「まつり」の力と「こころ」の復興

一条真也です。
9月2日の夜、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生が小倉に来られます。鎌田先生は神道研究の第一人者ですが、ブログ「鎌田東二先生、神道を語る!」で紹介したYouTube動画【魂の対談】日本はとんでもない国だったで、「まつり」について語っておられます。



この動画を見た上級グリーフケア士でサンレー北陸の大谷賢博部長から、「おもしろ過ぎてぶっ飛びました。この動画こそ目で観るのではなく、概念や自分の中に魂移ししながら観るべきものだと思いました。神話の中に自分がいる。そして自分とは個人ではなく共同であると感じる瞬間。私を分解したら複雑性の中にいることに気づき、それは縁起、空、智恵など私は常に私たちであるということ。そして祭りがまさに『わたしたち』を感じさせるものであり、わたしたちの存在基盤であり死と再生のドラマ、すなわち生命力の更新であるということ。さらには祭りを失うことは生命の息吹を失うことであるということには衝撃を受けました。今、能登半島では各地で祭りが開催されております。この状況下での開催で賛否両論が巻き起こっていますが、実際には県外に避難している人たちも祭りに参加するために帰ってきております。それはまさに『わたしたち』という共同体であるということを確認する本能のような気がします。『わたしから わたしたちへ』グリーフケアの営みの中で現れたこの言葉と鎌田先生の言葉がすべて繋がりました!」とのLINEメッセージが届きました。

ヤフーニュースより

 

今朝、大谷部長は、「能登半島地震の被災者となった筆者が感じたふるさとの祭り「姫の底力をみせてやれ!」地震で再確認した”能登の祭り”の大切な役割(FNNプライムオンライン)」というヤフーニュースの記事を送ってくれました。記事には、「夏は能登の人たちにとって祭りの季節。それぞれの地域で『キリコ』と呼ばれる大きな灯籠が町内を巡行する勇壮な夏祭りが各地で行われる。元日の能登半島地震で甚大な被害を受け、祭りを断念する地域もある中、復旧作業に追われながらも、祭りの火を絶やすまいと奮闘する人たちがいる」と書かれています。

 

また、記事には「甚大な被害も”祭りの火”を絶やさない」として、「能登半島の先端、南東側に位置する、石川県能登町姫地区。地区にある諏訪神社の夏の例祭、『どいやさ祭』はやっこだこのような形をした大小6基の『袖キリコ』が町を練り歩く。クライマックスにはキリコを載せた船が漁港を巡る、漁師町ならではの迫力ある祭りだ。今年は能登半島地震の発生で同地区でも神社の鳥居が倒壊するなど大きな被害があったため、祭りの開催が危ぶまれたが、1カ月延期して営まれた」と書かれています。

 

さらに、「被災した神社に新たに建立された“特別な”鳥居」として、「祭りの中心となる諏訪神社には真新しい朱の鳥居がたち、石垣や石段には補修したあとが見られる。住民たちが協力して鳥居を再建し、崩れた部分を補修したという。周辺には未だ修理・解体ができていない住宅などが残る中、建設業者でもない住民たちがなぜ神社の修繕に取り組んだのか。そこには『どいやさ祭』への思いがあった。祭礼委員長を務める今井和人さんは、元日からしばらくは日々生きるのが精いっぱいだったと振り返る。4月に入るころに、ようやく少し落ち着き、祭りをしようという気持ちになったのだと言う」と書かれています。

 

そして、記事には「今年は祭りの開催を見送ろうという声もあった。しかし、地区の象徴である『どいやさ祭』までに鳥居を再建し、住民を元気づけようと、宮総代の田中哲明さんが発起人となり、約20人が集まって、土台から手作りで木製の鳥居を完成させた」と書かれているのでした。この記事を送ってくれた大谷部長は、能登半島地震で実家が全壊しています。彼は、「鎌田先生が言うようにこの記事にも『地域の文化を守るという観点からだけでなく、いざというときに共助できるコミュニティを維持するという機能面からも、祭りなど地域の行事やイベントは守り伝える必要がある』という言葉が出てきます」と書いています。わたしが、「情報ありがとうございます。このような祭りを継承していくのも、このたび理事長に就任した一般財団法人  冠婚葬祭文化振興財団の大切な仕事だと思います」と返信したところ、大谷部長から「最近、地方局でも能登の祭りがよく特集されるので、あらためて祭りの大切さが注目されてきたと肌で感じます」とのメッセージが返ってきました。能登半島地震の被災地の復興および被災者の方々の「こころ」の復興を切に願っています。

 

 

2024年9月2日  一条真也