一条真也です。
「月刊終活」(鎌倉新書)の6月号が届きました。ブログ「佐山聡氏と対談しました!」で紹介した‟初代タイガーマスク“こと佐山聡氏との特別対談が掲載されています。
「月刊終活」2026年6月号
対談記事の大見出しは「死を賭し戦う格闘技、死を悼み送る葬儀」「“格闘”する2トップが語る『愛の精神論』」です。「『初代タイガーマスク』として知られる格闘家の佐山聡と、大手互助会を率いながら作家としても活躍する一条真也。日本の戦後格闘技史の生き字引のような佐山と、幼少時より大のプロレスファンだと語る一条との対話はいきおい、「死」めぐる日本人の精神論にまでおよび・・・・・・。世紀の“異種格闘技戦”は、どのような結末を導いたのか?」とのリード文が書かれています。以下、対談内容です。
一条真也(以下、一条) 私は本当に佐山さんの大ファンでして、学生時代にはよくタイガーマスクの仮面を着けて行動していたぐらいなんです。ただ、実はタイガーマスクのデビュー当時を観ていないんですね。もともとアントニオ猪木さんの大ファンで異種格闘技戦を特に熱心に観ていたのですが、1980年のウィリー・ウィリアムス戦で一連の流れに区切りがついたことで、しばらくプロレスから離れてしまいました。佐山さんがタイガーマスクとしてデビューされたのは、ちょうどその直後ですよね。しばらくして「タイガーがすごい」という噂が耳に入ってきまして、慌てて観たのが1983年。佐山さんは同年8月に新日本プロレスを退団されましたから、初代タイガーマスク時代をリアルタイムでほとんど拝見できなかったのは、私にとって一生の不覚です。
佐山聡(以下、佐山) そんなふうに言っていただいて、ありがたいですね。
一条 実は、お会いするのは今日が初めてではないんです。1986年に私の地元・小倉に佐山さんがいらっしゃったことがありまして、当社が経営するホテルの応接間で、父(サンレー創業者の佐久間進氏、2024年逝去)と一緒にご挨拶させていただきました。父はずっと講道館で柔道をやっておりまして、東京オリンピックを目指していたけれども猪熊功さんに敗れて行けなかったという経歴の持ち主です。父には「佐山聡さんは嘉納治五郎先生のように、まったく新しい武道を作ろうとされている方です」と紹介した覚えがございます。
「月刊終活」2026年6月号
●世紀の決戦・猪木アリ戦は“世間との戦い”の象徴
「新しい武道を作ろうとしている方」という一条の言葉通り、佐山の格闘家人生は“創造”の連続だった。現在まで続く総合格闘技の源流とされる「脩斗」、日本古来の武士道精神への復活を志した「掣圏真陰流」など、新たな格闘の体系を絶えず生み出し続け、日本のマット界にもたらした影響は計りしれない。そして現在はプロレス団体「ストロングスタイルプロレス」を率いている。ここでいう“ストロングスタイル”とは、佐山の師であるアントニオ猪木が掲げ続けた、プロレスにおける根本思想だ。
一条 私がプロレスや格闘技を愛してきたのは、それが美しいからです。佐山さんの蹴りがなぜあれほど美しいかといえば、理にかなっているからなんですよね。最近の格闘技からは、そうした美意識が失われているように思います。プロレスに関しても、近年の新日本はショーマンスタイルに走りすぎて、“軽さ”しか感じません。タイガーマスクもジュニアヘビー級でしたけれど、軽さではなく強さがありました。私もストロングスタイルを愛しているので、佐山さん率いるストロングスタイルプロレスが、何かを変えてくれるのではないかと期待しています。
佐山 プロレスの再建に全力を尽くすつもりです。まずは道場を作り、そこで選手を育て、ストロングスタイルとはなんであるかを世界の人々に分け与えていきたい。僕はよく言うのですが、タイガーマスクとは、猪木さんに育てられ先輩たちに鍛えられた新日本プロレスでの3年間の結晶です。僕だけの力でできたものではなかった。あの時代の精神を手本としていけば、おのずとよいプロレスができるだろうと考えています。
一条 佐山さんが修斗を立ち上げられた頃に、「将来は相撲のように天覧試合ができるものにしたい」とおっしゃっていたのが印象に残っているんです。これは素晴らしい考えだな、と思いました。天覧試合をやる、つまり天皇陛下に観ていただくというのは、正々堂々としたものであることのこれ以上ない証しですよね。佐山さんがリーダーのまま修斗が続いていたらその域までいったでしょうし、今のストロングスタイルプロレスにも私は、その可能性を感じています。
佐山 天覧試合をしたいと言ったのは、自分でもよく覚えていますよ。
一条 同時に、それを聞いたとき、猪木さんも同じような思いを抱いていたのではないかと思いました。プロレスに対して「八百長だろう」と揶揄する人も多かった中で、猪木さんは常に、そのような世間の偏見と戦っておられましたよね。
佐山 「プロレスに市民権を」というのが猪木さんの言葉でした。僕らもそれを目指して日々練習に励んで試合に臨み、ストロングスタイルを磨いていった。そういう時代でした。
一条 やはりそうですよね。私は、1976年のモハメド・アリ戦に涙が出るほど感動したんです。当時アリは、世界でもっとも権威のあるアスリートでした。猪木さんは多額の借金を背負ったり過酷なルールを課されたりしながらも、そんな世界のスーパースターを日本に招いて戦った。それはまさにプロレスが市民権を得るための戦いだったのだと思います。私が従事する葬儀という仕事も、とても奥深くて価値あるものであるにもかかわらず、社会的な地位は低く、偏見も強い時期が長かった。そうした壁にぶつかったとき私は、猪木さんの世間との戦い方をいつも心の支えにしてきました。
●座右の書は新渡戸稲造『武士道』
日本の精神的主柱を作り直す
佐山は長年、武士道について独自の研究を続けている。「最高の格闘技を作るためには、武道の精神性とは何かを知る必要がある」という思いから模索を始め、その過程で武士道に行き当たった。爾来、歴史学のみならず現代の精神分析学や心理学などさまざまな文献を渉猟しながら体系化を図ってきた。そして一条もまた、19世紀末に新渡戸稲造が書いた『武士道』を座右の書とし、武士道を思索の根本に置く人間だ。
一条 佐山さんはご著書で、「西洋の騎士道はキリスト教に全部飲み込まれてしまったが、武士道は仏教にも神道にも飲まれなかった」と書いておられましたよね。新渡戸博士も書かれていますが、私は武士道とは、神道と儒教と仏教という3つの宗教がハイブリッドに混ざりあって支えてきたものだと考えています。そしてそれが、今でももっとも日本人の心に響くものなのではないかな、と。
佐山 神儒仏融合体としての武士道ですね。僕自身は、神儒仏融合体を土台にしながら新しい時代に新しい武士道を作っていかなくてはならないと思っています。たとえばキリスト教ならミサがあったりユダヤ教ならシナゴーグがあったりしますが、今の日本には、そうした精神的支柱がありません。格闘技を通してそれをもう一度作り直したいんです。格闘技とはどんな戦いであってもいいと、僕は思っています。ケンカでもなんでもいいんだけれど、ただそこには礼儀作法があって、選手や観る人が人間形成できるようなものであることが重要です。そうして世界の新しい潮流に立ち向かっていける日本人を作れたらいいなと、常に考えています。
一条 武士道の根底には、死を恐れずに受け入れる精神がありますよね。いわば「生を修める」ことであり、それこそが重要だと私は考えています。「月刊終活」の誌面で言うのは申し訳ないけれど、私は「終活」という言葉にずっと違和感があって、代わりに「修活」という言葉を提案してきました。「終末活動」ではなく「修生活動」です。死は終わりではない以上、終末を迎えるための活動ではなく、生を修めるための活動としたほうがふさわしいですから。そして今話していて気づいたのですが、佐山先生が作られた修斗とは、「闘いを修める」という意味ですよね。もしかしたら私の「修生」という考えは、修斗の影響を受けているのかもしれません。
「月刊終活」2026年6月号
●アントニオ猪木の最期の姿に
吉田松陰「狂愚誠愛」の精神が
プロレスラーや格闘家は、常に死と隣り合わせの職業だ。強大な相手と対峙し、全身全霊を懸けて闘うためには、身体だけでなく精神を極限まで鍛え抜かなくてはならない。リングに上がる前の恐怖、相手の打撃を受け止める痛み、勝敗の重圧──それらを引き受ける日々の中で、必然的に独自の死生観が育まれていく。
佐山 僕は先日、パーキンソン病の症状を和らげるために眼瞼下垂の手術を受けました。全身麻酔ではなく部分麻酔だったのですが、5時間に及ぶ手術で僕は一度も「痛い」とは言わなかった。事実、痛くなかったんですよ。額の力を抜くことで恐怖や不安をそぎ取る練習法があって、これを繰り返すとどんなに強い相手が向かってきても、やられる気がしなくなるんですね。リラックスして、いわゆる“ゾーン状態”に入っていける。痛みも感じなくなるし、死をも受け入れられる状態になるんです。
一条 プロレスラーや格闘家の方の死生観には常々感銘を受けています。中でも私はやはり、猪木さんが病気で弱った姿を最期までYouTubeで発信し続けられたことに衝撃を受けたんです。死が秘匿されがちな現代社会において、死を受け入れる姿を我々に見せてくれました。あれは本当にすごいことだったと思います。
佐山 僕は見ていてつらかったですね。師匠の気持ちの強さがわかるからこそ、涙が出そうでした。あれは猪木さんにしかできないことでしょう。「自分の背中を見て、ついてこい」という姿勢を最期まで貫かれたのだな、と思います。
「狂愚、誠に愛すべし。才良、誠におそるべし」という吉田松陰の言葉がありますが、「狂愚誠愛」とは本当にあの人にぴったりの言葉です。才良とはお利口さんのことで、お利口にしながら世の中を動かそうと思っても何も動かず、狂って馬鹿になる人こそとんでもないことをやってのける。そうでなければアリ戦なんてできません。猪木さんはよく「馬鹿になれ」と言っていましたが、本当にその通りだと思います。
●「愛」のサングラスによって
「死」を直視することができる
2022年に亡くなったアントニオ猪木のみならず、昭和の名レスラーや業界関係者が近年次々と鬼籍に入っている。タイガーマスク最大のライバルであり、“虎ハンター”の異名で知られた小林邦昭が2024年に逝去。そして2025年には、“過激な仕掛人”と呼ばれた元新日本プロレス専務取締役営業本部長・新間寿がこの世を去った。新間は佐山を見出して新日本に入門させ、タイガーマスクとしてデビューさせた張本人である。晩年はストロングスタイルプロレス会長を務め、佐山とは長年歩みを共にしてきた存在だけに、告別式で佐山は、涙ながらに弔辞を読んだ。
一条 佐山さんが弔辞を読まれた様子を動画で拝見して、「まだ別れたくないです」という言葉に本当に心を打たれました。
佐山 新間さんとは長い付き合いで、いろいろなことを教えてもらいました。亡くなられたのは非常に残念です。ただ、新間さんは死に直面しても恐れることなく堂々としていました。おそらく侍もそうだったことでしょう。そうしたあり方にはやはり強く感銘を受けます。
一条 私は、死は誰でも怖いものだと思うのです。生物としての自分が消滅するわけですから。ですが、死を恐れないこともできるはずです。17世紀フランスの箴言家ラ・ロシュフーコーの言葉に、「太陽と死は直視できない」というものがあります。しかし、太陽はサングラスをかければ見ることができる。同じように死も直視できると私は思うんです。そこで必要なのは、「愛」というサングラスではないでしょうか。自分のこの身はなくなろうとも、家族や恋人、あるいは祖国など、愛するものというサングラスを通せば、死を直視しても恐れることはない。猪木さんや新間さんも、ご家族はもちろん、プロレスをはじめ自分が今までやってきたさまざまなものへの愛があったのだろうと思います。
佐山 非常に深い話ですね。僕も若い頃は本当に「猪木のためなら死ねる」と思っていましたし、新間さんに父のような愛情を感じていました。最近も、猪木さんや新間さん、小林さんなど、亡くなった方たちが夢にまで出てくるんですよ。彼らに顔向けできるよう、これからの自分の生きざまを見せていきたいですね。それにはやっぱりプロレスの再建と、武道を通じて新しい日本文化を作ることだと思っています。
一条 素晴らしいですね。やはり佐山さんは永遠に私のヒーローです。今日はお会いできて本当に光栄でした。どうかいつまでもお元気でいてください!
最後に「“理想”を追い求める男」「佐山聡『70年の格闘史』」として、以下のように書かれています。
「佐山聡が新日本プロレスにてデビューを果たしたのは1976年5月のこと。入門2年目からはアントニオ猪木の付き人を務めながら研鑽を積み、メキシコ・イギリスでの海外武者修行を経て、1981年4月、『タイガーマスク』として凱旋帰国を果たす。マンガの主人公が現実のリングに降臨したかのような華麗な空中殺法と、根底に据えられた高度な格闘技術で、子どもから大人まで日本中を熱狂させた。だが、タイガーマスクは1983年8月、人気絶頂のただなかに電撃引退。佐山は新日本を退団し、格闘技の世界へと本格的に足を踏み入れていく。1984年、第一次UWF旗揚げに参加。「スーパー・タイガー」のリングネームで、関節技と打撃を融合させた新たな闘いのスタイルを提示する。路線対立から翌年UWFを脱退すると、みずからの理想とする格闘技を創設すべく、『シューティング』(後の「修斗」)を創設。総合格闘技の源流とされるこの団体は、やがて世界へと広がっていった。1996年に修斗の運営から身を引いた佐山はその後、武士道とはなんたるかを独学で研究しながら『掣圏真陰流』『須麻比』といった新たな武道を編み出すこととなる。一方、1994年にはプロレスのリングに復帰。アントニオ猪木と共に小川直也を育てるなど、プロレスと格闘技の双方から日本のマット界に新風を吹かせてきた。2005年に『リアルジャパンプロレス(現・ストロングスタイルプロレス)』を旗揚げしてからは、猪木の教えであるストロングスタイルプロレス復興を掲げて後進の指導に当たる。飽くなき理想の追求を体現してきた佐山の模索は、現在も止むことがない」
かつての日本は、たしかに美しい国でした。しかし、いまの日本人は「礼節」という美徳を置き去りにし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えてなりません。それは、戦後の日本人が「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。ここまで話して、わたしは佐山氏の唱えられた「修斗」も闘いを修めるという意味であることに気づきました。もしかしたら、わたしの「修生」という考えは、佐山氏の「修斗」からインスピレーションを得て生まれたのかもしれません。そう考えると、大きな気づきとともに感動をおぼえました。
お互いの志を果たしましょう!
*よろしければ、佐久間庸和ブログもお読み下さい!
2026年6月5日 一条真也拝