『思いやりの経済学』

思いやりの経済学 (Kakuichi Institute Holistic Study Series)

 

一条真也です。
『思いやりの経済学』マチウ・リカール&タニア・シンガー編、辻村優英訳(ぷねうま舎)を読みました。サブタイトルは「ダライ・ラマ14世と先端科学、経済学者たち」です。版元はブログ『ヒューマンスケールを超えて』で紹介した本も出版しており、同書の巻末にあった書籍紹介で本書の存在をしりました。日頃からわたしが考え続けているテーマであったことと、敬愛するダライ・ラマ14世の発言が掲載されていることを知り、アマゾンで購入した次第です。

f:id:shins2m:20200316201118j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「弱肉強食ではない 経済関係はある」として、「脳の神経組織、御リアの行動原則からマイクロファイナンスと裸足の大学まで、先端科学、経済学、経営学者たちが、現場から素材を持ち寄って、非常識を根拠づける」と書かれています。

f:id:shins2m:20200316201142j:plain
本書の帯の裏

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「利他、慈悲、思いやりを行動原則とする、ケアする経済学。他者を思いやり、社会に幸福をもたらすことに基盤を置く経済倫理は、果たして成り立つのか。ダライ・ラマ一四世と、脳科学神経科学、霊長類学、人類学、そして経済学と経営学まで、今日の先端に立つ科学者たちが対話する。グローバリゼーションのもと、格差の拡大とポピュリズムが浸透したこの世界に、コンパッション(共苦)に根をもつ行動原理と規範を打ち立てるために。脳の神経組織からマイクロファイナンスまで、競争原理を超える人間像と社会像を提示する」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はしがき」ダライ・ラマ14世

序  思いやりの経済学に向けて

  タニア・シンガー、マチウ・リカールほか

Ⅰ 利他と向社会的行動に
    関する科学的研究    
 

第1章 利己-利他論争――心理学的視点から
    ダニエル・バトソン

第2章 共感と内受容性皮質
    タニア・シンガー

第3章    コンパッションの神経基盤  
    リチャード・ダビッドソン

第4章 利他に関する仏教的観点               
    マチウ・リカール

第5章 生存のための生物学的要求――利他再考
    ジョーン・シルク

Ⅱ 利他と向社会的行動に
    関する経済学的研究   

第6章    社会的ジレンマ実験                     
               エルンスト・フェール

第7章    仏教経済学事始め 
               ジョン・ダン

第8章    幸福の経済学
               リチャード・レイアード

第9章    なぜ人々は慈善活動をするのか
               ウィリアム・ハーバー

第10章    利他的懲罰と公共財の創出
                   エルンスト・フェール

Ⅲ 経済システムへの向社会性の導入

第11章    目的のある利益
                   アントワネット・フンジカー

第12章    マイクロファイナンスは何を為し得るか?
                   アーサー・ヴェィロイアン

第13章    ベアフット・カレッジ
                   サンジット・ブンカー・ロイ

第14章    コンパッションに満ちたリーダーシップ
                   ウィリアム・ジョージ

 結 語  コンパッションは贅沢品ではない
              ジョアン・ハリファックス
    ダライ・ラマ法王ほか

「注」「謝辞」
「マインド・アンド・ライフ・インスティテュートについて」「登壇者一覧」
「図版出典」


2010年4月、ダライ・ラマ14世と、経済学、神経科学、哲学、瞑想実践、財界などのさまざまな分野の著名な学者たちがスイスのチューリヒに集まり、「経済システムにおける利他とコンパッション」という会議をマインド・アンド・ライフ・インスティテュートの主催で行いました。本書の内容は、そのときの記録です。マインド・アンド・ライフ・インスティテュートとは、心と現実の本質を探究するために、ダライ・ラマ法王猊下、科学者、哲学者、瞑想実践者の間で交わされる一連の学際的な対話の場を設け、それを通して地球規模でのウェルビーイング(良き生のあり方)を促す活動をしている組織だそうです。このような対話は1987年以来続けられており、物理学、宇宙論生態学倫理学から、「破壊的感情」や教育にいたるまで、幅広いテーマで探究されています。

 

「はしがき」の冒頭を、ダライ・ラマ14世はこう書きだしています。
「現在、私たちはまさしく互いにつながった世界で生きています。今日のグローバル経済において、国や大陸を越えて人々の運命は深く絡み合うようになってきました。この未曽有の経済統合は、多くの人々に繁栄をもたらし、生活水準を高めました。しかし、貧富の格差が拡大していることは否めません。これは、国家間だけではなく、一国内でも同じです」

 

続けて、ダライ・ラマ14世は「富める者と貧しい者との格差をどう縮めていくのか。これについて考えると、多くの問題が出てきます。経済システムをより公平にするためにできることは何か? 市場の見えざる手が自律的な効率性を確保するだろうという近代資本主義システムの基本的な前提は、現在のグローバル化した世界でも有効なのか? 利他のような強力でポジティブな動機が経済システムに関与する余地があるのか、あるいは利己的な行動がより大きな報酬をもたらすという一般的な仮定が正しいのか? 国民の経済成長を示すうえでGDP(国内総生産)は本当に最良の指標なのか? こうした問題が浮上してきますが、何よりも重要なのは、経済システムと幸福の探求との関係を調べなければならないということです」と述べます。



そして、ダライ・ラマ14世は「経済学の分野で根本的な再考が必要であるということが、ますます明らかになりました。経済学はその地平を拡げる必要があります。より平等な配分や公平性の問題、そしてより大きな社会的・環境的影響について考慮しなければなりません。経済学における倫理とコンパッションが、等しく重要であるという認識が増しています。結局のところ、経済とは人間の活動なのであって、より大きな幸福へと促し、すべての苦しみを和らげるという基本的な目標がそこにあるのです」と述べるのでした。

 

序「思いやりの経済学に向けて」は、タニア・シンガー博士(マックス・プランク認知神経科学研究所社会神経科学部ディレクター)、マチウ・リカール博士(チベット仏教シェチェン僧院の僧侶)、ディエゴ・ハンガートナー博士(マインド・アンド・ライフ・ヨーロッパのディレクター)によって書かれていますが、そこでは「世界中の青少年とその家族、学者、労働者、活動家、政治家は、より持続的で公正な思いやりのある経済を求めています。それは、少数のエリートの欲望に左右されることなく、コンパッション(他者が苦から離れるようにとの思い、共苦)と人道主義によって世界のコミュニティに利益をもたらし、将来の世代と生物圏の運命に対する長期的な配慮を備えた経済です」と述べられています。

 

当初、仏教や瞑想の研究が、経済学の議論にもたらす可能性に疑問を持つ学者もいたそうです。「両者はかけ離れているように見えます。前者は、コンパッション、自発的に質素な生活を送ること、苦しみを減らすことに関心があり、後者は、物質的富や快適さと幸福の外的条件を追求することに関心があるからです。しかし両者には、重要な共通点があります。それは人間の幸福を促進するために設計されているということです」と述べられています。

 

また、「思いやりの経済に向けて」として、「われわれは次の前提から出発する。すなわち、われわれが求めるのは幸福なのだから、その目的につながるものこそが最も価値のあるリソースだ、ということである」と高らかに宣言し、さらには「物質的価値を第一に考える人々は共感に欠け、不幸であり、友人が少なく、内面の価値を重視する人よりも不健康であると、心理学者ティム・キャッサーの研究は示しています。しかし、経済理論は長年、人々は根本的に自己利益によって動機づけられ、資本主義経済は人々に自分の欲望を促進する機会を提供することによってのみ機能しうると説いてきました」と述べます。

 

 

アダム・スミスは、『国富論』で「われわれが食事を望めるのは、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心からではなく、彼ら自身の利益に対する関心からである。彼らの人間性にではなく、自己愛に訴えかけ、自分自身の必要性ではなく、彼らの利益について語りかけるのだ」と述べました。しかし、「アダム・スミスが『国富論』で論じたパン屋が利他的だったらどうでしょう。彼はあなたが空腹で、お金がないと思っています。あなたの苦しみを和らげ、良き生を送れることを望んで、あなたにパンを与えます」と問いかけます。

 

 

続いて、「この取引でパン屋は潜在的な収入を失いますが、他の何かを得ます。あなたがパンを受け取るのを見ると、彼の脳内報酬系が活性化し、喜びを感じるのです。彼は、別の人が苦しんでいるのを見て苦しみを感じ、その苦しみの原因を取り除いたという点でも、彼自身が恩恵を受けているのです。パン屋が何もお返しを期待せずパンを与えたのなら、たとえその行為によって自分の気分が良くなったとしても彼の動機は利他的だと言えます。もし彼が、自分の気持ちを良くしたり、自分の罪悪感を和らげたり、ケチだと批判されるのを避けたりするためにパンを与えたのなら、彼の動機は利己的です。しかしどちらの場合でも、空腹の人が満たされることに変わりありません」と述べます。

 

そして、「私たちはもはや自分自身を独立した存在と考えることはできません。私たちのウェルビーイングは相互に依存しているわけですが(これは仏教思想が長く支持している真実です)、文化、市場、世界中の人々がますます商品やアイデアを交換するにつれ、ウェルビーイングの相互依存性はますます強まっています。ダライ・ラマ法王猊下チューリヒでこう述べました。『私は「彼ら」という概念をなくすべきだと人々に伝えています。「私たち」で十分なのです。全世界は「私たち」の一部なのです。・・・・・・経済的にも、そしてあらゆるレベルにおいても、私たちは彼らを必要としているのです。私は幸せを望んでいます。それを実現するために、私はあなたを必要としているのです』と述べるのでした。



Ⅰ「利他と向社会的行動に関する科学的研究」の第2章「共感と内受容性皮質」では、2010年よりドイツのライプツィヒにあるマックス・プランク認知神経科学研究所社会神経科学部のディレクターを務めている神経科学者のタニア・シンガーの発表内容が紹介されています。タニアの発表は、共感やコンパッションといった社会的感情のような、基本的な感情的・動機的体系の基礎となる経路を明らかにするものでした。彼女は、いかにして人間の脳が他者と感覚を共有しうるのかということを示し、信頼のような社会的行動の基礎となる神経経路を描きました。



タニアは、「感情の共有あるいは他者への共感の内実は、向社会的な動機や行動と必ずしも関連しているとは限りません。向社会的な動機には、他者のウェルビーイング(良き生のあり方)への配慮や思いやりが必要で、そうした動機は向社会的な行動あるいは他者に利益をもたらす行動へとつながります。共感は、必ずというわけではありませんが、向社会的な動機と行動へつながるのです。たとえば、もし私があなたの苦痛にあまりにも強く共鳴してしまって、結果的に自分が苦悩に苛まれるならば、私は自分自身の苦しみを軽減することに心を奪われるでしょう。そして、あなたとかかわろうとしなくなったり、私にネガティブな影響を与えたあなたに怒りを覚えたりするかもしれません。これは、向社会的な動機や行動とは反対の結果をもたらすでしょう」と発言しました。



第4章「利他に関する仏教的観点」では、ネパールにあるチベット仏教シェチェン僧院の僧侶で、パスツール研究所で細胞遺伝学の博士号を取得しているマチウ・リカールの発表内容が紹介されています。マチウの発表は、コンパッション、無知、苦しみ、幸福についての仏教的理解に光をあてたものでした。彼は、他者の苦しみに継続的に接することとなる看護師の感情的疲弊について触れます。タニアの研究への参加者として、そして瞑想実践者としての経験に基づき、可能性のある対策としてコンパッションの瞑想と利他的な慈しみについて語りました。



マチウは、「利他的な慈しみ、すなわち仏教における慈悲の『慈』は、すべての有情、すなわち心を持つ生き物が幸福と幸福の原因を有することができるようにと欲することです。この無条件の博愛は、有情の苦しみを前にしたときには、コンパッション(共苦)という形を取ります。コンパッション、すなわち仏教における慈悲の『悲』とは、すべての有情が苦しみと苦しみの原因から離れるようにと欲することです。利他的な慈しみとコンパッション、すなわち慈と悲は、善行の結果ではありません。また、悪行に対する報いとして慈しみとコンパッションが欠如するわけでもありません。コンパッションは、あらゆる形の苦しみを取り除こうとする欲望を意味します。どんな苦しみであろうと、誰が経験した苦しみであろうと関係ありません。利他的な慈しみとコンパッションは、人々の振舞い方や他人への接し方に左右されるものではないのです。こうした観点から、単にあなたの敵だけではなく、多くの他者に甚大な苦しみを与える敵にさえも、いかにすればコンパッションを拡げることができるかを理解することができます。ですからコンパッションのある人は、あらゆる手段でもって苦しみを根絶したいと思うのです」と発言しました。



Ⅱ「利他と向社会的行動に関する経済学的研究」の第6章「社会的ジレンマ実験」では、チューリヒ大学経済学部長・教授のエルンスト・フェールの発表内容が紹介されています。フェールの専門はミクロ経済学・実験経済学。経済学、社会心理学社会学、生物学、神経科学の知見を組み合わせ、近代経済学社会学的・心理学的側面に光を当てる研究を行っています。フェールの社会的ジレンマ実験は、利他や真の利他に対する人々の信頼を追跡調査するものであり、自己利益のみによる動機づけという経済学の長年の仮定に対して反証を挙げるものであります。彼はプレゼンテーションにおいて、利他的制裁という考え方を紹介し、社会的義務における説明責任の価値について説明しました。



フェールは、「利他は社会保障を提供します。援助が必要とされる場合は、利他的な人が手を差し伸べるでしょう。これがとても大切なことなのです。福祉国家がない場合、利他のみが頼みの綱です。実際、福祉国家そのものが、ある意味では利他的な努力の成果であると考えることができます。利他はまた、相互に有益な経済交流を促進させます。なぜなら、利他的に行動する、あるいは利他的に罰を与える人々が社会に存在するならば、私たちは進んで義務を果たすからです。利他は、人間文化そして近代民主主義と個人の自由の根底にある協調的規範の強化を助けるのです」と発言しました。



第8章「幸福の経済学」では、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授で経済学者のリチャード・レイアードの発表内容が紹介されます。リチャードはCentre for Economic Performance(CEP)の創設者・ディレクターを歴任し、現在はCEPのウェルビーイング・プログラムを率いています。失業、幼児期、メンタルヘルスウェルビーイングにわたる研究はイギリス内外の政策に影響を与えてきたそうです。多くの経済理論家は、経済的成長を促すには競争が必要であり、経済的成長は幸福をも促進すると示唆してきた。リチャードは、クオリティ・オブ・ライフ(人生・生活の質)がかつてないほど向上しているにもかかわらず、なぜ幸福度が向上しないのかについて発表。



リチャード・レイアードは、「経済理論は決して陰謀ではありません。経済理論は理想主義的な知的活動なのです。市場での交換を通してのみ幸福を得ることができるという仮定のもと、自由で競争的な市場が人々の最大幸福を可能な限り生み出すだろうというのが経済理論の主たる命題です。もちろん、その理論には多くの限界があります。問題なのは、人間の幸福にとって最も重要な事柄の多くが、市場とは関係のないところからくるということです。それらは市場的な関係ではない職場の同僚、家族、地域社会、友人、または通りで会う人々との関係から生まれます。これらもまた幸せな人生の経験において非常に重要です」と発言しました。

 

Ⅲ「経済システムへの向社会性の導入」の 第11章「目的のある利益」では、グッドガバナンスや社会的・環境的責任を含む投資機会に焦点を合わせた独立系資産管理会社 Forma Futura Invest Inc.のCEO・共同設立者であるアントワネット・フンジカー=エブネターの発表内容が紹介されています。これまでにスイス証券取引所を率い、最初の汎ヨーロッパ証券取引所Virt-xのCEOを歴任してきた。アントワネットは、きちんとした会社への投資が、利益をあげながらも、いかにして社会的・環境的ウェルビーイング(良き生のあり方)を促進しうるのかを示しました。「私たちがこの種の責任ある利益を生み出すためにお金を使うとき、経営者から投資家にいたる多くの人々は互いに、人間のより良いクオリティ・オブ・ライフ(人生・生活の質)や地球がより健全であることにかかわっているのだ」と語りました。

 

アントワネットは、「持続可能な金融システムは、責任を持たせると同時に責任を求めもします。巨大企業において、取締役の仕事の1つはリスクを見抜くことです。リスクがどこに発生しうるのか、リスクにどのように対処するのかということを取締役はしっかりと問わねばなりません。不明な点があるのならば、それを実行すべきではないのです。個人的に私は、そうした変化が今日の会社執行部によって起こされることを期待してはいません。本当の変化は、私たち市民社会が責任ある方法で実行する社会的進化・革命から生まれるだろうと私は信じています。どんな財をどれくらい消費するのかを熟考し決定するのは私たち自身です。新しい贅沢品は物質的な物ではありません。安全、損なわれていない生態系、友情、幸福そして意義のある人生こそが贅沢品なのです」と発言しました。

 

第14章「コンパッションに満ちたリーダーシップ」では、ハーバード・ビジネス・スクール教授のウィリアム・ジョージの発表内容が紹介されています。彼の専門は経営管理で、リーダーシップ育成と倫理を教えています。医療機器メーカー、メドトロニックの元会長・CEOでもあります。ウィリアムは真のリーダーの資質について議論しました。「真のリーダーはどのようにして見出され、育成されるのか、彼らに期待されるものは何か、彼らが守るのは誰の利益なのか。ビジネスの世界ではどこにおいても、リーダーが自分自身の幸福を見つけることができるのは、まず他者を助けることによってである」とウィリアムは語ります。

 

ウィリアムは、「問題の根本的な原因は、一般の人々や組織に対する責任を差しおいて自己利益を優先させるリーダーたちだと私は考えています。リーダーシップを取る人には、人々に対する重い責任があります。もしリーダーが人々よりも自分を優先させれば、責任を果たせず、人々を大きく傷つけることになりかねません。また、外の世界からの称賛を求める人々や、外的な要因による動機づけが広く行き渡っています。言い換えると、心の平安を見つけようとはせずに、お世辞や報酬としてのお金を求めているのです。他者の役に立ち、人々と深いつながりを持ち、社会や世界にとって良いものを生み出すことによる本質的な満足を得ようとせず、権力、名声、表彰、栄光を追い求めています。一歩前進するために私たちは、純真でコンパッションに満ちた真正なるリーダーの新しい世代を必要としています。そうしたリーダーは、他者や社会に奉仕することがリーダーの目的であることを理解しています。彼らは自らの価値基準に基づいて、口だけではなく、その生涯を通してそれを実行に移します」と発言しました。

 

さらに、ウィリアムは21世紀のリーダーの役割は、過去の世紀のそれとは異なり、人々に意味や目的、価値観をもたらすことにあり、特にグローバルに展開している組織では、人々が組織の目的を信じ、価値基準に基づいて実践するのはとても難しいことだと指摘しました。リーダーの2つ目の役割は、他の人々に対して権力をふるわないことであるとして、「多くの学者はリーダーシップを権力として描いています。権力についてのこの考え方は、ゼロサムゲームを想起させます。もし私があなたに権力を与えれば、私は権力を失うのです。しかし私はこの考え方は違うと思います。リーダーシップというのは、リードする力を他者に与えることだと私は考えています。力を与えることは、むしろ愛に近いのです。それは無限であり得ます。もし他の人々に、前進しリードする力を与えることができれば、私たちはより強い組織で力の及ぶ限り貢献することができるでしょう」と述べました。非常に的確なリーダー論であると思います。


ハートフル・カンパニー』(三五館)

 

本書は、ブログ『知の逆転』ブログ『知の英断』ブログ『未来を読む』などで紹介した人類を代表する「知の巨人」たちの発言集と同じく、膨大で濃密な情報が詰まっています。発表者は14人ですが、ダライ・ラマ14世の発言を含めると、おそらくは「単行本15冊分」に相当する内容と言っても過言ではないでしょう。単なる「知」に触れるだけでなく、冠婚葬祭互助会という「思いやり」の相互扶助組織を経営するわたしにとって、ビジネスの具体的ヒントも含めて、さまざまな学びを得ることができました。最後に、本書に収められたシンポジウムは2010年に開催されていますが、わたしが2006年に上梓した『ハートフル・カンパニー』(三五館)のコンセプトである「心ゆたかな社会は、心ゆたかな会社から」という考えが間違っていなかったことを確認しました。

 

思いやりの経済学 (Kakuichi Institute Holistic Study Series)

思いやりの経済学 (Kakuichi Institute Holistic Study Series)

  • 発売日: 2019/06/25
  • メディア: 単行本
 

 

2020年8月11日 一条真也