『無縁老人』

無縁老人 高齢者福祉の最前線

 

一条真也です。
10月20日になりました。父が亡くなってから1ヵ月になります。家族に見守られながら旅立った父は幸せだったと改めて思います。しかし、父が病院から出るとき、代わりに霊安室に入ってこられた御遺体に付き添っていたのは看護師さんだけで、そこに家族の方の姿はありませんでした。どういう事情かは知りませんが、その方はたった1人で亡くなられたようでした。そのときの様子を思い出しながら『無縁老人』石井光太著(潮出版社)を読みました。「高齢者福祉の最前線」というサブタイトルがついています。本書は、月刊『潮』2018年9月号から2020年7月号まで、著者が21回にわたって連載した「シルバー・アンダーグラウンド 置き去りにされる高齢者たち」、ならびに関連する記事をベースに加筆・改稿して、単行本化したものです。著者は、ブログ『遺体』ブログ『祈りの現場』で紹介した1977年生まれの東京出身のライターです。海外ルポをはじめとして貧困、医療、戦争、文化などをテーマに執筆してきました。



著者の代表作である『遺体』は、ブログ「遺体 明日への十日間」で紹介したように映画化されました。映画の舞台は、 東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所です。定年まで葬儀の仕事をし、その後は民生委員となった主人公・相葉常夫を中心に、遺体安置所で奮闘する人々の姿を映し出しています。医師、歯科医とその助手、市役所の職員、消防団員、警察、自衛隊、そして僧侶などその場に居合わせた人々は、膨大な量の遺体を前にして呆然とし、ただただ途方に暮れます。しかし、1人ひとりの遺体に優しく語りかけ、死者といえども人間の尊厳を守ろうと必死に頑張る相葉の姿を見て、他の人々も1人でも多く遺族のもとに帰してあげたいと思い、目の前にあるするべきことを黙々と行うのでした。相葉の「やるべし!」という言葉に励まされながら・・・・・。この主人公・相葉を演じたのが17日に死去が報道された西田敏行さんでした。


本書の帯

 

本書の帯には、「誰もが最後にたどり着く高齢者福祉の“未来”を救え。」として、「刑務所が終の住処」「見えない介護虐待」「LGBTQ高齢者」「日雇いの街の介護ビジネス」「生活保護者の無縁遺骨」「自殺者ゼロの取り組み」「長寿日本一の村の秘密」「世界一の高齢化大国“ニッポン”の行く末をノンフィクションの革命児が徹底取材!」と書かれています。


本書の帯の裏

 

帯の裏には「〝無縁高齢化〟社会を生きる――」として、「『安心した老後を過ごしたい』誰もがそう願っている。誰もが懸命にそれぞれの『時代』を生きていた。そのはずなのに・・・」「なぜ、高齢者は刑務所に入りたがるのか。」「なぜ、遺族は遺骨を引き取ろうとしないのか。」「なぜ、廃墟の島に一人残ろうとするのか。」「なぜ、ドヤ街に高齢者が溢れるのか。」「いったい彼らは、どこで社会から切り離されてしまったのか・・・。」「誰ひとり取り残さない――。福祉の最前線で立ち向かう人々の奮闘に迫る!」「日本社会が抱える闇に一筋の光を見出す渾身のルポルタージュ!」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
第一章 黒い黄昏
刑務所という終の棲家――累犯者
暴力化する介護――高齢者虐待
腐朽する肉体――孤独死
第二章 過ぎし日の記憶
海の怪物との戦記――捕鯨
黒いダイヤの孤島――炭鉱
第三章 日本最大のドヤ街の今
ドヤ街の盛衰――就労支援
命の牙城――LGBTQ高齢者介護
名のない墓碑――葬儀
第四章 忘れられた日本人
隔離と爆撃――ハンセン病
闇に花を咲かせる――ハンセン病
祖国は幻か――中国残留日本人
第五章 高齢者大国の桃源郷
死の淵の傾聴――自殺
もう一つの実家――介護
村はなぜ、女性長寿日本なのか――寿命



「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「2023年3月、総務省が驚くべき数字を発表した。2018年4月から2021年10月までの間に、親族などによる引き取り手のない死者の数が、10万5773人に上ったというのである。(総務省「遺留金等に関する実態調」)日本は血縁を大切にし、長らく先祖崇拝を行ってきた国である。それがなぜ、3年半の間に、10万人以上もの遺体が引き取り手のないまま葬り去られなければならなくなったのだろうか。日本は今、先進国の中でも類を見ないほど高齢化が進んでいる。総人口における65歳以上の高齢者の割合(高齢化率)は29.1%。先進国の中で2位のイタリア(24.5%)、同3位のフィンランド(23.6%)を大きく引き離している。これだけでも危機的なのに、日本の高齢化率は2040年には35.3%になるとされている」



高齢化が進んでも、家族や地域コミュニティーの支えがあれば健全な生活を保てるという意見もあるかもしれませんが、日本の高齢者は必ずしも血縁や地縁による堅固なつながりがあるわけではないといいます。著者は、「現に、一人暮らしの高齢者(単身高齢者)の数は右肩上がりだ。2000年には303万人だったのが、2020年には672万人になり、2040年には896万人に達すると推測されている。この数を見れば、冒頭の引き取り手のない死者の数も納得できてしまうかもしれない」と述べます。



高齢者の問題で大きいものの1つが貧困です。日本では160万もの生活保護世帯がありますが、そのうち高齢者世帯の占める割合は55%と半数以上になます。母子世帯がわずか4%であることと比べると、どれだけ多いかがわかるでしょう。著者は「ここで押さえておかなければならないのは、原則的に高齢者が生活保護を受給できるのは、きょうだい、子供、孫など親族からの支援が難しい場合に限られるということだ。逆に言えば、それだけの高齢者が親族から見捨てられ、国の税金で生かしてもらわなければならなくなっているのだ。高齢者が貧困や孤独に陥れば、そこから様々な事件が引き起こされることになる。日本の刑務所では受刑者全体の数は減少しているのに、全検挙者に占める高齢者の割合は過去30年で10倍以上にも上昇した」と述べています。



人生に絶望して自ら命を絶つ高齢者の数も多いです。厚生労働省の調べによれば、「死にたい」という希死念慮を抱いたことのある高齢者は3人に1人に及び、日本の自殺者の4割近くを占めています。動機の7割が健康問題であり、病気の進行と共に絶望が膨らみ、うつ病等を発症して死ぬことを考えるようになります。著者は、「犯罪にせよ、自殺にせよ、彼らがそれらに走る背景の1つが、他者との関係性の希薄さだ。身近に信頼できる人がいれば、何かあった時に手を差し伸べてもらったり、その人のためにがんばろうと考えられたりする」と述べています。



しかし、そうした関係性が欠如していれば、狭い世界の中で極めて自己本位な思考に陥りがちになります。だからこそ、彼らは一度きりの人生を自ら踏みにじるような行為に及ぶのです。著者は、「考えなければならないのは、今の日本では、“無縁高齢化”とも呼ぶべき状況が起きているということだ。年齢を重ねるにつれて、家族や地域との関係性が弱まっていき、やがて命綱が切れてしまうように社会から切り離され、濁流の中を漂流する」と述べます。



第一章「黒い黄昏」の「刑務所という終の棲家――累犯者」では、「再犯者のたどり着く先」として、現在、刑務所が抱えている問題に、受刑者の高齢化があるといいます。建前の上では、刑務所は罪を犯した者を一定期間収容して反省を促し、出所後に真っ当な道に進ませるための施設です。しかし、現実的にはそうはなっていません。受刑者の社会復帰は容易ではなく、出所したところで2人に1人は再犯を起こしています。特に前科のある高齢者は就労が困難であるため、違法行為をくり返す率が高いのです。



著者は、「一部の受刑者にとって、刑務所は社会で暮らすより居心地のいい場所になっているのだ」と述べます。国はこうした現状を受けて、2017年12月、「再犯防止推進計画」をまとめました。受刑者たちが、再び罪を犯さないように居場所を見つけ、福祉につなげる仕組みを作ったのです。刑務所で受刑者一人にかかる費用は、年間300万円と言われています。これに彼らがこれまで犯した罪による経済的損失、出所後の生活保護や福祉支援などにかかる金額を合計すれば、その額は計り知れません。



「暴力化する介護――高齢者虐待」では、「被害件数1万7000の衝撃」として、2021年度に、日本全国で起きた高齢者虐待の件数は1万7000を超えたことが紹介されます。このうち、養介護施設従事者等によるものが739件、子供など養護者によるものが1万6426件でした。高齢者虐待の種類は5つあるといいます。「身体的虐待」「ネグレクト(介護等放棄)」「心理的虐待(言葉の暴カ)」「性的虐待」「経済的虐待(親族等が高齢者から経済的搾取を行う)」です。被害者の7、8割は認知症患者だとされています。



全国的に見た場合、養護者による高齢者虐待では年齢的な特徴はさほどありませんが、被害者は圧倒的に女性が多く75.6%で、男性は24.4%。加害者は大半が身内で、息子(38.9%)、夫(22.8%)、娘(19%)、息子や娘の配偶者(3.7%)です。身近にいる人ほど、虐待加害者になる可能性が高いということになります。虐待の種類は、身体的虐待(67.3%)、心理的虐待(39.5%)、介護等放棄(19.2%)、経済的虐待(14.3%)、性的虐待(0.5%)の順となっています。なお、以上は複数回答によるデータです。



通報者としては、本人(2.9%)や家族・親族(5.7%)は意外に少なく、デイサービスの職員やケアマネージャーなど職務上知り得た者(69.3%、介護支援専門員+介護保険事業所職員)がもっとも多いです(いずれも「介護保険サービス」を受けている高齢者における割合)。被害者に認知症精神疾患があり、加害者が身内であることを考えれば、自ずとそうなるのでしょう。(以上、厚生労働省「令和三年度『高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律』に基づく対応状況等に関する調査結果」による)



被害者が認知症を患っていると、本人が虐待の被害を自覚するのが困難です。親と虐待をする子供が共依存になっていることもあります。そうなれば、虐待が起きていても、なかなか、被害者の同意を得て保護することができません。著者は、「これは経済的虐待も同じだ。高齢者が寝たきりになれば、介護者である子供に全財産を託すのはやむをえない。また、子供が介護離職して無収入になれば、その報酬として親に金銭を求めることもある。財産の額も人によって違うので、どこからどこまでを経済的虐待とするかの線引きは容易ではない」と述べています。



介護の現場は常に人手不足であり、従業員は日々の業務をこなすので精いっぱいですし、家族にとっても新たな受け入れ先を見つけるのは大変です。そのため、施設での虐待が発覚して業務がパンクすると、施設も、職員も、家族も、介護を受ける高齢者も路頭に迷うことになりかねません。虐待を暴くより、その後処理をする方が負担が大きいのです。北海道札幌市中央区にある「北海道高齢者虐待防止・相談支援センター」の所長を務める中村健治氏は、「児童虐待は加害者と被害者がはっきりしていますが、高齢者虐待の場合はそうではありません」と語っています。



中村氏は、「加害者と被害者が共依存になっている場合は、虐待が明らかになることが双方にとって不利益をもたらすことになりかねないのです。たとえば、中村氏たちが親子間の経済的虐待に介入したことによって、高齢者は介護者を失い、介護者は生活が破綻するなんてことが起こる。そのため、現場の状況に応じたその時々の判断で、虐待に対してどのように介入していくかを決めていく必要があるんです」と語ります。著者は、「児童虐待に比べて、高齢者虐待に対する危機感がいまいち広がらないのは、こうしたことに一因があるかもしれない」と述べます。



「腐朽する肉体――孤独死」の冒頭には、「1年に約3万件。これは現在、日本で起きている孤独死の推計数だ」と書かれています。「部屋に散らばる人生の残骸」として、遺品整理についての説明があります。遺品整理とは、故人が残した大量の遺品を整理する仕事です。著者は、「遺族が遠方に住んでいて故人の所有物を整理することができない、遺族が高齢で体に負荷のかかる作業ができない、亡くなった方の家がゴミ屋敷になっていて片付けに危険が伴う。そうした理由で業者に話が舞い込んでくる。また、依頼されて行ってみた家が、ゴミ屋敷になっていることも少なくない。故人が認知症だったり、知的・精神障害があったりすると、長い一人暮らしの中でゴミが何トンも溜まってしまうのだ。こうなると素人による清掃は不可能だ」と書いています。



北海道で遺品整理や特殊清掃の事業を行っている「I’M YOU(アイムユー)」で代表取締役を務める酒本卓征氏が依頼先の家を訪れたところ、想像を絶する光景が広がっていました。玄関から廊下、そして各部屋に至るまでゴミが2メートルくらい山づみになっており、歩くこともできない状態だったのです。著者は、「食品についている賞味期限の表記を見たところ、ゴミは17、8年前から放置されていたようだった。床には巨大なゴキブリやネズミが駆け回り、あちらこちらに蜘蛛の巣が張られ、すさまじい悪臭が充満している。酒本氏が感染症予防のマスクや手袋をつけて、1つひとつゴミを片付けてトイレにたどり着くと、目を疑うような光景が広がっていた」と書かれています。



トイレの床が抜けており、そこに大便の入ったビニール袋が何百と投げ込まれていたのです。壊れたトイレを修理せず、ビニール袋に用を足して投げ込んでいたのでしょう。著者は、「キッチンの光景も強烈だった。転がっていた麦茶用の1.5リットルの容器を見てみると、中には大量の尿が入っていた。アンモニア臭のするティッシュペーパーが山になっているところを見ると、麦茶用の容器を尿瓶として使って中身をキッチンに流していたらしい。さらにゴミをまとめて奥へ進むと、天井まで重なったゴミの向こうから、もう1つ部屋が出てきた。4LDKだと思っていたのだが、ゴミに隠れて部屋が1つ見えなくなっていたのだ」と書いています。

 

酒本氏がドアを開くと、不思議とその部屋だけきれいに片付いていました。どういうことなのか。よく見ると、子供用の勉強机があり、棚には児童書やおもちゃが並べられていました。ついさっきまで子供がここで遊んでいたかのようでした。清掃が終わった後、親族にこの家には子供がいたのですかと尋ねたところ、故人は若い頃に幼い子を失くしたことがあったと教えられました。著者は、「きっと故人は亡くなったわが子を愛するあまり遺品を捨てることができず、何十年も子供部屋をそのままにしていたのだろう。そうこうするうちに、ゴミ屋敷となり、子供部屋の入り口がゴミに埋もれて入れなくなってしまったのだ」と書いています。愛するわが子を失った故人の深い悲嘆(グリーフ)がケアされていればと思わずにはいられません。



「『最期』の処理」として、日本では約8割の人が病院のベッドの上で死を迎えていることが紹介されます。そこでは医療者や親族に見守られ、死後はすぐに死亡診断書が作成され、葬儀の手配が進められます。多くは1週間以内に火葬が終了します。しかし、家で孤独死した人は異なります。著者は、「発見が遅れれば遅れるだけ遺体の腐敗が進むだけでなく、人体の60%を占める血液を含む水分が体外へと漏れ出ていく。寝室で寝たまま亡くなった場合は、そのような体液が布団を汚すだけでなく、畳やフローリングの下まで染みていく。浴槽で亡くなったケースだと、湯の中で肉体が溶解してドロドロの状態になる。首吊り自殺に至っては、頭部がちぎれて胴体と分離する。何も脅かそうとして書いているのではなく、すべて実際に起きていることなのだ」と述べます。



孤独死の落とし穴」では、数多くの特殊清掃の現場を見てきた酒本氏が近年案じているのがペットを飼っている独居老人だと紹介されます。お年寄りは一人暮らしの寂しさから、犬や猫などをペットとして迎え入れます。だが、飼い主が突然倒れて亡くなった場合、家に閉じ込められたペットは空腹に耐えかねて、遺体を食することがあるのです。酒本氏は、「僕としては、誰もが一度は人生の終わりの光景を想像しておくべきだと思っています。特に中高年はそうです。遺品をどうするのか、ペットをどうするのか、仕事の処理を誰に頼むのか、その費用をどうするのか。きちんと自分の死後のことを考え、やるべきことをやっておきさえすれば、周りの人はつらい思いをしなくて済むのです」と語ります。著者は、「人は他者によって生かされている。だからこそ、自分が死んだら終わりではなく、死後に周の人たちに負担をかけないように、できることをしておくことが大切なのだ」と述べるのでした。



第三章「日本最大のドヤ街の今」の「名のない墓碑――葬儀」では、「最低限の葬儀」として、「福祉葬」や「直葬」と呼ばれている簡易葬が紹介されます。生活保護受給者が亡くなった場合、本人が財産を有していないため、代わりに自治体が「葬祭扶助」を出して“必要最低限の葬儀”を行います。自治体によって福祉葬の支給額や規定は異なります。大阪市の場合は、1回につき21万円までと定められています。この中から葬儀会社が搬送費用、仏具や棺の費用、読経をする僧侶への布施などを支払うことになるのです。



費用の内訳も厳格に決められていて、例えば読経のために僧侶を呼ぶ場合は、上限金額が4万6000円とされていて、それ以上出すことは認められません。葬儀の中で行われるサービスについても、細かな取り決めがあります。必要最低限の葬儀という前提があり、高価な棺を使用したり、大きな花束やお供え物を用意したりすることは認められません。税金を使って豪華な葬儀をすれば、市民から「税金の無駄遣い」と非難される可能性があるためです。そのため、福祉葬の場合は、葬儀会社がその明細だけでなく、葬儀を簡略化したことを証明するため、葬儀の様子を写真に撮って提出しなければならないこともあります。他の市に至っては、抜き打ち視察まで行っているとか。



一般的に身寄りのない人が亡くなった場合、病院なりアパートなり遺体のある場所の責任者が自治体に連絡して対応を頼むことになります。自治体は戸籍などから親族を探し出して遺体の引き取りを求めます。親族が承諾すれば、葬儀から納骨までの手配は託されることになりますが、生活保護受給者の場合は生前から縁が切れていることが多く、引き取り自体を拒まれることが多いです。著者は、「親族にとっては、ある日いきなり自治体から電話があり、何十年も行方不明になっていた者の死を告げられ、葬儀など一切を押し付けられても困るというのが本音なのだ。そうなると、病院やアパートの側は、自治体からの公的支援を使って葬儀会社にすべてをパッケージで頼むことになる。この時に、彼らが葬儀会社を選ぶ基準が、これまでの実績なのである」と述べます。



「無縁遺骨の終着点」として、葬儀会社が行うのは、主に遺体の引き取りから火葬までであることが紹介されます。葬祭扶助は、火葬までの費用は出ますが、遺骨の埋葬費用は入っていません。親族が承諾すれば遺骨を引き取ってもらえますが、そうでなければ、宗教施設、もしくは自治体が代わりに引き取ることになります。宗教施設が引き取るケースでは、お寺が行う永代供養というものがああります。これは遺族に代わってお寺が遺骨の管理や供養をすることです。著者は、「一般的に永代供養には数十万円の費用がかかり、それを支払えなければお寺は遺骨を引き取らない。だが、西成区の寺の中には、常日頃から支援団体や生活困窮者と関係を持っているところもある。こうしたお寺では、生活困窮者の永代供養を格安、もしくは無料で行っている。そのため、生活困窮者が生前からこうしたお寺への埋葬を希望したり、死後に支援団体のスタッフが彼らの永代供養を頼みに来たりする。他方、こうした宗教施設と接点がない場合は、自治体が遺骨を管理することになる」と述べています。



第五章「高齢者大国の桃源郷へ」の「村はなぜ、女性長寿日本一なのか――寿命」では、「人生百年をいかに生きるか」として、沖縄県那覇市の中心地から45分ほど車を走らせたところにある北中城村(きたなかぐすくそん)が取り上げられます。日本で最も女性の寿命が長い村です。著者は、「今回、私が北中城村に来てわかったのは、やはり人は無縁の状態では生きてはいけないということだ。この村では、人々が大勢の人たちと温かな関係性を持ち、心から楽しいと思えることを積極的に行っている。だからこそ、そうした時間を少しでも長くしたいと考え、自分のことだけでなく、他人や地域のことも大切にする。そうしたつながりが、人々の寿命、そして幸福を長く大きなものにしているのではないだろうか」と述べるのでした。


老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)

 

本書は全体的に暗い話が多く、読んでいるうちに気分が滅入ってきますが、最後に紹介された北中城村の存在に希望の光を感じました。拙著『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)にも書いたように、日本は世界一の高齢大国ですが、その高齢者の未来が悲惨であってはなりません。やはり「無縁老人」はでなく「有縁老人」に溢れた社会を実現しなければならないのです。そして、そのカギは冠婚葬祭互助会にあると、わたしは思いました。まさに、冠婚葬祭互助会こそが「無縁」という言葉をこの世から消し去ってしまう唯一の希望の光ではないでしょうか。なぜ、わたしがそう思うのか? 詳しくは、ブログ「冠婚葬祭互助会が日本を救う」をお読み下さい。

 

 

2024年10月20日  一条真也