一条真也です。
11月2日、父の「四十九日法要」を行いました。
四十九日法要は、忌中に行う儀式の中で最も重要とされています。朝、わたしたち家族は 小倉紫雲閣の「桜の間」に寄ってから「鳳凰の間」に向かいました。
開式前のようす
導師入場
読経を聴きました
礼拝
広寿山福聚寺のご住職に御挨拶させていただき、11時より法要が開始されました。佐久間家の遺族親族の他、サンレーグループの役員のみなさん、秘書室のみなさん、会長宅(実家)で働くみなさんも参列されました。
母の車椅子を押しました
母が焼香しました
わたしも焼香しました
心を込めて合掌しました
読経を聴いて、合掌・礼拝の後、焼香の時間となりました。最初は母からです。母は足が悪いので、長男であるわたしが車椅子を押しました。続いて、わたしの番です。わたしは、「陽徳院法禮興進大居士」と書かれた父の位牌に向かって心を込めて焼香し、合掌・拝礼しました。
役員焼香のようす
秘書室のみなさんも焼香しました
遺族親族に続き、サンレーグループ役員のみなさんも焼香して下さいました。昨日の「お別れの会」からの流れで、全国各地から役員が集結しており、すべての役員の方々が参列して下さいました。続いて、会長宅で働かれている方々、秘書室のみなさんが焼香をして下さいました。みなさん、生前の父が大変お世話になりました。
遺族親族を代表して謝辞をしました
四十九日法要が終わると、謝辞の時間となりました。
遺族親族を代表して、わたしがマイクを持ち、謝辞を行いました。わたしは、「本日はお忙しいところ、父・佐久間進のの四十九日法要にご参列いただき、誠にありがとうございます。9月20日に逝去し、9月25日・26日の通夜・葬儀告別式、昨日のお別れの会を経て、本日無事に四十九日の法要を終えることができました。これも福聚寺のみなさま、サンレーグループのみなさまのおかげです。心より御礼申し上げます」と述べました。
素直な思いで謝辞を述べました
それから、わたしは「今日は朝から大雨ですが、何事も陽にとらえれば、これは昨日の『お別れの会』が大成功に終わり、今日こうして四十九日も終わって、ようやく憧れの天寿国へと旅立てる名誉会長の嬉し涙ではないかと思っております。じつは、昨夜、父の夢を見ました。亡くなってからずっと夢に出て来なかったのですが、昨夜、初めて出てきました。父はニコニコ笑っていました。そして、わたしに『よくやってくれた』『いろいろ、ありがとう』と言ってくれました。嬉しかったです」と述べました。
父の伝言を伝えたら、涙が溢れました
それから、家族のみんなに「献身的に介護をしてくれて、本当にありがとう。最期を看取ってくれて、ありがとう。じつは死ぬことに少しだけ不安があったが、みんなが側にいてくれてから安心できた」との伝言を紹介しました。その言葉を伝えたとき、突然ダムが決壊したように涙が溢れ出てきました。また、「会長宅のみんなは、親切にしてくれて、ありがとう」「秘書室のみんなも、いつも支えてくれて、ありがとう」という父の言葉も伝えました。
涙を流しながら、父の伝言を伝えました
それから、役員のみなさんの方向を向いて、「昨日のお別れ会は、本当にお疲れ様でした。あまりの素晴らしさに驚きました。あれは大したもんじゃ」「東専務、心のこもった弔辞をありがとう。ちゃんと聴いてましたよ」「山下常務、お別れの会を成功させてくれて、ありがとう」「石田取締役、死後叙勲の手続きをありがとう。死んでから勲章を貰ってもと思っておったが、やはり有難いものです」、他にも「みなさんのおかげで、良い人生が歩めました。感謝の気持ちでいっぱいです。みなさんは体に気をつけて、せめてわたしと同じ88歳か、できればそれ以上長生きして下さい」という伝言を紹介しました。
父は憧れの天寿国へ行きます!
導師退場のようす
最後に、わたしは「いま有難い『般若心経』を聴きました。『色即是空』『空即是色』・・・宇宙の真理、死の秘密を説いたお経です。そして、最後は『羯諦羯諦(ぎゃあてい ぎゃあてい)』という言葉が出てきます。『ぎゃあてい ぎゃあてい』という古代インド語の響きは日本語の『おぎゃあ おぎゃあ』、すなわち赤ちゃんの泣き声に似ています。人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、『おぎゃあ おぎゃあ』と言いながら生まれてきます。奇しくも誕生日に葬儀をあげた父は、母なる世界に帰っていったのかもしれません。そして、その世界とは、憧れの聖徳太子の向かわれた天寿国であると思います。父はいま、ニコニコしながら天寿国へ向かいました。みなさまのご厚情に感謝いたします。本当に、ありがとうございました」と述べたのでした。
四十九日の食事会で献杯の音頭を取りました
親戚の関谷さんにビールを注ぎました
親戚の関谷さんからビールを注がれました
弟がビールを注いでくれました
仏教の供養は悲嘆にある方の心を癒してくれる、先人の知恵だという気がします。通夜にはじまり、初七日、四十九日法要が行われました。これからも、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌と続く供養のしきたりは、遺族の悲しみに寄り添うものです。まことに優れたグリーフケアの文化であると思います。その後、遺族親族は松柏園ホテルへ移動し、昼食を共にしました。残された佐久間家の当主として、わたしは「ここにいるみんなが、平和で幸せに暮らせますように」と願い、高い場所にいる亡き父に向かって「どうか、天寿国から佐久間家のみんなをお守り下さい」とお願いしたのでした。
父もとても嬉しそうでした
2024年11月2日 一条真也拝