靖国で考えたこと

一条真也です。
この記事で、100本目となります。早いものですね。
ブログ「靖国神社」に書いたように、久々に靖国参拝しました。
安倍内閣の閣僚が靖国参拝することについて、中国や韓国が抗議をしているようですが、自国の死者への慰霊や鎮魂の行為に対して、他国が干渉してくるなど言語道断です。そんな「礼」の精神の欠片もない人々は、『徹底比較!日中韓 しきたりとマナー〜冠婚葬祭からビジネスまで』(祥伝社黄金文庫)でも読んで「礼」の基本を勉強していただきたい。わたしは、「葬礼」こそは各民族を超えた人類の精神文化の核であると確信しています。


久々に靖国神社を訪れました



わたしは、安倍首相の参拝はもちろん、本来は天皇陛下がご親拝をされるべきだと思っています。なぜなら、靖国に祀られている英霊たちの多くは昭和天皇の命によって戦地に赴き、その尊い命を落としたわけですから、命令者である昭和天皇の御長男である今上天皇靖国をご親拝され、「みなさん、もう戦争は終わりました。本当にお疲れ様でした。どうぞ、安らかにお眠り下さい」とお祈りをされて、初めて戦争は終結すると思うのです。供養の本質とは、死者に「死者であること」を自覚させ、より良き世界へと送ることにあり、先の戦争で亡くなられた英霊を供養することができるのは天皇陛下を置いてほかにはいません。


ぜひ、天皇陛下靖国参拝を!



それとは別に、わたしは靖国神社に対しては考えがいろいろとあります。
「一条さんは、靖国問題についてどう思われますか?」という質問をよく受けます。どうも、わたしは死者供養の専門家のように見られている部分があるようですので、そのせいかもしれません。
わたしは、靖国問題を単なる政治や宗教の問題としてではなく、日本人の「慰霊」や「鎮魂」の根幹に関わる問題としてとらえています。
それは結局、誰を祀るかという慰霊対象の問題に尽きると思います。


 
靖国神社には現在、約250万柱の英霊が祀られていますが、一般に思われているように明治維新以来の日本人兵士全員が祀られているわけではありません。そこに祀られているのは官軍の兵士のみです。靖国神社の前身である東京招魂社は、1896年6月の第一回合祀で幕末以来の内戦の「官軍」つまり新政府軍の戦死者3855人を祀って以来、靖国神社となってからも今日まで、内戦の死者としては官軍の戦死者のみを祀り、「賊軍」つまり旧幕府軍および反政府軍の死者は祀っていません。



同じ日本人の戦死者でも、時の政府に敵対した戦死者は排除するというこの「死者の遇し方」は、戊辰戦争の帰趨を決した会津戦争の戦死者への扱いに象徴されます。官軍の戦没者たちを手厚く弔った一方で、会津側戦死者3000人の遺体は、新政府軍によって埋葬を禁じられました。
西軍は、かの白虎隊を含む東軍の戦死者全員に対して「絶対に手を触れてはいけない」と命令したのです。もし、あえて手を触れる者があれば、その時は、厳罰に処するとしました。したがって、だれも東軍戦死者を埋葬しようとする者はなく、死体はみな、狐や狸などの獣や鳶や烏などの野鳥に食われ、また、どんどん腐敗して、あまりにもひどい、見るも無残な状態になっていたそうです。
会津藩士のみならず、鳥羽・伏見の戦いにせよ、函館・五稜郭の戦いにせよ、国内最後の内戦である西南戦争にせよ、その賊軍戦没者はだれ1人として靖国神社は祀っていません。近代日本をつくるうえであれほど多大な功績のあった西郷隆盛さえ祀られていないのです。



国内の戦死者ですら祀らないのですから、日本が戦争で戦った相手国の戦死者は当然のように祀られていません。しかし、日本の中世・近世には、仏教の「怨親平等」思想というものがあり、敵味方双方の戦死者の慰霊を行なう方式が存在しました。北条時宗建立の円覚寺は文永・弘安の役、つまり「元寇」の、島津義弘建立の高野山奥の院・敵味方供養碑は文禄・慶長の役、つまり「朝鮮出兵」の、敵国と自国双方の戦死者の慰霊を目的としています。



外国軍との戦争においても怨親平等の弔いがあったほどですから、日本人同士の戦争においては、中世・近世にそうしたケースはもっと多く確認できます。
たとえば、平重盛の紫金山弦楽寺、藤沢清浄光寺遊行寺)の敵味方供養塔、足利尊氏霊亀天龍寺足利尊氏・直義兄弟の大平山安国寺、北条氏時玉縄首塚などです。永平寺で修行した日本史学者の圭室諦成は名著『葬式仏教』において、「日本においては中世以後、戦争で勝利をえた武将は、戦後かならずといっていいぐらい、敵味方戦死者のための大施餓鬼会を催し、敵味方供養費を建てている」と述べています。



靖国神社に祀られているのが、軍人および軍属のみというのも疑問が残ります。
ひめゆりの乙女たちは従軍看護婦つまり軍属であったため、祀られています。知覧の地より飛び立っていった神風特攻隊の若き桜たちも祀られています。そういう日本軍の末端におられた方々が東條英機元首相らA級戦犯とされた重要人物たちと分け隔てなく平等に祀られているのは評価できるのですが、そこには民間人が一切入っていません。東京大空襲沖縄戦の犠牲者も、広島や長崎の犠牲者も、いわばみな国のために死んでいったのに、民間人である限りは靖国神社にその魂は入れないのです。これも、どうも納得できません。


靖国神社で考えました



わたしは「死は最大の平等である」であると信じています。
ですから、死者に対する差別は絶対に許せません。
官軍とか賊軍とか、軍人とか民間人とか、日本人とか外国人とか、死者にそんな区別や差別があってはならないと思います。
いっそのこと、みんなまとめて同じ場所に祀ればよいと真剣に思うのです。
でも、それでは戦没者の慰霊施設という概念を完全に超えてしまいます。
靖国だけではありません。アメリカのアーリントン墓地にしろ、韓国の戦争記念館にしろ、一般に戦没者施設というものは自国の戦死者しか祀らないものです。
しかし、それでは平等であるはずの死者に差別が生まれてしまう。



では、どうすればよいか。そこで登場するのが月です。
靖国問題がこれほど複雑化するのも、中国や韓国の干渉があるにせよ、遺族の方々が、戦争で亡くなった自分の愛する者が眠る場所が欲しいからであり、愛する者に会いに行く場所が必要だからです。
つまり、死者に対する心のベクトルの向け先を求めているのです。
それを月にすればどうか。月は日本中どこからでも、また韓国や中国からでも、アメリカからでも見上げることができます。
その月を死者の霊が帰る場所とすればどうでしょうか。
これは古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方をそのまま受け継ぐものです。


「Ray!」2005年9月度特別訓示


スペシャルメッセージの「終戦60周年に思う 月面聖塔は人類の平等院」にも書きましたが、終戦60周年の夏、わたしは靖国神社を参拝しました。
その後、東京から京都へ飛び、宇治の平等院を訪れました。
もともと藤原道長の別荘としてつくられた平等院は、源信の『往生要集』に出てくるあの世の極楽を三次元に再現したものでした。
道長はこの世の栄華を極め、それを満月に例えて「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けこともなしと思へば」という有名な歌を残しています。



わたしは、「天仰ぎ あの世とぞ思ふ望月は すべての人が帰るふるさと」と平等院で詠みました。死が最大の平等ならば、宇治にある「日本人の平等院」を超え、月の下にある地球人類すべての霊魂が帰り、月から地球上の子孫を見守ってゆく「地球人の平等院」としての月面聖塔をつくりたいです。
靖国から月へ・・・・・。平等院から月面聖塔へ・・・・・。
これからも地球に住む全人類にとっての慰霊や鎮魂の問題を真剣に考え、かつ具体的に提案していきたいと思っています。


天仰ぎ あの世とぞ思ふ望月は すべての人が帰るふるさと



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年4月25日 一条真也