湯布院

一条真也です。
阿蘇山を後にしたわたしたちは、昼食を終えてから大分県の湯布院に向かいました。湯布院は「一度は行ってみたい観光地」として、女性を中心に常に上位にランキングしている温泉リゾートですね。


湯布院は雨でした・・・・・・

小川が流れています



源泉数が全国第2位であり、情緒豊かな温泉旅館が点在しています。心づくしの「おもてなし」を体感できる上質な温泉宿が多いことでも有名です。温泉は無色透明の単純温泉です。お湯は柔らかく、神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、疲労回復などに効能があるそうです。あいにく、今日は雨の中の訪問でした。


緑ゆたかな湯布院

雨の湯布院を散策する

由布岳を望む

茶店でコーヒーを飲む



ちなみに「湯布院」という地名は、昭和30年(1955年)に由布院町と湯平町が合併した際、「湯布院町」と命名されたことで生まれた町名。しかし、平成17年(2005年)に挾間町庄内町と合併し、由布市となっています。温泉の名称は「由布院」、高速道路のインターチェンジは「湯布院」、JRの駅名は「由布院」・・・まあ、どちらもありです。


いろんな店があります

研修中の人力車が走る

新しいお店が増えていました

新しい店を歩きめぐる・・・・・・



観光の中心は「湯の坪街道」。スイーツショップやカフェから地元の野菜を使ったメニューが人気のレストランから雑貨ショップや土産物屋などがメインストリートに軒を並べています。ちなみに、この日の宿である由布院ユウベルホテルからも歩いていけます。路地を少し入った所や川沿いでは、自然豊かな景色にも出会えます。


雨の金鱗湖にて



また、金鱗湖という観光スポットもあります。この湖の伝承について、由布院温泉旅館組合公式HPには次のように説明されています。
「その昔、由布院盆地は周囲を山に囲まれた大きな湖であった。
ある日、霊峰由布岳の化神・宇奈岐日女が力自慢の権現をしたがえて山の上からジッとこの広大な湖を眺めていた。やがて日女が権現に向って、『この湖を干拓 すれば、底に肥沃なる土地現れて、多くの民が豊かに暮らせよう。お前の力を以ってこの湖の堤を蹴り裂いてみよ』と命じた。権現は、『あらん限りの力を以ってお言葉のとおりに』と答え、湖の周囲を一巡りした後、湖壁の一番薄いところを見付け満身の力をふりしぼってそこを蹴り裂いた。
湖水は怒涛となって奔流し、やがて湖底から現在の盆地が現れた。
里人は宇奈岐日女を由布院開拓の祖として大きな社を建てそこに祀った。これが現在の宇奈岐日女神社である。堤を蹴り裂いた権現は川西地区の蹴裂権現社に祀られている。(御神体は大きな石) またこの時、湖の底に一匹の竜が棲んでいた。急に湖の水が減ったので神通力を失い、身をもだえながら由布山麓の岳本の 地まで来てそこの天祖神に訴えた。
『湖のすべては望みません。唯、この地に少しばかりの安住の地を与えて下さい。さすれば永くこの地を護りましょう』
竜の願いは聞き入れられ、岳本の池が残された。
その後、竜は再び神通力を得、雲を巻いて昇天した。
岳本の池は大きな池だったが、慶長の大地震で埋まり小さくなった。
明治時代、儒者・毛利空桑がこの地に遊び、魚の鱗が夕日に輝くのを見て、『金鱗湖』と名付けたのが現在の名称の起こりである」


竜の伝説をもつ金鱗湖

雨だったのが残念です



なんだか「日本むかしばなし」に出てくるような伝説ですね。
金鱗湖には複数の小川が流れ込み、温泉も湧き出ており、湖水の温度は年間を通して変わらず、気温の低い日には、湯気が立ち上がり、幻想的な情景が楽しめます。また、湯布院は温泉だけでなく「アートの街」としても知られ、絵画、彫刻などの美術館や陶芸、音楽など様々なイベントで観光客を楽しませてくれる温泉リゾートとなっています。


レトロモーター・ミュージアムの前で

鉄人28号と・・・・・・



以前、わが社も湯布院のホテルを経営しており、馴染みの深い土地ですが、じつに久々の訪問でした。昔に比べて軽井沢化が進んだというか、古き良き湯布院の情緒が薄れたような気がしました。あと、韓国からの観光客が思ったよりも多かったですね。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年6月4日 一条真也