佐久間進「お別れの会」

一条真也です。9月20日の朝に満88歳で旅立った父・ 佐久間進「お別れの会」を開催しました。ブログ「父の通夜」ブログ「父の葬儀」で紹介した葬送儀礼に続く大型セレモニーです。今回は故人が名誉会長だった サンレーグループの会社行事となります。

松柏園ホテル前のサインタワー

松柏園ホテルの玄関のようす


エントランスサイン


エントランスサインの前で

松柏園ホテルの玄関にて

 

通夜および葬儀・告別式は小倉紫雲閣で行われましたが、「お別れの会」の会場は松柏園ホテルです。この日、松柏園が「佐久間進ミュージアム」と化しました。入口前には佐久間名誉会長の笑顔、そして太陽をモチーフにした約4mの高さのサインタワーが立てられています。前日までは天気が安定していましたが、この日から雨が降り始め、次第に大雨になっていきました。ホテルエントランスには「佐久間進お別れの会」のサインと名誉会長の笑顔をタペストリーで表現。皆様をお迎えいたしします。虹色のサンレーマークが随所に配されています。


新館の肖像パネル

新館の肖像パネルと


お客様をお迎えしました


受付のようす


ロビーのアレンジメント・フラワー


頭上で挨拶するウォールビジョン


頭上で座礼するウォールビジョン


メモリアル・ギャラリー


メモリアル・ギャラリー


フォト・キューブ


写真家の安田淳夫氏と

サンレーと共に


写真に見入る業界関係者

勲章コーナー


賑わうメモリアル・ギャラリー

受付カウンターは、加藤唐九郎作「万朶」の世界観を活かしたデザインとなっています。ウォールビジョンでは、「感謝」の文字を配したお辞儀動画をAIの最新技術で作成。名誉会長が最敬礼でみなさまをお迎えします。メモリアルコーナーの①メインパネルでは、プロフィール、略歴、役職、叙勲・褒章・賞をご紹介します。②パネル「サンレーと共に」では、業界そしてお取引先様、サンレーグループ社員のみなさんと共に歩んだ軌跡をご覧いただきます。③パネル「アワード」では、旭日小綬章藍綬褒章紺綬褒章の展示をしています。


新館家族写真コーナー


家族写真コーナーの前に人だかり


心帰る場所


北九州経済界の重鎮と


多くのお客様が来場されました


出会いに感謝


ミャンマー政府からの追悼の手紙


その美しき思い出に

④パネル「心帰る場所」では、家族とともに過ごした時間、およびプライベートタイムの様子をご紹介します。⑤パネル「出会いに感謝」では、数々の著名人との出会いをご紹介します。故人は「会う人、皆我が師」をモットーにしていました。⑥パネル「ミャンマー・コーナー」では、 世界平和パゴダへの支援によりミャンマー政府から送られた追悼のお手紙や貴重な写真の数々を展示いたします。そして⑦パネル「その美しき思い出に」では、晩年、長男であるわたしと共に訪れた 皇産霊神社でのスナップ写真が拡大され、パネル展示されています。聖徳太子像を背景に、わたしが名誉会長の車椅子を押している写真です。

プロジェクション・マッピング

巨大な庭園が出現!


故人が愛した満月も出現!

名言プロジェクション・マッピング


名言プロジェクション・マッピング


八美道プロジェクション・マッピング


八美道プロジェクション・マッピングを俯瞰

ヒストリー・ビジョン


直筆メモ・コーナー


直筆手紙コーナー


故人ゆかりの書籍紹介コーナー


愛用品ギャラリー


愛用していた茶道具


書籍をイメージした装花


書斎再現コーナー


SAKUMA BOOK


SAKUMA BOOKでお辞儀を指南

 

「プロジェクション・マッピング」エリアでは、太陽そして月さらには名言・・・・・・幻想的な光と映像の演出で名誉会長を偲びます。「ヒストリー・ビジョン」では、創業から現在まで「サンレーの沿革」を動画でご覧いただきます。「直筆メッセージコーナー」では、業界、社員、そして家族へ…直筆にしたためた想いを展示しております。「書斎コーナー」では、会長室そして自宅の書斎をプロジェクション・マッピングで再現しています。「SUSUMU SAKUMA BOOK」では、書籍『佐久間進のすべて』をデジタル映像でご覧いただけます。


祭壇のようす


集合写真(委員長・遺族親族・役員)

 

セレモニー会場の祭壇は、LEDビジョンを配したオリジナル祭壇です。葬儀と同様に、「太陽を追う花」である向日葵をポイントにしています。この日の10時から、祭壇の前での集合写真でした。「お別れの会」の委員長である山下裕史様(117社長、全国冠婚葬祭互助会連盟会長)をお迎えして、佐久間家の遺族親族、サンレーグループ役員で集合写真を撮影しました。


満員になった式典会場

冒頭、黙祷しました


黙祷のようす

 

その後、13時より第一部のセレモニーが開始されました。冒頭、30秒間の黙祷が行われました。黙祷が終わると、2本の追想ムービーが上映されました。1本目はムック『佐久間進のすべて』内の目玉特集で、宗教哲学者の鎌田東二先生(京都大学名誉教授)のアドバイスで生まれた実録マンガ「すすめ!進くん~佐久間進ものがたり~」を動画にしたものです。「すすめ!進くん」は父の幼少期から青年期までを振り返った実録マンガですが、社内外でも非常に好評でした。「末っ子の男の子」「勉強はできた?」「野球部を創ろう」「柔道をやるぞ」「木更津の駅で」「古藤田師との出逢い」「ぼくは九州に行きます」などをテーマに今回の動画化で絵の優しいタッチはそのまま、ナレーションとアニメーションを付けることで臨場感のあるものとなっています。

追悼動画を観る


挨拶をされる山下委員長


素晴らしい御挨拶でした

 

2本目は「太陽を追う男~佐久間進~八十八年の軌跡」のお別れ会バージョンが上映されました。こちらは通夜・告別式でも上映した動画の細部を調整したものです。通夜・告別式では、ご都合がつかなかった方のご参列もあることを考え、改めてアップデート版を上映させていただきました。それから、委員長挨拶となり、山下委員長の素晴らしい御挨拶を頂戴しました。


鎌田先生が弔辞を読まれました


弔辞を読み上げる鎌田先生

 

続いて、京都大学名誉教授の鎌田東二先生より、弔辞を賜りました。鎌田先生は、「心より敬愛する故佐久間進 サンレーグループ名誉会長のお別れ会に際し、國學院大學文学部の後輩鎌田東二が謹んで弔辞を奏上申し上げます。昭和10年という大激動の時代に、房総安房の国に誕生された名誉会長は、太平洋を望む雄渾の地で、つねに「心如大海」(心は大いなる海の如し)の精神を育まれ、長じて國學院大學に学んで、折口信夫らが切り拓いた日本民俗学を学び、この「生活の古典」であり、「日本人の幸福の探求の学」である民俗学を、人々の日常生活の中に活かす互助会の活動を始められました。それが、 サンレーグループの始まりであったと聞いております」と述べられました。


名誉会長の信仰について語る鎌田先生


鎌田先生の弔辞を拝聴しました

 

また、鎌田先生は「これは、まごうことなく、『古典の生活化』、つまり、伝統的な精神性と儀礼を日常の社会生活の中に接続し、実際に活かす道であったと思います。その意味で、佐久間進名誉会長は一貫して『日本民俗学』を実践的に生きぬき、國學院の伝統をその篤い心に受け継いでその生涯をかけて実現した國學院のお手本であり誇りであります」と言って下さいました。さらに、鎌田先生は「名誉会長は、日本のいしづえを築いた人物として憲法十七条において、神仏儒と礼の道を明晰に説いた聖徳太子を深く篤く尊敬・讃仰され、皇産霊神社の境内に聖徳太子像を建立されました。そして、聖徳太子が信仰していた浄土である『天寿国』に旅立たれ、ご昇天されました」と述べられました。


鎌田先生の追悼歌(その1)

鎌田先生の追悼歌(その2)

鎌田先生の追悼歌(その3)


石笛を奏上する鎌田先生


横笛を奏上する鎌田先生


法螺貝を奏上する鎌田先生

 

鎌田先生は、「ここに、その尊く見事なご生涯を讃え、三首の歌を奉唱申し上げます」として、「進みゆく 礼(ゐや)びのみわざ 八美道 神のみこころ伝え行く道」、「進みゆく 礼(ゐや)びのみわざ 八美道 神のみこころ伝え咲く真道(佐久間道)」、「進みゆく 礼(ゐや)びの道の その果てに ついに至りし やすらぎの郷」という三首の追悼かを詠んで下さいました。そして、「最後に、佐久間進大人命のみたまに、衷心よりわが三種の神器である石笛・横笛・法螺貝を奉奏申し上げます」と言って、献奏して下さいました。その音色は名誉会長が向かうであろう天寿国へと通じているかのようでした。


弔辞を読む全互協の渡邊会長


弔辞を読む第一交通産業の田中社長

 

続いて、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の渡邊正典会長から弔辞を賜りました。渡邊会長は、佐久間名誉会長が全互協の初代会長であり、業界発展のためにいかに尽力してきたかをお話して下さいました。続いて、第一交通産業田中亮一郎社長から弔辞を賜りました。佐久間名誉会長は第一交通産業の創業者であった故黒土始氏と親しく、同社の監査役を14年間務めていた御縁があります。北九州商工会議所の副会頭でもある田中社長は、佐久間名誉会長が北九州市の観光振興のためにいかに尽力してきたかをお話して下さいました。

社員代表弔辞を読む東専務


胸を打つ熱い弔辞でした

 

最後は、社員代表として、サンレーの東専務が「お別れの言葉」を述べました。北九州本部長や北陸本部長として、長年にわたってわが社を牽引してこられた東専務は、現在の紫雲閣を創り上げた最大の功労者でもあります。そんな東専務の心が込められた弔辞を聴いていると、ありし日の名誉会長の姿が浮かんできて、涙が出てきました。


献花する母の車椅子を押しました


わたしも献花しました


献花のようす


立礼で挨拶させていただきました

その後、弔電拝読を経て、委員長献花の時間となりました。山下委員長の後は、母、わたし、弟の順で献花をしました。その後は親族献花が行われました。続けて、弔辞者献花、来賓者献花、参列者献花が行われました。その間、山下委員長、わたし、弟、東専務、祐徳常務、山下(格)常務の順に立礼で御挨拶をさせていただきました。


わたしが謝辞を述べました

 

そして、遺族親族代表謝辞です。サンレー社長で、サンレーグループ代表であるわたしが、マイクで挨拶をさせていただきました。冒頭、「遺族・親族を代表して、一言ご挨拶を申し上げます。本日は、サンレーグループ創業者・名誉会長の佐久間進のお別れの会にご参列いただき、誠にありがとうございます。弔辞を賜った皆様には、心より御礼申し上げます。また、多くの皆様から温かいお言葉やご厚情をいただき、深く感謝しております」と述べました。

ミャンマー政府より追悼のお手紙を賜りました

 

また、わたしは「本日はここ 松柏園ホテルを『佐久間進ミュージアム』として、故人ゆかりの品や写真や言葉などを展示していますが、それらを見返すたびに「故人の人生は、本当に多くの方々との縁に恵まれた人生であったなあ」と痛感いたします。じつは通夜・葬儀に、日本で唯一のミャンマー式寺院である 世界平和パゴダから多数の僧侶の方々にご参列いただきました。故人が、 世界平和パゴダ奉賛会の会長を務め、支援活動を続けていた御縁からです。加えてミャンマー政府より追悼のお手紙を賜りました。「 佐久間進氏は日本仏教とミャンマー仏教との間に橋を架けられた」とのメッセージがそこに書かれておりました。まことに有難く、感動をおぼえました。


故人は生涯、聖徳太子を崇拝し続けました

 

名誉会長は、生涯をかけて人間の「こころ」と「かたち」を追求しましたが、ただ1つの道に縛られることなく、常に広い視野と高い志を持って生きてきました。その一環として、 皇産霊神社の代表役員を務め、神道の伝統を守りつつ、さらには平成の寺子屋ともいえる 天道館を創設し、儒教の教えを広める場を設けられました。 天道館には孔子像、 皇産霊神社には聖徳太子像が建立されております」と述べました。さらに、わたしは「名誉会長は『神道儒教・仏教は日本人の心の三本柱』と考えておりました。また、その3つの宗教を平和的に共生させた張本人が聖徳太子であると考えており、生涯、聖徳太子を崇拝しておりました」と述べました。


天下布礼」とは「人間尊重」の考えを広めること

 

続けて、「名誉会長の神道儒教・仏教の枠を超えたその活動は、『人間尊重』という普遍的な理念を体現するものであり、故人の信念の深さを示しています。『人間尊重』の考えを広めることが『天下布礼』です。それはただ単に礼儀作法を守るという意味を超え、人間関係における『思いやり』を世の中に広げようとする壮大な挑戦でした。どんな困難に直面しても『何事も陽にとらえて』の精神で、名誉会長は常に新しい視点と行動で道を切り開いていきました。その精神は今もわたしたちに深い感銘と影響を与え続けています」と述べました。

互助会こそが日本を救う!

さらに、わたしは「名誉会長は國學院大學国学と日本民俗学を学び、この北九州市において冠婚葬祭互助会を創業しました。国学が『日本人とは何か』を問う学問なら、民俗学は『日本人を幸せにする方法』を問う学問です。そして、冠婚葬祭互助会はその学びを実践するものでありました。名誉会長は『互助会は日本人によく合う』と常々語っていました。また、『互助会の可能性は無限である』、さらには『互助会こそが日本を救う』という信念を持っておりました。最近では『互助共生社会』という言葉を使い、未来に向けた新たな社会像を描いていました。それは、わたしが長年提唱し続けてきた『ハートフル・ソサエティにも通じるものです」と述べました。


冠婚葬祭こそ日本文化の集大成である!

 

さらに、わたしは「冠婚葬祭事業の未来に対して悲観的な意見を述べる方も少なくありません。しかし、名誉会長、常に確信を持って語っていました。『冠婚葬祭こそが、互助共生社会を築き、日本を救う力になるのだ』と。その言葉には、深い信念と揺るぎない情熱が込められていました。名誉会長にとって、冠婚葬祭はただのセレモニーではなく、日本人の心をつなぎ、人々が互いに助け合い支え合う社会を作り出すための根本であり、その可能性は無限であると信じていたのです。冠婚葬祭とは『こころ』を『かたち」にする文化です。名誉会長は、小笠原流礼法をはじめ、茶道や華道にも精進していましたが、『冠婚葬祭こそ総合芸術であり、日本文化の集大成である』と言っていました」と述べました。


日本の未来に太陽光線のように希望の光を灯したい

 

続けて、わたしは「亡くなる1カ月ほど前に、私は一般財団法人  冠婚葬祭文化振興財団の理事長の大役を拝命しましたが、それを報告すると、名誉会長は『それはいい』『その仕事はお前に合っとる」と大変喜んでくれました。名誉会長の『冠婚葬祭で、日本人を幸せにする』という大きな目標に向かって、『創業守礼』の精神を受け継ぎながら、これからも歩み続けてまいります。日本の未来に太陽光線のように希望の光を灯す、その日まで決して諦めることなく、名誉会長の教えを実践し続けていく覚悟です。最後になりますが、ご参列いただきました皆様に心より御礼を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」と述べたのでした。こうして第一部のセレモニーは終了し、わたしたちは参列者みなさまを送賓したのでした。


第一部のお客様を役員がお見送り


鎌田先生をお見送りしました


鎌田先生、お元気で!


四重奏が流れる中、第二部がスタート!


多くの方々がご参列下さいました


小倉織の築城則子先生と


築城先生の思いやりが染みました


役員献花のようす


感謝する故人


座礼する故人


終礼で挨拶しました


終礼で弟も挨拶しました


最後は、東専務が締めました

 

第二部は15時半から開始されました。主に地元の方々を中心に、随時献花をしていただきました。弦楽四重奏の流れる中、わたし、弟、サンレーグループ役員で応対させていただきました。みなさま、館内の展示物を珍しそうに見られ、故人をなつかしく偲んで下さいました。みなさまからかけていただくお言葉から、「ああ、名誉会長は多くの方々から愛されていたんだなあ」と再確認しました。献花後は新館テラスへご案内し、軽食を提供させていただきました。こうして、「佐久間進お別れの会」は無事に終了しました。御参列いただいた方々、準備・設営に関わっていただいたスタッフのみなさまに心より感謝申し上げます。

思い出の写真とともに

 

2024年11月1日  一条真也