一条真也です。
26日、ユナイテッドシネマなかま16でカンヌ映画祭グランプリ作品の「私たちが光と想うすべて」を観ました。製作国はインド・イタリア・フランス・ルクセンブルグです。静かな作品でしたが、国や民族や宗教を超えて必死に生きる女性たちの生き方が描かれていました。ちなみに、本作は今年観た120本目の映画です。
ヤフーの「解説」には、「思うようにいかない人生に戸惑いながら大都会の片隅で暮らす女性たちを描くヒューマンドラマ。インドのムンバイを舞台に、それぞれ年齢も性格も置かれた状況も異なる女性たちの生き方を映し出す。監督などを手掛けるのはパヤル・カパーリヤー。『女の子は女の子』などのカニ・クスルティ、ディヴィヤ・プラバ、チャヤ・カダムらがキャストに名を連ねる。第77回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「インドのムンバイで看護師として働くプラバ(カニ・クスルティ)と、同僚である年下のアヌ(ディヴィヤ・プラバ)の二人はルームメイトとしてアパートで暮らしているが、真面目なプラバと好奇心旺盛なアヌには、少しだけ心の距離が生じていた。親の決めた相手と結婚したプラバの夫はドイツに働きに行ったまま長い間連絡がなく、かたやアヌにはひそかに交際するイスラム教徒の恋人がいた」
この映画の舞台はインドの第二の都市であるムンバイです。ムンバイの市域人口は1248万人と世界でも有数の大都市ですが、そこにはインドの各地域から多くの人々が集まってきています。言語も違えば、宗教も違う人々もいますが、それでも惹かれ合って愛し合う姿がこの映画では描かれます。インド映画といえば、集団ダンスに代表される明るい内容をイメージしますが、ここではけっして明るいばかりではないインドの一面を見ることができます。
終盤の海辺の村の洞窟のシーンは画面が暗すぎて眠たくなってしまいましたが、人生はけっして明るいものではないのだということを示していたように思います。それでも、人は世界を明るくする光を求めて生きるものです。この映画に登場するプラハやアヌの生き方に自分を投影する日本人女性は多いのではないでしょうか。うまくいったのか、うまくいかなかったのか、よくわからない人生。職場の仲間や家族や結婚相手とうまくやれなかったこと。彼女たちの人生は、あらゆる人々の共感を呼ぶでしょう。なぜなら、人生とはみな似たりよったりだからです。
「私たちが光と想うすべて」はインドを舞台に女性の生き方を描いた映画ですが、ブログ「花嫁はどこへ?」で紹介した2024年のインド映画に通じる問題提起がありました。両作品は上映時間が約2時間と、インド映画にしてはかなり短く、強引なボリウッドダンスもありません。最近のインド映画にありがちな不死身アクションも見られず、ひたすヒューマンドラマに徹しています。それでも、インドの社会問題を扱っていて、特に女性の自由について考えさせられる内容となっています。インドの女性はベールで顔を隠していますが、「花嫁はどこへ?」では、同じベールで顔を隠し、満員電車に乗っていた2人の花嫁が、花婿の勘違いによって取り違えられてしまうという物語です。
この映画では、集合住宅からの立ち退き問題が登場しますが、ブログ「マーヴィーラン 伝説の勇者」で紹介した最近観たばかりのインド映画にも同様の問題が出てきたことを思い出しました。同作は、自身が描く漫画のヒーローに変身して巨悪と戦う漫画家を描いたアクション映画です。開発地域からの立ち退きと新たに与えられた欠陥住宅に抗議する男性が、自らが描く漫画のヒーローとなって悪に戦いを挑みます。わずか5日間の間に鑑賞したインドを舞台にした映画がいずれも住宅の立ち退きがテーマというのは何かの偶然か、それとも現実のインドで同様の問題が多発しているのでしょうか。
2025年7月27日 一条真也拝