一条真也です。
24日、東京から北九州に戻りました。
前日の23日、社外監査役を務める互助会保証の取締役会に出席した後、アニメ映画「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」をTOHOシネマズ日比谷のIMAXで鑑賞しました。現在、再び「鬼滅の刃」の人気が社会現象化しており、劇場も完全に満席でした。多くのレビュアーたちが絶賛しているように、本当に素晴らしい感動作でした。アニメ映画の最高傑作であると思います。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「吾峠呼世晴のコミックを原作とするアニメシリーズ『鬼滅の刃』の一作で、無限城決戦を描いた3部作の第1弾。主人公の竈門炭治郎や仲間たちが、突如現れた鬼舞辻無惨によって鬼の根城である無限城の空間に落とされる。監督を務めるのは『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』など本シリーズを手掛けてきた外崎春雄。アニメーション制作をufotableが担当。ボイスキャストには花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞などが名を連ねる」

ヤフーの「あらすじ」は、「鬼殺隊の竈門炭治郎は最高位の剣士である“柱”たちと共に合同強化訓練・柱稽古に参加していた。すると、鬼殺隊の本部である産屋敷邸に鬼舞辻無惨が出現。お館様の危機に駆けつけた炭治郎や柱たちを、無惨が謎の空間へと落とす。彼らが落下したその場所は、鬼の根城・無限城だった」となっています。
「鬼滅の刃」は、言わずとしれた集英社ジャンプ コミックス1巻~23巻で累計発行部数1億5000万部を突破した吾峠呼世晴による漫画作品が原作です。アニメーション制作はufotable。家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、鬼になった妹の禰󠄀豆子を人間に戻すため、「鬼殺隊」へ入隊することから始まる物語です。
「鬼滅の刃」の劇場版アニメを観るのは4回目です。1回目は、ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」で紹介した超ヒット作でした。アニメ版「竈門炭治郎 立志編」の最終話の続編となる劇場版です。鬼に家族を殺された少年と仲間たちが、鬼との新たな戦いに立ち上がります。蝶屋敷での修業を終えた“鬼殺隊”の竈門炭治郎は、短期間で40人以上が行方不明になった“無限列車”を捜索する任務に就きます。妹の竈門禰豆子を連れた炭治郎と我妻善逸、嘴平伊之助は、鬼殺隊最強の剣士“柱”のひとりである炎柱の煉獄杏寿郎と合流し、闇を進む無限列車の中で鬼を相手に戦い始めるのでした。
2回目は、ブログ「『鬼滅の刃』上弦集結、そして刀鍛冶の里へ」で紹介した作品でした。アニメ版「鬼滅の刃 遊郭編」の第10話、第11話と「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編」の第1話を上映。家族を鬼に殺された少年・竈門炭治郎が、鬼の殲滅を掲げた鬼殺隊の一員として激闘を繰り広げます。炭治郎、音柱・宇髄天元たちと上弦の陸・堕姫と妓夫太郎との激闘を描いた「遊郭編」第10話、第11話の劇場初上映と共に、その後の新たな任務地での霞柱・時透無一郎と恋柱・甘露寺蜜璃との出会いや無限城に集められた上弦の鬼の姿を描いた「刀鍛冶の里編」第1話を初公開。
3回目は、ブログ「『鬼滅の刃』 絆の奇跡、そして柱稽古へ」で紹介した作品でした。シリーズの「刀鍛冶の里編」第11話と「柱稽古編」の第1話を上映。上弦の肆の鬼・半天狗との死闘を繰り広げる主人公・竈門炭治郎の活躍とともに、鬼舞辻無惨との決戦に向けた柱稽古の開幕を描きます。半天狗を追い詰めた竈門炭治郎は刀で半天狗の頸を斬りますが、半天狗は本体が無事だったため、頸を切られたまま刀鍛冶たちを襲撃しようとします。そのとき夜が明け、炭治郎の妹・禰豆子が太陽の光を浴び、命の危険にさらされてしまいます。炭治郎は半天狗を再び斬るか、太陽に焼かれる禰豆子を守るかの選択を迫られるのでした。
そして、今回の「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」が公開されたわけですが、当初は「劇場版『鬼滅の刃』無限城編」というタイトルで告知され、その後、「第一章 猗窩座再来」の追加タイトルとともに、無限城編が全三部作であることも明かされました。それを知ったとき、わたしは「もったいないことをするなあ!」と思いました。というのも、全三章の第一章よりも一話完結と思われた方が興行的には絶対に有利だからです。しかし、製作側は正直に三部作であることを示したわけですが、そんな不利な条件の中でも大ヒットするのですから、「本当に凄い!」としか言えません。
とにかくこの作品、「最高傑作」「神映画」「アニメの最高到達点」など、観た人々から最大級の賛辞が寄せられています。7月18日に全国の劇場で公開され、全国11都道府県24の劇場では、午前0時より世界最速上映されました。すると、各劇場完売・満席となり、SNSでは「最速上映、すごい人です」「最速上映来ました。人、人、人。グッズ並んでるー!」などと大盛り上がりでした。原作漫画全23巻の全世界累計発行部数も、2億2000万部(国内1億6400万部・海外5600万部/デジタル版含む)を突破したことが17日、集英社より発表されました。2021年2月に累計1億5000万部突破を発表しており、その後、記録更新の発表はありませんでしたが、この4年半で7000万部増加し、集英社は「連載終了後も圧倒的な人気を博している」と説明しています。このブーム、完全に「社会現象」の再来ですね!
わたしは公開から5日後に鑑賞しましたが、それでもTOHOシネマズ日比谷の4番シアターは超満席。クーラーの当たり過ぎで夏風邪を引いてしまい、風邪薬を飲んでいたせいで、映画開始から10分間ほどは睡魔に襲われたのですが、その後は目も冴えて、上映終了までスクリーンに集中しました。たしかに極上のアニメ映画だと思いました。まず、背景となる無限城の描き方が素晴らしいです。鬼殺隊のメンバーと鬼のバトルシーンはド迫力で、まばたきするのも忘れるほどでした。そして、本作の主人公といってもよい猗窩座の過去をめぐる悲劇の物語は涙なくしては観れませんでした。本当に、「これぞアニメ!」「これぞエンタメ!」と腹の底から言える大傑作でした。
「鬼滅の刃」とは、もともとグリーフケアの物語です。鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行うのです。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのであった。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないかと思います。
しかし、本作「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」では、炭治郎ではなく、上弦の参の鬼である猗窩座のグリーフが切々と描かれます。それは聴くも哀れな必涙の物語でした。そして、最後には究極のグリーフケアが描かれています。「鬼滅の刃」という物語の主人公である炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない仲間の伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問するのですが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを熱心に説くのでした。
さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのですが、その最たる例が猗窩座であると言えるでしょう。炭治郎は敵である鬼に対して、「この人が今度生まれ変わるときは鬼になんてなりませんように」と、来世の平安を願うのです。この点はとても日本人的な感覚で、炭治郎のなかでは、神道・儒教・仏教が混然一体としています。
本作「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」は空前の大ヒットを続けており、日本映画史上最高の興行成績となった前作「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」を上回る超ハイペースです。前作は、コロナ禍の中で大ヒットを記録しました。日本にはさまざまな「祭り」があります。コロナによって祭礼ができなくなってしまいましたが、日本人には祭りをやりたいという本能があります。それができないところが、爆発的に「鬼滅の刃」に向かったのではないかと思っています。だから「鬼滅の刃」現象というのはコロナ禍における日本人の祈りであり、祭りだったのだといえるでしょう。
『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)
そのようなことを、わたしは『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)で詳しく書きましたが、「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」が再び大ヒットしている現状に、いろんなことを考えました。まず、「鬼滅の刃」という物語の背景には神道・儒教・仏教という日本人の「こころ」の三本柱があることは同様ですが、それらが際立つのは日本人の「こころ」が不安定な状態にあるときではないか。そう思いました。つまり、前作のヒットがコロナ禍で祭りが中止されたことに対する不安を背景にしていたなら、本作のヒットはコメ不足という日本人の根幹に根差す不安、猛暑などの異常気象への不安、地震などの天変地異への不安、さらにはインバウンド外国人観光客の異常なまでの増加に対する不安などを背景にしていたのではないでしょうか。いずれにせよ、日本人としてのアイデンティティを求める無意識が今回の鬼滅ブームには表れていると思います。わたしは、『「鬼滅の刃」に学ぶ』をアップデートした『「鬼滅の刃」と日本人』という本が書きたくなってきました。そう、俺が書かねば誰が書く?!
新しい本が書きたくなりました!
2025年7月25日 一条真也拝

