父の通夜 

一条真也です。
9月20日の朝に満88歳で旅立った父・ 佐久間進の通夜式が25日に小倉紫雲閣で行われました。


月の広場の玄関にて

茶室再現コーナー


メモリアル家族写真を見る


父には感謝あるのみです!


メモリアルコーナーにて

通夜式の祭壇のようす


「太陽を追う花」が「太陽を追う男」を囲む


戒名は「陽徳院法禮興進大居士」

 

父・ 佐久間進の戒名は「陽徳院法禮興進大居士」となりました。祭壇には黄色と白の花々が飾られ、まるで聖徳太子が死後に向かったという「天寿国」のようでした。「太陽を追う男」と呼ばれた父の遺影は笑顔で、太陽のようでした。遺影は「太陽を追う花」である向日葵に囲まれていました。祭壇の両端には「創業守礼」と「天下布礼」という父が生涯にわたって訴え続けた言葉が飾られていました。

並ぶ サンレー役員たち


多くの社員のみなさんが焼香に並んで下さいました


焼香する社員のみなさん

社員のみなさんに御挨拶しました

まずは14時半から、大ホールで遺族が焼香し、その後、サンレーグループの役員および社員のみなさんの焼香に立ち会いました。みなさん涙ながらに父との別れを惜しんでおり、胸を打たれました。「ああ、父はこれだけ社員のみなさんに愛されていたんだなあ」と思い知りました。約1時間半後の16時に社員焼香が終わりました。



その後、雨が降り始めました。小倉紫雲閣を取り囲んだ大量の供花が濡れていましたが、わたしは「弔問される皆様の足元が悪くなるかな」と心配もしましたが、その一方で「これは父との別れを惜しむ方々の涙雨ではないかな」と思いました。しかし、通夜直前には雨が上がり、小倉紫雲閣の上には見事な虹がかかっていたようです。ご弔問の方から画像を頂きました。まさに通夜が始まる直前に雨があがり、美しい太陽の光が差し込みました。わたしは、「ああ、太陽を追う男らしい奇跡だな」と思った次第です。


四重奏が奏でられました♪

『佐久間進のすべて』を編集した内海準二さんと

鎌田東二先生をお迎えする


弔問者をお迎えしました


父の思い出話をする

参列者が揃う

 

17時30分に遺族が式場に集合し、弔問に来られたみなさんを迎賓しました。喪   主は、母の佐久間徳子、わたし 佐久間庸和 、 弟の佐久間康弘の3人です。17時50分に一同着席。四重奏が奏でられる中、冠婚葬祭互助会業界の方々、ホテル・旅館関係の方々、地元・北九州の方々など、多くの方々が通夜に参列して下さいました。


父の人生を追想しました


父の人となりを紹介


かけがえのない家族


家族のような社員たち


志高く・・・・・・

冒頭、父の追想ムービーが流れました。ブログ「『まつり』の夜」で紹介した父の還暦を祝う会で披露された「太陽を追う男『佐久間進』八十八年の軌跡」をベースとした動画に、多くの方が見入っていました。元気な頃の父の姿を見ると、「ああ、もういないんだなあ・・・」という思いがこみあげてきます。

導師入場


10名の導師が入場しました


読経が開始されました


遺族親族も読経を聴きました

 

ムービーの上映が終了すると、「導師・式衆入場」です。小倉藩主の小笠原家の菩提寺である黄檗宗広寿山福聚寺のご住職を導師として、総勢10名の僧侶が入場されました。一列に並ぶと、さすがに壮観です。通夜式が開始されて、読経、導師焼香となり、続いて喪主焼香となりました。


母の車椅子を押しました


最初に母が焼香しました

次にわたしが焼香しました

焼香に想いを込めました


父の遺影を見上げました


父に感謝の拝礼をしました

 

最初に足の悪い母が焼香するので、わたしが車椅子を押して焼香台まで行きました。母が焼香を終えると、再び車椅子を押して喪主席に戻りました。それから、わたしが焼香をしました。続いて、弟が焼香しました。

遺族親族代表挨拶をしました

最初に父の病状を振り返りました

 

喪主焼香の後は、「遺族親族代表挨拶」です。故人の長男であるわたしがマイクの前に立ちました。わたしは、最初に「遺族親族を代表して、ひとことご挨拶申し上げます。皆様、本日はお忙しい中、父  佐久間進の通夜にご弔問いただき、心よりお礼申し上げます」と言いました。それから、「父は昨年3月頃に体調の不良を訴え、検査の結果『大腸がん』が発見されました。その後、今年2月には肝臓への転移が発覚しました。当初は放射線治療を行いましたが、その後は抗がん剤や手術を施すことなく、あるがままに自らの死を受け入れるが如く、穏やかに自宅で療養に努めてまいりました。そして9月20日、満88歳という米寿の節目で、父は静かにその生涯を閉じました。最後は、家族に見守られて、堂々と人生を卒業していきました」と言いました。


父の人生を振り返りました

父の構想を受け継ぐことを約束しました

それから、「父は1935年に千葉県富津市で生まれ、國學院大學文学部を卒業後、1962年に松柏園ホテルに入社し、1966年に冠婚葬祭互助会事業をスタートさせました。その後、株式会社 サンレーとしての歩みを始め、58年間にわたり、多くの皆様とのご縁を頂きながら、多忙でありながらも充実した日々を過ごして参りました。つねに新しいことに挑戦し、亡くなる直前まで、会社の利益を超えた世の中を良くするためのアイデアを語っていました。最後まで、『互助共生社会』の実現を想っていました。それは、スケールが大きく、かつ具体的なものでした。その構想は、私が受け継ぐことを約束しました」と言いました。


死は不幸ではないが寂しいですね


明日は父の行年90歳の誕生日

それから、「わたしは、『死は不幸ではない』という信条を持っております。それでも父という存在を失ったことは、やはり寂しいです。この寂しさは決して不幸ではありませんが、それでも心の奥底に残るものです。明日26日、この日が偶然にも父の行年90歳の誕生日にあたります。父は90歳の誕生日を迎えることを望んでいましたが、残念ながら叶いませんでした。しかしながら、本日の通夜では、このように多くのかけがえのない皆様に見守っていただいております。いよいよ明日は、父が新しい世界へと生まれ変わる誕生祝いだとも考えています。寂しいながらも、微笑みと共に、父を送りたいと思っています」と言いました。

遺族親族へ変わらぬご厚誼とご鞭撻を賜りますよう

本日は誠にありがとうございました

そして、最後に「皆様には、父が生前に賜りましたご厚情に対し、改めて感謝申し上げます。今後とも、遺族親族へ変わらぬご厚誼とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。簡単ではございますが、これをもちましてお礼の挨拶にかえさせていただきます。なお、明日の葬儀・告別式は当会場におきまして正午より執り行います。何卒、ご参列賜りますようお願い致します。本日は誠にありがとうございました」と述べたのでした。


導師退場のようす


互助会の仲間たちが焼香してくれました


焼香後の送賓をさせていただきました


なつかしい方々にお会いしました

 

その後は、導師・式衆が退場し、それから遺族・親族焼香の後で、弔問者焼香が行われました。冠婚葬祭を生業とし、葬儀に関する本もたくさん書いてきたわたしですが、喪主を務めるのは初めてです。戸惑うこともありましたが、わが社のスタッフが親身になって寄り添ってくれました。おかげさまで、通夜式は滞りなく終了しました。明日は、いよいよ葬儀・告別式です。

 

2024年9月25日  一条真也