一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「易」です。

 

 

東洋思想の大家であり、数多くの政治家や実業家の心の師であった安岡正篤は、非常に変化の激しい時代を生き抜くために「易」というものを重視していました。彼がよく語ったところによれば、いわゆる俗的な解釈とは違って、易とは変化の理法を説く学問であり、人間世界の偉大な統計的研究にほかなりません。

 

 

論語』には、「五十もって易を学べば、またもって大過なかるべし」という孔子の言葉が出てきます。50歳になると誰でも人生というものを考えます。よほどの横着者か、馬鹿でない限り、何か考えます。「俺はこれでいいんだろうか、こんなことで俺の人生というものは一体どういう意義があり、価値があるのか」と考えない者はいないはずです。孔子ほどの偉大な哲人、聖人が、「五十歳で易を学ぶ」と発言していることは教えられるところ大です。

 

 

中国には「易姓革命」という重要な思想があります。『孟子』に書かれていますが、王朝が変わることです。中国の天子は天命、天の命によって天下を治めます。しかし、歴史の流れの中では不徳の為政者が出てきます。徳のない為政者が出ると、徳をもった別の人が天命を受けて新しく天下を治める。これが易姓革命です。 この易姓革命によって中国の歴史を見ると、見事に王朝の交代が説明できます。有徳の士が天下を取る。しかし、その王朝に不徳の天子が出てくると、易姓革命によって姓が変わらざるをえなくなる。中国の歴史はこういう攻防の繰り返しです。



中国のみならず、西欧の歴史も易姓革命と関係がある、と安岡正篤は見ていました。第一次世界大戦後に「西欧の没落」というテーマがヨーロッパで大変な関心を呼びましたが、安岡が易について語るときにいつも触れたのが、オズワルド・シュペングラーとアーノルド・トインビーという2人の歴史家です。彼らの著作を読むと、よくもこれほど歴史を研究したなというぐらいよく勉強しています。2人は世界の歴史を徹底的に調査し、その研究成果に基づいて、西欧文明は没落の道を辿っているという衝撃的な本を著しました。

 

 

シュペングラーは第一次世界大戦が終わった直後に大著『西洋の没落』を出しましたが、これがヨーロッパ諸国に大きな衝撃を与えました。何しろ、ヨーロッパの人々は自分たちは世界で最も優れた人種である、白人は黄色人種や黒人より偉いと絶対的な優越感を持っていたわけですから、西欧文明が没落するなど考えてもみなかったのです。

 

 

この書はトインビーを感奮させました。彼は「そうではないのだ。文明は自覚と努力によって救われるのだ」ということを明らかにしたいという悲願を立てて『歴史の研究』という大著を著しました。この時、トインビーの目を開かせ、希望と信念を与えたのが、東洋の易学でした。易を知るに及んで彼は、人類の歴史というものは過去に二十いくつの文明が興っては滅びる没落史であるという悲観主義から解脱したのです。

 

 

易というものは、民族がきわめて長い歳月を通じて得た統計学的研究とその解説であると言えます。そして自然も人生も絶えず変化してやみません。西洋の言葉で言えば「創造的進化」ということになります。易という文字には大きく3つの意味があり、その第一義は「変わる」ということ。変化してやまないということです。しかし変わるということは、その根本に変わらないものがあって初めて変わるのです。その変わる、変化してやまないというそのものを「化」といいます。自然と人生は大いなる化である、これを「大化」といいます。大化の改新というのは、この思想に基づきます。

 

 

また化の根底は不変でなければならない。不変がなければ変化という意識が生じないわけだ。そこで易の第二の意味は不易、つまり「不変」の原理です。この原則に基づいて変わる、変化を自覚し意識することです。人間の知恵が発達するにつれて、変化のうちに不変の真理や法則を探求し、それに基づいて変化を意識的、積極的に参じていきます。つまり超人間的というか、無意識的変化にとどめないで、変化を考察し、変化の原則に従って自ら変化していくという意味が出てきます。

 

 

そこで易の第三の意味は、創造的進化の原理に基づいて変化してやまない中に、変化の原理や原則を探求し、それに基づいて、人間が意識的、自主的、積極的に変化していくことです。これは「化成」と呼ばれ、人間が創造主となって運命を創造していくことです。そこでさらに進んで、この動いてやまない創造、クリエーション、進化を法則に支配されて動きの取れない宿命観に陥れずに、この運命の理法を探求して原理を解明します。



大自然あるいは、宇宙、神、そして人間の思考や意志に基づいて、自分の存在、自分の生活、自分の仕事というものを創造していくことを「立命」といいます。一口に「運命」と言いますが、大きく分けると宿命観と立命観があるわけです。いろいろな運命観がありますが、その第一に四柱推命学というものがあります。安岡正篤は、これを民間の易に基づく人間学の中で最も確かな、内容のある学問だと述べています。本当の名を「命理」といい、専門家は四柱推命学を「命理学」と呼びます。運命に関する真理の学問です。



実はわたしの母は昔から四柱推命学に通じていて、わたしの幼い頃からよく易の話をしてくれました。わたしは父に「気」を、母に「易」を学びました。受験や就職や結婚をはじめ、人生のさまざまなステージで母の四柱推命学がわたしの運命を拓いてくれたように思います。なお、「易」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


 

2023年4月日 一条真也