長崎原爆の日 

一条真也です。
東京に来ています。8月9日は、「長崎原爆の日」です。詳しくはブログ「小倉に落ちるはずの原爆」をお読みいただきたいと思いますが、今日は、わたしにとって1年のうちでも最も重要な日です。原爆投下時間である11時02分に、東京で黙祷いたします。



「長崎原爆の日」に行われる平和祈念式典で、長崎市イスラム組織ハマスと戦闘を続けるイスラエルの駐日大使を招待していません。これをめぐって、G7=主要7か国のうち、日本を除くアメリカやイギリスなど6か国とEUの東京に駐在する大使らが連名で懸念を示す書簡を長崎市の鈴木市長に送り、駐日大使らの参加見合わせを表明しています。とんでもないことです。こうした中、長崎市の鈴木市長は、報道陣の取材に応じ「決して政治的な理由で招待していないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由だ。苦渋の決断ではあったが、そういう考えで決定した。判断に変更はない」と述べ、市の立場を改めて説明し、理解を求めました。

2024年8月9日の各紙朝刊

 

長崎原爆といえば、ブログ「母と暮せば」で紹介した映画を思い出します。名匠・山田洋次監督が、原爆で亡くなった家族が亡霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマ。ジェントルゴースト(優霊)ストーリーの名作でした。



「母と暮らせば」は、原爆で壊滅的な被害を受けた長崎を舞台に、この世とあの世の人間が織り成す不思議な物語を映し出した作品です。主人公の母親を名女優吉永小百合が演じました。2015年12月12日に公開されましたが、戦後70年という「死者を想う」年の締めくくりにふさわしい名作であると思いました。


昨年の「広島原爆の日」に当たる2022年8月6日に、ブログ「長崎の郵便配達」で紹介したドキュメンタリー映画を観ました。元イギリス空軍所属のピーター・タウンゼントさんは、後にジャーナリストとなり長崎を訪れます。彼はそこで、16歳のときに郵便配達中に被爆核廃絶のための運動に生涯を捧げてきた谷口稜曄さんと出会います。1984年に谷口さんへの取材をまとめたノンフィクション『ナガサキの郵便配達』を出版。2018年8月、ピーターさんの娘であるイザベル・タウンゼントさんが長崎を訪問し、父親の本に登場する場所をめぐる映画です。

 

映画といえば、ブログ「オッペンハイマー」で紹介したクリストファー・ノーラン監督の最新作がアカデミー賞で7冠に輝きました。この作品、全世界での公開から約8ヵ月後に日本で公開されました。内容は、アメリカ陸軍による原子爆弾開発計画「マンハッタン・プロジェクト」のリーダーを務めた物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いたものです。「マンハッタン・プロジェクト」を中心に据え、特に試作された核弾頭「トリニティ」の臨界実験を映像的なクライマックスに据えていました。原爆というのは世界史上で2回しか使われていません。その土地は日本の広島と長崎です。被爆国である日本の人々は当事者として、「オッペンハイマー」をどこの国の国民よりも早く観る権利、また評価する権利があったと思います。


実際、わたしは「オッペンハイマー」が日米同時公開されるとばかり思っていました。それが、日本だけ公開が8ヵ月も遅れたのは何故なのか。実際に鑑賞するまで、わたしは「原爆開発の倫理的責任はどう描かれているのか。試作弾頭「トリニティ」の臨界実験の描写は凝りに凝ったCGと音響で圧倒的なインパクトが強かったですが、それが、原爆の恐怖を表現しているというよりも、開発成功を称える高揚シーンになっているように思えました。いずれにせよ、日本人のグリーフを無視した映画がアカデミー作品賞を受賞した事実によって、日本人はセカンド・グリーフを負ったように思えてなりません。アカデミー賞の審査員たちには、「ポリコレとか多様性とか言う前に、もっと大事なことがあるだろう!」と叫びたかったです!

 

その「オッペンハイマー」とアメリカで同時公開された映画が、バービー人形を題材にした「バービー」です。この2作を二本立てで見ることがブームになり、ファン達が関連画像をSNSに投稿。その画像は、バービー役の女優マーゴット・ロビーの髪型に原爆を連想させるキノコ雲が合成されています。さらに、爆発を背景に2作品の登場人物が合成された画像もあります。 日本人には見過ごせない画像ですが、さらに問題なのがバービーの公式アカウントが「忘れられない夏になりそうですね」とハートマークをつけて投稿した点です。また、キノコ雲の画像にもウインクのマークをつけて返信しています。公式が好意的に受け止めているかのような返信に見えます。アメリカの一部の人々がいまだに「原爆は栄光の兵器」「ウィニング・ウェポン」という考え方があることを知り、呆然としました。

西日本・毎日・読売・朝日新聞8月9日朝刊広告

 

長崎原爆の日、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「西日本」「毎日」「読売」「朝日」の各紙に広告を掲載しています。もう20年以上も広告掲載を続けているせいか、ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきました。新聞広告は、満月のイラストをバックに「鎮魂」と大きく書かれ、「昭和20年8月9日−−小倉に落ちるはずだった原爆。」と続き、「平和への願いを込めて、長崎に祈りを」として、こう書かれています。
「それは79年前のこと。昭和20年8月9日、長崎に第2の原子爆弾が投下されました。広島に人類最初の爆弾が落とされた3日後のことです。長崎型原爆・ファットマンは8月6日にテニアン島で組み立てられました。そして、8月8日にアメリカ陸軍在グアム第20航空軍司令部野戦命令17号において、小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、8月9日に投下する指令がなされました。8月9日に、ソ連が日本に宣戦布告。この日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。第2目標であった長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。小倉の軍需工場が爆弾投下の第1目標であったことを、皆さんはご存知でしたか。長崎ではこの原爆によって74000人もの尊い生命が奪われ75000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでいます。もし、この原爆が小倉に投下されていたら、あなたの家族や知りあいの方々が命を失い、あるいは大きな痛手を受けたことでしょう。もしかすると、この文章を読んでいるあなたは、この世に存在していなかったかもしれません。絶対に戦争の悲惨さを風化させないためにも、私共は原爆の犠牲になられた方々へのご冥福を祈るとともに、恒久平和への祈りを捧げていきたいと思います。古来、世界各地で月はあの世に見立てられていました。夜空に浮ぶ月を見上げて手を合わせ、亡くなられた方々を想ってみてはいかがでしょうか。私たちは、『人間の尊厳』を見つめながら、全国各地で真心を込めて、鎮魂と慰 霊のお手伝いをさせていただきたいと願っております。 株式会社サンレー代表取締役社長  佐久間庸和

ロマンティック・デス』と『リメンバー・フェス

 

また、拙著ロマンティック・デスリメンバー・フェスオリーブの木)のプレゼント告知も行いました。抽選で2冊セットで15名様に進呈します。
<応募方法>
郵便ハガキに郵便番号・住所・氏名・電話番号・書籍名をご記入の上、下記宛へお送り下さい。当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
〒802-0022
北九州市小倉北区上富野3-2-8
サンレー「鎮魂」書籍プレゼント 係
2024年8月20日(火)消印有効

 

9月17日(火)18時からサンレーグランドホテルで行われる「月への送魂」のセレモニーの案内もさせていただきました。ぜひ、今年も多くの方々にご参集いただき、月を見上げてなつかしい故人を偲んでほしいと思います。死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません!

 

2023年8月9日 一条真也