『絶望の超高齢社会』

絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄 (小学館新書)


一条真也です。
26日、熊本・東京の出張からようやく小倉へ戻りました。
北九州市では、お年寄りの姿が目立ちます。なんといっても、政令指定都市の中で最も高齢化が進行する「日本一の超高齢都市」ですから。
『絶望の超高齢社会』中村淳彦著(小学館新書)を読みました。
「介護業界の生き地獄」というサブタイトルがついています。
ここ数日立て続けに、ブログ『未来の年表』ブログ『縮小ニッポンの衝撃』ブログ『限界国家』と、超高齢社会には絶望的な未来が待っていることを示す本を紹介してきましたが、本書はすでに現在が絶望的な状況であり、特に介護業界が生き地獄となっていることを報告しています。著者は大学卒業後、編集プロダクション、出版社を経て、現在はノンフィクションライターです。主な著書には『名前のない女たち』シリーズなどがありますが、実際に介護事業所を運営した経験があり、きれい事ではない介護の現場を知り尽くしているとのこと。


本書の帯



本書の帯には「気鋭のノンフィクションライターが現代の病巣を抉る」「2025年、介護崩壊!」「介護職は100万人不足!」「街中が徘徊老人で溢れる」と書かれています。帯の裏には、「『極道ヘルパー』は、実在していた!」というコピーに続いて、以下のような項目が並んでいます。
暴力団直営介護事業所の収益源は助成金詐欺
法務省の方針で元受刑者が介護の現場に続々投入
●介護職を徹底的に“洗脳”し、搾取する事業者
●ストレスと貧困から買春相手を探す女性介護職たち
それから、「老人はカネのなる木だ。」と大書され、続いて「魑魅魍魎の悪徳業者があなたの老後をしゃぶり尽くす」と書かれています。


本書の帯の裏



またカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。
「2025年の日本は、団塊の世代後期高齢者となり、国民の5人に1人が75歳以上、3人に1人が65歳以上となる。これまで人類が経験したことがない超・超高齢社会が到来するのだ。一方で介護職は100万人足りなくなるともいわれている。現在の介護業界は、重労働の上に低賃金ということで人が集まらない。国からの助成金を狙って暴力団が参入し、法務省の方針で元受刑者たちが介護現場に立ち始めている。女性介護職は貧困とストレスから売春に走り、男性介護職は虐待を繰り返すケースも少なくない。まさに崖っぷちの状況なのだ」



さらにアマゾンの「内容紹介」には「これが介護業界の深すぎる闇の実態だ!」として、以下のように書かれています。
「2015年には65歳以上のお年寄りが26.7%を超え、80歳以上の高齢者は1000万人を超えた。他に類を見ない超高齢社会がやってきたのである。団塊世代後期高齢者となる2025年には現在の介護職を38万〜100万人増やさなければ、パンクするとさえいわれているが、低賃金かつ重労働ということもあり、達成することは難しい。現在、介護の現場で何が起きているのか」



続けて、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「低賃金で介護職だけでは食べていくことができない女性介護職は風俗や売春を余儀なくされている現実がある。その逆に、稼げなくなった風俗嬢が垣根の低い介護業に続々入職してもいる。介護によって精神を壊された男女が集まる『変態の館』も存在する。また、暴力団がその名を隠して運営して、国から助成金を詐取したりするのは当たり前、法務省が刑期満了者を介護職に送り込むなどもうメチャクチャだ」



さらに続けて、アマゾンの「内容紹介」にはこう書かれています。
「国は苦肉の策で、介護を重点配分する外国人技能実習制度が始めるが、途上国から集まるだけに低賃金は絶対に改善されない。長生きは幸せなことである――日本ではずっとそのような価値観が根付いていた。しかし、これからは長生きが幸せとは言えない時代が到来しようとしているのだ」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
プロローグ 介護業界に人生を壊されたシングルマザー
第1章 真面目な介護福祉士が風俗嬢に堕ちるまで
第2章 貧困の連鎖は止まらない
第3章 絶望の介護事件現場を歩く
第4章 洗脳と搾取
第5章 好色介護職たちが集う狂乱の館
第6章 暴力団と元受刑者が跋扈している
第7章 「地域包括ケアシステム」と「中年童貞」という悪夢
「あとがき」



プロローグ「介護業界に人生を壊されたシングルマザー」では、さまざまな現在の介護業界にまつわる問題点のルーツは、2000年4月に始まった介護保険制度にあると指摘されます。この制度によって、公的機関が担っていた介護が民間に委譲されました。特に訪問介護通所介護の在宅分野の認可基準は極めて低く、介護とはまったく関係ない民間零細事業者の参入が激増しました。その結果、介護事業所の数は膨れあがり、訪問介護事業所は平成13年に1万1644事業所(厚生労働省調査)でしたが、14年後の平成27年にはなんと3万4823事業所になりました。高齢者の増加以上に事業所が増えたわけで、これが「様々な問題の原因となっている」と著者は見ています。



介護業界といえば、介護職の低賃金問題がよく取り上げられます。なぜ、介護職の賃金は低いままなのか。それは、介護職の低賃金問題は、介護保険事業者の収入が介護報酬にほぼ依存しているため、単純に報酬が安いことが原因です。報酬の金額は国によって決められており、介護報酬が上昇しない限り解決しようがありません。措置制度から介護保険制度に転換した最も大きな変化は、民間企業が介護事業に参入したことでしょう。著者は述べます。
「基準以上の建物と物品を揃えて、人材雇用して申請すれば認可が下りる。法人の規模や経営者に条件は何もなく、上場企業から街のラーメン店まで、あらゆる業種の法人が介護事業に進出している。介護事業所は高齢者の増加を上回って増えている状態で、飽和状態になっているが、まだ止まる気配はない。それは参入障壁が著しく低いためである」



第1章「真面目な介護福祉士が風俗嬢に堕ちるまで」では、著者は「現在、女性のカラダとセックスの価格の下落は限界まできている」として、以下のように述べています。
「2005年にデリヘルが実質合法化して、全国的に風俗嬢の圧倒的な供給過剰、男性客の需要減というデフレ状態が続く。女性の価値は下がり続け、未経験の一般的な中年女性が裸の世界に足を踏み入れると、まず厳しいデフレに巻き込まれる。現在、女性は覚悟をしてカラダを売っても最低限の生活すらできない」
『デフレ化するセックス』(宝島新書)、『日本の風俗嬢』(新潮新書)などの著書もある著者の言葉だけに重みがあります。本書では、介護職の報酬では生活していけなくなったため、現在は都内の繁華街にある格安熟女デリヘルの風俗嬢に取材をしています。彼女も週4日〜5日出勤しても、生活保護基準程度しか稼げていないそうです。著者は「かつての風俗=高給というのは、夢物語となっている」と断言します。


デフレ化するセックス (宝島社新書)

デフレ化するセックス (宝島社新書)

介護業界で働くのは、7〜8割が女性です。しかし、男性の平均賃金を100とした場合、女性は70.0(厚生労働省平成28年賃金構造基本統計調査)に過ぎません。介護業界は明らかに女性の貧困、深刻な男女格差を牽引する存在となっている上に、介護は介護業界内でしかキャリアが認められないという現状があります。結果、いくら真面目に介護に取り組もうという女性がいても、性風俗で働かざるを得なくなる構造があるというのです。著者は「女性の経済的貧困は、性風俗産業に直結する。この数年、性風俗産業に女性を最も送り出すのは、低賃金や使い捨てが浸透する介護業界となっている」と述べます。


日本の風俗嬢 (新潮新書 581)

日本の風俗嬢 (新潮新書 581)

さらに、風俗業界にも精通する著者は以下のように述べています。
「低賃金を筆頭にネガティブな問題を抱える職業に従事する女性は、売春(性風俗、個人売春)に走りやすい。女性たちに『カラダを売るしかない』という選択が思い浮かぶのは、経済的な行き詰まりからが圧倒的に多い。女性介護職で普通の生活ができるのは世帯が共稼ぎか、親元で暮らす未婚女性のみ。高齢者が好き、ありがとうと言われたい、高齢社会に貢献したいとい前向きな気持ちで介護職になっても、低賃金、そして現場の荒廃に心が折れ、性風俗へと逃げ出す女性が続出している」



本書を読んで最も関心を抱いたのは、第4章「洗脳と搾取」でした。「『現実を見せない』末期的マネジメントと介護甲子園」として、著者は述べます。
「介護には危機的に行き詰まる産業だ。特に介護職を犠牲にしない早急な改善が必要といえる。しかし、介護業界が選択したのは改善の前に、社会貢献ややりがいを煽り、若者や求職者たちが壊れる介護業界に誘導しようとする洗脳だった。現在進行形で利益や社会的名誉を摑みたい民間の経営者層を中心に、現実離れした感情論と精神論が徹底的に煽られている。『現実を見せない』という末期的なマネジメントで、危険な“介護のポエム化”が進行している。ポエム化とは整合性がなく、抽象的な言葉で着飾ること。飲食店や介護を筆頭に、労働集約型の不人気職で広がる傾向がある」



この「介護のポエム化」を見えるかしたものが「介護甲子園」なるイベントです。NHKの「青年の主張」の介護業界版のような感じですが、もともとは「居酒屋甲子園」というイベントがルーツです。2014年にNHKでは「あふれる“ポエム”?!〜不透明な社会を覆うやさしいコトバ」という番組が放送され、居酒屋甲子園は“ブラック起業の温床”とか“やりがい搾取” “若者搾取”と大きな批判を浴びました。
じつは葬祭業界でも「葬儀甲子園」なるイベントを開催しているグループがあるようですが、やはり“ブラック起業の温床”なのでしょうか?



それにしても、介護の現場で働く人々の過酷さには胸が痛くなります。
第7章「『地域包括ケアシステム』と『中年童貞』という悪夢」では、著者は「苦にはケイド要支援高齢者を市区町村に捨てた」として、こう述べます。
団塊世代後期高齢者となる世界に前例のない、超高齢社会となる2015年に向かって、国を挙げて動いている。介護職が圧倒的に足りないこと、そして介護保険の持続に黄信号が灯ること、介護の質の低下に焦る国は、次々と手を打つが、介護現場や介護保険に関するあらゆる施策は、介護に関わるすべての人々の日常やQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を悪化させて、もはや福祉の理念である『幸せ』や『豊かさ』どころか、生き地獄のような現実がある」



著者は「今後、介護施設を利用する高齢者は、豊かな介護みたいな幻想は捨てたほうがいい」と述べます。さらには、「中年童貞の攻撃性は弱者に向かう。熱湯をかけられて殺されるとか性的虐待は冗談では済まされないが、苛々する中年童貞にビンタされる、蹴飛ばされる、エロ妄想をされるくらいは覚悟して入居したほうがいいかもしれない」
そして、本書の最後を著者は「本来、介護職は介護技術、医療知識などの能力を備えた人にしかできない専門職だ。国が介入する雇用政策によって、その大前提は完全に崩壊しているのだ」という言葉で締め括ります。


「あとがき」の最後では、著者は「高齢者や高齢者の家族たちは、介護職の苦境を知ることだ」として、以下のように述べるのでした。
「高齢者たちは右肩あがりの恵まれた時代を生き、現在の若者たちは本当に苦しい。さらに社会問題となる女性の貧困は、介護保険がうまくまわらない介護業界が牽引している。十分に生きた高齢者は、高望みせず諦めることも必要だ。川崎老人ホーム転落死事件はモンスター家族の存在が引き金となったが、ギリギリの状況の中で相手を尊重しない過剰な要求は、すぐに自分たちに返る」



本書を読んで、わたしは多くのことを学びました。実際に介護業の経営者であった著者だけに、救いようのない現実を見事にレポートしてくれています。特に気になったのは、「介護のポエム化」でした。GグループのO氏、WグループのW氏など、これまで若手経営者を代表するカリスマたちが次々に介護業に手を出し、次々に舞台から退場していきました。彼らはまた美辞麗句を操る「ポエムの達人」でもありました。もともと、サービス業というものは、経営者が社員に対して「仕事の意味」「仕事の価値」「やりがい」「働きがい」のヒントを与えなければなりません。



サービスという目に見えないものを売る以上、絶対に理念というものが必要です。しかし、それがポエムであってはいけません。フィロソフィーでなければなりません。そこには一貫した論理整合性のある哲学が求められるのです。居酒屋から始まったポエム化の波は介護を経て、冠婚葬祭業にまで来ています。わたしも本を書いたり、講演をしたりと、理念型の経営者と見られているようですが、いつもブレない思想というものを意識しています。


わたしの場合は、孔子ドラッカーをはじめとした偉大な先人たちのフィロソフィーをベースに自分の考えを加えていますが、「自らの言葉と行動には必ず責任を取る」という覚悟は持っています。そして、やはり介護業の経営者には「使命」と「志」が重要だと確信します。本書を読んで、サービス業の経営者としての覚悟を再確認することができました。


絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄 (小学館新書)

絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄 (小学館新書)

2017年8月27日 一条真也

『限界国家』

限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択 (朝日新書)


一条真也です。
25日は、朝から業界関係の会議や行事ラッシュでした。
いつもは精神的にタフなわたしも少々ストレスを感じた一日でした。
それで、すべての行事と懇親会が終了した後に久々に「東京の止まり木」に寄って、桑田佳祐の「若い広場」をカラオケで歌ったところ、なんと全国で1位になりました。わたし、今年はもう、この曲しか歌いません。(笑)
でも、少子高齢化の進行で、日本中から若者の集う「若い広場」がどんどん減っています。このままでは、日本はどうなるのでしょうか?
『限界国家』毛受敏浩著(朝日新書)を読みました。「人口減少で日本が迫られる最終選択」というサブタイトルがついています。著者は、1954年徳島県生まれ。慶應義塾大学法学部卒、米エバグリーン州立大学大学院修士桜美林大学大学院博士課程単位取得退学。兵庫県庁に勤務し、現在は日本国際交流センター執行理事。外国人定住政策の専門家です。


本書の帯



本書の帯には作家の堺屋太一氏の顔写真とともに、「最悪の人口予想が現実になっている」「堺屋太一氏推薦」「奈落の人口減 日本を『姥捨列島』にしないためにできること」「移民から『次世代日本人』を育てる政策を!」と書かれています。


本書の帯の裏



また帯の裏には、国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(2017年推計)」の出産中位・死亡中位推計による年齢3区分年齢構造係数のグラフとともに、「自国民だけで人口を増やしている先進国はない」「これからの日本に果たして移民が来る魅力があるか?」と書かれています。



さらにカバー前そでには、「静かな『大津波』が日本へ向かっている。ドーンと人口が減る活力喪失の波は待ったなし、世界は固唾をのんでその行方を眺めている」として、以下のように書かれています。
「すでに介護・農漁業・工業分野は人手不足に陥っている。やがて4000万人が減って地方は消滅をむかえ、若者はいい仕事を探して海外移民を目指す時代となるだろう。すでに遅いと言われるが、ドイツ、カナダなどをヒントに丁寧な移民受け入れ政策をとれば、まだなんとか間に合う」



アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「2016年に日本の総人口は33万人も減った。
これは序の口で、いよいよ奈落の減少が始まる。
2020年代で620万人減、その後は、年間100万人近い恐ろしいペースで減り、2060年には9000万人になってしまう。しかも4割近くが65歳以上の高齢者だ。現在すでに農・漁業や小売業、サービス業、ものづくりの現場、そして介護と、人不足の波がひたひたと全業種に押し寄せてきている。拡大するばかりの耕作放棄地、人がすまなくなった集落、担い手のいない地場産業、介護から見捨てられる高齢者・・・・・・日本のいたるところが、『廃墟』になっていく。週4千人が『孤独死』するという予測さえある」



続いて、アマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「世界の人口学者は『日本はもはや手遅れではないか』と固唾をのんで見守っている。ところが、当の日本人はどうかというと、
『一人あたり生産性を上げれば経済は維持できる』
『AIやロボットの活用も見込める』
『一億総活躍で、女性や高齢者も働けば大丈夫』
『江戸時代を見直そう』
これは『竹槍』をもって巨大な敵に立ち向かうのに等しい行為だ。まさに「現実を見ない希望的観測(wishful thinking)」に終始している」



さらに続いて、アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「本書は、まず人口減により、この国が巨大な限界集落=『限界国家』化し、介護や年金などの社会基盤が立ち行かなくなるだけでなく、国の基幹産業である製造業の競争力維持にも窮して、アジアの国々に追い越されてしまう予測を描く。日本は生き残りのために、人口激減と正面から向き合い、『優秀な人を選抜して』外国人を受け入れる人材開国に踏み切らなければならない。きちんとしたルールを作らなくてはならない。まだ、時間はある。先細り閉塞感に覆われた日本が、明るい未来を持つための、一大構造改革の提言」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
巻頭推薦文「限界国家」日本を救う外国人定住化政策(堺屋太一
「はじめに」
第1章 人口減少で日本の風景は一変する
第2章 移民は「タブー」となぜ思うのか
第3章 移民受け入れの成功国・失敗国
第4章 つぎはぎの外国人受け入れ制度
第5章 日本に住む外国人の実像
第6章 迷走する政府の移民政策
第7章 「限界国家」脱出プラン
「おわりに」



巻頭推薦文の「『限界国家』日本を救う外国人定住化政策」で、堺屋太一氏は「真の大問題に口を噤む東京マスコミ」として、以下のように述べます。
「人口減少こそは、2020年代の日本が直面する最大にして喫緊の重要問題である。このことは、全国の人口減少の進んでいる地域、いわゆる『限界都市(地域)』に一ヵ月も住み、現地の産業や文化、生活に携わってみれば、誰もが痛感するはずだ。人口が減少することは、あらゆる産業が不活発になり、規模が縮小し、営業が困難になるだけではない。不動産は無価値になり、結婚は難しくなり、友達も相談相手も、お祭りやイベントも、慰め合う相手もいなくなることである」



続けて、堺屋氏は以下のように述べています。
「今や『東京を除く』日本のほとんどの地域が、そのような危機に曝されている。恐らく2020年の東京オリンピックパラリンピックの空騒ぎのあとでは、東京にも人口減少の脅威が、確実に押しかけて来るだろう。その危機に気付かぬ東京人は、いかにも遅れている。
経済が成長していた20世紀のうちは、東京は『成長の先頭に立つ街』だった。しかし人口が減少し衰退を余儀なくされた今は、東京は『最も変化に遅れた街』である。そこに拠点を置く日本の官僚やマスコミは、最も情報に遅れた、新しい事態(人口減少社会)を実感もせず、想像もできない集団となっている。日本の政府とマスコミが、今になっても外国人移民に、『反対』の態度を取り続けているのは、『遅れた街・東京』から発想するからではないか」



第1章「人口減少で日本の風景は一変する」の冒頭には「人口第激減時代が来る」として、以下のように書かれています。
「都会に住む日本人にとって人口減少を肌で感じることは難しい。電車は混み合い、イベント会場は人であふれ、最近では海外からの観光客がうなぎ登りで増え、町の喧騒は一層増しているようにさえ見える。しかし、地方都市や農村に行くと状況は一変する。中心地域は寂れシャッター通りとなった商店街も珍しくない。農村では若者の姿は数えるほどしかなく、高齢者ばかりが目につく地域も多くなった」



また、「少子高齢から『稀子超高齢』時代へ」として、著者は述べます。
厚生労働省は、認知症患者の数は2025年には700万人を超えるとの推計値を発表している。子ども、若者の数が激減する中で、他者の助けを必要とする超高齢者が増え続けるという、世界に例のない日本の現状は『稀子超高齢時代』と呼ぶほうがふさわしい。今後、社会は高齢者に対してどのように対応できるのだろうか? 誰もが疑問に思わざるを得ないだろう」



著者は孤独死の問題にも言及し、「高齢化の中で増加しているのは孤独死である。孤独死は命の軽視であり、人権問題、人間の尊厳への侮辱ともいえる。周囲に人がいれば助かる命は多いし、一人で死んでいく恐怖は想像を絶するものだろう」と述べています。中央大学山田昌弘教授は、2040年頃には年間20万人の孤独死が発生する可能性があると警告していますが、これについて、著者は以下のように述べます。
「年間20万人という数字は毎週4千人近くの孤独死が発生することを意味する。現在の交通事故の死亡者が年間4千人強であることを考えれば、いかに深刻かが理解できるはずだ。一人暮らしの高齢者が増え続けている以上、こうした最悪の事態も想定すべきかもしれない」



高齢者を取り巻く状況は悪化する一方ですが、中でも介護の現場では、すでに限界が迫っています。「危機的な『介護』人材不足」として、現状では介護人材が慢性的に不足しており、今後さらに不足は深刻化することが紹介されます。厚生労働省の巣系によれば、団塊の世代(1947〜49年生まれ)が75歳以上になる2025年度に必要な全国の介護職員は253万人となり、38万人の不足が発生すると予測されています。



高齢者の介護の担い手としてロボットの導入を期待する声があります。
しかし、著者は「介護とは命を預かる仕事であることを忘れてはならない」と強調して、以下のように述べます。
認知症の患者は人との接触がなくなると急速に病状が進むといわれる。高齢者に必要なのは血の通った人間の世話であり、温かい声かけや笑顔である。命を預かる仕事という面では老人も赤ちゃんも同じである。ロボットがそれほどよいのであれば赤ちゃんの面倒をみるのにロボットを導入しようという声があってもよいはずだが、そうした声は聞こえてこない。時間によって変わる体調、さまざまな個性を持つ高齢者に対して責任をもって対応できるのは人間以外にあり得ない」



ところで、人口減少の時代には多くの農村が消滅します。
都会人からすれば不便な暮らしを我慢しているように見える農村の人々ですが、彼らは村の祭りや年中行事といった風習を守って、日本の伝統文化を受け継いでくれている人々でもあります。彼らは身をもって、都会の人間が失ってしまった日本の伝統文化を身を保持してくれているのです。
著者は、以下のように述べています。
「日本の文化は京都や奈良にあるのではない。日本の文化のすばらしさは地域ごとに異なる多様性にこそ存在する。山を一つ越えると異なるお祭り、伝統行事、風習があるという豊饒さ。それらは、数百、数千年の年月をかけて引き継がれてきたもので、誇るべき文化である。しかし、人びとが村からいなくなればそれは地上から永遠に失われてしまうだろう。こうしている間にも、まさに絶滅危惧種のように各地で伝統文化が消えていく危機に日本中が陥っている。その事実をどれだけ多くの日本人が自覚しているだろうか」



過疎化対策として自治体関係者の間で関心を集めている事業が「コンパクトシティ」です。都市が周辺に広がってスプロール化し拡散する従来の郊外型の都市形態を改め、歩いたり、自転車で移動できる範囲に都市機能を集約することを意味します。しかし、著者は「『コンパクトシティ』の罠」として以下のように述べます。
総務省国土交通省が実施した『過疎地域等における集落の状況に関する現況把握調査』によると、2012年の時点で限界集落は1万91村落と、全体の15.5%を占めている。2050年には全国の6割以上の地域で、人口が2010年時点の半分以下になるという予測が国土交通省から出されている。将来、県庁所愛知や新幹線が止まる駅のある自治体程度を境として、その他の地域は急速に衰退が進み、ゴーストタウン化する懸念がある。『限界集落』という言葉があるが、日本列島全体が『限界国家』になる危機を迎えているのである」



現代日本出生率はどうでしょうか。厚生労働省は、2015年の人口動態調査の結果として、出生率が前年より0.04ポイント増の1.46へと2年ぶりに上昇したと発表しました。地方創生の成果と思われますが、著者は「高齢出産で出生率回復?」として、以下のように述べています。
「そもそも現在の日本では、出生率が改善しても生まれてくる子どもの数は増えないことを理解する必要がある。なぜなら、第2次ベビーブーム世代(1971〜74年生まれ)がすでに40歳代を迎える一方、子どもを産む可能性の高い20歳代、30歳代の女性の数自体が減少を続けていくからである。仮に出生率が上がっても子どもを産む女性の数自体が減るのであれば、出生率の増加は望み薄である。



第3章「移民受け入れの成功国・失敗国」では、「反移民・反離民の嵐が吹き荒れる」として、著者は以下のように述べています。
「日本のおかれた状況を冷静に判断する必要がある。
1つは日本の人口減少、少子高齢化の厳しさである。日本ほど深刻な人口問題を抱えた国は世界にはない。
2点目は日本に在住する外国人の少なさである。近年、増加傾向が見られるとはいえ、200万人強という人数は総人口の1.9%に過ぎない。人口の2割、3割を移民が占める欧米とはまったく状況が異なる。仮に日本が毎年20万人の移民の受け入れを始めたとしても、50年で1000万人。半世紀かけてもヨーロッパの割合には到底達しない。そして、ヨーロッパで移民問題の最大の焦点であるイスラム教徒について、日本では問題は存在していない」



本書では自国民だけで人口を増やしている先進国はなく、日本も移民の受け入れが必須であると訴え、「おわりに」でこう述べるのでした。
「もちろん、外国人の定住を促すのは容易なことではない。しかし、日本全体がゴーストタウン化してしまう前に、日本が好きで、やる気にあふれた外国人青年を地域社会に受け入れ、日本の再活性化を図ることは十分に検討に値すると考えた。たとえば、高齢化や人手不足で出口の見えない東北の被災地復興に東南アジアからの青年を受け入れ、日本の若者と世界に開かれた新しい地域づくりを目指す、そんな発想があってもよいのではないか。すでに国内の多くの地域では在住外国人の活動事例も多いが、残念なことに一般の市民にはまったくと言っていいほど理解されていない」



本書を読む前から、わたしは人口減少に直面する日本にとって、外国人の受け入れは最重要テーマであると考えてきました。特に崩壊寸前の介護の現場において外国人の受け入れは必要です。ブログ「外国人看護師」にも書きましたが、日本におけるヘルパー数は圧倒的に不足しています。
老老介護」が日常化している中にあって、日本人だけで介護の問題を解消するのは不可能です。やはり、外国人、特にアジアの人々に門戸を大いに開く必要があります。わたしは、日本の政令指定都市で最も高齢化が進行している北九州市を「外国人ヘルパー」養成のメッカにしたいです。
北九州市は、すでに医療や介護といった産業の最先端都市ですし。


老福論―人は老いるほど豊かになる

老福論―人は老いるほど豊かになる

以前、その考えを小倉医師会の会長である中村定敏先生(小倉第一病院院長)に申し上げたことがあります。医療先端都市・北九州を代表する医師である中村先生も非常に興味を持って下さいました。
2003年に『老福論』(成甲書房)を上梓する以前から、わたしは「人は老いるほど豊かになる」とずっと唱えてきました。
それを実現するために、「老福社会」(高齢者福祉特区)におけるインフラとして外国人ヘルパーの存在を位置づけています。
わたしは、どんどん外国人に門戸を開放すべきだと思っています。
本書『限界国家』を読んで、その思いをさらに強めました。


限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択 (朝日新書)

限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択 (朝日新書)

2017年8月26日 一条真也

『縮小ニッポンの衝撃』

縮小ニッポンの衝撃 (講談社現代新書)


一条真也です。
東京に来ています。25日は互助会保証株式会社の監査役として、同社の株主総会に出席いたします。しっかりと役を務めさせていただきます。
『縮小ニッポンの衝撃』NHKスペシャル取材班著(講談社現代新書)を読みました。2016年9月25日に放映されたNHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」の取材内容をさらに克明に記しています。ブログ『無縁社会』ブログ『老人漂流社会』で紹介した本もNHKスペシャルの番組内容を単行本化したものでしたが、本書もその流れの中にあります。本書には、まさに「絶望」しか感じられないような事実が書かれています。


本書の帯



本書の帯には「2060年までに、日本の人口は約30%減少する!」(国立社会保障・人口問題研究所の2017年低位推計)として、日本列島の姿が赤で描かれています。また、「『人口急減社会』で実際に何が起こるのか?」として、以下の記述が並んでいます。
●人口増加中なのに消滅? 東京・豊島区の衝撃予測
●税収8億円で毎年26億円返済
 過酷な財政再建に苦しむ 北海道・夕張市
●70代住民が公共サービスの担い手 島根・雲南市
●行き当てのない遺骨を大量に抱える 神奈川・横須賀市


本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
プロローグ
第1章 東京を蝕む一極集中の未来
23区なのに消滅の危機(東京都・豊島区)
第2章 破綻の街の撤退戦(1)
財政破綻した自治体の過酷なリストラ(北海道・夕張市
第3章 破綻の街の撤退戦(2)
    全国最年少市長が迫られた「究極の選択」(北海道・夕張市
第4章 当たり前の公共サービスが受けられない!
住民自治組織に委ねられた「地域の未来」(島根県雲南市
第5章 地域社会崩壊 集落が消えていく
    「農村撤退」という選択(島根県益田市京都府京丹後市
エピローグ 
    東京郊外で始まった「死の一極集中」(神奈川県・横須賀市



プロローグの冒頭は「「私たちが生きる日本。これから先、どんな未来が待っているのだろうか」という書き出しで、続いて述べられています。
「2016年に発表された国勢調査(平成27年度)によると、我が国の総人口は1億2709万人となった。5年前の調査と比べて、96万2667人の減少である。『人口減少』と言われて久しいが、実は、大正9年(1920年)の開始以来100年近い国勢調査の歴史上初めて日本の総人口が減少に転じた、ひとつの大きな節目であった。今回、大阪府も初めて『増加』から『減少』に転じるなど、全国の実に8割以上の自治体で人口が減少した。しかも、減少の幅は拡大傾向にある。私たちがこれから経験するのは、誰も経験したことのない『人口減少の急降下』だ」



明治維新が起きた1868年、日本の人口は、わずか3400万人あまりでした。その後、医療・衛生状態の改善や食生活の向上、経済成長によって、昇り竜のような勢いで増え続けてとして、以下のように書かれています。
「いま私たちが立っているのは、急上昇してきた登り坂の頂上をわずかに過ぎたあたり。ジェットコースターで言えば、スピードがゆっくりになり、これから先の凄まじい急降下を予感させる不気味な『静』の時間だ。この先には、目もくらむような断崖絶壁が待ち受けている」



続けて、「2017年に発表された最新の予測では、人口減少のペースが若干弱まってはいるものの基調はほとんど変わっていない」として、以下のように書かれています。
「国立社会保障・人口問題研究所は、出生率や死亡率の高低に応じて3パターンの予測値を発表している。真ん中の中位推計では、2053年には日本の人口は1億を切り、2065年には8808万人になるという。これから約50年間で実に3901万人の日本人が減少することになる」



しかも、人口減少と並行して、急速な高齢化が進みます。
「日本は既に15歳未満の人口割合は世界で最も低く、65歳以上の割合は世界で最も高い水準にあるが、これから8年後の2025年には、日本は5人に1人が75歳以上の後期高齢者が占める超高齢社会に突入する。これらは国が想定する未来図であり極端な悲観論ではない。日本社会は、これから世界で誰も経験したことのないほどのすさまじい人口減少と高齢化を経験することになる」



「縮小ニッポン」の未来図を見つめていくための舞台として、NHKスペシャル取材班が選んだのが「地方自治体」でした。こう書かれています。
「日本国民としてどこに住んでいても一定以上のサービスの提供を受けることは、憲法で守られた私たちの権利だ。しかし、この当たり前のことが実現困難になっている。いち早く人口が減少した自治体では税収の減少と住民の高齢化にともなう社会保障費の増大で財政が逼迫し、これまで提供してきた住民サービスの見直しを余儀なくされている」



上下水道、ゴミ収集、学校、公共住宅、公民館や図書館など、これまで当たり前に提供されてきた公的サービスがある日突然停止される。そんな事態は想像しただけでも悪夢のようですが、現実に北海道・夕張市で起ったことなのです。本書に書かれている夕張市の過酷な現状には暗澹たる気分になりました。負の遺産を背負った市民も、あえて苦境に飛び込んだ市長にも同情の念を禁じ得ません。ただ、憲法で守られている権利さえ受けられないような非常時においては、地方自治体ではなく国がサービスを提供すべきであると思います。



本書にはこれまで知らなかった人口急減社会の真実が「これでもか!」とばかりに描かれていますが、エピローグ「東京郊外で始まった『死の一極集中』(神奈川県・横須賀市)」では、行く当てのない遺骨を大量に横須賀市が抱えていることが明かされています。さらには、「東京・死の一極集中」として、以下のように書かれています。
「真面目に生きてきた人が、誰にも看取られることなく亡くなり、無縁仏にさえなれない時代。東京の見えないところで単身高齢化が進行し、今や誰もがそうならないと言い切れなくなっている。今は家族のある人でさえ、離婚や伴侶との死別でひとたび独り身になれば、同じ境遇に陥りかねない。そんな危険がすぐそこまで追ってきているのである」



また、2025年には「団塊の世代」が一斉に75歳となり、2200万人、じつに5人に1人が後期高齢者になると指摘された後、こう書かれています。
「東京をはじめとした大都市圏では医療や介護を必要とする高齢者の急増は避けられず、介護施設医療機関で最期を迎えるのはこれまで以上に難しくなる。そのため、誰にも介護してもらえず、自宅で放置され、人知れずに亡くなる人が急増するかもしれない。賃貸住宅に住んでいる単身高齢者の中には家賃を払えなくなり退去を迫られる人もあるだろう。そうなったとき、自宅でもなく、病院でもない、自分の死に場所さえ見つけられない、『死に場所難民』が出てくる、そう指摘する学者もいる」


サンデー毎日」2017年7月2日号



続いて、本書には「いま東京に起きている一極集中が『死の一極集中』へと姿を変える日は近いかもしれない。そんな恐ろしい時代への突入を横須賀市の事例は予感させるのである」と書かれています。横須賀市といえば、冠婚葬祭互助会の発祥地です。ブログ「冠婚葬祭互助会誕生の地を訪れる」で紹介したように、今年の6月、わたしが会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の定時総会が横須賀の地で開催されました。



互助会は、その名の通り、「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、全国に広まっていきました。相互扶助による儀式イノベーションを起こしたのが互助会ですが、今また同じ横須賀において、多くの人々に「死に場所」を与える仕組みが生まれれば素晴らしいことです。それもやはり、互助会の果たすべき使命ではないかと思います。


2017年8月25日 一条真也

『未来の年表』

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)


一条真也です。熊本に来ています。
ブログ「全互協総会in熊本」で紹介したように、23日は冠婚葬祭互助会の業界団体の全国総会が盛大に行われました。わが業界は人口問題と密接な関係にありますが、どうもこの国の人口はこれから激減するようです。
『未来の年表』河合雅司著(講談社現代新書)を読みました。
最近、人口問題に関する本がベストセラーの上位を独占していますが、その中でも最も売れているのが本書です。「人口減少日本でこれから起きること」というサブタイトルがついています。



著者はわたしと同年齢で、1963年名古屋市生まれ。産経新聞論説委員大正大学客員教授(専門は人口政策、社会保障政策)。中央大学卒業。内閣官房有識者会議委員、厚労省検討会委員、農水省三者委員会委員、拓殖大学客員教授など歴任。2014年、「ファイザー医学記事賞」大賞を受賞。主な著作に『日本の少子化 百年の迷走』(新潮社)があります。


本書の帯



本書の帯には以下のようなショッキングな情報が並んでいます。
2020年 女性の半数が50歳超え
2014年 全国民の3人に1人が65歳以上
2027年 輸血用血液が不足
2033年 3戸に1戸が空き家に
2039年 火葬場が不足
2040年 自治体の半数が消滅
2042年 高齢者人口がピークを迎える


本書の帯の裏



帯の裏には「2035年、首都圏も高齢者が激増!」として、「65歳以上の高齢者人口の割合」の図が掲載されています。また、「『日本を救う処方箋』も本書で提言」として、以下のように書かれています。
●24時間社会からの脱却
●中高年の地方移住推進
●非居住エリアを明確化
●第3子以降に1000万円
●「匠の技」を活用
●「高齢者」を削減 ほか



さらにアマゾンの「内容紹介」には、以下のように書かれています。
「日本が人口減少社会にあることは『常識』。だが、その実態を正確に知る人はどのくらいいるだろうか? 人口減少に関する日々の変化というのは、極めてわずか。ゆえに人々を無関心にする。だが、それこそがこの問題の真の危機、『静かなる有事』である。
書店には、人口減少・少子高齢社会の課題を論じた書物が数多く並ぶ。しかし、テーマを絞って論じるにとどまり、恐るべき日本の未来図を時系列に沿って、かつ体系的に解き明かす書物はこれまでなかった。それを明確にしておかなければ、講ずべき適切な対策とは何なのかを判断できず、日本の行く末を変えることは叶わないはずなのに、である。
本書が、その画期的な役目を担おう。第1部は『人口減少カレンダー』とし、年代順に何が起こるのかを時系列に沿って、かつ体系的に示した。未来の現実をデータで示した『基礎編』である。第2部では、第1部で取り上げた問題への対策を『10の処方箋』として提示した。こちらは、全国の公務員・政策決定者にも向けた『応用編』と言える。これからの日本社会・日本経済を真摯に考えるうえでの必読書!」



本書の「目次」は、以下のようなっています。
第1部 人口減少カレンダー
序 2016年、出生数は100万人を切った
2017年 「おばあちゃん大国」に変化
2018年 国立大学が倒産の危機へ
2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年 女性の2人に1人が50歳以上に
2021年 介護離職が大量発生する
2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する
2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
2025年 ついに東京都も人口減少へ
2026年 認知症患者が700万人規模に
2027年 輸血用血液が不足する
2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
2035年 「未婚大国」が誕生する
2039年 深刻な火葬場不足に陥る
2040年 自治体の半数が消滅の危機に
2042年 高齢者人口が約4000万人とピークに
2045年 東京都民の3人に1人が高齢者に
2050年 世界的な食料争奪戦に巻き込まれる
2065年〜 外国人が無人の国土を占拠する
第2部 日本を救う10の処方箋
――次世代のために、いま取り組むこと

序 小さくとも輝く国になるための第5の選択肢
【戦略的に縮む】
1・「高齢者」を削減
2・24時間社会からの脱却
3・非居住エリアを明確化
4・都道府県を飛び地合併
5・国際分業の徹底
【豊かさを維持する】
6・「匠の技」を活用
7・国費学生制度で人材育成
【脱・東京一極集中】
8・中高年の地方移住推進
9・セカンド市民制度を創設
少子化対策
10・第3子以降に1000万円給付
おわりに「未来を担う君たちへ」
「結びにかえて」



この「目次」の内容を見ただけで暗澹たる気分になっていまいます。
本書は、日本史上最大といってもよい「国難」を見える化していますが、その「目次」はさらにコンパクトに見える化しています。「目次」の項目名だけでもメモしておけば、会議での発言やスピーチなどに役立つことでしょう。



「はじめに」では、「“論壇”の無責任な議論」として、人口減少への対策に関してじつにピント外れな議論が目立つとして、著者は「今取り上げるべきなのは、人口の絶対数が激減したり、高齢者が激増したりすることによって生じる弊害であり、それにどう対応していけばよいのかである。経済が成長し続けたとしても、少子化に歯止めがかかったり、高齢者の激増スピードが緩んだりするわけでは断じてない」と述べています。



近年、人口減少に関する衝撃的な2つの数値が相次いで公表されました。
1つは、2015年発表の国勢調査で、人口減少が実際に確認されたことです。ここで、日本の総人口は約1億2709万5000人と発表されました。5年前の前回調査に比べると約96万3000人が減少したわけです。1920年の初回調査から約100年にして初めての減少となりました。もう1つは、翌2016年の年間出生数が初めて100万人の大台を割り込み、97万6979人にとどまったことです。



国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が発表した「日本の将来推計人口」(2017年)によれば、2015年には1億2700万人だった日本の総人口が、40年後には9000万人を下回り、100年も経たないうちに5000万人ほどに減少することが予測されています。その推計について、著者は「こんなに急激に人口が減るのは世界史において類例がない。われわれは、長い歴史にあって極めて特異な時代を生きているのである」と述べています。まったく同感です。



さらに社人研の推計によれば、西暦2900年の日本の総人口はわずか6000人、西暦3000年にはなんと2000人まで減るといいます。これについて、著者は以下のように述べています。
「ここまで極端に減る前に、日本は国家として成り立たなくなることだろう。それどころか、日本人自体が『絶滅危惧種』として登録される存在になってしまいかねないのだ。要するに、国家が滅びるには、銃弾一発すら不要なのである。『結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ』と語る人々が増え、子供が生まれなくなった社会の行き着く果てに待ち受けるのは、国家の消滅である」



「『静かなる有事』が暮らしを蝕む」として、著者は日本の喫緊の課題を以下の4点に整理し、「まず認識すべきは、社会のあらゆる場面に影響をもたらす、これら4つの真の姿だ」と述べています。
1.出生数の減少
2.高齢者の激増
3.勤労世代(20〜64歳)の激減
  に伴う社会の支え手の不足
4.これらが互いに絡み合って起こる人口減少



「2025年問題」という言葉をよく聞くようになりました。
これは、人口ボリュームの大きい団塊世代が75歳以上となる2025年頃には、大きな病気を患う人が増えて、その結果、社会保障給付費が膨張するのみならず、医療機関介護施設が不足するという問題です。しかし、「問題はそれだけにとどまらない」として、著者は述べています。
「2021年頃には介護離職が増大、起業の人材不足も懸念され、2025年を前にしてダブルケア(育児と介護を同時に行う)が大問題となる。2024年頃に向けて死亡数が激増し、火葬場不足に陥ると予測され、高齢者数がピークを迎える2042年頃には、無年金・低年金の貧しく身寄りのない高齢者が街に溢れかえり、生活保護受給者が激増して国家財政がパンクするのではないかと心配される」



第1部の「人口減少カレンダー」には、読んでいて気が滅入ってくるネガティブな予測が続きますが、わたしは冠婚葬祭を業としていますので、やはり「結婚」と「死」に関する予測が特に気になります。結婚については「2035年 『未婚大国』が誕生する」に紹介されています。厚生労働省の「人口動態統計月報年計」(2016年)によれば、2016年の婚姻件数は62万523組となり、前年に比べて1万4633組も下回り、戦後最小を更新しました。まさに「底抜け状態」と言えるでしょう。



「生涯未婚率」という言葉があります。50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合のことですが、2015年版「厚生労働白書」によれば、生涯未婚率は1990年を境にしてうなり上りの状態です。2015年の時点を見ると、男性は24.2%で4人に1人、女性は14.9%で7人に1人ですが、2035年になれば、男性は29.0%で3人に1人、女性は19.2%で5人に1人が生涯結婚しないことが予測されます。



日本は「未婚大国」となるわけですが、「交際には消極的だが結婚への意欲は強い」として、著者は以下のように述べています。
「若者が本当に恋愛への関心をなくしたのであれば、多くの男女が『自分には魅力がない』と不安を口にする必要などないはずだ。むしろ、『恋人がいない』状況が長期化したことによって自信を失い、恋愛や結婚が難しいことを正当化しようという意識が働き、それが消極姿勢として表れていると考えられる」



著者は、男性の34.2%、女性の47.6%が「交際相手との結婚を考える」としている点に注目します。これは「結婚に結びつかない恋愛はありえない」ということで、これについても「結婚相手となるような相手が簡単には見つかるはずもない」ということを、恋人がいない言い訳の1つにしていると推測しています。著者は「いずれにしても、未婚者の増加をこのまま放置したのでは、将来の独居高齢者につながり、次世代は『社会コスト』の増大を押し付けられることになる」と述べます。
わが社は「オークパイン・ダイヤモンドクラブ」という婚活サポート事業を展開していますが、日本の未来にとってきわめて重要な仕事と考えます。



それから冠婚葬祭の「葬祭」に関する予測では、「2039年 深刻な火葬場不足に陥る」が参考になりました。超高齢社会は「多死社会」とセットになっていますが、厚労省「人口動態月報年計」では、2016年の年間死亡者数は130万7765人で戦後最多を更新しました。社人研の推計では、2030年に死亡者数は160万人を突破し、2039、2040両年の167万9000人でピークを迎えます。その後もしばらくは160万人レベルで推移します。しかしながら「多死社会」への備えは十分とは言えず、死亡者数の増大で斎場や火葬場の不足が懸念されています。



この問題について、著者は以下のように述べています。
「問題を根本的に解決しようとするなら、斎場や火葬場を増やすしかないわけだが、簡単なことではない。誰もが御世話になる施設でありながら、いざ具体的な建設計画が持ち上がると地域住民から必ず、『地域のイメージが悪くなる』などといった反対の声が上がるからだ。新設には用地取得や地域住民の理解が極めて高いハードルとなり、遅々として進まない。しかも、将来的には人口減少によって死亡者数自体も減る。新設にあたってはこうした点も勘案しなければならない。現実的にはあり得ない話なのだが、もし死亡者数のピーク時に合わせてどんどん増やすことができたとしても、いずれは過剰となるのだ」



この問題に関して、わたしは多くを語りません。
しかしながら、自分なりの未来予想図はあります。
もうすぐ施設数が70を超える紫雲閣グループでは「セレモニーホールからコミュニティセンターへ」をスローガンに掲げていますが、その具体的実践として、「隣人祭り」から「盆踊り」まで各種イベントの開催、「こども100番」や「赤ちゃんの授乳」場所の提供なども行っています。さらには日本最初の総合葬祭会館として知られる「小倉紫雲閣」の大ホールを映画館としても使う計画があります。主に「友引」の日を選んで、「老い」や「死」をテーマとした映画作品を上映し、高齢者の方々を中心に「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に得る場にしたいと考えています。「友引の日は映画を観よう!」をキャッチフレーズに、明るい世直しに取り組んでいきたいと考えています。



第2部「日本を救う10の処方箋――次世代のために、いま取り組むこと」では、人間ではなく、蔵書を“地方移住”させる「知の巨人村」構想に興味を持ちました。人口が減る地方都市が、定年退職を迎えた大学教授が抱える学術書や資料や美術品を保管するというアイデアですが、これは面白い。たしかに地価の高い大都市よりも地方都市に蔵書を集めるべきです。蔵書を預けた一流の学者も定期的に訪れ、各地に「知」の花が咲くことでしょう。



本書を読んで暗澹たる気分になりましたが、よく考えたら将来の日本が外国から大量の移民を受け入れることが前提になっていません。あくまでも、移民受け入れを拒否し続けていたらどうなるかという予測であり、本書のヒットが移民受け入れの機運を高めるようにも思えます。
そして、わたしの本業である冠婚葬祭業が国を救う「世直し」の仕事であることを再確認し、改めて誇りを持つことができました。


2017年8月24日 一条真也

『多動力』

多動力 (NewsPicks Book)


一条真也です。
『多動力』堀江貴文著(幻冬舎)を読みました。
出版不況もどこ吹く風で、大ベストセラーになった本です。
「全産業の“タテの壁”が溶けたこの時代の必須スキル」というサブタイトルがついています。著者は1972年福岡県生まれ。事業家として、現在は宇宙ロケット開発や、スマホアプリ「TERIYAKI」「755」「マンガ新聞」のプロデュースを手掛けるなど幅広く活動を展開しているとか。


本書の帯



表紙カバーには著者の顔が大写しの写真が使われ、帯には「何万の仕事を同時に動かす『究極の力』」「大反響!12万部突破!!」と書かれています。また帯の裏には、「『多動力』とは、『自分の生き方』を1秒残らず使い切る生き方のことだ」と書かれています。



さらにアマゾンの「内容紹介」には、「堀江貴文のビジネス書の決定版!!」として、以下のように書かれています。
「1つのことをコツコツとやる時代は終わった。これからは、全てのモノがインターネットに繋がり、全産業の“タテの壁”が溶ける。このかつてない時代の必須スキルが、あらゆる業界の壁を軽やかに飛び越える『多動力』だ」


本書の帯の裏



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった
第2章 バカ真面目の洗脳を解け
第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ
第4章 「自分の時間」を取り戻そう
第5章 自分の分身に働かせる裏技
第6章 世界最速仕事術
第7章 最強メンタルの育て方
第8章 人生に目的なんていらない
「あとがき」


正直言って、以前のわたしは著者に良い印象を持っていませんでした。その理由はいくつかあるのですが、何よりも例の「金で買えないものはない」という有名すぎる一言に集約されます。その言葉を知ってから、「とんでもない奴だ」と思っていたわけです。しかし、旧ライブドアの元社長であった著者が2011年に証券取引法違反罪で実刑が確定し、服役してからは、その見方が変わりました。刑務所の中で1000冊もの本を読破したという著者の発言に深みが出てきたからです。詳しくは、ブログ『刑務所なう。』ブログ『刑務所なう。シーズン2』をお読み下さい。いろいろあっても、やはり頭脳明晰であり、未来を読む力のある才人だと、今では思っています。


さて、本書のタイトルにもなっている「多動力」とは何か。
それは、「いくつもの異なることを同時にこなす力のこと」だそうです。
じつは、わたしも多くのことを同時にこなす毎日を送っていますので、「多動力」には興味が湧きました。まあ、なんでも「力」をつければいいという旧態依然の出版業界のパワー・ゲームは苦手ですけれども・・・・・・。


著者は若くして起業した頃から、いずれはインターネットがすべての産業を横串で刺し、あらゆる仕事の基幹システムになるだろうと確信していたそうですが、その理由はインターネットが「水平分業型モデル」だからでした。「はじめに」で、著者は以下のように述べています。
「『水平分業型』の反対は、『垂直統合型モデル』で、その代表としては、テレビ業界がわかりやすい。テレビ業界は各局が番組制作から電波の送信まであらゆるレイヤーの業務を垂直に統合している。また、リモコンを観ればわかるように、限られたチャンネルによる寡占状態なのでイノベーションは起きにくい。反対に、インターネットは『水平分業型モデル』だ。電話もフェイスブックも、動画もゲームも電子書籍も、すべてスマホ上のアプリという1つのレイヤーの中に並べられる」


最近、ニュースなどで「IoT」という言葉をよく耳にします。
これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットとつながっていくことを意味します。調査会社ガートナーによれば、2014年の時点でネットにつながっているデバイスの数は38億個ですが、2020年になると200億個を超えると予想されているといいます。このことを踏まえて、著者は「つまり、テレビなどの家電はもちろん、自動車も、家も、ありとあらゆる『モノ』がインターネットにつながるということだ。すべての産業が『水平分業型モデル』となり、結果“タテの壁”が溶けていく」と述べています。



たとえば、テレビとインターネットがつながると、テレビはスマホアプリの1つとなり、電話やフェイスブックと同じレイヤーで競争することになります。また自動車がインターネットにつながって自動運転が進めば、自動車はもはや移動する「イス」となり、インテリア業界とのタテの壁がなくなります。
著者は、「この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく『越境者』だ。そして、『越境者』に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる『多動力』なのだ」と述べています。



第1章 「1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった」では、「三つの肩書き
をもてばあなたの価値は1万倍になる」というのが興味深かったです。著者は、元リクルート藤原和博氏が唱えている「レアカードになる方法」を以下のように紹介します。
「まず、1つのことに1万時間取り組めば誰でも『100人に1人』の人材にはなれる。1万時間というのは、1日6時間やったと考えて5年。5年間1つの仕事を集中してやれば、その分野に長けた人材になれる」


ここで軸足を変えて、著者は「別の分野に1万時間取り組めば何が起きるか」として、以下のように述べます。
「『100人に1人』×『100人に1人』の掛け算により、『1万人に1人』の人材になれる。これだけでも貴重な人材だ。さらに飽き足らずまったく別の分野にもう1万時間取り組めば、『100人に1人』×『100人に1人』×『100人に1人』×『100人に1人』=『100万人に1人』の人材が誕生する。ここまですれば、あなたの価値と給料は驚くほど上がる」



また、著者は「肩書きを掛け算することであなたはレアな存在になり、結果的に価値が上がる。仕事を掛け算するとき、似通ったワラジ同士より遠く離れたワラジを掛け合わせたほうが、その希少性は高まる」とも述べます。
著者の場合、仕事と遊びの境界線など関係なく、ワクワクすることに次から次へと飛びついていった結果、無数のワラジを同時に履く生き方になっていたそうです。これには、肩書の多いわたしにも思い当たる節はあるのですが、あくまでもわたしの場合は 天下布礼という大きな目的に向かった結果であると自分では思っています。



第2章「バカ真面目の洗脳を解け」では、「手作り弁当より冷凍食品のほうがうまい」という項が印象的でした、ここには著者の仕事観が明確に示されています。たとえば、次のように述べています。
「緩急を使いこなすことこそ仕事の本質だ。
僕は毎週のメルマガを一度も欠かしたことがない。メルマガを書く時間を十分に取れないこともある。しかし、隙間時間に冷蔵庫のありものの食材で料理するかのごとく、過去に書いた自分の記事のエッセンスを抽出し、組み合せるなど、やり方を工夫する。
メルマガの中には発行者の都合で遅延をしたり配信がなくなったりするものもある。そのメルマガの発行者はできるだけクオリティが高いものをと思っているのかもしれないが、読者にとっては毎週必ず届くことの方が大事だ」



これには大いに納得、共感しました。わたしも本業の経営業務の他に、作家として本を執筆し続け、多くの連載も抱えています。ついには週刊誌の連載コラムまで引き受けてしまいましたが、これまで締め切りに遅れたことは一度もありません。どんなメディアの連載でも、必ず締め切りの前日までには入稿してきました。著者は以下のように述べています。
「『完璧主義者』は、何度もやり直し、1つの仕事にアリ地獄のようにハマってしまう。目指すべきは、完璧ではなく、完了だ。目の前の仕事をサクサク終わらせ、次に行く。そして前の仕事には戻らない。『完了主義者』こそ、大量のプロジェクトを動かすことができる」


サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

本書の内容で最も共感したのは、第5章「自分の分身に働かせる裏技」の「教養なき者は奴隷になる」でした。今や読書家となった著者は、ブログ『サピエンス全史』で紹介した本を取り上げ、「教養を体系的に身につけるための格好の良書」と絶賛しています。そして以下のように述べています。
「教養なき者は、『今』という時代の変化に振り回され、目の前の仕事をこなす歯車で終わってしまう。反対に『教養』があれば、ジャンルを横断する『原液』となるものを生み出すことができる。急がば回れ。表面的な情報やノウハウだけを身につけるのではなく、気になった物事があれば歴史の奥まで深く掘って、本質を理解しよう」
『サピエンス全史』もそうですが、わたしは時々、「宇宙」や「歴史」をテーマとしたスケールの大きな本を読むことにしています。日常の生活や仕事で狭くなりがちな視野を一気に拡大してくれるからです。そして、そこで得た教養は必ず新しい見方や発想をもたらしてくれます。


孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

とまあ、わたしが著者の意見に共感ばかりしているようですが、やはり最後の最後で共感できませんでした。本書の最終章である第8章「人生に目的なんていらない」の最後に、著者は「今がすべてであり、『将来の夢』や『目標』なんて必要ない。『想定の範囲外』の新しいプロジェクトが次から次へと頭に浮かび、毎日がおもしろくてたまらない。僕はそんな人生を送っていきたい」と書いています。これには大いに違和感を覚えました。拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きましたが、仕事をする上で「夢」や「目標」はやはり大切です。ひいては「使命」と「志」が必要だと確信します。



著者はかつてニッポン放送などの買収を企む「M&A」の人でししたが、経営者や事業家には「Mission(使命)」と「Ambition(志)」の「M&A」が必要なのではないでしょうか。それがあってこそ、ワクワクする人生が送れるのではないでしょうか。著者が絶賛した『サピエンス全史』には「文明の構造と人類の幸福」というサブタイトルがついていますが、やはり社会を変えようとするのならば、「人類の幸福」というものを視野に入れないといけません。著者は、この名著から一体何を学んだのでしょうか?



著者は、本書『多動力』を渾身の力で書いたそうです。
「多動力」を身につければ、仕事は楽しくなり、人生は充実すると確信しているという考えには基本的に賛成です。ただし、そこには「使命」と「志」が不可欠ですが・・・・・・。本書を読了して、わたし自身も「多動力」と関係の深い人生を送っていると思いました。そして、多くの仕事を同時にこなしていくには「スピード」よりも「リズム」が大切ではないかと思いました。リズムさえつかんでいれば、レアカードになれる可能性が高まるのでしょう。



2017年8月20日 一条真也

『これからの世界をつくる仲間たちへ』

これからの世界をつくる仲間たちへ


一条真也です。
ブログ『〈インターネット〉の次に来るもの』で紹介した本を読んだら、ITが拓く新世界と人間にとっての労働についてもっと知りたくなりました。そこで、『これからの世界をつくる仲間たちへ』落合陽一著(小学館)を読みました。



著者は「現代の魔法使い」と呼ばれるメディアアーティストで、現代の若者から人気があるそうです。1987年生まれ。現在は筑波大助教を務めています。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。IPA(独立行政法人情報処理推進機構)認定スーパークリエータ。超音波を使って物体を宙に浮かせ、三次元的に自由自在に動かすことができる「三次元音響浮揚(ピクシーダスト)」で、経済産業省「Innovative Technologies賞」を受賞。ちなみに、父は作家の落合信彦氏です。


本書の帯



帯にはヨージ・ヤマモトの黒い服と帽子で本物の魔法使いのようなファッションをした著者の写真とともに、「人呼んで『現代の魔法使い』。世界が注目する異能の研究者が語る『すべてが変わる近未来』――」『コンピュータがもたらす新世界で輝くために、大切にすべきことがわかる一冊!』Nakajin(SEKAI NO OWARI)」と書かれています。
また、帯の裏にはスカートをはいた著者の後姿とともに、「『ほんとうの21世紀』がやってきた今こそ、知っておくべきことがある」と書かれています。


本書の帯の裏



さらに、アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。
「これから世界がどう変わるのか、教えよう
著者・落合陽一氏は、28歳という若さにして、世界的にも『社会を変える』と見られている最先端の研究者だ2015年には、米the WTNが技術分野の世界的研究者を選ぶ『ワールド・テクノロジー・アワード』を受賞する快挙を成し遂げた。月刊『文藝春秋』(2016年2月号)では『日本を元気にする逸材125人』に選ばれた。『現代の魔法使い』と称され、『嵐にしやがれ』『サンデー・ジャポン』などメディアにも数多く出演、メディアアーティストとしても活躍している」



続けて、アマゾンの「内容紹介」はこう続きます。
「落合氏は、コンピュータが人間の生き方に根本的な変革を迫っているという。世の中のすべてが変わる。たとえば、これまでのホワイトカラーの仕事は、何もかもコンピュータに持っていかれる。勉強していくら知識を得ても何の役にも立たない時代になる。そんな世界で生き抜くためにどうすればいいのか。落合氏は若者たちに熱く語る。『魔法をかけられる側になってはいけない。魔法をかける人間になれ』と――」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
プロローグ 「魔法をかける人」になるか、「魔法をかけられる人」になるか
第一章  人はやがてロボットとして生きる?
第二章  いまを戦うために知るべき「時代性」
第三章  「天才」ではない、「変態」だ
エピローグ エジソンはメディアアーティストだと思う


プロローグ「『魔法をかける人』になるか、『魔法をかけられる人』になるか」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「21世紀が来て16年、今世紀のすでに6分の1を消費したいま、僕はやっと『ほんとうの21世紀』がやってきたような気がしています。ここで『ほんとうの21世紀』という言葉を使った意味は、前世紀の人類を支配していたパラダイム、映像によって育まれてきた共通の幻想を基軸とした思想の統治がようやく抜け落ちてきた、または変化してきたなという実感があるからです」



著者は「現代の魔法使い」と呼ばれています。なぜか。
それは、著者が東京大学で博士論文を考えている頃、ハードウェアという「魔法」が見えないようにして描かれるようなユーザー体験を「現実」としての物理世界に作りたいと考えていたときに「魔法を実現する」とか「魔法使い」といったフレーズをよく使っていたことに起因するそうです。


そんなときに「ホリエモン」こと堀江貴文氏が作品のインタビューで著者の研究室を訪れ、「魔法使い」に「現代の」をつけて記事のタイトルにしたそうです。著者は「キャッチ―なのでからかわれることも多いのですが、わかりやすいし、ハードウェアとしての『魔法』とデジタル社会のブラックボックス化としての『魔法』が象徴的に結びつくので、僕自身は気に入っています」と述べています。


魔法の世紀

魔法の世紀

著者は、前著のタイトルにもあるように、21世紀は「魔法の世紀」だと考えています。コンピューターの発達が現代社会を魔法的に変えていったというのです。1981年にアメリカの社会批評家であるモリス・バーマンは「世界の再魔術化」を指摘しましたが、さらに大きいオーダーで、現在の魔術化は進行しているといいます。



著者は「スマホという小さな道具の中で、アプリを使いこなして便利に生きているつもりでも、それは誰かが作った『魔法』の世界を見ているに過ぎないのです」として、以下のような具体例を示します。
「現金を出さずにモノが買えるのはクレジットカードという『魔法』が作り出した世界で、多くの人は『店舗からクレジット会社が手数料を取って代わりに払う。消費者はクレジット会社に後払いする』という『魔法のカラクリ』が分かっているでしょうが、スマホやコンピュータの進化で、世の中を動かしている『魔法』の仕組みを理解できず、ただ使っているだけの『魔法をかけられている人』が非常に多くなっています」



続けて著者は、「モチベーションを持ってコンピュータを下僕のように使う『魔法をかける人』になれるか、あるいは『魔法をかけられている人』のままになるのか。そこに大きな違いが生まれます」と述べます。
スマホのアプリや、SNSなどテクノロジーを単に「便利」と思って使っているうちは、「魔法をかけられている人」にすぎないのであり、それでは、技術を操ることができる人に「奪われる」だけの人生となるわけです。そして、それが嫌なら、「魔法をかける人」になれと著者は説きます。このあたりは非常に説得力があると思いました。


社会を魔術化している張本人はコンピュータです。
いま、コンピュータが人間から多くの仕事を奪うと言われています。しかし、第一章「人はやがてロボットとして生きる?」で、著者はこう述べます。
「あらゆる仕事がコンピュータに置き換わるわけではありません。たとえば工事現場の仕事は、少なくとも人間より正確に働くロボットが開発され、ローコストで実用化されるようになるまではなくならないでしょう。しかも、そうなってくると賃金はむしろ上がると思います。作業の段取りを君で指示を出す現場監督的な中間管理職がコンピュータに置き換わって不要になり、その分の人件費をブルーカラーに回せるようになるからです」



さらに著者は「共産主義で平等にならなかったのはインターネットを発明できなかったから?」として、以下のように述べます。
「これまでブルーカラーの労働者は、その仕事をマネジメントするホワイトカラーの搾取を受けてきたと言うことができます。実質的な価値を生み出しているのは現場のブルーカラーなのに、どういうわけかマネジメントをしている側のほうが高い価値を持っているように見えていました。でも、それは決して本質的な話ではありません。むしろ錯覚のようなものだと言っていいでしょう。そんな錯覚が生じていたのは、ホワイトカラーに対抗するコンピュータという概念がなかったから、それだけのことです」



続けて著者は「話はちょっと飛びますが」と断った上で、以下のように共産主義の失敗について言及します。
「たとえば共産主義が失敗したのは、そのようなコンピュータがなかったからかもしれません。もし『維持コストのかからない管理職』がいれば、労働者に富を平等に分配できるはずです。しかし実際には、マネジメントできるほどのコンピュータが存在せず、『管理職』としての共産党や役人を食べさせなければいけなかった。そこが富を搾取するから、労働者は豊かになれなかったわけです」
もちろんコンピュータさえあれば共産主義が成功していたとは思いませんが、著者のこの指摘は新鮮であり、一理あると思いました。ひと昔前の学生運動家や左翼的知識人には思いもよらない発想でしょう。



本書の内容で最もわたしの心に響いたのは、「リソースは人間の頭の中にしかない」というくだりでした。著者は以下のように述べています。
「IT化は、『革命』と呼んでいいほどの変化を資本主義にもたらしました。親がお金持ちなら、それを丸ごと相続する子もお金持ちです。だから、資本家の子は資本家になれました。
一方で、いまの時代のIT企業は物理的なリソースが不要なので、親がお金持ちでも子は『能力的な』資本家にはなれません。必要な資本は『能力の高い人間』であって、これは世代間で継承されるのではなく、遺伝子演算と教育の結果で、比較的どこからともなくランダムに湧いてきます」
つまり、お金がなくても資本家階級になれるというのです。


著者は「これによって、マルクスが考えた『階級闘争』の大前提が、ある部分で崩れ去りました。その意味で、IT革命は『革命』だったわけです」と述べています。いやあ、この著者の言葉には説得力があります。
それにしても、ホリエモンはとんでもない逸材を見つけ、「現代の魔法使い」と名づけたものです。この2人の人生観などには違和感も覚えるのですが、彼らが「未来」を見つめていることは確かだと思います。次は、ホリエモンの最近の考えを知りたくなりました。


これからの世界をつくる仲間たちへ

これからの世界をつくる仲間たちへ

2017年8月19日 一条真也

『〈インターネット〉の次に来るもの』  

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則


一条真也です。
『〈インターネット〉の次に来るもの』ケヴィン・ケリー著、服部桂訳(NHK出版)を読みました。「未来を決める12の法則」というサブタイトルがついており、原題は「不可避」を意味する『THE INEVITABLE』です。著者は1952年生まれ、1984年〜90年代までスチュアート・ブラントとともに伝説の雑誌「ホール・アース・カタログ」や「ホール・アース・レビュー」の発行編集を行い、93年には雑誌「WIRED」を創刊。99年まで編集長を務めるなど、サイバーカルチャーの論客として活躍してきました。著書に『ニューエコノミー 勝者の条件』(ダイヤモンド社)、『「複雑系」を超えて』(アスキー)、『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』(みすず書房)など。


本書の帯



本書の帯には著者の顔写真とともに、「AI(人工知能)、 ロボット、VR(仮想現実)、ブロックチェーン、シンギュラリティ」「未来を冒険するなら、この1冊があれば充分だ!」「各紙で書評続々! 読売新聞――岡ノ谷一夫氏、朝日新聞――円城塔氏、公明新聞――佐々木俊尚氏、日経新聞――石田英敬氏」「Amazon.com(2016年 Business&Leadership部門)年間ベストブック」と書かれています。


本書の帯の裏



また帯の裏には、「これから30年の間に私たちの生活に破壊的変化をもたらすテクノロジーはすべて、12の不可避な潮流から読み解ける。」「WIRED創刊編集長による最新作!」「知性がまるで家庭の電気のようにモノに流れ込む時代に何が起こるのか(それはすぐそこだ!)、本書は大切な洞察を与えてくれる。――クリス・アンダーソン(『FREE』『MAKERS』著者)」と書かれています。さらにカバー前そでには「人間の歴史の中で、何かを始めるのに今ほど最高の時はない。今こそが、未来の人々が振り返って、『あの頃に生きて戻れれば!』と言う時なのだ。まだ遅くはない。」とあります。



本書の「目次」は以下のようになっています。
「はじめに」
1.BECOMING――ビカミング
2.COGNIFYING――コグニファイング
3.FLOWING――フローイング
4.SCREENING――スクリーニング
5.ACCESSING――アクセシング
6.SHARING――シェアリング
7.FILTERING――フィルタリング
8.REMIXING――リミクシング
9.INTERACTING――インタラクティング
10.TRACKING――トラッキング
11.QUESTIONING――クエスチョニング
12.BEGINNING――ビギニング
「謝辞」「訳者あとがき」「巻末注」



「はじめに」で、著者は以下のように書いています。
「いま振り返ってみると、コンピューターの時代は、それらが電話につながれるまで、本格的には始まっていなかったのだ。コンピューターが1台だけあっても無力だった。コンピューターのもたらしてきたすべての効果は、1980年代初頭にコンピューターが電話と結び付いてお互いが融合し、強固な複合体になって初めて現れたものだ」



続いて、その後30年にわたって、コンピューターの計算能力とコミュニケーション・テクノロジーの融合は広がり、速度を増し、開花し、進化していったとして、著者は以下のように述べます
「このインターネットとウェブ、モバイルの融合したシステムは、最初は社会の端っこにあったが(1981年にはほとんど無視されていた)、グローバル化した現代社会の中心へと躍り出た。過去30年にこのテクノロジーに支えられた社会の経済状況は山あり谷ありで、さまざまなヒーローが現れては去っていったが、その背景にはもっと大きなトレンドがあった」



さらに続けて、著者は以下のように述べるのでした。
「重要なのは、この大きな歴史的な流れがいまだに健在で進化していることで、それはこのトレンドが今後数十年ずっと増大し続けることの強い確証にもなっている。いまのところ、その流れを頓挫させそうなものは前方には見えていない。犯罪や戦争、われわれの行き過ぎた行為ですら、この同じ流れのパターンに従っているからだ。本書では、今後30年を形作ることになる12の不可避なテクノロジーの力について述べることにする」



1「BECOMING――ビカミング」では、驚異的な変化が少しずつ積み重なると、ついにそれが巨大なものとなっても、われわれは感覚が麻痺して気がつかないとして、著者は以下のように述べます。
「現在ではインターネットのどんな画面からでも、驚くべき種類の音楽や動画、進化する百科事典、天気予報、クラシファイド広告、地球上のあらゆる場所の衛星画像、世界中からの分刻みの最新ニュース、税金申請のための書類、テレビ番組案内、ナビゲーション付き道路地図、リアルタイムの株価情報、バーチャル内見可能な不動産一覧と価格表、あらゆるものの画像、スポーツの最新の試合結果、何でも買える場、政治家の活動報告、図書館の目標、道具類のマニュアル、現在の交通情報、主な新聞のアーカイブなどに、瞬時にアクセスできるようになった」



すでにインターネットは進化してしまい、これから何かを発明することなどできるのでしょうか。しかし、著者は「いまここですぐに始めるのがベスト」であると喝破し、以下のように述べるのでした。
「歴史上、何かを発明するのにこんなに良いときはない。いままでこれほどのチャンスや、いろいろな始まりや、低い障壁や、リスクと利得の格差や、収益の高さや成長が見込めるタイミングはなかった。いまこの瞬間に始めるべきだ。いまこそが、未来の人々が振り返って、『あの頃に生きて戻れれば!』と言うときなのだ」
著者によれば、今日こそが本当に、広く開かれたフロンティアなのです。「人間の歴史の中で、これほど始めるのに最高のときはない。まだ遅くはないのだ」という著者の言葉は力強く、読者は勇気づけられます。



2「COGNIFYING――コグニファイング」では、今世紀が終わるまでにいま存在する職業の70%がオートメーションに置き換えられるだろうとして、著者は以下のように述べます。
「つまり、ロボット化は不可避であり、労働の配置転換は時間の問題なのだ。この激変オートメーションの第二の波によって起こるだろう。そこでは人工的な認知、安価なセンサー、機械学習、遍在するスマート機能が中心に躍り出る。広範に及ぶこのオートメーションは、肉体労働から知識労働まで、すべての仕事に及ぶだろう」



3「FLOWING――フローイング」では、〈流れていく〉力について語られます。音楽などが一旦デジタル化されると、それは改変されたりリンクされたりといった流動性を持つようになることを例にあげて、著者は以下のように述べます。
「音楽が最初にデジタル化された頃、音楽業界の経営陣は、視聴者がオンラインに引きつけられるのは、無料で音楽を手に入れたいという欲望のせいだと考えた。しかし実際のところ、無料であることはその魅力の一部でしかなかった。それどころか、おそらく最も些細なものでしかなかった。何百万もの人が、最初は無料だから音楽をダウンロードしたかもしれないが、すぐにもっと良いことに気づくことになった。無料の音楽は重荷を取り除かれたのだ。新しいメディアに楽々と移植され、新しい役割を得て、リスナーの生活に新しい価値をもたらした。その後も人々が大挙してオンラインの音楽をダウンロードするのは、デジタル化された音が〈流れていく〉力を絶えず拡張しているからだ」



著者は、ミュージシャンでなくても音楽が作れる時代がすぐにやって来ると予測し、次は写真撮影の場合を例にあげます。
「100年前には、写真を撮影できるテクノロジーを持っているのは、わずかな熱心な実験者だけだった。それは信じられないほど大変で神経を使う作業だった。見るに堪える写真を撮るには、まず非常に高い技術力と大変な忍耐が要求された。だから専門の写真家でも、年に数十枚の写真しか撮っていなかった。現在では誰もがスマートフォンを使って、1世紀前の平均的な専門家の写真に比べてあらゆる点で100倍は優れた写真を簡単に撮ることができる。われわれは誰もが写真家になった」



続いて、著者は印刷や地図製作についても述べます。
活版印刷術も昔は秘術を操る職業だった。ページの空間にきれいに読めるように活字を並べるには、いまのようなWYSIWYG方式(ディスプレー上と印刷結果が同一となる表示方式)ではなかったので、何年もの修業が必要だった。字間調整の技法を知っているのは1000人程度しかいなかった。現在では一般の学校でこうした技法を教えているし、初心者でも昔の平均的な活字職人よりはるかにましな仕事ができる。地図作製でも同じことが言える。平均的なウェブデザイナーなら、過去の最高の地図製作者より良いものを作れる。だから音楽も同じことになるだろう。新しいツールによってビットとコピーの流れが加速すれば、われわれは全員がミュージシャンになれる」



さらに、映画の場合も同様であるとして、著者は述べます。
「昔の映画は、製作に最も費用がかかるプロダクトで、珍しいものだった。B級映画でさえ高給取りの職人組合が必要だった。映写には高価な機材が必要で、それは扱いが難しく、従って映画を鑑賞すること自体が一苦労だった。だがビデオカメラとファイル共有のネットワークが登場すると、どんな映画も好きなときに鑑賞できるようになった。一生に一度しか見なかったような作品を、いまでは何百回と見て研究できる。映画を学ぶ学生は1億人に上り、彼らがユーチューブにアップロードする作品の数は何十億にも達する。ここでも視聴者のピラミッド構造は崩壊し、いまでは誰もが映画製作者だ」



4「SCREENING――スクリーニング」では、大量生産された本が人々の思考法も変えたことが以下のように説明されます。
「印刷技術によって使われる言葉の数が爆発的に増え、古英語の5万から、いまでは100万となった。言葉の選択肢が増えたことで、意思疎通できることの幅が広がった。メディアの選択肢が増えることで、書くべきことの幅も広がった。学問的な書物だけしか扱えない時代から、安価に印刷できる本というメディアを浪費して、心を打つ恋愛物語を書く人が出てきたり(恋愛小説が出てきたのは1740年だ)、王族でなくても回顧録を著したりする者が現れた」




続けて、著者は以下のように述べています。
「時代の支配的な考えに反対する小冊子を出す人も現れ、そうした異端な発想も安く印刷できることで影響力を持つようになって、王や教皇を退位させるような事態にまでなった。時間が経つにつれ、著者の持つ力によって著者への敬意が生まれ、権威をもつようになり、専門性に根差した文化が育まれた。『本によって』(規則に従って)完璧を期すことができた。法律は公式の刊行物になり、契約は文書化され、何物も言葉としてページに刻まれなければ有効ではなくなった」



さらに著者は「本の民」というキーワードを使って、以下のように述べています。
「絵画や音楽、建築やダンスもすべて重要ではあったが、西欧の文化の核心は本のページを繰る中に存在した。1910年には米国の2500人以上が住む町の4分の3には、公共図書館があった。アメリカの根幹には、合衆国憲法、独立宣言、そして間接的には聖書という文書の源流があった。国の成功は高い読み書き能力にあり、たくましい自由な出版文化、(本に拠る)法律や規則への忠誠、大陸中に行き渡った共通の言語にかかっていた。アメリカの繁栄や自由は、読み書き文化によって花開いた。われわれは本の民になったのだ」



一方で、著者は「スクリーンの民」というキーワードを示して、以下のように述べています。
「言葉は木のパルプからコンピューターのピクセルスマートフォン、ラップトップ、ゲーム機、テレビ、掲示板、タブレットへと乗り換わってきた。もはや文字は黒いインクで紙に固定されたものではなく、瞬きする間にガラスの表面に虹のような色で流れるものになる。ポケットにも鞄にも車の計器盤にも、リビングの壁にも、建物の壁面にも、スクリーンが広がっていく。われわれが仕事をするときには、それが何の仕事であれ、正面にはスクリーンがある。われわれはいまや、スクリーンの民なのだ」
そこで本の民とスクリーンの民の間で、文化的な衝突が起きることになったわけです。その結果を、わたしたちはよく知っています。


伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

本書にはSF映画のような未来がいろいろと描かれていますが、特にわたしの心を強くとらえたのは「ユニバーサル図書館」というアイデアでした。わたしの大好きな作家であるボルヘスの「バベルの図書館」(『伝奇集』所収)にも通じる完全な図書館ですが、著者は以下のように述べています。
ブルースター・ケールはインターネット全体をアーカイブする活動を支援しているが、ユニバーサル図書館は実現できると言う。『これこそわれわれがギリシャ文明を超えるチャンスです』と彼は繰り返す。『それは将来のものではなく、いまあるテクノロジーで可能です。人間のありとあらゆる仕事を、世界中の人々に提供できるのです。それこそ、人間を月に送り込んだような偉業として後世に残る話でしょう』。エリートだけにしか開放されていなかった古代の図書館と違い、この図書館は本当に民主的なもので、この星に生きているすべての人にすべての言語で書かれたすべての本を提供するものだ」


続けて、著者はユニバーサル図書館について述べます。
「こうした完全な図書館では、理想的にはどんな新聞や雑誌、ジャーナルに書かれたものでもすべて読めなくてはならない。またこうしたユニバーサルな図書館には、古今東西のあらゆるアーティストが生み出した絵画、写真、映画、音楽なども収蔵されていなくてはならない。さらには、すべてのテレビやラジオの放送番組やCMも入れるべきだ。もちろんこの偉大な図書館には、もうオンラインでは見られない何十億もの昔のウェブページや何千万もの消されたブログポストも――われわれの時代のはかない創作物として――コピーを保管しなければならない。つまりは、人間のすべての作品、歴史的に記録が始まって以来のすべてのものが、すべての言語で、すべての人に向けて常に開かれていなくてはならないのだ」



さらに、この夢のような図書館について、著者は述べるのでした。
「これはとても巨大な図書館だ。シュメール人が粘土板に記録を残してからというもの、人類は少なくとも3億1000万冊の本、14億の記事やエッセイ、1億8000万の曲、3兆5000億のイメージ、33万本の映画作品、10億時間の動画やテレビ番組や短編映画、60兆の公開されたウェブページを出版してきた。現在これらすべてが、世界中の図書館やアーカイブに入っている。そのすべてがデジタル化されると、すべて(現在の技術で)圧縮したとしても、50ペタバイトのハードディスクが必要になる。10年前にはこれだけを収容するのに、小さな町の図書館ほどの大きさの建物が必要だった。しかし現在は、こうしたユニバーサル図書館はあなたの家の寝室に収まってしまう。明日のテクノロジーでは、それがスマートフォンのサイズにまでなるだろう」



先程、「本の民」と「スクリーンの民」という言葉を紹介しました。
著者は本とスクリーンの違いについて、以下のように説明します。
「本は熟慮する心を養成するのによいものだった。スクリーンはより実用的な思考法向きだ。スクリーンで読んでいて新しいアイデアや聞きなれない事実に出合うと、どうにかしようという気にさせられる――単に熟慮するのでなく、その用語を調べたり、画面に現れる友人の意見を訊いたり、違う観点を見つけたり、ブックマークを付けたり、インタラクティブにやり取りしたり、ツイートしたりする。読書する場合には、じっくりと脚注にまで目を通すことで、物事を解析する力が養われた。スクリーンを読む場合は、すぐにパターンを作り、あるアイデアを他のものと結び付け、毎日のように現れる何千もの新しい考えに対処するやり方を身につける。スクリーンで読む場合にはリアルタイムの思考が育成されるのだ。映画を鑑賞しながらそのレビューを読んだり、議論の途中ではっきりしない事実を調べたり、ガジェットを買う前にマニュアルを読むことで、買って家に帰ってから後悔しないようにしたりする。スクリーンは現在を扱うための道具なのだ」



5「ACCESSING――アクセシング」では、所有することが昔ほど重要ではなくなってきている一方で、アクセスすることはかつてないほど重要になってきていることが指摘されます。「所有権の購入」から「アクセス権の定額利用」への転換は、これまでのやり方をひっくり返すとして、著者は以下のように述べています。
「所有することは手軽で気紛れだ。もし何かもっと良いものが出てきたら買い換えればいい。一方でサブスクリプションでは、アップデートや問題解決やバージョン管理といった終わりのない流れに沿って、作り手と消費者の間で常にインタラクションし続けなければならなくなる。それは1回限りの出来事ではなく、継続的な関係になる。あるサービスにアクセスすることは、その顧客にとって物を買ったとき以上に深く関わりを持つことになる」



続けて、乗り換えをするのが難しく(携帯電話のキャリアやケーブルサービスを考えてみよう)、往々にしてそのサービスからそのまま離れられなくなるとして、著者は以下のように述べます。
「長く加入すればするほど、そのサービスがあなたのことをよく知るようになり、そうなるとまた最初からやり直すのがさらに億劫になり、ますます離れ難くなるのだ。それはまるで結婚するようなものだ。もちろん作り手はこうした忠誠心を大切にするが、顧客も継続することによる利点をますます享受することになる(そうでなくてはならない)――品質の安定、常に改善されるサービス、気配りの行き届いたパーソナライズによって、良いサービスだと思えるのだ」



7「FILTERING――フィルタリング」も非常に刺激的な内容でした。人間の表現行為に対する読者や観客やリスナーや参加者になるという点で、いまほど良い時代はなかったとして、著者は以下のように述べています。
「わくわくするほど大量の新しい作品が毎年創造されている。12カ月ごとに、800万の楽曲、200万冊の本、1万6000本の映画、300億のブログ投稿、1820億のツイート、40万のプロダクトが新たに生み出されている。いまや本当に簡単に、手首をちょっとひねる程度の動作で誰もが『万物のライブラリー』を手元に呼び出すことができる。興味があれば、ギリシャ時代に貴族が読んでいたよりもっと多くの書物を、古代ギリシャ語で読むこともできる。それは古代中国の巻物でも同じで、かつて皇帝が読んでいた以上のものが家にいながらにして手に入る。またルネッサンス期の版画やモーツァルトの協奏曲の生演奏など、当時はなかなか鑑賞できなかったものにもいまでは簡単にアクセスが可能だ。現在のメディアはどの点から見ても、これまでで最も輝かしく充実している」



変化はまず音楽から起こりました。わたしの場合でいえば、かつて部屋に置かれたステレオで聴いていた音楽は、ウォークマンのようなヘッドフォンステレオで聴くようになり、それがデジタル化されてi−Pod、さらに今ではi−Padやi−Phoneで聴いています。著者は述べます。
「音楽で起こったことは、デジタル化できるものならすべてに起こる。われわれが生きているうちに、すべての本、すべてのゲーム、すべての映画、すべての印刷された文書は、同一のスクリーンや同一のクラウドを通して365日いつでも利用できるようになるだろう。そして毎日のようにこのライブラリーは膨張している」



続いて、わたしたちが対峙する可能性の数は、人口の増加とともに増大し、続いてテクノロジーが創造活動を容易にしたことでさらに拡大してきたとして、著者は以下のように述べます。
「現在の世界の人口は私が生まれたとき(1952年)と比べて3倍になっている。これから10年のうちにまた10億人が増えるだろう。私より後に生まれた50億から60億人は、現代の発展によって余剰や余暇を手にして解放されたことで、新しいアイデアや芸術やプロダクトを創造してきた。いまなら簡単な映像を作るのは、10年前と比べて10倍簡単になっている。100年前と比べたら、小さな機械部品で何かを作ることは100倍は簡単だ。1000年前と比べて、本を書いて出版することは、1000倍簡単になっている」


8「REMIXING――リミクシング」では、「視覚リテラシーにとっての聖杯は、発見可能性だ」と喝破した後、著者は以下のように述べます。
「グーグルがウェブを検索するように、すべての映画ライブラリーを検索でき、その中の深くまで入り込んで特定のものを見つけ出す。あなたはキーワードを打ち込むか、単純に『自転車と犬』と言うだけで、すべての映画の中に出てくる自転車と犬のシーンが返ってくる。ほんの数秒で、あなたは映画『オズの魔法使い』の中でミス・グルチがトトと自転車に乗っているシーンが特定できる。さらには、それと似たシーンを他のすべての映画の中から選び出してほしいとグーグルに訊ければとあなたは思うかもしれない。そうした機能はもうすぐ実現する」



こうした発見可能性に加えて、現在メディアの中で起きている革命的な動きといえば「巻き戻し可能性」です。口述の時代には、誰かが喋り始めたら、それを注意して聞くしかありませんでした。言葉は発せられた途端に消えてしまうからです。録音技術が生まれる前は、バックアップの方法はなく、聞き逃したことを遡って確認することはできませんでした。著者は以下のように述べます。
「数千年前にコミュニケーションが口述から筆記へと変わる大きな歴史的な転換が起き、聴衆(読者)は、スピーチを最初まで遡って再度読むことができるようになった。本を持つ革命的な価値の1つは、読者が求めれば何度でもその内容を繰り返し伝えることができることだ。実際のところ、何度も読まれる本を書いたという事実は、作家にとっては最大の讃辞となる。そして作家側も、こうした本の特性を生かすべくいろいろ手を尽くしてきた。再読して初めて分かるような筋書や皮肉を込めたり、読み込まないと分からないように詳細な記述を詰め込んできた」



12「BEGINNING――ビギニング」では、これから何千年もしたら、歴史家は過去を振り返って、わたしたちがいる3000年紀の始まる時期を見て、驚くべき時代だったと思うだろうとして、現在という時代について、著者は以下のように述べます。
「この惑星の住人が互いにリンクし、初めて1つのとても大きなものになった時代なのだ。その後にこのとても大きな何かはさらに大きくなるのだが、あなたや私はそれが始まった時期に生きている。未来の人々は、われわれが見ているこの始まりに立ち会いたかったと羨むだろう。その頃から人間は、不活性な物体にちょっとした知能を加え始め、それらをマシン知能のクラウドに編み上げ、その何十億もの心をリンクさせて1つの超知能にしていったのだ。それはこの惑星のそれまでの歴史で最も大きく最も複雑で驚くべき出来事だったとされるだろう。ガラスや銅や空中の電波で作られた神経を組み上げて、われわれの種はすべての地域、すべてのプロセス、すべての人々、すべての人工物、すべてのセンサー、すべての事実や概念をつなぎ合わせ、そこから想像もできなかった複雑さを持つ巨大ネットワークを作ったのだ」


巨大ネットワークはマシンよりも生物に近いと言えるでしょう。その中心には70億の人々(すぐに90億に達するでしょう)がいて、それぞれの脳を相互にほぼ直接リンクさせ、常時接続するレイヤーを作り出して自分たちをすぐに覆い始めました。著者は以下のように述べます。
「100年前にはH・G・ウェルズが、こうした大きな存在を世界脳という名前で想像していた。テイヤール・ド・シャルダンはそれを思考の領域という意味でヌースフィアと呼んだ。それをグローバル・マインドと呼ぶ人も、それが何十億ものシリコンで製造されたニューロンでできているので超生命体と呼ぶ人もいた。私はこうした惑星レベルのレイヤーのことを、ホロス(holos)という短い言葉で呼ぶことにする。この言葉で私は、全人類の集合的知能と全マシンの集合的行動が結び付いたものを意味し、それにプラスしてこの全体から現れるどんな振る舞いも含めている。この全体がホロスに等しいのだ」



そして、これからわたしたちが体験できるであろう数々の魔法の出現について予告した、この途方もなく刺激的な本の最後に、著者は以下のように述べるのでした。
「われわれは、すべての人類とすべてのマシンがしっかりと結び付いた地球規模のマトリックスに向かって容赦なく進んでいる。このマトリックスは、われわれが作ったものというよりプロセスそのものだ。われわれの新しい超ネットワークは途切れることのない変化の波であり、われわれの需要や欲望を新しく組み替えては絶えず前へと溢れていく。今後30年の間にわれわれを取り巻く個別のプロダクトやブランド、会社については完全に予想不能だ。ある時代に特定のものが成功するかどうかは、個人のチャンスと運の流れ次第だ。しかしこの大規模で力強いプロセスの全体としての方向性は、明確で間違いようがない。これまでの30年と同じように、これからの30年もホロスは同じ方向へと向かっていくだろう――つまり、より流れていき、よりシェアしていき、よりトラッキングし、よりアクセスし、よりインタラクションし、よりスクリーンで読み、よりリミックスし、よりフィルタリングし、よりコグニファイし、より質問し、よりなっていく。われわれは〈始まっていく〉そのとば口にいるのだ。もちろん、この〈始まっていく〉ことはまだ始まったばかりだ」



「訳者あとがき」で、服部桂氏は本書の邦題を『〈インターネット〉の次に来るもの』としたことについて、以下のように述べています。
「デジタル・テクノロジーの持つ力の不可避な方向性とは、まさに現在われわれが(仮に)〈インターネット〉と呼んでいるものの未来を示すものだからだ。しかし、われわれは現在、デジタル世界の水にどっぷりと浸かった魚のように、このデジタル環境が何であるかについて深く考えられないでいる。著者は未来予測をするというより、むしろ過去30年の経験を反省して距離を置くことで、〈インターネット〉という名前に象徴されるデジタル革命の本質を読み解こうとしているのだ」


本書はまことにワクワクする未来案内のガイドブックですが、一貫して強い説得力があります。それは、著者が「WIRED」の創刊編集長として、テクノロジーの進歩を目の当たりにしてきたことはもちろん、本書にも紹介されているように、VR(仮想現実)の父であるジャロン・ラニアーからVRの試作品を最初に見せてもらったり、電子音楽の発明者であるブライアン・イーノと音楽におけるアナログからデジタルへの急激な変化について語り合ったり、スティーブン・スピルバーグとともにSF映画「マイノリティ・リポート」(2002年)についてのブレストをしたりと、世界を変えてきた人々とダイレクトに接していたからでしょう。つまり、著者の取材方法や情報入手方法はきわめてリアルであり、アナログ的であったと言えます。


そして、世界中の若者を虜にし、ニューエージ・ムーブメントにも大きな影響を与えた伝説の雑誌「ホール・アース・カタログ」を編集していただけあって、本書の論調にもニューエージの雰囲気を感じます。著者は、惑星レベルのレイヤーのことを「ホロス(holos)」と呼びます。全人類の集合的知能と全マシンの集合的行動が結び付いたものを意味し、それにプラスしてこの全体から現れるどんな振る舞いも含めている「ホロス」からは、神秘主義思想の香りさえ漂っています。このあたりが本書を無味乾燥なテクノロジーの解説書ではなく、読む者を魅了してやまない魔法書にしたのでしょう。


〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

2017年8月18日 一条真也