「東京日和」

一条真也です。
大好きだった中山美穂さんが亡くなって1年以上が経過しましたが、いまだに喪失感は消えません。彼女の主演映画である「東京日和」(1997年)のデジタルリマスター版のDVDを観ました。28年ぶりに再鑑賞しましたが、当時28歳のミポリンが儚くて美しかったです。

 

アマゾンの【INTRODUCTION】には、こう書かれています。
「写真集出版の準備を進める写真家が回想する、亡き妻との日々を綴った純愛ドラマ。東京の様々な風景の中に、あるときは優しく、あるときはせつなく、夫婦の愛のかたちを描き出す。監督は『無能の人』『零落』の竹中直人。写真家・荒木経惟とその妻・陽子による写真&エッセイ集『東京日和』をベースに、岩松了が脚本を執筆。撮影を『GONIN』の佐々木原保志が担当している。主演は『ヌードの夜』の竹中直人と『Love Letter』の中山美穂。豪華かつ多彩なキャスト陣が映画に華を添えている。第21回(1998年度)日本アカデミー賞音楽賞受賞。97年度キネマ旬報ベスト・テン第9位」

 

アマゾンの【STORY】は、以下の通りです。
「亡き妻・ヨーコに捧げる写真集の出版の準備をしている写真家・島津巳喜男は、在りし日のヨーコのことを想い出していた。だが、甦ってくるのはふたりにとって最悪の日々だった頃のことばかりである。まず想い出されるのは、ホームパーティの時にヨーコが客である水谷の名前を呼び間違えたことを気にして、勤め先には巳喜男が交通事故で入院したと嘘をつき、3日間家を飛び出してしまったことだった。巳喜男は心配してあちこちを探し歩いたが、彼の気持ちをよそに、ヨーコはふらりと家に戻ってくる。どことなく当たり前の夫婦のように振る舞えないふたりは、何気ないことで気づまりな思いをすることも多く、巳喜男は、優しすぎるとヨーコに責められることさえあった」


ヨーコを心配する巳喜男

 

また、アマゾンの【STORY】には、こうも書かれています。
「ある時のヨーコは、同じマンションに住むカギっ子の少年テツオに自分のことをおばあちゃんと呼ばせたうえ、彼に女の子の恰好をさせようとする。また、実際は飛んでいない蚊が自分の周りを飛ぶように感じる飛蚊症を患ったりもした。だが、嫌なことばかりではない。ジョギングの最中に偶然見つけたピアノの形をした大きな石で、雨に打たれながらピアノ演奏ごっこに興じたこともあれば、東京駅のステーションホテルで恋人同士のようなデートをしたこともあった。だが一方で、無断欠勤が続いたり、テツオを夜遅くまで連れ出して騒動を起こしたりのヨーコの奇行が増えていく」

幸福感溢れる川下りのシーン

 

そして、アマゾンの【STORY】には、こう書かれているのでした。
「結婚記念日に出かけた福岡の柳川では、新婚旅行と同じ旅館に泊まり、川下りを満喫したかと思えば、またも突然行方をくらませたりして、そのたびに巳喜男を心配させた。旅行から帰った翌日、猫をもらう約束をしたヨーコは、待ち合わせに向かう途中で車に跳ねられ骨折してしまう。だが、そんなヨーコが巻き起こした事件のひとつひとつが、今の巳喜男の仕事に大きな影響を与えていたのだ。回想にふける巳喜男は、あの時、水谷の名を呼び間違えた原因を今さらに発見して、あふれる涙をこらえ切れなくなった。巳喜男は、自分の写真人生がヨーコとの出会いから始まったことを改めて感じるのだった」

 

 

この映画の原作は荒木陽子・荒木経惟夫妻が1997年に共著として発表した自伝的小説『東京日和』筑摩書房)です。2人は電通の同僚でしたが、1971年に結婚。翌1972年に荒木経惟は退社して、フリーの写真家となります。彼は写真集の発行点数がきわめて多く、私家版を含めて400冊以上を発表しています。ヌード写真や近年は少女も含む人物写真を得意としますが、花などの静物写真、東京を対象とした都市写真の作品も多く、人情味溢れるスナップ写真も有名です。1990年、亡くなった妻の陽子を撮影して話題となりました。


新たに発売されたDVD

 

ブログ「さようなら、ミポリン」ブログ「ありがとう、ミポリン」で紹介したように、わたしは中山美穂さんが昨年12月6日に亡くなられたことに大きなショックを受け、ブログ「Love Letter」ブログ「眠れる森」ブログ「サヨナライツカ」といった彼女の女優としての映画やドラマの代表作を再鑑賞しました。このたび、「Love Letter」の4Kリマスターと一緒に「東京日和」デジタルリマスターのDVDが同時に発売されたので購入、28年ぶりに再鑑賞した次第です。「東京日和」は「Love Letter」と「サヨナライツカ」の間に作られた映画ということになりますが、この物語は暗すぎてあまり好きではありません。

 

わたしはこの映画をまり好きでないのは、ヨーコが心を病んでいる女性の設定なので、演じる中山美穂の表情が終始暗いからです。智恵子抄の智恵子にも通じるヨーコのイメージは、28歳のスーパーアイドルにはふさわしくなかったように思います。バーニングの周防郁夫氏が企画者の1人なっていますが、よくこのような物語に最盛期の中山美穂を出演させたものです。でも、後年の彼女が抱いていた孤独感や不安といったものをこの映画は予見していたかのようでもあります。新婚旅行以来で訪れた柳川でのヨーコは今にも消えてしまいそうな儚さを漂わせており、とにかく美しいです。

 

映画「東京日和」は出演陣が何気で超豪華で、三浦友和鈴木砂羽松たか子浅野忠信などの主要キャストの他にも、森田芳光塚本晋也中田秀夫周防正行といった映画監督も出演。しかも、中田は警察官、周防は郵便配達夫の役です。さらには、中島みゆきがバーのママ、しりあがり寿がバーの客、さらには柳美里内田也哉子まで出ていて、ちょっとした文士劇のようになっています。原作者である荒木経惟は、最後に車掌役でカメオ出演しています。駅で缶ジュースを買ってホームを走ってくるヨーコを待ってあげる設定でしたが、このシーンに登場する駅は柳川駅ではなく佐賀の厳木(きゅうらぎ)駅だったそうです。柳川での撮影では、中山美穂の美しさが「神々しいまでであった」と竹中監督が語っていますが、「Love Letter」の岩井俊二監督も同意していました。こんなに美しい人の最盛期を間近で見られた人は幸せですね。

 

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2025年12月29日  一条真也

オオカミ・クマ・鬼滅の刃

一条真也です。今年も残り数日となりました。
そんな中、東京・日野市にある都立多摩動物公園でオオカミ1頭が脱走したというニュースには驚きました。


ヤフーニュースより

 

多摩動物公園によりますと、28日午前、オオカミ1頭が囲いの中からいなくなっていることが分かりました。オオカミは開園の午前9時半時点では姿を確認できていたということで、脱走した経緯などは確認中だといいます。来園者を避難させ、動物園のスタッフなどで捜索にあたりましたが、無事に捕獲されたようで本当に良かったです!



わたしは、このニュースを知って、「今年はクマの話題が多かったから、最後にオオカミが『自分たちのことを忘れるな!』と言いたくて騒動を起こしたのでは?」と思いました。というのも、日本人にとってオオカミとクマは深い関係にあるからです。近年、私たち日本人の安全を巡る問題として「クマ」の問題があります。日本には本州に棲むツキノワグマと、北海道のヒグマという二種のクマが生息していますが、近年、クマによる人身被害は増加し、その存在が加速度的に人間の脅威になっています。クマはもはや「山奥の獣」ではなく、日常の安全を脅かす「現代的脅威」です。



そもそも、クマは本来山林の奥に棲み、人間社会と一定の距離を保つ存在でした。そのためか、実はクマそのものはあまり古文献に登場しません。まったく登場しないわけではなく、古事記の神武記の「熊野村に到りましし時、大熊髮(ほの)かに出で入りてすなわち失せき(熊野村に到着されたとき、大きな熊がちらりと見え隠れして)」や、万葉集第十一巻の「荒熊の住むといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ(荒々しい熊が住むという山の師歯迫山、その名のように責め問われたとしても、そなたの名は告げまい。)」との作者不詳の歌など、いくつかその用例はありますが、決して多くはないのです。

 

 

その原因について、民俗学者・地理学者である千葉徳爾は「クマの棲息が山中深いところにあって、住民との接触が稀であった上に、たとえ見えても敬してあまりその名を呼ばなかったため」と推測しています。その是非はともかく、クマという動物は、深山といういわば「自然の領域」にあって、かつて日本人とは一線を画した存在であったと考えていいでしょう。しかし現在は異なります。地球温暖化などによる生態系の変化や、里山の荒廃、ドングリの不作や植林などによる植生の変化などが重なり、更には人間が無秩序に生活圏を拡大させたことによって、クマと人間の生活圏が重ならざるを得なくなっています。



その結果、人間とクマの境界は曖昧になり、農地や集落にクマが現れることが珍しくなくなりました。クマによる人的・物的被害はその結果生じたもので、これは「人間の領域」と「自然の領域」の揺らぎを象徴する出来事と見ることができます。そして、それが多くの人々に不安と脅威の感覚を与えているのでしょう。このクマの問題を考える上で、絶滅したオオカミ(ニホンオオカミエゾオオカミ)と比較してみるとじつに示唆的です。



日本に棲息したオオカミは二種ともに明治期に姿を消しました。背景には、ニホンオオカミ狂犬病や西洋圏移入に伴って流行したジステンパーなど家畜伝染病のほか、人為的な駆除・開発による餌資源の減少や生息地の分断など。エゾオオカミは人間による駆除と餌であったエゾシカの減少などが挙げられますが、いずれにしても熊よりも人間との距離が近すぎたために、人間の生活圏の拡大の影響を正面から被ったものと考えて妥当でしょう。

 

 

日本において、オオカミはほぼ唯一の肉食獣として上代から特別視されてきました。例えば日本書紀欽明紀には、欽明朝で大蔵省(おおくらのつかさ)となった秦大津父という人物が天皇に登用された背景には、彼が山中で争っていた二匹のオオカミを助けたところ、天皇が夢に秦大津父を見て重用されるようになったというような記述があります。同じく万葉集には「大口の 真神の原に」(八巻)や「大口の 真神の原ゆ」(十三巻)との地名が見えますが、この「(大口の)真神」は狼を指しています。この獣を指す言葉にわざわざ「真神」との単語を用いたことは、古代の人々がオオカミを畏怖すべき存在として認識していた証左です。

 

 

また、オオカミはこの(大口)真神として信仰の対象ともなり、三峯神社御嶽信仰では神の使いとみなされてきました。つまり、オオカミは本来、神聖な「掛けまくも畏い」生き物だったのです。しかしこの感情と同居したのは害獣という側面です。特に江戸時代以降の山野開発や、社会の安定化に伴ってオオカミの食料であった人畜の屍体が減少したことは、彼らを住処であった里山から人里へ向かわせる結果となり、人畜を襲う害獣としての強調されるに至りました。すなわち、オオカミとは人間社会との境界を越えすぎたがゆえに駆除され、滅ぼされた存在だったのです!



この点について、クマも同じ特徴を有しています。代表的なものはアイヌ民族イオマンテですが、熊は「山の神=カムイ」とされ、その魂を天に送り返す祭儀が営まれました。北海道だけでなく、本州においてもクマの亡霊が蘇ることを防止する呪法や、「クマを狩れば七代祟る」と言い伝えられ、特別な獣と見なされていました。さらに言えば、クマに対する信仰は日本固有ではなく、シベリアや北欧、北米など、クマの生息する広い地域で共通して見られます。強大な肉体と人間に匹敵する知性、直立する姿の人間的な形態は、人類に普遍的な畏敬の念を呼び起こしてきました。人類は種として、クマという存在に特別な敬意を払ってきたのです。



一方で、日本における現状に目を向けてみると、オオカミとクマは対照的です。オオカミは日本においてはすでに過去の存在となり、信仰や神話の中に「失われた秩序」の象徴としてわずかに残っています。一方、クマは現在進行形で人間社会に侵入する「生きた脅威」です。オオカミが「かつて境界を越えすぎて滅ぼされた存在」であるのに対し、クマは「今まさに境界を越えてきており、共存の形を模索せざるを得ない存在」なのです。オオカミの不在が「原風景への回帰」として再導入論を呼ぶのに対し、クマは「未来への共生」を迫る現実的課題を突きつけています。

「鬼滅の刃」と日本人』(産経新聞出版

 

わたしは、最新刊「鬼滅の刃」と日本人産経新聞出版)において、オオカミとクマについて書きました。この2つの存在を「鬼滅の刃」に重ねて考えると、興味深い類似性が浮かび上がります。鬼は共同体を脅かす存在でありながら、かつては人間であったという過去を背負います。現実のクマは、現実に境界を侵犯する存在であり、時に排除の対象とされ、時に畏敬の念をもって受け止められます。鬼の物語が「排除と救済の二重性」を帯びるように、クマもまた「駆除すべき危険」と「共生すべき神聖さ」という二面性を担っているのです。



ここから見えてくるのは、現代日本におけるアイデンティティ不安の一側面ではないでしょうか。すなわちオオカミの絶滅は(人間社会からみた)外部の異質な存在を完全に駆逐した過去であり、それに対してクマの人的被害は「外部の異質な存在が今も生きており、共存か駆逐かの選択を迫られている現在」を示しているように思えます。つまり、わたしたちは、過去にオオカミを滅ぼした歴史を知りつつ、クマに対しては滅ぼすか、それとも共存するかという不可避の問いを突きつけられているのです。



鬼滅の刃」が提示したのは、まさにこの問いに通じる物語です。同作における鬼を倒す行為は単純な勧善懲悪ではなく「異質な存在をどう理解し、どう向き合うか」という姿勢が強調されたものでした。鬼はオオカミのように滅ぼす対象であると同時に、クマのように共存の可能性を模索すべき対象でもあるのです。この二重性こそが、現代社会において「鬼滅の刃」が象徴的物語として受容された理由の1つといえるでしょう。詳しくは『「鬼滅の刃」と日本人』に書きました。他にも2025年を象徴する話題についても言及しています。よろしければ、年末年始にお読みください!

 

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2025年12月28日  一条真也



一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は「」です。



わたしの「一条真也」というペンネームは、梶原一騎原作の名作テレビドラマ柔道一直線の主人公・一条直也にちなんだものです。もともと父が大学時代、柔道の選手で、東京五輪金メダリストの猪熊功選手と対戦するなど、なかなかの実力者でした。父は大学卒業後、自ら事業を起こしてからも町道場を開いて、子どもたちに柔道を教えていました。わたしもそこで学び、二段を取得しました。



少し前に、吉田秀彦をはじめとした柔道出身選手たちの総合格闘技における活躍で、柔道の強さが再認識されました。わたしは、企業経営において、「柔道」は大きなキーワードであると思います。柔道で勝つには、体重や体力で勝る対戦相手が、大きさゆえに墓穴を掘るような技をかける必要があります。これによって、軽量級の選手でも、身体的にかなわない相手を倒すことができるのです。



ここから、ハーバード・ビジネススクールの国際経営管理部門教授のディビッド・ヨフィーらは、「柔道ストラテジー」なる最先端かつ最強の競争戦略理論を思いつきました。柔道ストラテジーの反対は、体力やパワーを最大限に活用する「相撲ストラテジー」です。この戦法の恩恵にあずかるのは、もちろん大企業です。しかし、新規参入企業の成功戦略には、必ず柔道の極意が生かされているというのです。



大きな企業を倒すには、つまり柔道で勝つには3つの技を習得しなければなりません。第1の技は「ムーブメント」で、敏捷な動きで相手のバランスを崩すことによってポジションの優位を弱める。第2の技は「バランス」で、自分のバランスをうまく保って、相手の攻撃に対応する。第3の技は「レバレッジ」で、てこの原理を使って能力以上の力を発揮する。柔道草創期の海外の専門書には、「投げ技をかける前には、ムーブメントを用いなければならない。ムーブメントによって、相手を不安定なポジションに追い込む。そして、レバレッジを用いたり、動きを封じたり、手足や胴体の一部を払って投げ飛ばす」とあります。

 

 

もともとマネジメントの世界では早くから「柔道」がキーワードとなっていました。ピーター・ドラッカーは、柔道ストラテジーに似た言葉として「起業家柔道」なるコンセプトを提示しています。彼は、「起業家柔道の目標は、まず海岸の上陸地点を確保することだ。既成企業がまったく警戒していない場所か、守りが手薄な場所だ。それに成功し、適度な市場シェアと収益源を確保した新参者は、次に『海岸』の残りの部分に侵入し、最後に『島』全体を支配する」と、著書『イノベーションと企業家精神』に書いています。

柔道には多くのビジネス・ヒントあり!

 

もともと諸流が入り乱れた柔術を「柔道」として明治時代に統合したのは、講道館の創設者として知られる嘉納治五郎でした。彼が打ち出した「小よく大を制す」というコンセプトは、実は戦略としての普遍性をもつものでした。コンセプトの達人であるドラッカーは、そこを見逃さなかったのです。柔道には、まだまだ多くのビジネス・ヒントがあるように思っています。なお、「柔」については、龍馬とカエサル(三五館)に詳しく書きました。


 

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2025年12月28日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は「」です。



わたしは、「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えています。なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからです。それは、他人の「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置するものですが、実は両者とも他人の心に共感するという点では同じです。「他人の不幸は蜜の味」などと言われます。たしかに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できませんが、だからといって居直ってそれを露骨に表現しはじめたら、人間として終わりです。社会も成立しなくなります。他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きであると言えるでしょう。


人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版

 

拙著人生の四季を愛でる毎日新聞出版)にも書きましたが、わたしたちは、人生で数多くの「お祝い」に出合います。三日祝い、お七夜、名づけ祝い、お宮参り、お食いぞめ、初誕生、初節句、七五三祝いなど、子どもの成長にあわせて、数多くのお祝いがあります。さらには成人式や長寿祝いもありますし、何といっても結婚式があります。思うに、人生とは一本の鉄道線路のようなものではないでしょうか。山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅があります。「ステーション」という英語の語源は「シーズン」に由来するという話を聞いたことがあります。季節というのは流れる時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路を時間にたとえれば、まさに駅はさまざまな季節です。



そして、儀礼を意味する「セレモニー」の語源も「シーズン」に通じます。七五三や成人式、長寿祝いといった通過儀礼とは人生の季節、人生の駅なのです。それも、20歳の成人式や60歳の還暦などは、セントラル・ステーションのような大きな駅と言えるでしょう。各種の通過儀礼は特急や急行の停車する駅です。では、各駅停車で停まるような駅とは何でしょうか。誕生日が、それに当たるのではないでしょうか。老若男女を問わず、誰にでも毎年訪れる誕生日。この誕生日を祝うことは、その人の存在価値を認めることにほかなりません。別に受賞や合格といった晴れがましいことがなくとも祝う誕生日。それは、「人間尊重」そのものの行為です。わが社では、毎月の社内報に全社員の誕生日を掲載して「おめでとう」の声を掛けることを呼びかけています。

 

 

世界的ロングセラー『人を動かす』の著者デール・カーネギーは、友人からその誕生日を必ず聞き出したといいます。相手が答えると、隙をみて相手の名と誕生日をメモし、帰宅後にそれを誕生日帳に記録します。そして、それぞれの誕生日には、カーネギーからの祝電や祝いの手紙が先方に届くわけです。その人の誕生日を覚えていたのは世界中でカーネギーただ1人だったという場合もあり、相手は心から感激したそうです。特に、部下の誕生日を祝うことは、ハートフル・リーダーシップの真髄でしょう。なお、「祝」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。


 

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2025年12月28日 一条真也

「この本を盗む者は」 

一条真也です。
日本のアニメ映画「この本を盗む者は」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。26日からの公開で、今年最後の劇場鑑賞映画となります。よほどの話題作でない限りはアニメ映画は観ないのですが、タイトルに惹かれました。「本」がテーマの物語なら、気になります。ネットでの評価は高いようですが、わたしは面白いとは思いませんでした。



ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「深緑野分の本屋大賞ノミネート小説を原作に、書物の街を舞台に二人の少女が謎を解くために本の世界を旅するファンタジーアニメ。本が好きではない主人公が物語の世界に飲み込まれた街を救うために、突然現れた不思議な少女と共に本にかけられた呪いを解くべく立ち上がる。監督を『結城友奈は勇者である』シリーズなどの福岡大生、アニメーション制作をかごかんが担当。ボイスキャストには片岡凜、田牧そら、東山奈央諏訪部順一などが名を連ねる」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「書物の街・読長町に住む高校生の御倉深冬は、曽祖父が創立した巨大な書庫『御倉館』を代々管理する一家に生まれながら、自身は本が好きではなかった。しかし、御倉館の本が盗まれたことをきっかけに、街は本にかけられる呪い・ブックカースをかけられ、物語の世界に飲み込まれてしまう。呪いを解く鍵を物語の中から見つけ出すべく、深冬は不思議な少女・真白と冒険の旅に出る」

 

 

深緑野分のファンタジー小説『この本を盗む者は』は、KADOKAWAより2020年10月8日に刊行。2021年本屋大賞にノミネート。また、紀伊國屋書店主催のキノベス!2021で第3位に選出されました。メディアミックスとして、空カケルによるコミカライズが2021年から2023年にかけて連載。そして劇場アニメの本作が公開されたわけです。なお、深緑の短編集『空想の海』には本作のスピンオフ短編「本泥棒を呪う者は」が収録されています。

 

「本」がテーマのファンタジーということで楽しみにしていたのですが、残念ながら、わたしのハートにはヒットせず。全体がRPGみたいというか、物語の設定そのものは悪くないのに、キャラクターの魅力のなさ、安易な魔法ファンタジーの緩用なども気になってしまいました。何よりも物語が軽いです。これこそが本屋大賞にノミネートされたにもかかわらず受賞には至らなかった最大の原因ではないかと思います。ブログ「52ヘルツのクジラたち」で紹介した2024年の日本映画の原作を書いた町田そのこ先生をはじめ、本屋大賞を受賞する作家の物語を創る力は凄まじいですから。

 

主人公が本の世界に入って行くという設定は、1984年のアメリカ・西ドイツ映画ネバーエンディング・ストーリーを連想しました。「U・ボート」のW・ペーターゼン監督が多額の製作費をかけ、ミヒャエル・エンデの原作を映画化したファンタジー大作です。いじめられっ子の少年バスチアン(バレット・オリヴァー)は、悪ガキ三人に追いかけられて、古本屋に逃げこんだ。そこで『はてしない物語』という本を見つけますが、主人のコレアンダー氏(トーマス・ヒル)は意地悪く売ってくれそうもありません。コレアンダー氏が電話に出ているすきに、バスチアンは本をつかむと店を出て学校の屋根裏部屋へ行き、本を読み始めました。それは空想の国を舞台にした冒険物語でしたが、いつしか不思議な力に導かれバスチアンは本の中の世界に入っていきます。

 

価値のある希少本を盗む本泥棒の話なら、ブログ「ビブリア古書堂の事件手帖」で紹介した2018年の日本映画が思い浮かびます。シリーズ累計640万部を突破した三上延原作のベストセラーミステリー小説を実写映画化した作品です。北鎌倉の古書店「ビブリア古書堂」の店主である篠川栞子(黒木華)は極度の人見知りでありながら本に対して並外れた情熱と知識を持っていました。彼女は、五浦大輔(野村周平)が持ち込んだ祖母の蔵書(夏目漱石著『それから』)を手に取って見ただけで、大輔の祖母が死ぬまで隠し通してきた秘密を解き明かしてしまいます。そんな栞子の推理力に圧倒された大輔は、足を怪我した彼女のために店を手伝うことに。やがて大輔は、栞子が所有する太宰治『晩年』の希少本をめぐり、大庭葉蔵と名乗る謎の人物が彼女を付け狙っていることを知るのでした。

 

ネバーエンディング・ストーリー」も「ビブリア古書堂の事件手帖」も実写映画ですが、「この本を盗む者は」と同じくアニメ映画で、しかも原作が同じKADOKAWAから刊行されている本がテーマの作品があります。図書館戦争 革命のつばさ」(2014年)です。作家・有川浩の人気シリーズ小説で、2008年にTVアニメ版も放送された「図書館戦争」を映画化。公序良俗を乱す表現を取り締まるため制定された「メディア良化法」の下で行われる不当な検閲に対し、良書を守るため戦う「図書隊」所属の笠原郁と堂上篤は、デート中に緊急招集がかかってしまいます。続発するテロ事件の手口が小説家・当麻蔵人の作品内容と酷似していることから、メディア良化委員会が当麻を捕えようとしており、郁と堂上は当麻の身辺警護を任されます。しかし、良化隊との戦いで堂上が重傷を負ってしまうのでした。バトルシーンが多くRPGを連想させるのは「この本を盗む者は」と共通していますね。

 

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2025年12月27日  一条真也

サンレー本社忘年会

一条真也です。
26日の夜、サンレー本社の忘年会を松柏園ホテルで開催しました。一昨年はじつに4年ぶりの忘年会で空前に盛り上がりましたが、昨年も東専務の送別会を兼ねて盛大に行われました。今年も負けずに大いに盛り上がりました。

松柏園ホテルの正月飾りの前で

サンレー本社忘年会のようす

冒頭、わたしが挨拶しました

今年も本当にいろんなことがあった!

 

冒頭、わたしが登壇し、社長として挨拶しました。わたしは、「みなさん、今年一年お疲れ様でした。昨年も佐久間名誉会長の逝去をはじめ多くの出来事がありましたが、今年も本当にいろんなことがありました。戦後80年ということで、沖縄・広島・長崎を訪れて祈りを捧げました。また、“魂の義兄弟”と呼ばれた鎌田東二先生との別れと『かまたまつり』の開催、父の初盆、佐久間家の墓も作りました。まさに、死者とともに生きた一年でした」と述べました。


同級生の葬儀について

 

また、わたしは「昨日は、中学の同級生で経営者として励まし合ってきたハローデイの加治敬通社長の葬儀に参列しました。出棺で棺を運んだのですが、たくさんの思い出が走馬灯のように蘇ってきました。心の中で、『お疲れ様。そして、ありがとう』と言いました。メールやラインするときは、いつも『ハロー、加治君!』と冒頭に書いていましたが、この日は『グッバイ、加治君!』でした」とも言いました。

創立60周年を素晴らしい年に!

 

そして、わたしは「人生そのものが『ハロー』と『グッバイ』の繰り返しですが、それを忘れないために冠婚葬祭というものがあるのでしょう。みなさんはこの大切な仕事に誇りを持っている。それが、わが社の最大の財産だと思います。来年はいよいよ創立60周年。『こころ』を1つにして素晴らしい年にいたしましょう。今夜は大いに飲んで、食べて、語り合って、心を通わせて下さい!」と言ったのでした。

乾杯の挨拶をする山下常務

カンパ~イ!

 

その後、北九州本部長の山下常務が登壇しました。山下常務は「来年の60周年は各人の力を結集して、大いに盛り上げていきましょう!」と言って、乾杯の発声をしました。東専務の退職が昨年末に決まってから、慌ただしく後を継いだ山下常務でしたが、この1年本当に良く頑張ってくれました!

楽しい忘年会がスタート!


社長室のみなさんと


企画課のみなさんと


次々に挨拶を受けました

 

その後、秘書課や企画課のみなさんをはじめ、各部門の社員の方々と記念撮影などをしました。みんな親の仇のようにビールばかり持ってくるので、わたしはグラスに並々に注がれたビールを一口飲んでは、また注がれるという「わんこ蕎麦」状態を延々と繰り返しました。息をつく暇もなくビールを飲み続け、お腹がパンパンになりました。(笑)


カラオケのトップバッターは鶴田課長


ジュリーの「勝手にしやがれ」を歌う松下課長


サンレー社長に間違われるという赤松相談役


今年も演歌を熱唱♪

 

その後、いきなりカラオケタイムとなりました。トップバッターは、紫雲閣事業課の鶴田課長。なんだかよくわからない曲の替え歌を歌いました。事前に「不適切な内容もあろうかと思いますが、何卒ご容赦下さい」と告げられていたのですが、結局は何が何だかわかりませんでした。(笑)続いて、企画課の松下課長が沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌いましたが、これも独特の間と謎のパフォーマンスで、よくわかりませんでした。(笑)最後は赤松相談役が「わたしの独演会のポスターを見た子どもたちが『あ、サンレーの社長さんだ!』と言うんですよ」といった謎のトークをした後で(笑)、いつものように演歌を熱唱してくれました。


カラオケタイムのトリで登場!

謎の男がマフラーと帽子を持ってきました

 

いよいよ、社長であるわたしの出番です。カラオケは苦手なので嫌でしたが、仕方ないので腹を括りました。わたしは、「今朝は雪が降りましたね。北九州では初雪です。今日は何を歌おうか悩みましたが、雪が降ったので桑田佳祐の『白い恋人達』を歌いたいと思います。この歌の中に『天使が空から降りてきて』という歌詞があるのですが、この会場には昔、天使の絵が描かれていました。その絵が描かれた年の忘年会で『白い恋人達』を歌ったのです。その絵は改装によって無くなってしまいましたが・・・・・・」と言いました。


白いマフラーを首にかけました


白いボルサリーノも被りました


心を込めて歌いました♪



わたしが歌おうとすると、謎の男が現れて、「社長、雪が降ったので寒いでしょう! これをお持ちしましたので、どうぞ!」と言いました。見ると、彼は白いマフラーと白いボルサリーノの帽子を手に持っていました。わたしはそれを身につけて歌うことにしました。バラードの名曲『白い恋人達』を歌っていると、今年のすべての汚れや穢れが消えていくような気がしました。悲しみや苦しみも消えていくような気もしました。「ああ、この曲は浄化の歌なんだな」と思いながら、心を込めて歌いました♪

大抽選会がスタート!


当選者は大喜び!


お米1年分が当たった人も!


社長賞を抽選しました


社長賞を発表しました


社長賞当選者はなんと2年連続!

 

それから、待望の抽選会がスタートしました。さまざまな魅力的な商品が用意され、当選した人は喜びのスピーチを述べていました。最後は社長賞の「高級黒毛和牛」の抽選となりました。わたしは慎重にクジを引きました。当選者はなんと昨年と同じ人でした。もちろんヤラセではありません。(笑)とても喜ばれており、わたしまで嬉しくなりました。

中締めの挨拶をする岸取締役

最後は「末広がりの五本締め」で!

 

その後、岸取締役の音頭でサンレー名物「末広がりの五本締め」で締め括りました。気合の入った発声で、1・2・3・4・5本と指の数が増えるにつれて拍手の音が大きくなり、文化の防人たちの「こころ」が1つになりました。さあ、みんなで一緒に創立60周年イヤーに向かって行こう‼️

 

2025年12月27日 一条真也

気づき八美道

一条真也です。
昨年9月20日、父・佐久間進が満88歳で旅立ちました。亡くなって時間が経過するほどに、父の偉大さを再認識しております。生前の言葉を思い返しています。

『佐久間進のすべて』より

 

荼毘に付されて父の肉体は消滅しましたが、その精神は生きています。というのも、父は生前に多くの言葉を遺してくれました。今回は、「気づき八美道」を紹介いたします。父は、ブッダの「八正道」ならぬ「八美道」という言葉を提唱しましたが、著書わが人生の「八美道」(現代書林)の中で、「気づき八美道」を紹介しています。

 

◇気づき八美道
 一 我慢に努めましょう。
 二 辛抱に努めましょう。
 三 忍耐に努めましょう。
 四 自活(立)に努めましょう。
 五 根性を磨きましょう。
 六 勤勉に気をつけましょう。
 七 倹約に気をつけましょう。
 八 鍛錬に気をつけましょう。

 

また、沖縄在住の写真家である安田淳夫氏が撮影した深紅の太陽の写真とともに、父の以下の言葉が記されています。

 

座右の銘
最高の満足 最適の利益

最高の満足・・・
お客様に満足して
いただくことが私たちの誇り
最適の利益・・・
お客様に、そのご褒美を
いただくことが私たちの喜び

 

『佐久間進のすべて』(オリーブの木

 

2025年12月26日  一条真也