一条真也です。
福岡県は緊急事態宣言下にありますが、今朝、小倉駅からソニック7号に乗って中津駅へ向かいました。サンレー大分の新年祝賀式典に参加するためです。
ソニック7号で中津へ!
JR中津駅の構内で
ヴィラルーチェの新看板の下で
ヴィラルーチェの前で
10時20分から、わが社の結婚式場「ヴィラルーチェ」において、サンレー大分の新年祝賀式典が万全のコロナ対応スタイルで行われました。
入場のようす
勇壮なふれ太鼓
最初は、もちろん一同礼!
社歌を小声で斉唱♪
「S2M宣言」を小声で唱和
司会は管理部の清水さんが務めました。まず、日田紫雲閣の多田副支配人による「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて全員で社歌をマスク越しに小声で斉唱し、それから別府営業所の澤谷ブロック長によって「経営理念」および「S2M宣言」が読み上げられ、全員でマスク越しに小声で唱和しました。
みなさんと新年の挨拶をしました
鬼滅マスクを外しました
登壇したわたしは、みなさんと「あけまして、おめでとうございます」「今年もよろしくお願いいたします」と新年の挨拶をしてから、「令和3年、2021年の新しい年をみなさんと一緒に迎えることができ、たいへん嬉しく思います」と述べました。それから、鬼滅マスクを外して社長訓示を行いました。
「こころ」を安定させる「かたち」を守れ!
それから、以下のような話をしました。昨年は、とにかく、新型コロナウイルスの感染拡大という想定外の出来事に尽きる年でした。ニューノーマルの時代となっても、わたしたちは、人間の「こころ」を安定させる「かたち」としての儀式、冠婚葬祭を守っていかなければなりません。
熱心に聴く人びと
コロナ禍の中で、わたしは冠婚葬祭業という礼業が社会に必要な仕事であり、時代がどんなに変化しようとも不滅の仕事であることを確信しました。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心ゆたかに儀式を行う時代が必ず来ます。
『鬼滅の刃』について語りました
とにかく、昨年は新型コロナウイルスの猛威に振り回された1年でしたが、そんな中で社会現象と呼べる大ブームを巻き起こしたのが『鬼滅の刃』です。漫画も、アニメも、映画も、史上最大のヒットを記録するという信じられないような現象を巻き起こしています。「なぜ、『鬼滅の刃』はコロナ禍の中で大ヒットしたのか」という謎を解くために、わたしは『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)という本を書きました。ちょうど今、見本が金沢に届いたばかりです。
令和2年の夏は異常だった!
令和2年、改元の翌年にわたしたちが迎えた夏は極めて異常なものでした。新型コロナウイルスによってあらゆる行動が制限を受け、ビフォー・コロナどおりにはとれた行動をそのまま継続できた例はほとんどなく、さまざまなことが「密」を避けるために変化を求められました。これは夏に行われる祭事、すなわち夏祭りや盆踊りも例外ではありませんでした。全国の花火大会もコロナ禍を要因に中止されました。このような状況は、夏祭り・盆踊りにしても花火大会にしても、年が明けたからといって、来年から従来通りの姿を取り戻せる保障があるわけではありません。
熱心に聴く人びと
民俗学者の畑中章宏氏は、「日本の人々がこれまで続けてきた祭りのほとんどは、祖霊を供養するためと、疫病除去の祈願のためだったといっても言い過ぎではない」と指摘しています。確かに、日本の祭礼の目的は(稲の豊作祈願を含めた)祖霊祭祀と病疫除去にあったと考えて間違いありません。そして、その中でもいわゆる夏祭りは、病疫退散が主たる目的といえるものが少なくありません。これは夏という季節が、暑さによる人間の生命力低下とともに、病魔が広がりやすくなる季節であることが理由として挙げられます。
「先祖祭祀のありかた」を見直す
コロナ禍における祭礼のあり方は、日本人の「こころ」を安定させるためにも今後早急に検討されなければなりません。しかし、現在の状況の中で一縷の望みがあるとすれば、それは「まつりのあるべき姿」や「先祖祭祀のありかた」を見直す声が出ていることでしょう。日本人の「こころ」は神道・儒教・仏教の三本柱によって支えられています。そして、それらの三本柱には「先祖崇拝」という共通項があり、それが「かたち」として表されるのが儀式です。
儀式なくして人生なし!
冠婚葬祭、年中行事、そして祭礼は広く「儀式文化」としてとらえられます。それらは「かたち」の文化ですが、何のために存在するのかというと、人間の「こころ」を安定させるためです。コロナ禍では、卒業式も入学式も結婚式も自粛を求められ、通夜や葬式さえ危険と認識されました。しかしながら、儀式は人間が人間であるためにあるものです。儀式なくして人生はありません。まさに、新型コロナウイルスは「儀式を葬るウイルス」と言えるでしょう。そして、それはそのまま「人生を葬るウイルス」です。
「かたち」は「こころ」を安定させる
人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも、ころころ動いて不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要です。多くの儀式の中でも、人間にとって最も重要なものは「人生の卒業式」である葬儀でしょう。新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続きました。芸能界でも志村けんさん、岡江久美子さんがお亡くなりになられましたが、ご遺族はご遺体に一切会えず、荼毘に付されました。新型コロナウイルスによる死者は葬儀もできないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。
コロナと鬼滅の関係とは?
コロナ禍の現状、ことごとく祭礼が中止されました。その中で生じる最大の問題は、夏祭りや盆踊りが担っていた祖霊祭祀と病疫除去という役割を、誰が担うのかというものです。その答えの1つが、「鬼滅の刃」という作品だったと思います。夏祭りは先祖供養であると同時に、疫病退散の祈りでした。それが中止になったことにより、日本人の無意識が自力ではいかんともしがたい存在である病の克服を願い、疫病すなわち鬼を討ち滅ぼす物語であり、さまざまな喪失を癒す物語でもある「鬼滅の刃」に向かった側面があるのではないか? わたしは、そう考えます。
「鬼滅の刃」はコロナ禍の「祭り」だった!
「鬼滅の刃」現象とは、コロナ禍の中の「祭り」であり、「祈り」だったのです。『鬼滅の刃』という物語は、わたしたちの仕事である冠婚葬祭業とも深い関わりがある、いわば「天下布礼」の物語であると言えます。そして、死者を供養し、先祖を祀るという「礼欲」という本能があるかぎり、冠婚葬祭や年中行事は不滅です。すなわち、わたしたちの礼業は永遠に不滅ということです。
道歌を披露しました
社会現象にまでなった『鬼滅の刃』という物語が、日本人における「礼」の精神の重要性と普遍性を説くものであったと知り、わたしは大変心強い思いがしました。最後は、「今年も力を合わせて、世のため人のために頑張りましょう!」と言ってから、「亡き人をしのび病を追い払ふ これぞ日の本 鬼滅の祭り」という道歌を披露しました。
年間情報売上表彰のようす
表彰者との記念撮影
社長訓示の次は、年間情報売上表彰を行いました。営業の部で第1位の熊谷さん(中津営業所 )、内勤の部で第1位の筒丸さん(ヴィラルーチェ)の2人に金一封を添えて表彰状をお渡ししました。
「サンレーおもてなし賞」の受賞者を表彰
表彰者との記念撮影
それから、「サンレーおもてなし賞」の表彰を行いました。今回は、ヴィラルーチェの川原さん、中津紫雲閣の田中さん、加入者相談室の末さんの3人に金一封を添えて表彰状をお渡ししました。
決意表明のようす
祐徳事業部長の熱い決意!
想いをしっかり受け止めました
人は心が原動力だから!
その後、各責任者が部門別決意表明行いました。営業推進部の堺部長代理、紫雲閣事業部の山形支配人、冠婚事業部の山下部長の順番で決意が読み上げられ、最後は大分事業部の祐徳事業部長の決意表明を受け取りました。祐徳事業部長から決意表明を受け取ったわたしは、「ただ今、みなさんから熱い想いを受け取りました。『鬼滅の刃』の主人公である竈門炭治郎のセリフに『俺はやれる! 絶対にやれる! 俺はやれる男だ!』『がんばれ! 人は心が原動力だから』というものがありますが、これをみなさんに贈りたい。どうか、いま言ったことは必ず実行して下さい。わたしは、みなさんを信じています」と述べました。
「和のこえwithコロナ」のようす
ガンバロー!✖️3
最後は、もちろん一同礼!
退場のようす
最後は、「和のこえ withコロナ」を営業推進部の堺部長代理が音頭を取り、国旗・社旗拝礼、閉式の辞、社長退場・・・・・・コロナ禍の中の祝賀式典はめでたく終了。全員の心が1つになりました。その後、社用車で中津から大分駅まで送ってもらい、そこから「にちりん15号」に乗って延岡へ向かいました。
2021年1月19日 一条真也拝