死を乗り越える吉田松陰の言葉

 

十七、十八の死が惜しければ、
三十の死も惜しい。

八十、九十、百になっても
これで足りたということはない。
半年と云う虫たちの命が短いとは思わないし、松や柏のように数百年の命が長いとも思わない。天地の悠久に比べれば、松柏も一時蠅なり。
吉田松陰

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、吉田松陰(1830~59年:文政13年~安政6年)の言葉です。松陰は、長州藩士、思想家、教育者、兵学者。萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれました。私塾・松下村塾で若者を指導。29歳没。



一時蠅とは、「ハエのような存在」という意味です。明治維新という世界史の中でも稀有な変革を推進する中核となった若者たち――高杉晋作をはじめ久坂玄瑞伊藤博文山県有朋吉田稔麿前原一誠など、維新の指導者となる人材を教え育て上げたのが吉田松陰です。1859年、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令が下ります。松陰は幕府の老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、投獄されていた江戸伝馬町の牢屋敷において斬首刑に処されます。

 

 

うまく言い逃れができたならば、松陰は斬首を免れたかもしれません。しかし、彼が残した言葉には、志の美しさを感じてしまいます。明治時代に入り、松陰神社で神となり祭られている松陰ですが、寿命という長さの価値観を捨て去ることで、彼の思いは輝きを増したのでしょう。松陰は、29歳の若さで刑死しましたが、その遺書ともいえる『留魂録』に「今日、死を決心して、安心できるのは四季の循環において得るところがあるからである。春に種をまき、夏は苗を植え、秋に刈り、冬にはそれを蔵にしまって、収穫を祝う。このように一年には四季がある」と書き残しました。



そして、松陰は人間の寿命について「人の寿命に定まりはないが、十歳で死ぬ者には十歳の中に四季がある。二十歳には二十歳の四季がある。三十歳には三十歳の四季がある。五十歳、百歳には五十歳、百歳の四季がある。私は三十歳で死ぬことになるが、四季は既に備わり、実をつけた。その実が立派なものかどうか私にはわからないが、同志の諸君が私の志を憐れみ受け継いでくれたなら、種は絶えることなく年々実を結んでいくであろう」と述べました。松陰の死後、その弟子たちは結束して、彼の志を果たしました。松陰の四季が生み出した実は結ばれ、種は絶えなかったのです。なお、今回の吉田松陰の名言は死を乗り越える名言ガイド(現代書林)に掲載されています。

 

 

2024年8月27日  一条真也