一条真也です。
9日は複数の新しい 紫雲閣の不動産契約を締結しました。来年11月18日の創立60周年に向けて、出店ペースを加速しています。16時30分からは、 サンレーグループの葬祭責任者会議が開催されました。わたしは、恒例の社長講話を行いました。1時間にわたって話しました。
最初は、もちろん一同礼!
まずは、『宗教の言い分』の感想を訊きました
最初に、ブログ「鎌田東二先生とお別れに京都へ」で紹介した‟魂の義兄弟”との死別について、ブログ「グリーフケア講演in横浜」で紹介した6月4日に行われた講演について話した後、東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生とわたしの対談本である『宗教の言い分』(弘文堂)の話をしました。朝日新聞に掲載された書籍広告には、「多死社会における宗教の意味とは?」「信仰をめぐる様々な疑問に答える!」として、「宗教学の重鎮・島薗進と、儀礼の重要性を世に問い続ける作家・一条真也が、宗教の過去と現在、そして未来の可能性について熱く語る。伝統宗教から新興宗教まで多様なテーマに挑んだ語りの中から日本人の信仰の本質が現れる」と書かれています。同書の感想をみなさんに訊きました。みんな、しっかりとした感想を述べてくれました。そのコメント力の高さに驚きました。
宗教対談三部作について
4月4日、わたしは、芥川賞作家で臨済宗福聚寺住職の玄侑宗久先生との対談本『仏と冠婚葬祭』(現代書林)を上梓しました。同書は、大阪大学名誉教授で中国哲学者の加地伸行先生との対談本である『論語と冠婚葬祭』、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生との対談本である『古事記と冠婚葬祭』(ともに現代書林)に続く、宗教対談三部作の完結編です。わたしは、島薗先生、鎌田先生、加地先生、玄侑先生を四大師匠と思っていますので、本書『宗教の言い分』をもって「宗教」についての対談は一区切りとなりました。心から尊敬する4人の先生方から学びを得ることができて、感無量です!

日本人の「こころ」の三本柱について

会場は超満員!
わたしは、日本人の「こころ」は神道・儒教・仏教の3つの宗教によって支えられていると思っています。「和をもって貴しと為す」という聖徳太子の言葉が思い浮かびます。内外の学問に通じていた太子は、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立します。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞が「和国の教主」と呼んだことはよく知られます。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありませんでした。神道・儒教・仏教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描きました。
「和」の宗教国家構想について

熱心に聴く人びと
聖徳太子は、宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教が担う、社会の部分を儒教が担う、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。室町時代に神道家の吉田兼倶が、仏教は万法の花実、儒教は万法の枝葉、神道は万法の根本とする「根本枝葉果実説」を唱えましたが、このルーツも聖徳太子にありました。

武士道・心学・冠婚葬祭
この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭など、さまざまな形で開花していきました。心学の伝統を受け継いだ二宮尊徳は「神儒仏正味一粒丸」という言葉を提唱しました。冠婚葬祭の中にも神道・儒教・仏教が混ざり合っていると言えます。神前結婚式は決して伝統的なものではなく、それどころか、キリスト教式、仏式、人前式などの結婚式のスタイルの中で一番新しいのが神前式なのです。
神前結婚式のベースは儒教である!
もちろん古くから、日本人は神道の結婚式を行ってきました。でもそれは、家を守る神の前で、新郎と新婦がともに生きることを誓い、その後で神々を家に迎えて、家族、親戚や近隣の住民と一緒にごちそうを食べて二人を祝福するものでした。つまり、昔の結婚式には宗教者が介在しなかったのです。神道もキリスト教も関係ない純粋な民間行事であったわけです。しかし、日本における冠婚葬祭の規範であった小笠原流礼法は朱子学すなわち儒学を基本としていました。昔の自宅結婚式の流れは小笠原流が支配していましたから、その意味では日本伝統の結婚式のベースは「礼」の宗教である儒教だったとも言えます。
仏式葬儀のベースも儒教である!
結婚式における神前式と同様、多くの日本人は昔から仏式葬儀が行われてきたと思っています。葬儀や法要に仏教が関与するようになったのは仏教伝来以来早い段階から見ることができます。しかし、仏式葬儀の中には儒式葬儀の儀礼が取り込まれています。仏壇も、仏教と儒教のミックスです。もし住居にお壇がある場合、仏教徒なら、朝の御挨拶は、もちろん御本尊に対して行いますが、その後で、本尊の下段に並んでいる親族の位牌に対して御挨拶をするはずです。これは、仏教と儒教とのミックスです。本尊に対して礼拝するのは仏教です。本尊の下段の位牌に対して礼拝するのは儒教です。そのように仏教と儒教とがミックスされたものが日本の仏壇なのです。
熱心に聴く人びと
ブッダが開いた仏教、孔子が開いた儒教は、日本人の「こころ」に大きな影響を与えました。加えて、日本古来の信仰にもとづく神道の存在があります。神儒仏が混ざり合っているところが日本人の「こころ」の最大の特徴であると言えるでしょう。その三宗教の聖典が、『古事記』『論語』『般若心経』です。わたしには、それらが日本人の「過去」「現在」「未来」についての書でもあるように思えてなりません。すなわち、『古事記』とは、わたしたちが、どこから来たのかを明らかにする書。『論語』とは、わたしたちが、どのように生きるべきかを説く書。『般若心経』とは、わたしたちが、死んだらどこへ行くかを示す書。そういうことだと思います。これからも、わたしは『古事記』と『論語』と『般若心経』を何度も読み返して、日本人の「こころ」について考え続けたいです。
セレモニーホールからコミュニティホールへ
さて、玄侑先生との対談は「死」「葬」「仏教」「寺院」をめぐって進んでいきましたが、全国に林立し、日本人の葬祭文化に欠かせないセレモニーホールについても意見交換しました。わたしは、セレモニーホールというものは、コミュニティホールへ進化する革新性を併せ持っていると考えています。けっして「馴染のない」あるいは「そのときはじめて足を踏み入れた」場所にはするつもりはありません。かつての寺院は、葬儀が行われる舞台でありながらも、近隣住民のコミュニティセンター、カルチャーセンターでもありました。仏教伝来以来1500年ものあいだ、日本の寺院は生活文化における3つの機能を持っていました。すなわち、「学び」「癒し」「楽しみ」です。

寺院の機能について説明しました

会場は熱気ムンムン!
その寺院の機能が衰退してきています。わたしは、セレモニーホール、いやコミュニティホールがその機能を担うべきであると考えています。寺院の3つの機能のうちの「学び」ですが、日本の教育史上最初に庶民に対して開かれた学校は、空海の創立した綜芸種智院でした。また江戸時代の教育を支えていたのは寺子屋でした。寺は庶民の学びの場だったのです。次の「癒し」ですが、日本に仏教が渡来し最初に建立された寺である四天王寺は4つの施設からなっていました。「療薬院」「施薬院」「悲田院」「敬田院」の4つですが、最初の3つは、順に病院、薬局、家のない人々やハンセン病患者の救済施設であり、敬田院のみが儀式や修行を行う機関でした。
「学び・癒し・楽しみ」が大切!
寺院の3つの機能のうちの最後の「楽しみ」とは、いわゆる芸術文化のことを指しますが、日本文化ではそもそも芸術、芸能は神仏に奉納する芸であって、それ自体が宗教行為でした。お寺を新築するときの資金集めのための勧進興行などがお堂や境内で大々的に行われました。こう考えてみると、「学び・癒し・楽しみ」は仏教寺院がそもそも日本人の生活文化において担っていた機能だったのです。しかし、明治に入って、「学び」は学校へ、「癒し」は病院へ、「楽しみ」は劇場や放送へと、行政サービスや商業的サービスへと奪われてしまい、寺に残った機能は葬儀だけになってしまいました。

「お寺ルネッサンス」に寄与しよう!
「セレモニーホールからコミュニティホールへ」というわが社のスローガンは、ある意味で寺院の本来の機能を蘇えらせる「お寺ルネッサンス」でもあります。そして、そこでは、グリーフケアという「癒し」の機能を最重視します。けっして誤解してはいけないのは、セレモニーホールが寺院に取って代わるというのではありません。わたしは、セレモニーホールが寺院の機能をさまざまな点で補完し、仏教という世界でも優れたグリーフケア宗教の持続性に寄与したいと考えているのです。
寺院と葬祭業の習合でグリーフケアを!
玄侑先生は、「べつに、わたしは『取って代わられる』心配などしていませんよ。元々われわれ僧侶の仕事は、山伏さんたちに手伝ってもらっていました。ところが神仏判然令につづき、明治五年に修験道廃止令が出されると、お寺と山伏さんの協力関係が崩れてしまう。その穴を埋めるように、必要に迫られて出現してくれたのが葬祭業の方々だと思っています。だからいろんな協力関係、お互いにはみだしやダブリがあったっていいと思いますよ。要はコミュニケーションを密にとって、共にグリーフケアに勤しむ仲間として歩む、ということでしょう。古来、神と仏が習合したように、お寺と葬祭業が習合するのも面白いかもしれませんね。実際、葬祭業の部分も併せて葬儀をしている寺もあります」と言われました。
「霊能力」より「礼能力」を!

最後は、もちろん一同礼!
また、玄侑先生は「わたしが感じる仏教の最大の面白さは、必要に応じてゾロアスター教でもバラモン教でも、あるいはジャイナ教でもうまく取り込んだということです。お地蔵さんは元々ゾロアスター教の地母神だったようですし、阿修羅もゾロアスター教からコンバートした。大黒や弁天、毘沙門などはヒンドゥー教ですし、十一面観音など元々はバラモン教の神です。こんな宗教、他にないんじゃないですか?」とも言われました。わたしは「現代の禅僧を代表する玄侑宗久先生のお話に心打たれました。玄侑先生のお話を噛みしめて、これからの葬祭文化を考えていきたいと思います」と述べました。わたしは、「冠婚葬祭という聖なる仕事は人類普遍の情報産業であり、多くの人を幸せにできる仕事です。この仕事に誇りを持って、さらに精進しましょう!」と言ってから降壇しました。

懇親会で挨拶しました

今夜は大いに飲んで下さい!

乾杯の音頭を取る山下常務

お疲れさま、カンパ~イ!
社長講話の後は、松柏園ホテルの「松柏の間」で懇親会が開催。最初にわたしが「これから、わたしたちはわたしたちは食事をします。『食事』という文字は『人に良い事』と書きます。一緒に食事をしたり、盃を交わすのは腹を割った人間関係をつくる最高の方法です。みなさんはよく頑張っていますが、さらに高い目標を持って前進していただきたい。これらのコンパッション時代を先取りして、業界のフロントランナーになりましょう!」と述べました。それから、山下常務の音頭で乾杯しました。

懇親会のようす
懇親会のようす
懇親会のようす
懇親会のようす
その後、各地から参集したみなさんは、お酒や料理を楽しみながら会話の花を咲かせました。久しぶりに再会した葬祭責任者も多く、松柏園の美味しい料理に舌鼓を打ちながら互いに近況報告をしたり、それぞれの仕事の悩みを相談したり・・・・・・まさに「食事」は「人に良い事」であると再認識しました。「ここにいる彼らが、冠婚葬祭という『文化の核』を守ってくれる『文化の防人』なのだ」と思うと、胸が熱くなりました。
中締めをした郡取締役
最後は、「末広がりの五本締め」で!
楽しい懇親会も終わりに近づきました。
最後は、葬祭副本部長である郡取締役による中締めの挨拶でした。サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。これをやると、みんなの心が本当にひとつになる気がします。やはり、リアル・コンパはいいね!

二次会でカンパイ!

今夜は大いに飲もうじゃないか!
その後、二次会も開かれました。二次会では、宮崎の谷上取締役が素晴らしい乾杯の音頭をしてくれました。会場は、 ブログ「人間国宝を囲む会in松柏園」で紹介した加藤唐九郎作の大陶壁「万朶」の前のラウンジです。この日は、みんなの「こころ」が1つになりました。誇り高き同志たちよ、これからも一緒に頑張ろう!

2025年6月9日 一条真也拝
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