帰されている副次的特色のいくつかを決定するだけでなく、また、霊魂が身体を失っても生きている、という観念とおそらく無縁ではない。縁者の死に際して行なわれる行事を了解するためには、これらの行事が死者にとって無関心ではない、と信じることを強いられる。ひろく喪の間に行なわれる血の溢出は、死者に捧げられた供犠である。したがって、死者の何ものかが生き残っていなければならない。ところが、これは身体ではない。身体は、明白にも、動かず、解体するのであるから、それは霊魂以外のものでありえない。もちろん、原初の残存観念において、これらの考察がどのような役割を占めたかを精確にいうことは、不可能である。けれども、礼拝の影響が、ここでも、他所におけると同じであったことは、真実らしい。儀礼は人格的存在に向けられる、と人が想像するとき、儀礼はより容易に説明できる。したがって、人間は、宗教生活に神話的存在の影響を拡張するようになった。喪を説明するために、人々は、墓の彼方に霊魂の存在を延長した。これは、儀礼が信念に反応する様式の一つの新らしい例示である」



「結論」で、デュルケムは再び「宗教力」について述べます。
「宗教力は、人間力であり、道徳力である。もちろん、集合的感情は、外的対象に固着してでなければ、自らを意識しえないから、宗教力は事物から自己の特色のあるものを取り入れずには構成されなかった。すなわち、こうして、一種の物理的性質を獲得したのである。このようにして、物質世界の生活に混淆してきたのである。そして、また、宗教によって、人は、この世界に行なわれていることを説明できる、と信じたのである。しかし、宗教力を、この側面から、この役割からしか考察しなかったら、そのもっているもっとも皮相なものしか見えてこないのである。実際、宗教力が作られた本質的な要素が借用されたのは意識からである。それは、人間の形態で考えられたときだけに、人間的特色をもつのが、普通であるように思われる。しかし、もっとも非人格的な、もっとも匿名的なものでさえ、客観化された感情以外のものではない」



最後に「結論」において、デュルケムは宗教の本質について喝破します。
「祝祭・儀礼、つまり、礼拝が宗教のすべてではない。宗教とは、単なる行事の体系ではない。それは、世界を説明することを目的とする観念の体系でもある。われわれは、もっともささやかな宗教でさえ、宇宙観をもっていることをみた。宗教生活のこれらの二要素間にどんな関係がありうるとしても、両者は、依然として、著しく違っている。一つは、行動の側に赴いて、これをよび起し、規定する。他は、思考の側に赴いて、これを豊富にし、組織にする。したがって、両者は同じ条件に依っていない。したがって、後者が、前者と同じように、普遍的で永久な必然性に対応できるかどうかを問うてみる余地がある」



上下巻で800ページを優に超える本書を読了して、わたしは「これほど宗教の本質に迫った本はないのではないか」と思いました。そして、宗教を個人的体験としてではなく、集合的実在を表明する集合表象として理解するデュルケムの立場は孔子孟子儒教的世界観に非常に近い印象を受けました。じつは最近、「柳田國男は孔孟的で、折口信夫老荘的である」という考え方を玄侑宗久氏からお聞きし、大いに納得したのですが、鎌田東二氏も同意見でした。ブログ「ムーンサルト・トークセッション」で紹介したイベントで鎌田氏と対談したとき、わたしはそのことに触れつつ、「デュルケムも柳田的であり、孔孟的であると思います」と述べました。それを聞いた鎌田氏は「なるほど!」と即座に同意して下さいました。



エミール・デュルケムという稀代の大学者は、儀礼というものには集団の精神的紐帯を強化し、社会生活を円滑に送る機能があったことを見抜いていたように思えます。本書には「宗教力」という言葉が登場しますが、デュルケムは「儀式力」もよく知っていたのでしょう。当然ながら本書でも儀礼や儀式には再三言及されており、『儀式論』(弘文堂)を書く上で最高の参考文献の1つになりました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年3月22日 一条真也